第十七話:教師の観察
翌日の昼。
学院本棟の奥、限られた教師しか入れない観測室では、幾つもの魔力測定装置が淡く光を放ち、魔術の残滓を解析し続けていた。
中央の魔導板には、昨夜から今朝にかけてのレイナの魔力波形が映し出されている。
「……まったく乱れがないな」
低く呟いたのは、魔術理論担当の老教師だった。
「はい。闇属性とは思えないほど安定しています。波形の揺らぎがほぼゼロ。ここまで静かだと……逆に怖いくらいです」
若い教師が眉を寄せる。
闇魔術とは、感情の揺れがそのまま波形に反映される属性。穏やかであることは通常“良い兆候”なのだが、あまりにも平坦すぎるのは危険の兆しでもあった。
「昨夜の映像、再生します」
別の教師が水晶盤へ触れる。
深夜の寮室。
レイナが影に手を伸ばし、幼い姿の“影”が闇へ溶けていく瞬間――その場面が映し出された。
「……この時点から、魔力流が一変しているな」
「ええ。“恐怖を押し殺した”のではなく、“恐怖を受け入れて取り込んだ”……そんな反応です」
若い教師の声には、どこか震えがあった。
「闇属性の成長としては異例中の異例です。普通なら、恐怖や弱さを克服した時点で影は消える。しかし彼女は……弱さをそのまま核に組み込んでしまった」
老教師が重い声で言う。
「つまり、強くなった。だが同時に――脆くなった、か」
「はい。制御は安定するでしょうが……弱点に触れられれば、一気に崩れます。非常にアンバランスです」
映像の中のレイナは、影が消えた後も訓練を続けていた。
完全に魔力が戻っていないはずなのに、火・風・闇の三属性をぎりぎりまで引き出し、自分の身体を傷つけるようにして魔術を撃ち続けている。
額には汗、指先は震えている。それでも動きを止める気配はなかった。
「……これは、努力とは違うな」
「ええ。“恐怖を鎖にして自分を縛っている”だけです。強くなるための訓練ではなく、“弱さを罰する行為”に近い」
観測室に沈黙が落ちる。
学院長は、静かに椅子へ寄りかかり、長く息を吐いた。
「……彼女が十三歳の頃から見てきたが、ついにここまで来たか。強さへの執着が、孤独へ変質してしまった」
「本人は気づいていないでしょうね。支えを求めるどころか……“支えを断つことが強さ”だと勘違いしています」
「十六歳で、そこまで背負う必要などどこにもないのにな」
学院長の声には、深い憂いが滲んでいた。
「問題は……これからどうするかです」
若い教師が資料をめくる。
「シエラ教官が離れたことで、レイナは“自分は一人で進むべきだ”という誤解を強めています。自分で問題を解決するべきだ、と」
「十六歳の少女が背負うには重すぎる考え方だ」
老教師がそう言いかけたところで、別の教師が青ざめた顔で口を開いた。
「……あの、その……朝の監視記録をご覧ください」
水晶盤に映し出されたのは、昼休み前の訓練場。
レイナが、疲労の色を隠しながらも、淡々と魔術を放ち続ける姿だった。
「魔力の回復が追いついていない……」
「ええ。闇を取り込んだことで精神は安定したように見えますが、身体はむしろ限界に近付いています」
「このままだと、折れるぞ」
教師たちの声は、次第に重さを帯びていく。
学院長はしばらく腕を組んで黙り込み、それから水晶盤に映るレイナの姿を見つめながら、静かに言った。
「……困ったことになった。あの子は、強くなることしか見えていない」
別の教師が呟く。
「成人は十三歳から。つまり、彼女は今、学院外の依頼を単独で受けられます。
“問題は全部自分で解決しなきゃ”と考えてしまえば……」
嫌な予感が室内を走った。
「危険な依頼に、一人で向かう可能性がある、ということか」
「あり得ます。むしろ……既にその兆候が」
若い教師が小さく震える声で続ける。
「昼前、購買部前の掲示板で……レイナが討伐依頼の紙を長く見つめていました。
ランクは……Cです」
「……Cランク? あれは熟練の一般冒険者でも簡単ではない依頼だぞ」
学院長の声が低く響く。
「ひとりで、行く気なのか……」
水晶盤のレイナは、黙々と魔術を放ち続けていた。
その姿は確かに強い。
だが同時に――痛いほど脆かった。
「今のあの子は、“支えられること”を弱さだと思い込んでいる」
「誰にも頼らない。それが強さだと誤解しているんです」
「その危うさに、誰も触れられていない……」
観測室には、重苦しい空気が満ちていく。
そして学院長が静かに目を閉じ、言葉を落とした。
「……今のレイナに必要なのは、力ではなく、誰かの手だ。
だが本人は、それすらも拒む。
このままでは――」
教師たちは固唾を飲んだ。
「――どこかへ、危険なほど深く沈んでしまう」
その不安は、ゆっくりと形を成し始めていた。
そしてその予感は、決して外れることなく――
午後の鐘が鳴る頃、現実となって学院に突きつけられることになる。
レイナが、自分の意思だけで“Cランク討伐依頼”へ向かおうとしているという事実として。




