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水面下の楼都1

 見上げても天井まで視界が通らない暗がりの中、シキはぽかんと大口を開けていた。


「隔絶の壁の中ってのはこんな風になってたんだな。ただの鉄の塊だと思ってたぜ」

「仮にも旧世界の遺産ですもの。防衛機構の他にも、全自動でメンテナンスする仕組みとかあるらしいわよ……あっ、ちょっと静かにしていて」


 物珍しそうに助手席から頭を出していたシキを襟首掴んで引き戻し、リュシーカは通行希望者を厳しく見張っている警備員へ、二枚のプラスチックカードを手渡した。

 受け取った警備員はカードを読み取り装置にかけ、申請書の顔写真と違いがないか目を皿のようにして見比べる。その他にも諸々の検査を経てようやく許可が下りたのは、たっぷり二十分は足止めを食った後だった。


 仏頂面でカードを返却する警備員へ愛想よく会釈したリュシーカは、再び物見遊山状態になっているシキの後頭部を小突き、アクセルを踏み込む。

 市街区でも走行可能な静穏基準をクリアしている電動車は、一切の揺れを感じさせることなく滑らかに発進し、ようやく二人は楼都へ足を踏み入れた。


 そこに広がっていたのは別世界だった。

 舗装され小石一つ落ちていない道路には、二人が乗っている車が野暮ったく見えてしまう流麗な乗り物が、自動操縦で整然と行き交っている。


 道路脇にずらりと立ち並んでいるのは、漆喰やレンガでは到底実現不可能な、継ぎ目の見当たらない一枚岩のごとき壁面で構成された建造物だ。

 その高さは租界の家屋と比べればまるで大人と子供で、見上げていると首が痛くなってしまいそうになる。


 お洒落な街中を颯爽と歩く人々も、租界人とは別種の生き物であった。

 手足の本数や目鼻口の位置関係が異なっているわけではないのだが、パーツの一つ一つが作り物じみて形を整えられており、肌のきめ細かさや艶やかな光沢を放つ衣服と相まって、まるで人形の街に迷い込んでしまったかのように錯覚させられてしまう。

 なるほど、普段からこういう光景を見慣れていれば、壁の外に住む人々を見下してしまうのも、少しだけだが理解できる気がした。

 ただし、シキ以外は。


「ちっ、気に食わねえ街だな。どいつもこいつもお高くとまりやがって」

「どうどう。無暗に苛ついても意味無いんだから、今は我慢しなさい。ツクモちゃん救出が遠のくわよ」


 それを持ち出されては引き下がるしかなく、シキは舌打ちをこらえると座席深くへ身を投げ出した。

 不貞腐れた視線が、外観だけは美しく揃えられた街並みへ再び向けられ、不意に遠方のとある一点で停止する。

 シキの目が釘付けとなったのは、ともすれば隔絶の壁よりも高いとすら思われる巨大な塔であった。真っ白な建材と無数の強化ガラスで構成されており、光を拡散、反射している壁面は陽光が降り積もったかのようにキラキラと輝いている。


 もちろんシキにとっては初めて目にする建物なわけだが、事前にレクチャーを受けていたため、見間違えるような失敗は万に一つもあり得ない。

 あれこそが楼都の要。威容を誇る光輝の塔へ、焼けつくようなシキの眼差しが注がれる。

 ギラギラと、爛々と、あるいは虎視眈々と。瞳に秘められた熱量は、隠しようもないほどに昂った気迫の表れだ。


「あれがシーリングタワーか」


 親の仇もかくやといった凶相。

 体の奥から湧き上がる目的地に近付いたという実感に、全身の血が暴れ出しそうになる。とはいえ遠目に眺めただけでこの調子では、さすがに入れ込み過ぎだ。

 かろうじて頭の片隅に残っていた冷静な部分の警告に従い、気を鎮めるため緩く長い呼吸に切り替えながら、シキは半日前のレクチャーを思い出すことにした。


       ◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「それじゃあツクモちゃんの奪還計画について説明するわよ」


 セーフハウスの一室に設置されたホワイトボードの前に立ち、伊達眼鏡とタイトスーツを着こなしたリュシーカが指示棒片手にそうのたまったのは、病院での襲撃から一夜明けてのことだった。

