表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
17/22

揺り籠の崩壊2

 サーベル、レイピア、タルワール、太刀、ショーテル、フリッサ、その他名も知れぬ刃物達。

 無数の銀光が整然と宙を泳ぎ、一斉にその切っ先をケイロンへと向ける。

 地下空間を照らす人工の明かりを照り返し、数多の刀身がぎらついた輝きを放つ。

 下手に動けば命は無いと言葉にされるまでもなく理解させられ、ケイロンはがくがくと膝を震わせた。


「……こ、こんな結末が許されるわけ……一体何者なのですか、あなたは!?」


 疑問というより衝動と呼ぶべき熱い塊が腹の底からこみ上げ、慟哭となって迸る。冷静沈着な参謀という仮面が砕かれた下にあったのは、理性では形勢の逆転を悟りながらも、感情ではそれを受け入れることのできない、どこにでもいるありふれた哀れな男の顔であった。

 同情したわけではないだろうが、形式上は問いとして分類されるケイロンの絶叫に、リュシーカは勿体ぶることなく答えてやる。


「私はリュシーカ。数多の租界を股に掛ける超凄腕の情報屋よ。それと副業を少々」

「副業、ですと?」

「ええ、あなたならば聞いた事くらいはあるんじゃないかしら。クレイドル本部直轄、鋼の座というのだけれど」

「っ!?」


 驚愕が声にならずに喉から抜けていく。

 鋼の座。それはクレイドルという組織の中でも、特に諜報を司っている部署の呼び名であった。

 一応、第一楼都のクレイドル本部に拠点はあるらしいのだが、その性質上、所属している者は大半が世界各地に散り、各々独自に行動しているという。


 彼等の調査対象は多岐に渡り、必要とあれば同僚であるはずのクレイドル隊員ですら、容赦なく内情を探られるという。そのため多くの場合、鋼の座に所属する調査員は身分の偽装を目的として、別の仕事を兼業していた。


 その意味では、情報屋を表の顔とするリュシーカは、典型的な鋼の座といって良いのだろう。まあ、鋼の座の方を副業と言い切っているあたり、模範的なクレイドル隊員かと問われれば盛大に疑問符がつくのだが。


「……情報漏洩には気を配っていたはずですが……」

「ええ、そうみたいね。本部の方でも特段、カナドメ支部に注目していたわけじゃないもの」

「……ならば何故、あなたはここまで到達できたというのですか!?」


 隠蔽工作は完璧だった。それがどうして、今こうして追い詰められているのか。

 その答えを告げるリュシーカの口調には、珍しいことに若干の憐憫が含まれていた。


「世の中にはいるのよ。根拠も過程も必要とせず、最初から結果だけに辿り着いてしまうイングレイヴの持ち主が。彼女が第七楼都で世界の命運を揺るがす事件が起きると予言したのであれば、調査員を派遣するのは検討するまでもなく義務になるわ」

「は、はは……それは、なんとも……ふざけた話だ……」


 半開きとなったケイロンの口から乾いた声がこぼれる。長年かけた計画が完成目前で邪魔され、その発端がどう足掻いても妨害しようのない、未知のイングレイヴ能力によるものだというのだ。

 胸中を占める無力感と寂寥感はいかほどのものか。生憎とリュシーカには、想像することしかできない。

 だからといって同情するわけもなく、リュシーカは淡々と罪状を述べ立てた。


「クレイドルの一員でありながら、その本義に背いて埒外イングレイヴの覚醒を企んだ罪は、絶対に許されるものではないわ。ツクモちゃんに行った非道な実験もね。私にはあなたを裁く権限が与えられている。抵抗しなければ、名誉ある最期くらいは約束してあげるわよ」

