第拾八話 お礼の気持
「礼を?」
「そうだ、今もカップを置いたメイドに言っただろう?」
「う、うん……」
「……ルードだぞ?」
「!」
そうか。全く気にしていなかったが確かにあのメイドの髪を見れば緑がかった髪色をしている。
……いや。これも好機か。
今までずっとリュミエラの事件の事を思い出そうと考えていたが、すぐさま思考を切り替える。一瞬頭によぎったのはエルフと俺達アルカとの血の流れは全く無いという話し。
しかしすぐに俺はそれを打ち消す。
アドリックはまだ六歳だ。アルカを否定するような話をすればすぐに侯爵に耳に届くことになりかねない。そうなればプロスパー家にも問題が降りかかる。
それにエルフの村が見つかっていない今、説得をできるだけの力はあまり無い。
大事なのは優しい気持ちを植え付ける事。
俺は意を決し、はっきりと一つ一つの言葉を大事にアドリックへ届ける。
「でも、彼女は僕にお茶を入れてくれたから。ありがとうは普通じゃない?」
戦端は切られる。
突然俺がアドリックに意見を言ったのだ、この場の空気が変わるのを肌で感じる。アドリックも一瞬眉を寄せるが、すぐに言葉を投げ返してくる。
「彼女はルードで使用人だ。俺達はアルカで貴族だ。わかるだろ?」
「うん、それは分かるけど。お茶を入れてくれた事実は変わらないよ」
「ふぅ……。ラドはアルカとルードの違いを知らないのか?」
「知ってるよ。色々本を読んだからね」
「本を? ……いや。だったら――」
「例えば!」
アドリックの言葉を途中で遮る。普通ならそんな事は絶対できる関係じゃない。だけど今は俺の言葉を届かせるためにはそうするのが良いと感じる。
「例えば……。エルフは僕達より上の存在ってことだよね?」
「もちろんだ。エルフは精霊に近い存在だ。俺達人間より神に近い」
「そのエルフの村に、僕達アルカと同じような、エルフと人間の間に生まれた子孫がいたとするよね」
「……何を言ってる?」
まだ小説ではこの時点でエルフの村というのは公になっては居ない。小説の主人公であるエリックがその村を発見するまでは、エルフというのは過去の文献や神話に出てくるような、そんな伝説の存在だった。
エルフの村という言葉もアドリックは聞いたことが無いだろう。
「例えばの話だよ。そのエルフの村にいる人間たちは僕達と同じアルカだよね?」
「……それが本当ならな」
「で、エルフとアルカではエルフの方が高位の存在で、もしかしたらアルカとルードの様な関係にあるかもしれない、って考えられない?」
「そ、それはそうだが……。相手がエルフなら仕方ないだろう」
「でも、僕達アルカがエルフたちにお茶を注いだ時、それが当たり前で、それが当然だと礼も言わず、僕達の方に目線すら向けなかったらどう思う?」
「……エルフは、高尚な存在だから、そんな事はしない!」
「そんな事?」
「ああ、俺達に対してだって普通に接する」
「僕達アルカは、そんな事、をしてるってこと」
「なっ……」
「僕達アルカも、エルフの様に、高尚で有りたいと思うんだよ」
「……」
どうだろうか……。俺の言葉にその場がシーンと静まり返る。リュミエラにお茶を差し出そうとしたメイドの子でさえ、どうして良いか分からずに立ったまま固まっていた。
誰もしゃべらず、皆何かを考えるように黙り込んでいた。
……。
――子供相手にやりすぎたか?
