ブルシット・ジョブ
「ブルシットジョブ」――それは“社会的に無意味で、なくなっても誰も困らない仕事”を指す言葉だ。
イギリスの人類学者、デヴィッド・グレーバーが提唱したこの概念は、資本主義社会の歪みを鋭く突いた。
高給をもらいながら、本人すら「自分の仕事に意味がない」と感じている職種。
意味があるようで、意味がない。
僕がその言葉に惹かれたのは、たぶん社会に“真面目に向き合った”ことの副作用だった。
日曜日、午前八時。
東京都内の雑居ビル。エレベーターの古びた扉が開くと、そこには一つの会社が入っていた。社名は「プレイヤーサービス」。インターホンを鳴らすと、中から寝起きのような顔の男が出てきた。
「おはようございまーす。あ、すみません、ちょっと寝てました」
村上照希。二十六歳。
この取材の対象であり、“オンラインゲーム派遣業”という得体の知れない仕事の創始者だ。
佐山誠治は、Webメディア会社に勤める記者である。同じ二十六歳の彼は、いわゆる“ブルシットジョブ”――社会的意義の薄い、けれど存在する謎の仕事たちに関心を持っていた。
「ほんと、何の役に立ってるかわかんないけど、俺らがいないと成り立たない依頼もあるんすよ」
村上の話は冗談のようでいて、妙にリアルだった。
薄暗い部屋には数台のノートパソコンと、缶コーヒーがいくつも転がっている。ソファにはうたた寝している若者。ヘッドセット越しに、どこかのゲームボイスが延々と流れていた。
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佐山が取材メモを開くと、村上はコーヒーをすすりながら話し始めた。
「この仕事っすか? まぁ、元々は暇つぶしっていうか。俺、学生の頃からオンラインゲームめっちゃ好きで。10年くらい続けてたゲームがあってさ。でもどんどん人いなくなってって……“ああ、こういうのに人集められたらな”って」
話の端々に、本気と遊びの境界線が曖昧な感覚があった。
「起業しろって言われたんですよ、親父に。うち、そこそこ金持ちでさ。だから、好きなことしてみろって言われて。で、オンラインゲーム派遣って面白くない?ってなった感じっすね」
プレイヤーサービスは、過疎化したオンラインゲームに“人を派遣する”会社だという。
イベントの人数合わせ、対戦人数の調整、特定のサーバーの盛り上げ工作……依頼内容はゲームプレイヤーから企業までさまざまだ。
「報酬? まぁ、基本赤字っすよ(笑)。でも、親に頼めば資金出してくれるから。なんか“社会を知れ”って意味だったっぽいけど、あんまり意味わかんなくて。好きにやってる感じです」
その笑顔にはどこか、無邪気な歪さがあった。
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午後一時。都内の会議室ビルの一室。
村上に同行し、佐山は“仕事の現場”へと足を運ぶ。
会場にはいくつかの折りたたみ机とゲーム機。参加者は十人にも満たなかった。
「ここが、今日の依頼現場っす。うちからは四人派遣してて」
イベントの主催者・青山という青年が、佐山に語りかけてきた。
「どうしてもこのゲームで大会を開いてみたくて……でも、周囲の人はもう別のゲームに行っちゃってて。村上さんの会社をネットで見つけて、頼んでみたんです」
参加者の半分以上が“派遣プレイヤー”だと知らされ、佐山は思わず口を閉じた。
会場は終始和やかで、笑顔も多かった。青山は満足げだった。
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夕方。イベント終了後。
佐山は静かに尋ねた。
「これ……続ける理由って、なんですか?」
村上は真顔になり、数秒の沈黙を挟んだ後、こう言った。
「楽しいんですよ。あと、誰かの“やりたい”って気持ちを、ちょっとだけ後押しできるのって、わりと悪くないなって思ってて」
「正直、金にはならない。でも、“ありがとう”って言われるの、案外いいっすよ」
佐山はその言葉に、言いようのない違和感を覚えた。
この男の仕事は、社会的には“無意味”かもしれない。
だが、目の前の事実として、喜ぶ依頼人がいた。笑って帰っていく参加者がいた。
自分は、今まで“意味のある仕事”をしてきたのだろうか。
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午後七時、取材は終了した。
佐山は帰りの電車を待ちながら、自販機の前で足を止めた。
村上は今も、意味のなさそうな仕事に精を出している。
しかし、それは誰かの寂しさや、想い出や、最後の挑戦を支えていた。
社会の構造も、資本主義の理屈も理解しているつもりだった。
けれど、目の前の現実は、教科書に書いてない形をしていた。
「意味がないことが、誰かの意味になることもある――か」
佐山は小銭を取り出し、りんごジュースを購入した。
-終-