「う、あぁ……」


 呻き声を絞り出し、ケイロンは逆転の一手を求めて視線を走らせた。そしてすぐに答えに辿り着く。


「く、来るなっ! それ以上近付いたら、九十九号がどうなっても――」

「はいはい、予想通りの悪足掻きっぷりでむしろ拍子抜けよ」


 護身用のナイフを取り出し、装置に繋がれて眠ったままのツクモに突きつけようとする。

 だが、それはあまりにも安易で見え透いていた。要するにリュシーカの掌の上だった。

 口角から泡を飛ばすケイロンを冷え切った声音が遮った刹那、死角から一本の短剣が飛来したかと思うと、取り出されたばかりのナイフを弾き飛ばし、続けざまに慣性の法則を無視した軌道でケイロンの右手へと突き立つ。


「っ、ぎゃああっっ!!」

「私のイングレイヴ【死刃舞踏】(ダンスマカブル)は、自由自在に飛翔する剣を幾本も生み出すことができるの。あなたが破れかぶれな反撃に出た時に備えて、保険を掛けておくくらいは造作もないことよ」


 喉奥から絶叫を迸らせるケイロンに、明日の天気を告げるような穏やかさで絶望を突きつけるリュシーカ。

 一見すればケイロンに対して無関心なのかと勘違いしそうになるが、白くなるほどに固く握られた両手がそれを否定していた。

 ツクモが受けた仕打ちを正確に把握しているがゆえに、気を抜くと自制心が決壊して怒りが溢れそうになるため、どうにか冷静さを保とうと必死で感情を抑え込んでいるのだ。


「容疑者に反抗の意志が認められた場合、抵抗の余地を奪うために現場の判断で適切な処置を施すことは、慣例的に許可されているわ。だから先にお礼を言っておくわね。ツクモちゃんを人質に取ろうとしてくれたおかげで、私はあなたを合法的に痛めつけられる。ストレスを溜め込まなくて済みそうだわ」


 心を折るために敢えて宣言しているのだと頭では理解している。だが、右手の刺し傷から全身に回る痛みで神経が飽和してしまったケイロンは、涙と鼻水と失禁でぐちょぐちょとなりながら、ひゅんひゅんと周囲を飛び回る刀剣をぼやける視界で見上げ――


「ケイロン様から離れろっ!!」


 突如、声変わり前の少年の叫びが耳に飛び込んできた。反射的に振り仰げば、青いカラーリングの大鎧が刀剣の群れのど真ん中を突っ切ってくる。

 【双つ守護者】を操る双子のイングレイヴ使いの片割れ、ウージゥの参戦であった。


       ◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「あちゃー、シキ君ってば足止め失敗しちゃったのね。今度、イジり倒してあげないと」


 これからというところで私刑を邪魔されたリュシーカであったが、さして残念そうでもなく呟くと、ケイロンには固執することなくツクモに駆け寄った。敵の増援が到着した以上、寄り道をしている暇はない。

 【死刃舞踏】の一本が素早く縦横に振るわれ、ツクモに接続されたコードは全て切断されて床に散らばる。


 ついでに使い終わった刀剣を、ウージゥから傷の手当てを受けているケイロン目掛けて射出してみるが、こちらは軌道上に大鎧が割って入り、あっさりと叩き落とされてしまう。

 【死刃舞踏】は変幻自在を信条とする強力なイングレイヴではあるが、【双つ守護者】のような単純に頑丈な敵を相手にすると、簡単には防御を貫けないという弱点を持っていた。

 飾らずに言うならば相性が悪い。ツクモを守りつつ片手間で相手にするには、少しどころではなく荷が重い。


「遅れて申し訳ありません、ケイロン様。あの女の相手は僕が引き受けます。ケイロン様はすぐにここから脱出してください」

「あ、ああ、済まない。助かった」


 一方、ケイロンにてきぱきと治療を施す傍らで、ウージゥは冷静に退避を進言した。

 おかげで放心状態だったケイロンも、どうにか状況を整理することができるようになる。


 ひとまずリュシーカの魔の手からは逃れられたようだが、その先の展望がまるで描けないのが致命的だ。

 仮に首尾よく逃げおおせたとしても、鋼の座に決定的な証拠を掴まれてしまっている以上、遠からず追手がかかることは必至である。


 埒外イングレイヴの覚醒という、クレイドルの存在意義に関わる禁忌を犯したのだ。追跡部隊の規模と執拗さは、筆舌に尽くし難いものになることだろう。戦闘に寄与できないケイロンの【愚者の天秤】だけでは、捕捉され捕縛されるのは時間の問題であった。


