第二十話:窮地に立つレイナ、響く外の喧騒
塔の残骸へと跳び退いたレイナの身体は、すでに警告を発していた。腕からは血が滴り、呼吸は荒く、魔力は細い糸のように途切れそうだ。胸の奥で脈打つ恐怖は、彼女の集中を容赦なく削っていく。
強くなったはずだった。訓練も積んだ。三属性の連携を磨き、誰にも頼らず、どんな依頼も一人でこなしてきた――その自負が、今まさに目の前で崩れようとしていた。
レイナは震える指先で魔力を収束させる。風、火、闇。三つの魔力を同時に扱い、相互干渉を抑えながら流れを組む。しかし疲労のせいで魔力制御はわずかにぶれ、属性同士がかすかに反発して、狙いが微妙に逸れてしまう。
(噛み合わない……どうして……! いつもなら――)
風で敵を感知し、闇で動きを封じ、火で仕留める。
レイナが最も得意とする、三属性の高速連携。
しかし、そのパターンは、ゴブリンキングによって完全に読まれていた。
「弱っているぞ! 一気に畳みかけろ!」
キングの咆哮とともに、四方八方から槍や石が飛ぶ。レイナは風で身体を軽くし、最小限の動きで回避するが、それでもいくつもの投擲物が腕や脚を掠め、痛みが全身を走る。
「くっ……!」
足を貫く鈍痛にバランスを崩し、塔の上で膝をついた。
その姿を、キングは見逃さない。
「逃げ場はないぞ、人間!」
粗末ながらも巨大な大剣が、月光を反射して鈍く光りながらレイナへ向かって突進してくる。
レイナの呼吸が一瞬止まった。それは――前世で闇に呑まれた瞬間と寸分違わず重なった。
(……また……同じ……)
胸が潰れそうな圧迫感に、闇属性が暴れ出し、魔力回路がわずかに軋む。
闇が濁り、制御は完全に崩れかけていた。
(逃げられない……もう、無理……)
その焦燥と恐怖の底で、喉が勝手に震え、声が漏れそうになる。
「……た……すけ……」
微かな音。
だがその続きを、レイナは必死に噛み殺した。
(違う……助けなんて――求めない! 私は一人で強くなる……弱さは、見せない……!)
それは努力の証でも、誇りでもなかった。
自分を守るために作り上げた、強制的な呪いのような信念。
誰かを頼れば壊れてしまう。そんな恐怖が、彼女の心を縛りつけていた。
レイナは自らの喉を引き締め、魔力を無理やり引き出す。
その結果、闇魔術は暴走気味に膨れ上がり、影が周囲で渦巻く。
「暴走か……構うな! 押し潰せ!」
キングの大剣が振り下ろされ、レイナが死を覚悟した――その刹那。
塔の残骸とは反対側、森の入口付近で、突き刺すような轟音が響き渡った。
「ぐっ……光が強すぎる! 目が……!」
「風圧に押されるな! 踏ん張れ!」
「地面が……割れた!? こいつら、何者だ!」
金属音、魔物の悲鳴、水が弾ける音、岩が砕ける衝撃、そして明らかに鍛えられた人間の怒号が、混じり合って闇の森に反響する。
レイナの風感知魔術が、その混乱の源を一瞬で捉えた。
(この魔力の波長……光と、風……水の冷気……それに大地の振動まで……?)
胸の奥が跳ね上がる。
イオの軽やかで鋭い風の流れ。
リリスの冷ややかで透き通った水の気配。
ガゼルの重くて温かい、揺るぎない大地の魔力。
(まさか……この三人が……?)
塔の上で膝をついたまま、息を呑む。
ゴブリンキングも動揺したように、森の入口へ怒りの声を放つ。
「外の警備は何をしている! 光の魔術師だと!? 数が合わんだろうが!」
その怒声のすぐ後に、今度は人間側の叫びがはっきりと響く。
「道を空けろ! こいつら、数だけは多いけど動きが単調だ!」
低く落ち着いた声――ガゼルだ。
「イオ、そっちは任せた! リリス、援護いくよ!」
「了解。……っ、水流、広域展開!」
水がはじけ飛び、ゴブリンの悲鳴が重なった。
動揺したレイナは、痛む身体を引きずりながら森の入口を見据える。
その視界の端に、鮮烈な光が走った。
「レイナが危険依頼を受けて森へ向かった、と聞いたんだよ!」
「――放っておけるわけ、ないだろ!」
その声は、レイナが最も聞きたくなかった声だった。
自分と距離を置こうとしてくれた、あの気遣い。
迷惑をかけないように避けていた、気まずい関係のはずの三人。
それでも、彼らは――。
(……どうして来るのよ……!)
胸が締めつけられ、レイナの喉がひゅっと震えた。
助けを求められなかった自分に、
それでも助けに来てしまう三人に、
レイナの心は大きく揺れた。
そしてこの瞬間、レイナの孤独な戦いは決定的に終わりを告げることになる――。




