表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

ブルシット・ジョブ

作者: 鷹杉晋作

「ブルシットジョブ」――それは“社会的に無意味で、なくなっても誰も困らない仕事”を指す言葉だ。


イギリスの人類学者、デヴィッド・グレーバーが提唱したこの概念は、資本主義社会の歪みを鋭く突いた。

高給をもらいながら、本人すら「自分の仕事に意味がない」と感じている職種。

意味があるようで、意味がない。


僕がその言葉に惹かれたのは、たぶん社会に“真面目に向き合った”ことの副作用だった。





 日曜日、午前八時。

 東京都内の雑居ビル。エレベーターの古びた扉が開くと、そこには一つの会社が入っていた。社名は「プレイヤーサービス」。インターホンを鳴らすと、中から寝起きのような顔の男が出てきた。


「おはようございまーす。あ、すみません、ちょっと寝てました」


 村上照希。二十六歳。

 この取材の対象であり、“オンラインゲーム派遣業”という得体の知れない仕事の創始者だ。


 佐山誠治は、Webメディア会社に勤める記者である。同じ二十六歳の彼は、いわゆる“ブルシットジョブ”――社会的意義の薄い、けれど存在する謎の仕事たちに関心を持っていた。


「ほんと、何の役に立ってるかわかんないけど、俺らがいないと成り立たない依頼もあるんすよ」


 村上の話は冗談のようでいて、妙にリアルだった。

 薄暗い部屋には数台のノートパソコンと、缶コーヒーがいくつも転がっている。ソファにはうたた寝している若者。ヘッドセット越しに、どこかのゲームボイスが延々と流れていた。




 佐山が取材メモを開くと、村上はコーヒーをすすりながら話し始めた。


「この仕事っすか? まぁ、元々は暇つぶしっていうか。俺、学生の頃からオンラインゲームめっちゃ好きで。10年くらい続けてたゲームがあってさ。でもどんどん人いなくなってって……“ああ、こういうのに人集められたらな”って」


 話の端々に、本気と遊びの境界線が曖昧な感覚があった。


「起業しろって言われたんですよ、親父に。うち、そこそこ金持ちでさ。だから、好きなことしてみろって言われて。で、オンラインゲーム派遣って面白くない?ってなった感じっすね」


 プレイヤーサービスは、過疎化したオンラインゲームに“人を派遣する”会社だという。

 イベントの人数合わせ、対戦人数の調整、特定のサーバーの盛り上げ工作……依頼内容はゲームプレイヤーから企業までさまざまだ。


「報酬? まぁ、基本赤字っすよ(笑)。でも、親に頼めば資金出してくれるから。なんか“社会を知れ”って意味だったっぽいけど、あんまり意味わかんなくて。好きにやってる感じです」


 その笑顔にはどこか、無邪気な歪さがあった。




 午後一時。都内の会議室ビルの一室。

 村上に同行し、佐山は“仕事の現場”へと足を運ぶ。


 会場にはいくつかの折りたたみ机とゲーム機。参加者は十人にも満たなかった。


「ここが、今日の依頼現場っす。うちからは四人派遣してて」


 イベントの主催者・青山という青年が、佐山に語りかけてきた。


「どうしてもこのゲームで大会を開いてみたくて……でも、周囲の人はもう別のゲームに行っちゃってて。村上さんの会社をネットで見つけて、頼んでみたんです」


 参加者の半分以上が“派遣プレイヤー”だと知らされ、佐山は思わず口を閉じた。

 会場は終始和やかで、笑顔も多かった。青山は満足げだった。




 夕方。イベント終了後。

 佐山は静かに尋ねた。


「これ……続ける理由って、なんですか?」


 村上は真顔になり、数秒の沈黙を挟んだ後、こう言った。


「楽しいんですよ。あと、誰かの“やりたい”って気持ちを、ちょっとだけ後押しできるのって、わりと悪くないなって思ってて」

「正直、金にはならない。でも、“ありがとう”って言われるの、案外いいっすよ」


 佐山はその言葉に、言いようのない違和感を覚えた。

 この男の仕事は、社会的には“無意味”かもしれない。

 だが、目の前の事実として、喜ぶ依頼人がいた。笑って帰っていく参加者がいた。


 自分は、今まで“意味のある仕事”をしてきたのだろうか。




 午後七時、取材は終了した。

 佐山は帰りの電車を待ちながら、自販機の前で足を止めた。


 村上は今も、意味のなさそうな仕事に精を出している。

 しかし、それは誰かの寂しさや、想い出や、最後の挑戦を支えていた。


 社会の構造も、資本主義の理屈も理解しているつもりだった。

 けれど、目の前の現実は、教科書に書いてない形をしていた。


「意味がないことが、誰かの意味になることもある――か」


 佐山は小銭を取り出し、りんごジュースを購入した。



-終-



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