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水面下の楼都3

 ……ン……


 どこからか物音が聞こえた気がして、足早に廊下を歩いていた研究員はふと立ち止まった。

 通路の前後を確かめてみるが、自分以外に人の姿は見当たらない。

 実験が急ピッチで再開され、同僚達もほぼ全員がそちらへ投入されている。彼とて自室へ忘れ物をしていなければ、こうして居住区画まで戻っては来なかったはずだ。


 ……ガン……


 空耳かと思って歩き出そうとした矢先、先程よりも一回り大きい音が耳朶を打った。

 今度は絶対に聞き間違いではない。もしや最下層のアレに異変でも起きたのか!?

 慌てて壁に張り付き息を殺す。機敏な一次対応と評価できるのかもしれないが、すぐに逃げ出さなかったという点で悪手との誹りは免れまい。


 ドガンッ!!


 なにせ背後の壁が、爆発でもしたかのように向こう側から吹き飛んだのだから。

 衝撃で廊下の反対側まで転がった研究員が、揺れる視界で何事かと顔を上げてみれば、無機質な壁に彼の背丈を上回る大穴が開いていた。それどころか、穴の中から二人組が姿を現したではないか。


「無事に開通したみたいね。まずは下水道から警備の薄い物資貯蔵庫に侵入して、次に秘匿区画との間の壁を破る。我ながら完璧な計画だわ」

「だからって俺を掘削機代わりにするな。結構難しいんだぞ、真っ直ぐ穴を掘るって」

「その苦労はシキ君にしか実感できないから、私には響かないわね。まあ、おかげで溶断用の爆薬も節約できたし、感謝くらいならしてあげるけど」

「だったらもっと態度で示せってんだよ」


 緊張感に欠けた言い合いを繰り広げるのは、シキとリュシーカであった。壁を破壊する際に使用したらしく、シキはすでに右腕を露わにしている。

 若干げんなりした様子のシキであったが、気を取り直すと混乱で固まっている研究員の元へ歩み寄り、その胸倉を無造作に掴み上げた。

 今にも噛み付きかねない底冷えのする視線が研究員を貫き、心胆を寒からしめる。


「がはっ! な、何をするんだ!?」

「騒ぐんじゃねえよ。命が惜しけりゃ、大人しく質問に答えてもらうぜ」


 完全に悪役の台詞を躊躇なく浴びせながら、シキは握力を一段強めた。

 研究員が水飲み鳥よろしくがっくんがっくんと大きく首を振ったところで、ひょこりと顔を出したリュシーカが尋問を開始する。


「ツクモちゃんはどこにいるのかしら? あなた達の呼び方をするならば、九十九号よ」

「ほ、“翻訳機”なら、最下層の地下二十五階にいるはずだ!」

「怪我とかさせてないだろうな?」

「あ、当たり前じゃないか。折角回収された貴重な実験体なんだ。使う前に潰すような、勿体ない真似をするわけがない」

「実験体ィ? てめえ、もういっぺん言ってみやがれ!」


 研究員の言葉が癇に障ったらしく、シキから放たれる殺気が圧力を増す。

 虎の尾を踏んだことを悟り、研究員は涙と鼻水を垂れ流しにして釈明した。


「だ、だってそうじゃないか。九十九号は目的のために生み出されたんだ。それ以外の使い道なんてあるわけが……」

「はいストップ。それ以上口を開かないで頂戴ね、主にあなたの身の安全のために。シキ君、これ以上は時間の無駄よ」

「……ちっ、分かったよ」


 憤懣やるかたないシキであったが、舌打ちをすると研究員の顎先をかすめるように拳を放った。横方向の衝撃は狙い通り軽度の脳震盪を引き起こし、くにゃりと脱力した研究員をその場に投げ捨てる。


「ツクモがいるのは二十五階だったな。とっとと下に向かうぞ」

「そんなの却下に決まってるじゃない」

「姉さんに同意だね。ここから先は通行止めだよ」


 勢い込んだシキの宣言に絶妙のタイミングで否を唱えたのは、廊下の先から姿を現した少年と少女であった。

 着ている制服の男女差が無ければうっかり取り違えてしまいそうなほど似通った顔立ちは忘れもしない。病院でシキと戦い、ツクモを誘拐した張本人。双子のイングレイヴ使いであるローシィとウージゥだ。


