第八話 吐くほど辛い
元小説の主人公エリックは、当然のごとくチート能力を駆使して敵と対峙してそのすべてを打ち破っている。
そのチート能力のベースは規格外の膨大な魔力量だった。それは間違いない。
エリックは転生して幼児期に訓練を開始する。自分の魔力を気絶するまで使い果たし、回復するとまた同じように魔力を消費させる。それを繰り返して少しづつ自分の魔力量を増やしていくという話だった。
魔力を使い切る事で、魔力量を増やす。それ自体は数多のライトノベルを読んでいれば別にとりわけ珍しい設定では無いのだが……。
……あれ?
失魔症は?
となる。
確かに、失魔症になったことの有る子供は将来優秀な魔法使いに成ることが多いというが。これは小説の主人公がやったように魔力を使い果たすことで、体がより多くの魔力がこの体には必要だと感じ、徐々に魔力が量増していくのだと想像はつく。
しかし、その失魔症で命を失う子も多い。
俺の転生が、本来の持ち主からの入れ替わりだとしたら、元のラドクリフ少年はそれで命を失ったという流れなわけだし。
そんなこと出来るのか?
家の蔵書で、失魔症関連の本や、魔法関連の本を見てみたが、今のところそういった魔力量を増やす効果についての描写は見たことがない。
いやでもな。やらないと色々と後々後悔するだろう。
踏ん切りがつくように良い方にものを考える。
失魔症は、魔力コントロールの未熟な子が魔力を暴走させて起こる。だから、生命維持に関わるほどの魔力を逸するというわけだ。
一方、小説の主人公は意識的に魔力を放出しているため、生命維持に関わるほどの魔力放出は出来なかったんじゃないか? たとえば人間には酸素が必要だ。自分で息を止めたとしても、死ぬ前に先に意識を失う。そのまま死んでしまうなんてことはまず起こらない。それと同じで、失魔症程の症状は出ないんじゃないか。
そう考えると納得できる。
実際、一度の失魔症で魔法使いとしての素養が一気に上がるという話だ。それに対して主人公は何度もそれをやって魔力を増やした。思えば小説の描写だと一度のトライじゃ少しづつしか増えていない様な感じだった。
どこまで魔力を放出するかが魔力増量と関係しているとみる。
うん。主人公くらいの魔力放出なら命に関わる事はないに違いない。きっとこれはドクターストップがかかってる魔法の使用にも引っかからないはずだ。
いや、ちょっとアウトか?
まあいい。やろう。
俺は目をつぶり下腹に意識を向ける。
「ふぅ……」
ローザがそっと触れた場所を思い出しながら、下腹に意識を集中させていく。本には下腹部に魔力を貯めるような袋が有ると書かれている。意識を向けるとたしかに熱い何かがそこにある。
通常の魔力の放出はそこに溜まったものを自然に無意識で散らしていく。その魔力の開放口が開いていない幼少時はその開放口を開けさせてあげるというのがローザのやった指導なのだが……。
今回は体の魔力を限界まで減らすために全身に散らばって巡っている魔力も少しづつ下腹部に集めていく。
やがて、集まった熱をそこから滲み出すように、押して行く。
――いける。
不思議な状況だ。魔力が集まる下腹部は強い熱さを感じるが、魔力を絞った体の方は逆に寒気を感じる。
体内の魔力をコントロールできている感触があった。
力は暴走すること無く、俺の意思に従って下腹部から外へ散らすように放出される。今は魔力の放出に集中する。失魔症が生命を脅かす病気である以上、ミスはゆるされない。
よし……。順調に魔力袋から放出し、さらに体の魔力を残さないようにと集めているときだった。突然なんとも言えない気持ち悪さが持ち上がる。
体がガクガクと寒くなり、胃がムカムカと踊る。そのまま俺は一気に……。
昼飯を放出した。
「お、お坊ちゃまっ!」
ちょうどその時、ベッドのシーツを交換しにティリーが部屋に入ってきた。俺がゴミ箱を抱えてデロデロしているのを見て顔を真っ青にして駆け寄る。
「だ、大丈夫……」