「くそっ、くそっ、どうすれば、どうすれば……」


 歯噛みしながら必死に逆転の目はないかと知恵を絞る。

 そんな時、脳裏に走った閃きが神の啓示と悪魔の囁きのどちらであったのかは、ケイロン自身にも区別はつかなかった。

 いや、どちらであっても構うまい。この瞬間に必要なのは、理屈ではなく行動なのだから。


 そう、答えなら最初からそこにあったのだ。

 クレイドルという強大な力に怯えずに済む方法。そんなものはたった一つしかありえない。

 それすなわち、クレイドルですら手出しできない、より強大な力を手中に収めること。


「ウージゥ君、少しだけ時間を稼いでください」

「はいっ! お任せください!!」


 【愚者の天秤】により盲目的にケイロンに従うよう操作されているウージゥは即答するが、まともな観察力と判断力を備えている者であれば、今のケイロンに従うことはまずないと断言できた。

 彼を突き動かしていた劣等感の気配は嘘のように消え去り、恍惚とした表情は人外の存在に取り憑かれているようですらある。


 いや、真実ケイロンは取り憑かれていたのかもしれない。

 傷付いた右手をだらりと垂らしたまま彼が歩み寄ったのは、地下二十五階の外周を埋め尽くしている埒外イングレイヴの袂だったのだから。


「待ちなさい! 何をするつもり!?」

「邪魔をするな! ケイロン様は僕に時間を稼げと仰られた。だったら僕の命に代えても、その命令を遂行させてもらう!」


 鳥肌が立つほどの不吉な予感に背を押され、リュシーカは待機させていた全ての【死刃舞踏】を射出するも、【双つ守護者】が構える盾と本体である大鎧そのものによって全て受け止められてしまい、ケイロンには一本も届かない。


 無論、ウージゥも無傷とはいかない。

 頑丈さは折り紙付きとはいえ、他者を庇って無数の刀剣の雨にその身を晒したのだ。関節を中心とした装甲の薄い部位に何本も刃が突き立ち、フィードバックで額から流れ出した血が、姉同様にがらんどうとなっている右の眼窩に流れ込む。

 それでも一歩たりとも引くことなく、むしろ役目を果たした自分自身を誇るかのように、ウージゥはしっかと立ち続けた。


 全身ハリネズミとなったイングレイヴと、流血に構うことなく立ちはだかる使い手の壮絶さに気圧され、追撃をかけようとしたリュシーカの手がほんの少しだけ鈍る。

 その間にケイロンがチェックメイトをかけた。


「さあ目を覚ましなさい、旧世界を焼き尽くした破壊の化身よ。九十九号を介して、すでに眠りからは解き放たれているはずです」


 呼びかけに応じるように巨体が身じろぎをする。

 サイズ差があり過ぎてすぐには頭が追いつかなかったが、ケイロンが呼びかけたのは埒外イングレイヴの頭部だったようで、人間よりも大きな瞳がゆっくりと開くと、縦に裂けた金色の瞳孔がケイロンの姿を映し込んだ。


 しゅるりと素早く出入りする細長い舌は先端が二股に別れ、頭頂部から尻尾の先に至るまで、落ち着いた白色の鱗に隙間なく覆われている。鋼殻キャリッジすら一飲みにできそうな威容は、なるほど【永劫なる怪蛇の王】の呼び名に相応しい。


