90 レオン・アマリエ
流石にアレだけ話しかけられて集中し続けるのは厳しい。二十四式は高探馬で終わらせて収勢する。
グランパは俺が本を読むことを肯定しながらも、一方で心配事もあるようだ。
「……それでもまだお前には早い本だってあるんじゃぞ?」
「早い?」
何のことだとグランパの方を向くと、俺の木箱を重ねた本棚を一冊一冊確認するように見ている。そして目当ての本が無かったかのようにボソッと呟いた。
「む……。無いか。見当違いじゃったか」
「えっと?」
「いやいや。まあ、カシウスが持っとるのかもしれんな……」
今更ながらカシウス、父親の名前だ。
「何の本? 一応書庫の本は全部把握しているんでわかるけど?」
「全部?」
「うん」
「なんと……。いや、でもかなりの書籍があるじゃろ?」
「字が読めるようになって四年は経ってるし」
「……四年前ってお前はまだ六歳じゃろ?」
「ははは……」
まあ、パラパラと見ただけの本もあるけどな。それでも何の本かは把握している。しかしグランパはそんな話信じてもいないのか、なかなか本のタイトルを言おうとしない。
言えば分かるのにな……。
「もしかして、タイトル覚えてなかったり? どんな内容かでもわかれば……」
「本当に分かるのか?」
「たぶんだけど……」
「うーん……。いやしかし子供向けの本じゃないからな」
「確かによくわからない本もあったけど……」
「だ、駄目じゃぞ。まだそんな本読んじゃ!」
「え? あ、うん……」
なんだ? あれ。なんかグランパの反応的に、どんな本なのかわかった気がした。
確かにそういう本は一冊だけあったが……。あれは……。
なんとなく嫌な予感もする。
俺が心当たりに行き着きうろたえている横で、グランパもそれを言うか言わないか葛藤しているようだ。
そしてとうとうそれを口にする。
「……放蕩淑女という本じゃ」
「あ……」
「ん? 知っとるんか?」
やっぱりか……。
確かお小遣いを貰う前に、お金の工面に困って売った本だ。あの時はデタラメばかり書いてあるトンデモ本と、アダルトなお話の本を売ったんだった。
確か『放蕩淑女』はそのアダルトな本のタイトルだった。インパクトが強すぎて覚えている。
その後、勝手に売ってしまった事を父親には白状したが、父はどの本も全く興味が無かったようで構わないと言っていたのだが……。
それが、父の本じゃなくグランパの本だったとは。
「ごめんなさい、その本……。いらないかなって思って処分しちゃった」
「処分……。じゃと?」
「ご、ごめんなさい」
「いや……。処分か、それならまあいい。確かにアレはそうするべきじゃったかもしれん」
お、なんだ。無いなら無いで問題なかったのか。
俺はホッとしながら答える。
「はい……。でも結構いい値段で売れたんだよ」
しょんぼりと顔を落としたグランパが、俺のその一言に顔を上げ目を見開く。
「売った……。じゃと?」
「え? はい……。だって捨てるのは勿体ないじゃないですか」
「ナンテことを……」
「え? えええ?」
やばい。すごいショックを受けてる。何か思い出でもあったのだろうか。
「そ、それはいつじゃ?」
「それって?」
「売ったのはいつじゃと聞いておる」
「えっと、四年程……」
「ああああああああああああ」
「だだだだ大丈夫?」
「駄目じゃ……。今からその店に行くぞ!」
「い、今から? もう閉まってるよ」
「ぬぐぐぐぐ……」
「明日。明日にしようよ!」
「い、致し方ない……。わかった明日その店に行くぞ」
「は、はい?」
「買い戻すんじゃ」
おいおい、もう四年前に売ってるんだから残ってるはずは……。無いと思うが。確かに本は高価な物なので意外と動かないかもしれないな。
どっちなんだろう。
って、それにしてもなんだ? 処分したと言ったときはしょうがないって感じだったが、売るのはダメ?
