第二十二話:初めて“頼る”、崩れた呪い
――地鳴りのような足音が、闇に沈んだ森を揺らしていた。
ゴブリンキングの巨体が木々を押し倒しながら迫る。その肌は暗緑色にひび割れ、獣のような臭気を撒き散らしている。握られた大剣は大人三人ほどの長さがあり、振り下ろされた瞬間には風圧だけで地面が裂ける。
その怪物の目前に――三人の影が飛び込んだ。
イオ、リリス、ガゼル。
かつてレイナが拒み、突き放してしまった仲間たちだ。
「下がってろ、レイナ!」
イオの鋭い声が森を切り裂くように響く。彼は短剣を逆手に構え、レイナとゴブリンキングの間に滑り込んだ。呼吸は荒いはずなのに、背筋は震えひとつ見せない。
「私たちに任せなさい。今はあなたが倒れる番じゃないわ」
リリスは杖を胸元に抱くように構え、黒いローブの裾を翻してレイナの前に立つ。魔力が杖の宝珠に集まり、淡い光が周囲を照らし出す。
「お前はもう十分だ……これ以上は無茶だ!」
ガゼルは巨大な盾を地面に突き立て、怒りにも似た感情を抑えきれず声を震わせていた。
三人は、レイナを庇うように並び立った。
だが――レイナは、彼らの背中を見て、震える声を吐き出してしまう。
「……嫌……よ……! 頼らない……誰にも……!」
震えた声は、恐怖よりも痛みよりも、もっと深い場所からこぼれていた。
レイナは立ち上がろうとしていた。 足は痙攣し、膝ががくがくと笑う。全身は切り傷で染まり、呼吸は荒く、魔力回路は焼け焦げたように軋んでいる。
本来、立てる状態ではない。
それでも、彼女は必死に三人の背中越しにゴブリンキングを睨みつけ、拳を握りしめた。
(頼ったら……戻れなくなる。弱さを見せたら……また、あの日みたいに……)
幼い頃、助けを求めた瞬間に裏切られた記憶。 力のなさを嘲られた過去。 「弱いなら要らない」と言われた言葉。
それらが、彼女の胸の奥に“呪い”としてこびりついていた。
――弱さを見せたら価値がなくなる。
――頼ることは、見捨てられることに繋がる。
『誰にも頼らない』
その誓いは、彼女の鎧であり、檻でもあった。
「レイナ!」
イオが振り返り、叫ぶ。
「その身体で何ができるって言うんだよ! 今のあんたは……戦える状態じゃない!」
声は鋭いが、怒りではない。必死の叫びだった。
「私たちは、レイナが“弱いから”来たんじゃないわ」
リリスは静かな声をしていた。しかし瞳は大きく揺れ、今にも涙がこぼれそうだった。
「あなたが……一人で強がりすぎて、壊れそうだったから来たの」
その言葉が胸を撃ち抜くように響いた。
(……どうして……どうして、そんな理由で……)
レイナは理解できなかった。 どうして自分のために涙を流すのか。
どうして拒んだのに、追いかけてきてくれるのか。
視界が揺れた。溢れた涙が頬を伝い、傷口に触れて痛む。
「レイナ!」
ガゼルの怒鳴り声が響く。
「俺たちを……拒むなよ! 助けたいと思ったんだ。お前のことを、大事だと思ってるからだ!」
大事――
その一言は、レイナの胸の奥の“呪い”に亀裂を入れた。
だが、時間が止まったようなその瞬間を、ゴブリンキングの咆哮が粉々に砕く。
振り下ろされた大剣が空気を裂き、凄まじい衝撃波が三人を襲う。
「来るぞッ!」
三人が身構える。
その瞬間、レイナの喉が震えた。
言いたくなくて、惨めで、情けないと思っていた言葉。
それでも、胸の奥から溢れ出して止まらなかった。
「……ごめ……んなさい……」
最初に出たのは謝罪。
助けなんていらない、強いから一人でいい、そう言い続けて……
彼らを傷つけてきたこと。
ずっと強がって、心配を無視してきたこと。
全部が、胸に刺さっていた。
(ごめんなさい……本当は……本当は……)
そして――
「……助けて」
か細い。
震えている。
息が詰まりそうなほど弱い声。
けれど、その一言は、彼女の十六年間で最も重く、最も勇気のいる言葉だった。
世界が――止まった。
イオは目を大きく見開いた。
リリスは杖を握る指先を震わせながら口元を押さえた。
ガゼルは、胸に詰まっていた息をゆっくりと吐き出した。
「れ、レイナ……お前……」
「やっと……言ったな……」
三人の声は震え、涙があふれていた。
イオが笑った。涙を拭きもせずに。
「任せろ! お前がそう言ったからには、俺たちが絶対守る!」
リリスがそっとレイナの背中に手を添える。
温かい、優しい手だった。
「大丈夫よ。あなたの弱さも強さも、全部、私たちが受け止めるわ」
ガゼルが盾を構え直し、地面を踏みしめて前へ一歩出る。
「よし……やっと仲間に戻れたな! レイナ、次の指示を出せ!」
レイナは震える身体のまま、しっかりと頷いた。
(……一人じゃ、ない)
その確信が、途切れていた魔力回路に再び火を灯す。
蒼い光が、彼女の掌に宿った。