「まさか、お食事に毒がっ!」
「ち、違うんだ……」
「しかし、突然吐かれるなんてこと――」
「いや、魔力を放出しようとしてさ……」
「……へ? な、なんてことを! 先日倒れられたばかりじゃありませんかっ!」
「うーん、そうなんだけどね……。ちょっとそこのポーション取ってくれる?」
ティリーは色々言いたそうだが、吐ききったとは言え、頭もくらくらするし、いもむかむかしている。俺はサイドテーブルに置いてあった魔力ポーションをティリーに取ってもらい、一気に飲み干す。
――うが。甘い。超甘い。
ちょっと気持ち悪いくらいに甘い。俺が失魔症になったことで、親がいざという時の為に急遽用意したものだが。超高価らしい。
それでもさすがファンタジー世界の魔法の薬だ。飲んで数分で体調が戻り始める。
慌てふためいているティリーを前に、俺はのんきに小説の設定の違和感の原因に気が付く。
そうか、小説の中でラドクリフはよく魔力ポーションを飲んでる描写があったが、この糖分のせいであのふっくらとしたビジュアルになったのか。
なんてどうでもいい設定に改めて気が付く。
……。
それにしても、これを主人公は何度もやってたってのか?
信じられなかった。
小説では意識を失うまで魔力を放出して、しばらくすると目を覚ましてまたやる……。みたいな描写があったはずだ。
なのに、俺は意識を失う前にあまりの気持ち悪さに放出の手を止めてしまってる。吐かなくたって相当しんどい。
「うーん。何か違うのかな……」
「まだ早いってことです」
「コントロールが出来てないって事?」
「そうです、単なる欠乏症で嘔吐しただけならまだしも、また失魔症になったらどうするんですか」
「いや、そこまでは行かないと思う」
「そんなことわからないじゃないですか」
「分かるよ、どこまで魔力を出せるか試したら、出し切る前に気持ち悪く吐いちゃったんだからね」
俺がそう言うとティリーは訳が分からないといったように固まる。
「はい? ……なんでそんなことを?」
「魔力量を増やそうと思ってね」
「意味がわかりません」
俺の言葉にティリーは戸惑いを見せる。
まあ、そうだろう。俺は少し悩んだが簡単に説明することにした。もしものために俺のやってることを少しでも知っていてもらったほうが良いかもしれない。
魔力ポーションはまだ数本部屋に持ってきてある。意識を失うだけなら問題ないが、失魔症のように暴走したなら……。この部屋に唯一出入りするティリーには教えておいたほうが対応も早いだろう。
「体の魔力をギリギリまで枯渇させると、体はこの体に魔力がもっと必要だと判断して、魔力器官がより発達する……。気がするんだ」
「気がするって……」
「ほら、失魔症になった子は魔法使いの適性があがるだろ?」
「で、でもそんな危険なこと……」
「コントロールは出来たんだよ、コントロールが出来ればそんなに危険じゃないからね。ただ、耐えられなかっただけで」
「でも……。だけど……」
俺の話が分かったのかは知らないが、ティリーは困ったように俺を見つめる。
「うーん。他の人には言っちゃ駄目だからね。これはティリーにしか言ってないから」
「しかしっ――」
「人に言わないこと」
「……わかりました」
ティリーには悪いが強めに言う。
今回は失敗したが、もう少しトライしたい。別に主人公のような圧倒的なチート能力が欲しいわけじゃない。少しでも生き残れるすべが有るならやっておきたいというだけだ。
まずは、この吐き気や目眩に耐えれないと話にならないかもな。
今日はもうやらないからとティリーを安心させる。ティリーがゴミ箱などの片付けを終え出ていくのを見届けて、俺は魔力ポーションを片手に部屋に設置してあるトイレに向かった。
自分の部屋にトイレがあるなんていうのも大豪邸の特権なのか助かってる。俺はトイレに篭ると、魔力の放出を始める。
デロデロ……。
やっぱ、小説の主人公は作中のキャラだ。
全く苦労している描写が無かったのに。