もしかしてなんかあの本に怪しい書き込みでもしていたのだろうか。
……。
……。
翌日の早朝、早速領都ファルクレストにある本屋へと向かう。
グランパは普通に馬に乗れるようだ。父親は馬に乗ってるところなんて見たことがない、そう考えると本当に似ていない親子だと思う。
そして俺は結局いつものようにハティの後ろに乗せてもらっていた
「ふむ、馬に乗れないとはな……」
「人には向き不向きというものがあるんだよ」
「……来年には学園に行くんじゃろ? 少しは練習しておいたほうが良いぞ」
「練習は……。けっこうしてたんだけどね」
「そのお嬢さんとタンデムする為に乗れないふりをしてるとか?」
「ぶっ。そ、そんなわけないじゃない」
なんて事を……。毎回だからあまり気にしていなかったが、そういうふうに見られるのか? 確かに少しづつハティも幼女から少女へと変わっては来ている。あと何年かすれば、さらに女性らしさが出てくるはずだ。
むう……。
そんな事を言われると改めてちゃんと馬に乗れるようになりたいと考えてしまう。……それにしてもこの乗馬適正の低さはもう呪われてるくらいに思えてしまう。
……。
店は、街の旧市街にある。それこそ人口が増え街を拡張していく中で、そのまま歴史に取り残されたような区画だ。
それでも近くにあるオルベアの魔道具店では孫たちが店を改築して今では喫茶店を営んでいる。そんな感じで新しく街を変えようとする流れもチラホラと感じるが、この書店は時代の変革を断固として拒絶するような雰囲気を持っている。
どうもハティはこの本屋が苦手のようだ。というより本にはトラウマを感じてるくらいある。あまり無理やり読ませすぎたのが失敗だったかもしれない。
そんなで旧市街へつくと、ハティはオルベアの店の喫茶店で待ってる、と行ってしまう。
書店へは俺とグランパの二人で行く。
「やはりここか……」
「知ってるの?」
「当然。昔からファルクレストの書店といえばこの店しか無かったからな」
「じゃあここて買った本も?」
「ほとんどここで買っとる」
今まで父親が本を読んでいる姿は殆ど見ていない。それなのになんでこんな蔵書があるのだろうと思っていたのだが、ほとんどがグランパの蔵書だということが今回初めて知ったわけで。
だとしたらグランパもこの店の常連だったのだろうと思う。
カラン。という音とともに店の扉を開けて中へ入る。その瞬間に分厚い魔力の膜の中に入るのを感じる。万引きや本の状態を守る結界が張られているんだ。
ちなみに、それを設置メンテナンスをしているのがご近所のオルベア婆さんというわけだ。
「ここはまるで時が止まってるようじゃな」
グランパは一瞬懐かしそうに店の中を見回すと、中へと進む。
実際にここは本屋と言っても日本の書店のように本棚が並び、大量の本で埋め尽くされているような状態ではない。前述のごとく本自体がレアな物で高価なものだ。
うなぎの寝床の様な長細い店内で両側の壁が本棚になっており奥までそれが続いているだけだ。そして最奥ではいつものように老人が椅子に座って本を読んでいる。
相変わらず無愛想だが、俺ももう慣れた。
本棚はある程度ジャンル分けして並べてある。その娯楽小説的な物は入口に近いところにある。俺はその棚を見始める。
と、突然奥から声がかかった。
「ん? もしかしてレオンか?」
レオン? 俺が奥の店主に顔を向けるとどうやらグランパの方を見ている。そのグランパは聞こえなかったのか自分は関係ないという事なのか、ちらりとも店主を見ようとししない。
「あの……」
「なんだ?」
「たぶん、違うと思います」
「そうか、いや何十年も会って無いからな、人間違いだ」
「はい、祖父はグフタスなので」
「グフタス? ……やっぱりレオンじゃないか」
「はい?」
グフタスがレオン? 何を言ってる?
「その名はよせ……」
「捨てるものでもない。大事にすればいい」
「まあいい……。分かるならワシがここに来た理由は分かるな?」
「孫が売った本、だろ?」
「……そうじゃ。こんな事なら燃やしておけばよかった」
……なんだ?
俺が付いていけない中、二人は話を進めていく。やっぱりグランパはここの常連だったんだろう事は分かるが、二人のやり取りは常連というより竹馬の友とでもいう様な……。
「これ、だろ?」
やがて店主がカウンターの奥の棚から一冊の本を取り出す。四年前なので少し記憶は薄いがたぶんアレだ。俺が売った本。間違いない。
「レオン・アマリエの放蕩淑女……」
「レオン……。え?」
ちょっとまって。え? まじで?
俺は恐る恐る後ろを振り向く。後ろでは口をへの字にし、なんとも言えないカルマを背負った祖父が苦しげに首を縦に振る。
「◯◯◯万ビョークだな」
「致し方あるまい……」
値段を聞いて俺は目を見開く。
「……はい? え? そんな高いの?」
俺は店主の提示した値に思わず声を漏らす。どう考えても高すぎる。俺の売った値段の十倍以上の値段だ。
思わず俺は聞き直してしまう。
「ああ、◯◯◯万ビョークだ」
「だって、売った時はそんな――」
「良いんだ。ラド」
「で、でも……」
「相場は変動するもんじゃ」
うっわ……。これじゃ、大赤字じゃないか。
確かにグランパは先代プロスパー商会の会頭だ。このくらいの金額はそこまで問題ないのかもしれないが……。
俺はだいぶ庶民感覚が残ってるんだ。
それもこれも俺が勝手にグランパの本を売ったせいだ……。
俺は天を仰いだ。




