第二話 学院教師たちの不安
王立アルケイン魔導学院の教授会議室は、普段は静寂を保つ場所である。壁一面に積み上げられた古書は、千年以上の魔術史を刻む重厚な存在であり、部屋のあちこちに刻まれた封印紋が、流れすぎる魔力を抑制していた。
しかし今日は、空気そのものが揺れているような緊張が漂っていた。
議題はただ一つ。
“レイナ・フォン・エーデルシュタインをどう扱うべきか”。
眼鏡をかけた中年の女性教授が、分厚い成績表を机に置き、静かに読み上げ始める。
「魔術理論、魔力制御学、歴史学……筆記試験はすべて満点。解答時間は他の生徒の半分以下。計算ミスも記述漏れも一切なしです」
周囲の教師たちがざわつく。
読み上げる声は淡々としているにもかかわらず、内容が常識外れだった。
「実技試験も同様です。火属性は瞬発力、風属性は精密さ、闇属性では高い隠形と精神干渉。上級生の基準を軽く超えています。特に火と風の同時展開は驚異的でした。普通ならば魔力の衝突で暴発が起こりますが……」
「彼女は誤差すら許さなかったな」
若い男性教官が、感嘆とも恐れともつかぬ声で言う。
成績そのものは喜ばしい。
だが、それが素直に喜べる話ではなかった。
教師たちの表情が、一様に曇っている。
沈黙を破ったのは、学院長だった。白髪を後ろで束ねた老魔術師で、その眼光には長年の経験からくる重みがある。
「優秀なことは間違いない。だが、問題は能力そのものより……彼女の“行動”だ」
室内が一気に静まる。
「この数ヶ月、彼女はすべての実技課題を単独でこなしている。連携試験でも味方に一切頼らず、試験開始直後に敵役を無力化してしまった。戦術的には完璧だ。だが――あれでは連携の本質から外れてしまう」
「協調性がない、というより……協調そのものを“不要”と判断しているように見えます」
別の教授が深刻な顔で頷く。
「宮廷魔導士候補としては致命的だな。個の力だけでは対応できない事態はいくらでもある」
「大規模災害、魔獣の暴走、国際紛争。いずれも複数の魔術師が連携して対処するものです。一人で戦い続ける癖がつけば……」
教頭が言葉を濁し、学院長が続けた。
「――彼女は味方を巻き込む“孤高の災厄”になりかねん」
重苦しい言葉が落ち、誰もすぐには返事ができなかった。
教師たちは、レイナに悪意があるとは考えていない。
むしろ恐れ、多くの生徒が距離を置くなか、少女は自分だけを頼りに戦うしかないのだと理解していた。
しかし、彼女自身が築き上げた心の壁は、日々高くなるばかりだった。
そんな議論が続く中――。
学院の裏庭では、一人の少女が静かに魔力を揺らしていた。
水晶灯がぼんやりと照らす薄暗い空間。草の上に立つレイナの周囲には、黒い霧のような影がゆらゆらと漂っている。闇属性特有の、重たく冷える魔力だ。
(集中……揺れをなくす。影を細く、鋭く)
闇魔術は火や風と違い、感情によって容易に暴走する。恐怖、焦り、警戒心――それらが影に混ざれば、途端に制御が乱れる。
だがレイナは、その恐怖すら魔力に変えていた。
(弱さを見せたら……終わり)
脳裏に焼きついた前世の記憶。
真っ暗な監禁部屋で、助けを待ち、声が枯れるまで泣いたあの日。
そこから逃れるため、レイナは闇魔術を磨き続けた。
恐怖を支配し、弱さを燃やすための魔術。
影が一瞬、激しく揺れた。
その歪みに気づいたレイナは、すぐさま魔力を流し、影を一点に収束させる。
集中力は、もはや常人どころか多くの上級生をも凌駕していた。
やがて静かに魔術を解いたレイナは、小さく息を吐く。
「……問題なし」
淡々とした声の裏に、わずかな疲労がにじむ。
精神を削る訓練は、身体より心が重くなる。
だが、彼女は休もうとは思わない。
(もっと強く……)
裏庭を出て寮へ戻りながら、レイナは誰にも聞こえないほど小さな声で呟いた。
「私の邪魔をする者はいらない。誰にも……」
その言葉は、自分を守るための呪文であり、同時に心を閉ざす鍵でもあった。
一方その頃。
イオ、リリス、ガゼルの三人は、偶然教授会議室の前を通りかかっていた。
分厚い扉の隙間から、学園長の声が漏れ聞こえる。
「――いずれ危険人物として扱われる可能性すらある」
三人は思わず立ち止まる。
「今の、レイナさんのことだよね?」
リリスが眉をひそめる。
「先生たちも気にしてるんだな……」
ガゼルは肩を落とした。
イオはレイナの姿を思い出す。
冷たく完璧で、一切隙がなく――それがどこか、痛々しくも見えた。
「協調性がないんじゃなくて……誰かに頼れないだけ、なんじゃないかな」
その言葉に、二人は静かに頷いた。
「このままだと、レイナさん自身だけじゃなく、学院全体に悪い影響が出るかもね」
「放っておくわけにいかねぇよ……」
三人の胸に、確かな決意が宿る。
(あの子をひとりにさせたままでいいわけがない)
その想いは、彼らにある行動を促すことになる。
そして翌週、教授会議の結論と三人の動きが重なり――
学院は“ある特別試験”の実施を決定する。
その試験は、後にレイナの運命を大きく動かすことになるのだった。




