第十二話:闇の底から響く声
夜の帳が学院を包み込むころ、レイナは深い眠りへ落ちていた。
だが、それは決して安らぎを与えるものではなかった。
――光のない、濃密な闇。
足元も見えない暗がりの中で、レイナは息を呑む。
ここは知っている。忘れたいのに、決して消えてくれない場所。
(嘘……また、ここ……)
前世で十四歳のレイナが閉じ込められていた、あの薄暗い倉庫。
足枷の冷たさ。埃っぽい息苦しさ。
そして扉の外から聞こえる、低く、濁った男たちの声。
『弱さを見せたら終わりだぞ』
『誰も助けになんて来ないさ』
胸の奥で、固く封じたはずの記憶が軋む。
「……やめて……来ないで……っ」
声が出ない。喉が潰れたように、言葉が張り付いて動かない。
悪夢の中のレイナの周囲で、闇が渦巻き始める。
それは魔力というより、恐怖そのものが形を持った影だった。
影は、過去の少女──震える十四歳のレイナへ向かって伸びる。
「逃げて……お願い……!」
現実のレイナの意識が過去の自分に重なり、叫ぶ。
伸ばした手が闇に触れた瞬間──
体内の魔力回路が、夢と現実の境界を突き破って震えた。
負の感情に同調し、闇属性の魔力が盛り上がる。
(やめて……暴れないで……!)
訴えも虚しく、闇が爆ぜた。
「――《影の暴発》!」
叫びと同時、悪夢全体が黒い光に呑み込まれる。
レイナは跳ね起きた。
荒れた呼吸。冷や汗。
部屋の空気がわずかに揺らぎ、暗い靄がしばらく漂っていた。
「……また、暴走……」
シエラに告げられた言葉が蘇る。
“お前の闇魔術は、精神と結びつきすぎてる”
ベッドに手をつきながら、レイナは初めて自分の魔術に正面から向き合った。
(火も風も、力を込めれば応えてくれる。でも……闇は違う)
闇魔力回路に意識を落とし込む。
すると、火や風の回路と明らかに違う挙動を見せた。
火──集中すれば勢いを増す。
風──意識を研ぎ澄ませれば透明に広がる。
闇──“恐怖”を感知した途端、自動的に膨れ上がる。
(……これじゃ、私がどれだけ技術を磨いても制御できるわけないじゃない……)
ギリ、と奥歯を噛む。
闇魔術はレイナの“恐怖を覆い隠すための鎧”であり、
同時に“恐怖そのものを肥大化させる呪い”でもあった。
「こんなの……認めない」
レイナは立ち上がり、机の奥から羊皮紙の束を引っ張り出す。
そこには、シエラが暴走を止めるために使った技──
「《極冷拡散》の……理論部分だけ」
彼女には水属性の適性がない。
だから同じ魔術を使えるわけではない。
だが、シエラの魔術が“冷却”と“拡散”で闇を抑えたのは確かだ。
ならば──
(私には水は使えない。けど……風は使える)
レイナの風は攻撃や加速に偏っていた。
だが風は本来、冷却や拡散を担う属性でもある。
(温度を下げるのは無理でも……“奪う”ことはできる)
暴走した闇魔力には必ず“熱”が伴う。
それは火の熱ではなく、恐怖が焼け焦げるような精神の熱量。
(恐怖を燃料に暴れるなら──その燃料、吹き飛ばしてやればいい)
闇魔術暴走時に、暴走の核だけを風で強制的に削り取る。
それは、水のように冷やせなくても、
“風の刃で余分な魔力を散らす”
という形で制御に転じられるはずだ。
(誰にも頼らない。……闇だって、私が制御してみせる)
気付けば、胸の奥の痛みが静かに燃える決意へ変わっていた。
シエラに切り捨てられた悔しさ。
自分の弱さに向き合う恐怖。
それら全てを、レイナは力へ変えていく。
「絶対に……負けない。
シエラの言う“危険人物”で終わるなんて、絶対に嫌」
拳を握り、深く息を吸う。
今夜、レイナは自分の闇魔術の秘密の一端に触れた。
そして気づく──
闇魔術は、“恐怖を隠す力”ではなく、“恐怖を形にする力”なのだ。
ならばその恐怖を理解し、扱えるようになれば──
闇魔術の精度は、飛躍的に上がる。
「……これは……私にしかできない魔術」
そう呟いたとき、胸の震えはいつしか静かに収まり、
闇魔力はこれまでにないほど澄んだ脈動を示していた。
(よし……まずは、風の“削り”と“散らし”の訓練……!)
レイナは、誰にも頼らずに立ち上がる。
――この夜を境に、レイナの闇魔術は大きく変わり始めた。
トラウマを理解し、恐怖を観察すること。




