第六話:ゴブリン巣へ出発とレイナの拒絶
シエラとの模擬戦から一夜が明けた。
窓の外は薄い灰色の光に包まれ、学院の寮の廊下はまだ静まり返っている。
レイナはいつもの時間より早く目を覚ましていた。
しかし起き上がることができず、天井をただ見つめるだけだった。
思い返せば、昨日の模擬戦で自分は全力を出した。いや、全力以上のものを引き出したつもりだった。
それなのに――火は逸らされ、風は散らされ、闇は薄く拡散させられ、魔術は水の流れ一つで断ち切られた。
(……どうして届かないの? 誰より努力して、誰より精密に魔力を磨いてきたのに)
胸の奥が焼けるように痛む。悔しさか、恐怖か、それとももっと黒い感情か。
昨日シエラに投げつけられた言葉が、今も耳の奥でこびりついて離れなかった。
――単独スキルを暴走させてるだけだ。
――知識も応用も足りてねえ。
自分の強さの根幹を、正面から否定されたのだ。
心の奥に隠し続けてきた痛みが、昨日で一気に露わになった。
(あの女……認めない。たとえ正しくても、絶対に認めたりしない)
そう思っても、胸の奥は重く沈むだけだった。
さらに昨日、彼女は聞いてしまった。教師たちの、意図の分かりにくい会話を。
“協調性がないままでは、学園にいさせる意味がない”
“宮廷魔道士に預ければいい”
濁された表現。曖昧な言い回し。
しかし、敗北の直後のレイナには“拒絶の宣告”にしか聞こえなかった。
(つまり、私を厄介払いしたいのね……)
真実は違う。
だが、心が傷つき過ぎている彼女には、正しい解釈ができなかった。
ほとんど眠れない夜を越え、レイナは夜明けとともにひとりで学院の門前に立っていた。
銀の瞳は氷のように冷たく、表情には感情らしきものが一切浮かんでいない。
しばらくして、イオ、リリス、ガゼルの三人が駆けつけた。
昨日のレイナの様子を見ていたからだろう、三人とも硬い表情をしていた。
「レイナさん、おはよう。今日、一緒に頑張ろう……!」
イオが勇気を振り絞って声をかけた。
しかしレイナは、わずかに彼を一瞥しただけで、何も答えなかった。
空気が凍りついたように重くなったそのとき――。
「おう、全員揃ってるな。じゃあ行くか」
シエラが豪快な足取りで現れた。大剣を片手で担ぎ、いつも通りの笑みを浮かべている。
昨日の圧倒的な強さを思い出し、三人の肩がぴくりと震えた。
「今日は実戦だ。昨日の模擬戦で単独行動の限界は嫌ってほど分かっただろ? 今日はチームで動くぞ」
「……黙りなさい」
レイナの声は氷のように冷たかった。
その声色に、イオとリリスは思わず息を呑む。
「あなたに、私の何が分かるっていうの? 協調性? 連携? そんなもの、私の魔術には不要よ。私は一人で十分なの」
シエラはしばし無言で彼女を見下ろした。
怒っているというより、“呆れている”ような目だった。
「レイナさん、本当に違うんだよ!」
イオが必死に言う。
「ゴブリンの巣には罠も奇襲もある。僕たちが連携して動かないと、危険で――」
「あなたたち凡庸な三人に、私が教わることなんてひとつもないわ」
その言葉はあまりにも鋭く、三人の心を切り裂いた。
リリスは唇を噛みしめ、
ガゼルは拳を震わせ、
イオはショックで声が出なかった。
ただ一人、シエラだけが平然としていた。
「……まあいいさ。実戦で体に叩き込むのが一番早い。ただし」
シエラは大剣の柄を軽く叩いた。
「暴走して味方を死なせそうになったら、その場で試験は中止だ。仲間を危険に晒すのは、強者のやることじゃねえからな」
レイナは無表情のまま、何も答えなかった。
その瞳だけが鋭く、まっすぐシエラを射抜いていた。
森へ続く道中、三人は何度も連携案を口にした。
だがレイナは一度も振り返らず、ただ黙々と歩き続けた。
(弱さを見せれば終わる。だから私は強くなり続けなきゃいけない。誰にも頼らない――それが私)
強迫観念が、心の判断を鈍らせていた。
やがて森の奥に開いた暗い穴――ゴブリンの巣が姿を見せた。
湿った空気。生臭い魔力。どこかで鳴く小さな声。
それらの全てが、レイナの焦燥を刺激した。
「風属性《高速偵察》」
風を操り、巣の奥の空間を探る。
本来はチームのための偵察魔術だ。
しかしレイナは――。
「私は先行する。あなたたちはここで待っていなさい」
「レイナさん! 危険だって!」
「待ちなさい!」
「おい、勝手に行くんじゃねえ!」
三人の叫びが響くが、レイナは振り返らなかった。
風魔術による加速が発動し、彼女の姿はあっという間に暗闇の中へ消えた。
直後――。
森全体が震えるほどの魔力震動が走った。
空気が一気にざわりと波打つ。
「まずい……巣が完全に警戒態勢に入った!」
イオが叫ぶ。
「レイナさん、巣の中心に魔力を叩き込んだんだわ……! ゴブリンたちが一斉に覚醒し始めてる!」
リリスの顔は真っ青だった。
茂みの奥から、帰巣途中だったゴブリンの群れが姿を現した。
三人の周囲を囲むように、じりじりと距離を詰めてくる。
「くそっ……どうする!?」
ガゼルが絶望的な声を上げた。
シエラは一歩前に出て、大剣を引き抜いた。
金属音が森に響く。
「言ったろ……仲間を危険に晒すのは、強者のやることじゃねえってな」
その視線は、巣の奥――レイナが消えた闇の向こうへ向けられていた。
そしてその頃、巣の最深部では――。
レイナの魔力が、抑えきれないほど膨れ上がり、
その制御は、もはや“暴走”へと足を踏み出しつつあった。