「まさかここまで乗り込んでくるとは思ってなかったよ。横着せず、あの場で息の根を止めておけばよかった。まったくもって反省させられるね」

「もー、ウージゥは本当に真面目っ子なんだから。どうせここで倒すんだし、細かい事なんて気にしなくていいじゃん」


 好戦的な気配を隠そうともせず、二人はそれぞれイングレイヴを呼び出した。

 左右対称で配色が異なる点を除けば瓜二つな大鎧が出現し、二体のイングレイヴは使い手を守るようにシキの眼前に立ち塞がる。


 一方、シキとリュシーカは目配せを交わすと、一歩前に出たシキが腰を落として身構えた。

 リュシーカは小さく頷いて後ろに下がり、戦いに巻き込まれないためか物影へ身を隠す。


「思ったよりも早く出て来やがったが、それはそれで好都合ってやつだ。こちとらやられっ放しってのは性に合わねえからな。病院での借り、返させてもらうぜ」


 緊張を孕んだ静寂がその場に満ち、しかしすぐに失われる。

 最初に仕掛けたのはローシィの【双つ守護者】。紅色の巨体で圧殺せんと突撃し、長大な剣を力任せに叩き付けてくる。

 シキはそれを、一歩も退くことなく迎え撃った。回避でも防御でもなく迎撃。頭上に迫る超重量の殺意を、右腕一本で殴り返す。


 激突。

 初手から出し惜しみなしのぶつかり合いは、コンマ一秒にも満たなかった。

 互いに相手を押し切るには至らず、作用と反作用の働きにより両者共に弾かれ距離が開く。真っ向勝負が体勢の崩れを誘引したため、わずかとはいえ立て直しの時間が必要であった。


 ウージゥが仕掛けたのはそんなタイミングだった。

 シキの着地間際、踏ん張りの効かない空中にいる隙を狙い、もう一体の【双つ守護者】が斜め後ろから肉薄したのだ。


 どう考えても条件はシキが不利。防御しても重量差で吹き飛ばされるとあっては、残る選択肢は一つしかない。

 舌打ちを残し、身をひねりながら足元の床を殴りつける。生じた反動で軌道を上方へとねじ曲げ、振り切られた大剣を紙一重で躱してのけると、天井を蹴って床へ着地したシキは、双子に向かって改めて構えを取った。


「厄介な連携だな。気持ち悪いくらいに呼吸が合ってやがる」

「ふっふーん、当然よね。あたしとウージゥは二人で一人なんだから」

「二人で一人。つーことは、一人だと半人前って意味か」

「……あれ?」


 鳩が豆鉄砲を食ったような顔で隣を見やるローシィ。ウージゥはやれやれと溜息を吐くと、手のかかる姉をフォローする。


「違うだろ、姉さん。1+1が2よりも大きくなるという意味だって、ケイロン様が仰っていたじゃないか」

「そ、そうそう。それよ、それ」

「まあ、どうでもいいけどな。結局、お前達二人とも片付けなきゃいけない事には違いないわけだし。ああ、大人しく道を譲るってんなら、怪我とかせずに済むかもだぜ?」

『冗談』


 一音たりともブレることなく双子が唱和する。

 予想通りの返答に、地を這うような低い体勢を取ったシキは、眼光鋭く二体の鎧型イングレイヴを凝視すると、今度は緩やかに弧を描くような軌道で接近を試みた。狙いは青い方、ウージゥの操る【双つ守護者】だ。


 シキの右腕がイングレイヴすら砕く破壊力を秘めているのは、この場にいる者達にとっては公然の事実。ゆえにウージゥも重心を低く構え、盾を全面に押し出した防御の構えで迎え撃つ。

 その後ろでは、弟が攻撃を受け止めた隙に一撃を加えんと、ローシィのイングレイヴが大剣を振り上げて備えていた。


 だが、双子の目論見は完全に外されることとなった。

 シキの打撃が盾に接触し、このままでは防御を突破できないと直観したと同時、力任せに押し込むのではなく掴んできたのである。


「!!」

「押して駄目なら引いてみろってなあ!!」


 そのまま引き込むように腕を振るう。

 押し返すつもりで前掛かりとなっていた青の大鎧は、重心を崩され対応することができず、つんのめるようにして投げ飛ばされた。


 この戦いで初めて、双子の連携に狂いが生じる。

 慌てて大剣を振り下ろしてくるローシィだったが、苦し紛れの牽制などシキの予想を超えるものにはなりえない。

 完全に見切って皮一枚で避け、的を外した唐竹割りが床を砕くのを尻目に、相手の懐に潜り込むや満を持しての右ストレートが振り抜かれる。


 メギッ!!


