第十五話:火魔術の増幅、熱による忘却
第十五話:火魔術の増幅、熱による忘却
風の純化を終えた翌朝、レイナは一睡もせぬまま外套を羽織り、学院の敷地を抜けて森へ向かっていた。頬に当たる風は冷たく、夜明け前の世界は青く沈んでいる。普通の生徒であれば危険な時間帯だったが、彼女の足取りには迷いがない。
目的はただ一つ――火魔術の強化。
そして、その破壊力を限界まで押し上げること。
風属性を極限まで磨き上げたことで、火魔術の制御は次の段階へ進んでいた。火は暴れやすく、制御が難しい属性だ。しかし、風が「形」を与えることで、レイナは普通なら考えられないほどの高出力を扱えるようになっていた。
森を抜け、かつて防衛施設だった石造りの遺跡へ辿り着く。人気はなく、半ば崩壊した柱が夜気に濡れている。この場所を選んだのは、どれだけ火力を上げても学院側に感知されにくいからだ。
「……今日で、とことんまで引き上げる」
レイナは遺跡の中心に立ち、深く息を吸う。
胸の奥に、強烈な焦燥感が渦巻いた。
(もっと強くならないと。あの闇を、押し返すほどに)
前世の暗い記憶――閉ざされた部屋、冷たい床、息の詰まる闇。
思い返すだけで、胸が嫌な音を立てる。
レイナは拳を握りしめた。
「火属性……最大まで増幅」
体内の魔力回路が、熱と圧力で軋む。
常人が同じことをすれば、即座に魔力暴走により焼け死ぬだろう。
しかしレイナの周囲には、風の魔力が薄い膜のように漂い、暴走寸前の火魔力を“押し留めている”。その精密な風の制御が、火の増幅を可能にしていた。
レイナの手の平の上に、巨大な炎の塊が膨張し、赤白く輝く。
まるで、小さな太陽が誕生したようだった。
「……もっと」
彼女の瞳は炎の反射で金色に輝いている。しかし、そこには歓喜はない。ただ、自分の内側の闇を焼き尽くしたいという、切実な願望だけがあった。
遺跡の石壁は熱でねじれ、床は赤熱する。
それでもレイナの魔力は止まらない。
「風属性――制御開始」
周囲の空気が震え、風が火の周囲を滑る。
炎は安定し、瞬く間に形を変えた。火の粒子が細分化され、十、二十、三十……無数の《熱線》に変換される。
「火魔法上級《 流星炎舞:メテオ・ストライク》……これが、原型」
レイナが指を鳴らすと、熱線が矢のように四方へ放たれた。
空気中の水分が一瞬で蒸発し、爆音が遺跡全体を揺らす。
熱線は石壁を貫き、地面を溶かし、後方の木々を白い灰へと変えた。
一発で街の外壁を破壊しかねない威力。
(これなら……シエラの水属性でも、全部は防げない)
その思いは、復讐ではない。
ただ、負けた自分を許せないだけだった。
レイナは荒く息を吐きつつ、次の魔力を練る。
「火属性――再加速」
次の瞬間、彼女の身体が軽く浮いた。
風が全身を包み、火魔力の流れを循環させる。
風と火。
高速と破壊。
その組み合わせは、レイナを紛れもない“戦場の化け物”へと変えていく。
熱線が五十発、六十発と連射され、遺跡の景色は完全に変貌していた。
石は溶け、地面は黒く焦げ、周囲の森はまるで巨大な獣の爪でえぐられたようだ。
魔力は限界を超え、とうとう膝が崩れた。
「はぁ……はぁ……」
レイナは地面に手をつき、焼けた石の熱で皮膚が赤く染まる。
しかし痛みすら、今の彼女には心地よかった。
(……熱いと、闇が遠ざかる)
闇は冷たく、閉じ込める。
熱は明るく、照らし出す。
その単純な対比が、彼女の精神を辛うじて保っていた。
「……強くなった。これなら……」
口に出した途端、胸の奥で何かが軋んだ。
熱が弱まり、空気が冷え、遠くの森から風が吹き込む。
その瞬間、レイナの耳が“闇”を思い出した。
世界から、音が消える。
熱が去った後の静寂。
夜の闇。
崩れた遺跡の影。
その影が、異様に濃く、深く、揺らいで見えた。
「……っ!」
レイナは反射的に後ずさる。
影の形は、ただの人影ではない。
それは――幼い頃の自分に似ていた。
膝を抱え、暗闇の中で震える少女。
前世の記憶の残滓。
逃げ場のない恐怖の象徴。
(いや……違う。これは……“闇魔術の反応”……?)
闇属性は、感情と深く結びつく。
レイナが恐怖と向き合わず逃げ続ける限り、影は濃く、深くなり、形を持ち始める。
「……まだ、負けない……!」
彼女は影を振り払うために風を起こす。
だが、その影は消えない。
まるで意思を持つかのように、じっとレイナを見つめていた。
恐怖が胸を締め付ける。
身体が震える。
心臓が痛いほど脈打つ。
(……次は、“影”と向き合わないと……)
火も、風も、訓練だけでは届かない領域。
強くなるためには、逃げてきたものと向き合うしかない。
「闇魔術……拒んでばかりじゃダメだ。受け入れないと……」
レイナは、ゆっくりと影を見つめ返した。
その瞬間、影がわずかに揺れ、表情を持った気がした。
怯える幼い自分――。
しかし、その瞳の奥には、何かを語ろうとする“意志”が宿っていた。
レイナは震える声で小さく呟いた。
「次は……あなたと向き合う」
夜明け前の森に、冷たい風が吹いた。
闇は静かに揺れ、レイナを包むように寄り添ってくる。
火では消せない恐怖。
風では逃げられない影。
レイナは、自分の内側に潜む闇と、ようやく向き合う覚悟を固めた。




