第七話 暴走する天才と、仲間を想う者たち
巣穴へ続く斜面を踏みしめた瞬間、レイナの足取りは焦りと苛立ちに押されるように速まっていた。風属性で身体を軽くし、靴裏にまとわせた風圧を一気に後方へ噴出させる。加速魔術《推進風》は、彼女が誇る最速の風だ。
仲間たちが呼び止める間もなく、レイナは淡い残光を引きながら、Cランク相当とされるゴブリンの巣穴へと単独で突っ込んでいった。
(こんな程度の実戦で私を試すつもり? 笑わせないわ。結果さえ示せば、誰も何も言えなくなる)
胸の奥では、さっき聞こえてしまった教師たちの会話が重く沈んでいた。
「今のままでは……彼女をこの学園に置く意味がない」
「協調性を身につけさせられれば良いのだが……」
それは本来、成長のための相談だった。だがレイナの耳には「厄介払い」にしか聞こえなかった。
自分はすでに十分強い。だから宮廷魔道士へ押しつけたいだけなのだと、彼女は勝手に結論づけてしまった。
(だったら見せてやる。一人でも、誰よりも強いって)
巣穴の入口を越えた瞬間、外界の音は完全に遮断された。ひんやりとした空気に、澱みきった闇魔力が漂い、肌を刺すような緊張感を生む。通路の奥へ進むほど、魔力の濃度は濃く、重くなっていく。
広間へ飛び込んだレイナは、本来ならそのまま加速し殲滅するつもりだった。だが。
「……何? 足が……滑る?」
踏み込んだ瞬間、ブーストが無効化された。靴裏に風圧の反発が返ってこない。さらに足がぬるりと沈み込む。
(罠……? この程度のゴブリンが……?)
床一面には、油と粘土を混ぜ合わせた粘着泥が塗られていた。
風属性の加速は床との反発を利用するため、油膜で力が逃げ、粘土が足を奪う。絶妙に組み合わさった、単純だが効果的な罠だった。
体勢が崩れたその瞬間、広間奥から変異種のゴブリンが巨大な岩塊を放り投げてきた。
「火属性《空中砲撃》!」
詠唱は間に合った。しかし加速が効かないせいで回避が遅れ、岩塊はレイナの横をかすめて壁へ激突。崩落した破片が通路を塞ぎ、退路が奪われる。
(こんな……! この程度で私の風が止まるはず……!)
焦りが怒りを呼び、怒りが魔力の制御を喰い荒らす。
奥からは変異種を先頭に無数のゴブリンが雪崩のように押し寄せてくる。
「闇属性《影縛鎖》!」
影の帯が広がり、ゴブリンたちを拘束しようとする。しかし変異種は闇属性耐性を持ち、力ずくで影を引き裂いた。
(なんで……なんで効かないのよ……!)
影の檻はひび割れ、拘束はもはや機能していなかった。
その頃、外では。
「くそっ、数が多すぎる……!」
「イオ、後ろも囲まれた!」
「ガゼル、何とかできないの!?」
イオ、リリス、ガゼルの三人は、巣穴前で数十体のゴブリンに囲まれ苦戦していた。
「地属性《岩壁》!」
ガゼルの岩壁がゴブリンの突撃を一度は防ぐ。しかし壁にはすぐ亀裂が走り、崩れかけていた。
「このままじゃ全滅だ……! 退くぞ!」
「でも、レイナさんが中に……!」
「レイナさんは……強い。でも、だからこそ危ない!」
イオは唇を噛みしめた。
レイナを信じたい。しかし、仲間が死ぬ未来が頭をよぎる。
「巣の入り口まで突破する! シエラさんに知らせるんだ!」
三人は覚悟を決め、数の壁を抜けようと前へ進む。だがゴブリンの数は異常で、突破は容易ではない。
そのとき、巣穴前へ影が降り立った。
大剣を肩に担ぎ、金色の瞳を細めるシエラだった。
「三人とも、よく生きて戻ったな」
静かだが、有無を言わせぬ声。
その一歩には、焦りではなく確かな覚悟と経験が滲んでいる。
「シエラさん! 中でレイナさんが……!」
「分かっている。あの魔力の揺れ方……暴走の初期だ」
シエラは短く息を吐く。
「仲間を危険に曝す奴が強者なわけねえだろ。放っておけるかよ」
その言葉に、三人の胸が熱くなる。
「でも、中は危険で……!」
「危険なのは当然だ。だが、あの子を見殺しにするつもりもない」
シエラの大剣が、微かに唸りを上げる。
「お前たちはここで待て。巻き込めば死ぬ。私が行く」
言い切り、シエラは巣穴の闇へと静かに歩み出した。
その頃、巣の奥では——。
影の檻が完全に砕け散り、レイナは粘着泥に足を取られたままゴブリンの群れに包囲されていた。
「……嫌……来ないで……!」
魔力が暴れ、視界がぐらつく。
胸の奥から、押しつぶされるような記憶が蘇る。
前世で、暗闇の中で助けを呼んでも誰も来なかったあの日。
押し寄せる影。圧迫される息。
無力であることの恐怖。
(弱さを見せたら、終わる……! 私は……もっと強いはず……!)
その拒絶と恐怖が、魔力を激しく膨張させた。
天井が震え、巣穴全体が軋む。
完全なる暴走の前兆。
(……だれか……)
声は震え、意識は暗闇に沈みかける。
(……助けて……)
その弱音は、レイナ自身が最も認めたくなかった叫びだった。
しかしその瞬間——巣穴の奥、暴走の渦中へ、一陣の風が吹き込んだ。
シエラが踏み込んだのだ。
「レイナ……聞こえるか。もう大丈夫だ」
静かで力強い声が、暗闇を裂いた。