そんな風に思ったときだった、リュミエラがふと自分のカップを持って固まっているメイドに気がつく。
「リーゼ……。ありがとう」
そう言いながらメイドからカップを受け取った。
「い、いえ……。どういたしまして……」
メイドも驚いたように答える。俺はそんなリュミエラの行動に驚きとともに全身鳥肌が立つのを感じる。
……この子は。
凄い。小説の中で、過去の話として出てこなかった子だが、確かに天使のような子だ。その事件がアドリックの心を歪めてしまうほど。皆に愛され。皆を愛した子。そしてどこまでも純粋で、真っ直ぐな子だと感じてしまう。
アドリックはそれを黙ったまま見つめていたが、スッと俺の方を見る。
「なるほど……。ラド」
「う、うん?」
「……なんか、お前凄いな」
「そ、そうかな……」
「少し考えてみる」
「う、うん」
まあ、空気を悪くしてしまったのは否めないが、このアドリックの反応は俺の中でガッツポーズ級の反応だ。これを最終的に演出してくれたのは……。
チラッと俺はリュミエラを盗み見る。
……!
そのリュミエラはじっと俺の方を見つめ、とても愉快そうに、そして楽しそうに微笑んでいた。
こんな六歳の、幼い子に。俺は一瞬心を奪われていた。
……。
……。
やがて父親が侯爵との話しを終えてテラスにやってくる。俺はそれが合図とばかりに三人に帰宅を告げる。
アドリックは立ち上がり、父親に剣の礼をいう。ボケっとしてるセヴァにもちゃんとお礼を言うようにと催促していた。
……。
多分、アドリックへ必死に説得をしたのがあるのだろう。俺のテンションが妙にあがっていた。帰りの馬車の中で、父親に俺も剣を用意してもらおうって言う気になるくらいには。
「何かあったのか?」
「え? あ。皆で模型を相手に剣の練習をしたんだ」
「そうか……」
「……あの」
「ん?」
「ぼ、僕も剣があったら、今度狩りに誘って……。くれるって……」
「狩りって、森にか?」
「……よくわからないけど、護衛の人たちもいっぱいでって」
「そうか……」
「うん」
「……」
え?
結構思い切って踏み込んだんだけどな。どんな剣が欲しいとか聞いてほしいんだけど。なんかぶち上がってた脳内ホルモンが一気に収まっていくのを感じる。
剣のおねだりを失敗した気持ちの中、馬車の中に訪れる沈黙が辛くなり適当に話を続ける。
「あ……。きょ、今日は侯爵様と何の話していたの?」
「ん? ああ。そう言えばお前も六歳だったか」
「えっと?」
「バッチャルの方で、何やら六歳の天才少年がいるとな」
「……え?」
バッチャル……。その変な響きは覚えてる。アルカディア王国のバッチャル地方……。王国の再北の地方だ。そして……。この小説の主人公、エリック・シュトルツの生まれた地だ。
「その天才少年とやらが、砂糖を生産し始めたらしい」
「砂糖を……」
間違いない……。エリックだ。
小説の中の一つのエピソードが頭をよぎる。
この国では砂糖の生産が出来ず、砂糖は南国のサトウキビから作られるものを輸入していた。そのため砂糖は超が付くほどの高級品だった。
そんな中、地球から転生してきたエリックが甜菜の栽培を始め砂糖の生産を始めるんだ。
エリックが生まれたのはバッチャル地方のシュトルツ子爵領。屯田貴族と呼ばれる貴族の一人で、エリックの祖父が北の寒い国を開拓して自領としての許可を得たものの、二代目の父親の時代になっても領地経営がうまく行っていないという設定だった。
それを主人公が村の子供たちと遊んでいるうちに甘い芋を見つけ……、そんな流れで砂糖の生産に成功し、領地を瞬く間に立て直していく。
おそらくまだ六歳ということを考えると、ちゃんとしたビジネスとして展開を始めては居ない、おそらく庭みたいなところで子供たちで甜菜の栽培をし始めて、試作品が出来たくらいだとは思う。とすれば……。
――まずい。
砂糖の生産の噂を聞きつけ、その独占契約を結ぼうと動き、それが失敗した後に、ビジネスとして完全に敵対する商会がある。そして最終的には主人公に潰されていく……。
プロスパー商会だ。
――何か考えないとな。
本当に考えなければならないことが多すぎる。
リュミエラの事、そして、砂糖戦争。
思わず俺は深くため息を付く。




