無欲と強欲
人は欲深い生物と言われる。
俺はその通りだと思う
程度の差はあれど人の欲は留まることはない。
多様性と言いつつも無意識のうちに他人と比べ劣等感や優越感を感じていく
そうして、感じた劣等感優越感を元に人はますます強欲となっていく。
そんな中、無欲と呼ばれる人間の存在も聞いたことがあるだろう。
現状に満足し必要以上の物を欲せず、他人を妬んだり蔑んだりしない張り合ったりもしない人間。
そういった人達が無欲な人間とよく言われている。
そう見える人たち。
そう。
そういう風に見える人間。
果たして彼らは本当に無欲な人間なのだろうか?
俺はそうは思わない。
本当に無欲な人間はいないと思っている。
無欲に見える人間は2パターンあり、
そう「見える」というだけで他人が感じられないだけの欲望のパターン。
もう一つは、
諦めた人間のパターン。
前者のパターンでいうならば、現状に満足し必要以上の物を欲さない...
それは現状維持をしたい変化を望まないという立派な欲望だと思う。
変わることを望むものもいれば変わらないことを望むものもいるのだ。
大抵の人間は欲望によって変わるものが多い為、変化を望まない事を無欲と勘違いしがちである。
後者のパターンでいうならば、他人と比較しない人間。
諦めた人間、挫折した人間とも言うか。
自分から見えた他人の環境が、その他人にとって望んだ環境であるかは分からない。
要するに見え方の問題だ。
大抵の人間は子供の頃の夢を覚えているだろうか?
有名な例えでいうなら、男の子は将来スポーツ選手になりたい。
女の子ならアイドルになりたいなど一度くらいは考えたことがあるだろう。
だが実際、大人になってみると現実はそう甘くはない。
才能のある一部の人間だけが才能×努力で夢を叶えるがほとんどの人間は挫折していく。
ある程度物事を考えられる年齢になってくると、その知識に応じた自分の限界に気づいていく。
そうして、叶わない夢を諦めて現実的な仕事に就く人間。
それが諦めた(挫折した)人間だと思っている。
他者との比較について、スポーツ選手の身体能力に会社員が嫉妬したり張り合ったりするだろうか?
つまりはそういうことである。
そしてそれは自身の能力だけでなく周囲の環境も同じだと思っている。
裕福な家庭と貧乏な家庭、家庭環境による劣等感や優越感の差。
家主であればまだ努力で変わることもあるだろうが、子供はそうもいかない。
最初こそそういった感情に動かされるだろうが人は慣れる生物でもある。
勉学等による将来的な成長没落はあれどもそれはすぐに変わるものではない。
変わらない家庭環境差による人間関係に大抵の子供は慣れ諦めるのである。
こういった環境による諦めた(挫折した)人間もいるであろう。
長々と語ってしまったがつまり最初から無欲は人間は存在しないと俺は思っている。
そして、俺は当然諦めた側の人間である。
ただこれに関してはあくまで俺の持論であり対人間用だ。
人間以外に適用出来るかは定かではない。
おっと外野が思考を遮ってくる
仕方ない、そろそろ現実逃避を止めるか。
つまり今目の前にいる人間に似た人物?に果たして当てはまるのであろうか?