 拳から伝わる破壊の感触。

 ようやく入ったクリーンヒットは、見上げるほどの上背を誇るイングレイヴですら、軽々と吹き飛ばしてのけた。重力が真横に向かって働いたかのように、大鎧は紅い彗星と化し、通路の壁へと埋め込まれる。


「かふっ! ……やって……くれるじゃない!」


 ローシィが片腹を押さえて苦悶の声を漏らす。イングレイヴの受けたダメージが使い手にもフィードバックされたのだ。

 確実に痛打、しかし決定打までには至っていない。よろけながらも立ち上がってくる紅い大鎧にとどめを刺すべく、シキは床の上を素早く駆け抜け、まだ迎撃態勢を取ることのできない【双つ守護者】の背後に回り、無防備な首元へ手刀を繰り出そうとする。


 が、その寸前、盾を構えた青い大鎧が、姉をかばって飛び込んできた。

 追撃の好機を阻まれ、シキは舌打ちだけを取り残し、深入りを避けて後方へ下がる。

 ウージゥは最大限の警戒をしたまま、うずくまる姉に言葉をかけた。


「大丈夫かい、姉さん」

「このくらい平気……と言うと強がりになっちゃうわね。あんたが間に合っていなかったら、結構ヤバかったかも」


 呼吸を整えたローシィが、負傷の具合を検分しつつ、弟の肩を借りて立ち上がる。

 その視線の先には、虎視眈々と隙をうかがうシキの姿があった。少しでも気を抜けば、荒野に生息する凶暴な獣さながらに、あっという間に喉笛を喰いちぎっていくだろう。現実にはそこまで人間離れした真似はするまいが、もしやと思わせるような野生の気配を纏っている。

 そんなシキという名の獣は、ここが勝負所と判断したのか、ローシィがダメージから回復する前に新戦法を繰り出すことに決めた。


「追いつけるもんなら追いついてみろよ」


 挑発するように不敵に言ってのけるや、漆黒の右腕で床を叩く。反動で天井まで飛び上がると、続けざまに今度は天井を殴りつけ、矢のように廊下を横断したかと思えば、今度は壁を床代わりに鋭角に反射していた。


 双子が相手の狙いを察した時にはすでに遅い。シキの姿はピンボールさながらに室内を縦横無尽に跳ね回り、あまりの速度に視界の端を影が高速で行き過ぎるだけとなる。

 速度のアドバンテージに不規則な軌道という要素を上乗せし、隙を突いて致命の一撃を叩き込もうという魂胆に違いあるまい。


「姉さん、迂闊に飛び出したら狩られるよ。ここは防御を固めるんだ!」

「言われなくても分かってるわよ!」


 阿吽の呼吸で背中合わせとなり、姉弟は三百六十度全方位への視界を確保する。

 反撃を一切考えていない完全な防御の構え。さすがにここまでがっちり固められてはシキも手の出しようがないのか、周囲を目まぐるしく跳ね回りながらも、なかなか仕掛けてこようとはしない。


「ふふん、あたし達二人を同時に相手に回して、そう簡単に倒せると思わないことね!」


 強気に言い切る姉の台詞に、ウージゥはふと違和感を抱いた。

 イングレイヴ使いの戦闘スタイルには、使い手の性格が色濃く反映される。

 それにも関わらず前回と今回では、シキの戦い方がまるで別人のように感じられたのだ。例えば、ローシィとウージゥが防御態勢にあったとしても、どうにかしてその守りをこじあけようと試行錯誤して来る方が、よほどシキという人間らしい。


 その違和感を解明する手掛かりが、姉の言葉に含まれていた気がしたのである。

 簡単、倒す、同時……二人?

 思考が奔り、推測を織り成す。

 戦闘に集中していたため頭から抜け落ちていたが、連中は二人組。侵入者はもう一人いたはずではなかったか。

 思い返してみれば、同行者らしき女が後方に下がって行ったのを、ウージゥは確かに目撃していた。


「っ!!」


 同行者の姿がどこにも見当たらない。

 慌てて手元の端末をこの階層の監視カメラと同期させ、血眼になって探してみれば、その結果は予感を確信へと昇華させた。


 穴だ。

 シキの猛攻により釘付けとなっている現在地からさして離れていない場所で、人間一人ならば通り抜けられるくらいの大きさの穴が、ぽっかりと床に口を開いていたのである。

 縁の焦げ跡から判断して、建材溶断用の爆薬によるものとみて間違いない。要するにシキと双子が戦っている間に、女は一人で先行していたというわけだ。


 敵の突破を許してしまった焦燥を顔色から察したのか、高速移動を繰り返すシキが感心したようにこぼした。


「へえ、もう気付いたのか。こいつはたまげたな」


 直接的な肯定でこそないが、その声音に含まれた余裕の響きはウージゥを更に煽り立て、決断させるには十分だった。


「姉さん、ここは任せた! こいつは足止めだ。本命はとっくに先に進んでいる!」


 言うが早いか姉一人を取り残し、彼は踵を返して階段へと向かう。

 陣形が崩れた好機を見逃すはずもなく、背を向けたウージゥに襲い掛かるシキ。ローシィのイングレイヴが、そうはさせまいと体を張って迎撃する。

 それら一切合切を背後に置き去りにして、ウージゥは下層へと続く階段へ身を躍らせた。

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