 埒外イングレイヴが一体、巨大な蛇の姿を持つヤマタノオロチは、鎌首をもたげると、自らの眠りを妨げたちっぽけな人間を眼下に見下ろした。

 圧倒的というのも烏滸がましい圧迫感に、リュシーカとウージゥも戦いの手を止めてしまう。


 果たしてそうやって固まっていたのは一分か、一時間か。あるいはせいぜい数秒の間だったのか。

 ともあれ真っ先に我に返ったのは、自ら破滅の権化へと手を伸ばしたケイロンであった。

 右手の傷口に滲む出血を素材として、能力の媒体となる小さな秤を生み出すと、眼前の巨体と比してあまりにも小さなそれを掲げながら、精一杯に声を張り上げる。


「オロチよ。あなたの封印を解いたのはこの私です。それを恩義と感じる心がわずかでもあるならば、私の願いを聞き届け――」

「ダメッ!!」


 悲痛な叫びで呼びかけを遮ったのは、リュシーカの腕の中に抱えられていたツクモだった。

 鎮静剤の影響でおぼつかない足元ながら、それでも懸命に幼い手を伸ばす。


「オロチに近付いちゃ駄目。オロチが欲しがっているのは――」

「人形風情が創造主に意見しないでもらいましょう。オロチの力を手に入れた後で、用済みとなったあなたは念入りに処分してあげますので、大人しくそこで待っていなさい」


 ツクモが全身全霊を振り絞った忠告を無造作に足蹴にして、ケイロンは改めてヤマタノオロチへと向き直った。

 その視界を埋め尽くす、大きく開かれた咢。

 次の瞬間、何が起きたのかさっぱり理解できない、そんな表情のまま、ケイロンの姿はオロチの口の中へと消えていた。


「え、嘘、食べられた、の?」


 ややあって、リュシーカが呆然と自問する。

 その問いに答えを返せる者は誰一人おらず、代わりにツクモは呆けているリュシーカの手を握ると、どうにか正気へと引き戻した。


「リュシーカお姉ちゃん、急いで逃げないとっ」

「そ、そうね。ツクモちゃんが無事ならば、ここにもう用は無いもの。すぐに脱出しましょう」


 忠誠を捧げた主がおやつでも摘まむようにひょいパクされた衝撃で、放心のあまり立ち尽くすウージゥをその場に残し、リュシーカは踵を返して上層への階段に向かおうとする。

 紆余曲折はあったが、ツクモを奪還してケイロンがいなくなった以上、ここに留まっても百害あって一利なし。それよりも地上に帰還し、クレイドル本部へ応援を要請する必要がある。

 そんなリュシーカを呼び止めたのは、錆びついた金属同士を擦り合わせたような耳障りな声だった。


『いやいや、そう焦らずとも構わないでしょう』


 振り向けば厄介な事態になると理性が訴えているが、情報屋の矜持が未知を無視するという選択を許さない。反射的に振り向いてしまったリュシーカは、常軌を逸した光景に唖然とさせられてしまった。


『ふむふむ、やはり驚かれているようですね。まあ、気持ちは分からないでもありませんが』


 ケイロンだ。たった今ヤマタノオロチに捕食されたはずのケイロンが、天井に近い位置からリュシーカを見下ろしていたのである。

 だがそれは、先刻の光景が見間違いで実は食われていなかった、などという三文小説のオチを意味してはいない。

 鳴動を増しながらゆっくりと動き出しつつある大蛇の胴体に、ケイロンの上半身が生えていた。


「……随分と斬新なイメージチェンジもあったものね」

「リュシーカお姉ちゃん、あれはさっきまで話していた人じゃないの。あの人を容れ物にして、オロチが作り出した外部交信用の端末よ」

『いきなりのネタばらしとは趣に欠けますね。どうやら一時であっても私と接続した影響で、知識の逆流が発生したようだ』


 興醒めとでも言いたげに、ケイロンが……いや、ケイロンを模したオロチが肩をすくめた。

 オロチの口振りからツクモの指摘が正しいとは理解できるものの、あまりに人間くさい仕種のせいで、本人が生きているものとつい錯覚してしまいそうになる。


『まあいいでしょう。都合の良い器も手に入りましたし、今日の私はすこぶる機嫌が良い。私に身を捧げてくれたこの器への礼も兼ねて、これから地上の街を支配下に置くのですが、それが終わるまではあなた方を見逃して差し上げます』


 一方的に猶予を宣言するや、とぐろを巻いたオロチが、溜め込んだ力を上方へ向かって解き放った。

 堅牢極まる天井が、飴細工よりも簡単にひしゃげる。

 本格的に動き出した埒外イングレイヴを止められる者など、どこにもいはしなかった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