第十話 シエラの別れ
昼下がりの学院の中庭には、雲に覆われた空が広がっていた。薄い灰色の光が石畳を冷たく照らし、風が吹くたびに枯れ葉がかさりと音を立てる。
その片隅で、レイナは膝を抱えたまま座り込んでいた。
試験が終わってから、もうかなり時間が経っている。医務室の治癒魔術で体力こそ戻ったが、心だけはどこにも行き場がなかった。
(特別試験……失敗。進級もなし。宮廷魔道士の道も遠のいて……)
事実を並べるだけなら簡単だ。だが、心はまだそれを理解したがらなかった。
胸の奥が、ひりつくように痛い。
(私は……何を間違えたの?)
誰よりも早く強くなりたかった。
誰にも負けたくなかった。
その一心で、突っ走った。
けれど結果は——惨敗。
枯れ葉がひとつ、レイナの肩に落ちる。払おうと手を動かすが、力が入らない。
「よぉ、レイナ」
「……え?」
不意に声をかけられ、レイナは驚いて顔を上げた。
「シエラ……?」
そこには、革鎧のまま、いつもと違う静かな空気をまとったシエラが立っていた。
豪快さよりも、冷静さの方が強く表に出ている。その表情は、どこか寂しさすら含んでいた。
「ちょっと話がある。座ったままでいい」
シエラはそう言って、レイナの正面に立つ。
その距離は普段と変わらないはずなのに、なぜか決定的に遠く感じられた。
「昨日の試験……お前、暴走しかけた」
「……!」
レイナの体が、びくりと震える。
「覚えてねぇかもしれねぇが、あのままじゃ仲間ごと吹き飛ばしてた。止めたのはあたしだ」
「そ、そんなつもりじゃ……!」
「わかってる。原因はお前だけじゃねぇ。魔力の偏り、精神の負荷……要因はいくらでもある」
レイナはほっとしかけた。だがシエラの次の言葉が、その微かな安堵を一瞬で砕く。
「だがな。これ以上の同行は……もうできねぇ」
「……え?」
胸が強く締めつけられた。
「ど、どういう意味よ、それ……!」
「文字通りだ。任務は今日で終わり。あたしはお前の側を離れる」
「なんで……なんでよ! 昨日まで普通に指導してたじゃない!」
「それが任務だったからだ」
シエラは淡々と言う。
「最初から、あたしは“お前の成長の最初の壁”として雇われてた。越えようと足掻いて、乗り越えられなくて、悔しさを知る。そのための存在だ」
「そんなの……聞いてない……!」
「言えば試験にならねぇだろ」
悔しい。
悲しい。
納得できない。
いろんな感情が胸に渦巻き、呼吸が乱れる。
「わ、私は……あなたがいなくなったら……どうすれば……」
「どうもしねぇよ。自分で立て」
シエラの声は厳しかったが、どこか優しさが滲んでいた。
「強くなりたいんだろ。だったら自分の足で歩け」
「でも……でも……!」
言葉が続かない。喉の奥が震え、涙がにじむ。
「レイナ、お前はまだ弱ぇよ」
核心を突くその一言に、レイナはぎゅっと拳を握った。
「悔しいならな、強くなれ。それだけだ」
シエラは少しだけ、口元を歪めて笑う。
「それにな……」
「え?」
「お前より、ずっと面白ぇヤツがいてな」
「……何よそれ」
涙が引っ込み、レイナはきょとんとする。
「言っとくが、そいつは規格外だ。天才でも秀才でもねぇ。ただ……」
シエラは遠くを見るように目を細める。
「強さの質が違う。お前みたいに真正面からぶつかるタイプじゃねぇ。だけど、見てて飽きねぇ。そういうヤツだ」
「……誰なのよ」
「さぁな。教えねぇよ」
レイナは唇を尖らせる。
「ずいぶん勝手なこと言うのね」
「師匠なんてのは、最初から勝手なもんだ」
そう言って、シエラはレイナの肩に軽く手を置いた。
「最後に言っておく」
背を向けながら、静かに告げる。
「お前、まだまだ弱ぇよ。だけど——」
シエラは振り返らない。だが声だけは、しっかりとレイナに届いた。
「強くなったら、また見てやる」
その一言が、雷のように胸を貫いた。
ゆっくりと歩き去っていく背中。
レイナは立ち上がり、震える拳を強く握りしめた。
「……弱いって、言ったわね……私が……?」
悔しさと悲しさと、それでも揺るがない意地が胸に広がっていく。
「いいわ。見てなさいよ、シエラ……」
灰色の空を睨みつけ、レイナは力強く言い放つ。
「絶対に強くなる。あなたが“おもしれぇ”なんて言ったそいつにも……絶対に負けない!」
そう誓いを立てたレイナは、まだ知らなかった。
自分の暴走が仲間を巻き込み、特別試験が全員失敗となったこと。
そして、宮廷魔道士への道が閉ざされつつある現実も。
だが今は——
その全てが、新たな強さへの一歩となることを、彼女はまだ知らない。




