第十一話:レイナの“勘違い”の崩壊
シエラが学院を離れてから、三日が過ぎた。
その三日間、レイナは部屋に籠もることもできなかった。籠もれば、あの日の声や光景が繰り返し蘇り、胸の奥を締めつける。むしろ外に出ていたほうが苦しいはずなのに、じっとしていると息が止まりそうになるのだ。
そして四日目の朝、レイナは普段と変わらぬ足取りで教室へ向かった。
しかし、選抜クラスの扉を開けた瞬間、いつもの活気は影を潜め、ざわめきは落ち着かず、どこか沈んだ空気が満ちていた。
原因はわかっている。
特別実戦試験――あの四人で挑んだ試験が、失敗に終わったからだ。
講師たちは慌ただしく資料を抱えて出入りし、カリキュラムは全面見直し。飛び級の話はひとまず保留になり、学園の方針自体が揺れ動いていた。実戦試験の結果によって、四人全員の進路プランが調整され、“宮廷魔道士の道は遠くなった”と告げられたらしい。
だがレイナはその事実を知らない。
自分だけが外された、自分だけが失敗した――そう信じていた。
(構わない。だったら結果で黙らせるだけ。誰にも文句が言えないほど、圧倒的に強くなればいい)
心にそう言い聞かせ、席へ向かおうとしたレイナの視線が、ある場所で止まった。
イオの席と、リリスの席。
そこだけ、椅子がきちんと揃えられ、誰も座っていないことが余計に目立っていた。
胸の奥が少しだけざわつく。
そこで、教室の隅で分厚い魔術書を開いているガゼルが目に入った。レイナが近づいても、彼はすぐには視線を上げなかった。
「……ガゼル。イオとリリスはどうしたの?」
問いかけに、ページをめくる指が一瞬止まる。
「進路相談室に呼ばれてる。僕ら三人ともね」
「進路……相談?」
「そう。今回の試験の結果で、僕らの“宮廷魔道士候補”としての評価は下がった。道が閉ざされたわけじゃないけど、遠くなった。もっと経験を積め、と言われたよ」
ガゼルの声は淡々としていたが、静かすぎるその調子が、逆にレイナの胸を冷たく締めつけた。
「……それって、その……」
「連帯責任だよ」
ガゼルはようやく顔を上げ、淡々と、しかしどこか諦めたような目でレイナを見た。
「四人で挑んだ試験だ。誰か一人が暴走したら、結果は全員に及ぶ。君が暴走した。それで僕らも条件を満たせなかった。――事実は、それだけだ」
「……私の、せい……?」
「そうだよ。もちろん、全部が君だけの責任とは言わないさ。判断した学院側にも事情がある。けど、原因の一つであることは確かだ」
カツン、と床が遠くなったような感覚がした。
(私が……みんなの足を……?)
理解が追いつかない。
いや、分かっている。頭では分かっているのに、心が拒否していた。
授業が終わる頃には、レイナの胸のざわつきは焦りへと変わっていた。
居場所を見つけられず、彼女は逃げるように学院図書館の奥へ足を運んだ。
薄暗い古文書棚の前。
その静けさは、逆に心の騒ぎを浮かび上がらせた。
腰を下ろすと、試験当日の光景が自然と脳裏に蘇る。
イオの震える声。
「レイナさん、落ち着いて……連携を取れば進めます……!」
リリスの切迫した叫び。
「巣が反応してるの……あなたの魔力の揺れに……!」
ガゼルの怒号。
「勝手に突っ込むなって言っただろ!」
そして、シエラの厳しい叱責。
「仲間を危険に晒した。それが全てだ」
胸に刺さる。刺さって、抜けない。
(能力じゃない……態度……? みんなの声を、私は……)
認めたくない。
だが事実だった。
それでも――頭の片隅に、別の光景がじわりと浮かび上がる。
シエラの圧倒的な実力。
石壁を一刀で切り裂き、魔物の群れを一瞬で吹き飛ばし、レイナの《オーバーフロー》を一呼吸で沈めた、あの姿。
(あの人は……ひとりで全部できた)
その現実が、レイナの胸に新しい疑問を生む。
(協調性が大事なのはわかった。でも……もし私がシエラ並みに強ければ――仲間はいらない?)
考えてはいけないと理解しているのに、
心が勝手にその答えを探そうとしていた。
(私は“弱かった”から失敗したの……? それとも、考え方が最初から間違ってた……?)
答えは出ない。
机に置いた手が震える。
レイナはゆっくりと立ち上がった。
「……強くなる。何を失っても。絶対に」
その瞬間、教室で聞いた声がよみがえった。
『強くなったら、また来てやる』
(シエラ……必ず超えてみせる。あなた以上の“強さ”を手に入れてみせる)
唇が震え、小さく、しかし刺すように言葉が漏れた。
「勝ち逃げなんて……許さない」
その響きは、もはや決意よりも執念に近かった。
その夜。
レイナはようやくひとり戻った自室で、ベッドに倒れ込むように横たわった。
身体は疲れ果てているのに、心だけが眠りを拒む。
暗闇に沈む天井を見つめていると、ふいに、忘れていた声が蘇った。
『弱さを見せたら……終わる』
十四歳の頃。
誰にも頼れず、ただ必死に涙をこらえていた、あの夜。
その記憶は悪夢とともに押し寄せ、
レイナの心に今も潜む“本当の弱さ”を、静かに、しかし容赦なく抉り始めた。