 一刻も早くツクモの救出に向かいたいシキであっても、この場面においては心の底から溢れ出てくる感想を抑え込むことなど到底不可能であり、ついつい口にしてしまう。


「そのけったいな格好は何かのまじないか? 女教師スタイルとか言ってたが」

「様式美よ、様式美。ちょっとした験担ぎとでも思って頂戴。今回の相手は一筋縄じゃ行かないだろうから、幸運の一つや二つ祈りたくなっても仕方がないでしょ」

「……まあ、腐ってもクレイドルだからな」


 ひとまずリュシーカの衣装の奇抜さには目をつむることにして、頭を切り替えたシキは真面目な顔で頷いた。

 双子が名乗った所属名。楼都の治安を守るはずの対イングレイヴ特殊部隊が、何を考えてツクモをさらったのかシキは知らない。知りたいとも思わない。

 ただ、挑むべき敵が強大であることだけは疑いようがない。


「その通り。ツクモちゃんに仕込んでおいた発信機から、クレイドルの本拠地であるシーリングタワー、その地下二十階近辺にツクモちゃんは囚われていることが判明したわ」

「はい先生、質問です」

「何かしら、シキ君」

「さらっと発信機仕込んだとか抜かしてんじゃねえよ。まさかとは思うけど、俺にも妙な小細工仕掛けたりしていないだろうな?」

「失礼な言い草ね。可憐なツクモちゃんならともかく、むさ苦しいシキ君にそんな手間掛けるわけないでしょ。それにツクモちゃんに発信機を持たせておいたのは、万が一にも敵の手に落ちてしまった時の用心のためよ。現在進行形で役に立っているのだから、ここは文句ではなくお礼を言う場面ではなくて?」


 一歩も引き下がることなく堂々と言い切る。この瞬間に限っては一理あるため、全面的に納得とはいかないながらも、シキは渋々矛先を収めた。


「それでシーリングタワーだっけか。どんな建物なんだ?」

「地上百二十階、地下八階から成る楼都において最も高い建物よ。最上階なら隔絶の壁すら眼下に見る、と言えば伝わるかしら」


 租界人にとって比類なき巨大構造物である隔絶の壁よりも、更に高いと聞かされれば、その桁外れっぷりにも実感が沸くというものだ。もっとも、ツクモが囚われているのは地下区画らしいので、地上部分がどれだけ飛び抜けていても関係は無いのだが――


「ん? 地下八階? 確か、発信機の反応があったのって……」

「気付いたみたいね。公開されているタワー見取り図には、地下八階までしか記載されていないのよ。でも発信機の反応は地下二十階相当の深度から。これが何を意味すると思う?」


 考えるまでもない。地図に載っていない非公開の階層があるということだ。ちんけな隠し部屋などではなく、フロアにして十階以上に相当する広大な空間が。

 それらを攻略しなければならない手間を想像して渋面となるシキに、リュシーカは満面の笑みを添えてウィンクをしてみせた。


「安心しなさい。侵入経路の選別と内部構造の把握は済んでいるから」

「おお、さすが自称凄腕の情報屋!」

「自称は余計よ、凄腕なのは事実です。それにシーリングタワーは、どの楼都でも基本設計は共通しているもの。秘匿区画であっても、傾向に大差は無いわ」

「その言い方だと、リュシーカはよその楼都でもシーリングタワーに忍び込んだ経験があるみたいだな」


 何気なく放たれたシキの一言に、リュシーカは刹那の間だけ硬直する。

 が、振り向いた横顔にはすでに不自然さは残っておらず、元々何の気なしに言ったシキも小さ過ぎる反応を察知することはなかった。


「……ええ、大船に乗ったつもりでいて頂戴。それと念のため補足しておくと、シーリングタワーはクレイドルの本拠地ではないわ。正しくは、治安維持を任務とするクレイドル内の一部隊、黒金の座の駐留拠点よ。楼都人でも区別している人は少ないから大丈夫だと思うけど、間違った知識がきっかけで作戦に支障が出てもつまらないから、一応訂正しておくわね」

「はーん、クレイドルにも色々と種類があったのか。ちなみに他には、どんな部隊があるんだ?」


 問われたリュシーカは、頬に指を添えて思い出す仕種をすると、指折り数えてみせた。


「意思決定機関である黄金の座、最精鋭とされる白金の座、研究を主とする赤金の座。有名どころだとこの辺りかしら。もっとも人数だけなら、各地の楼都に駐留している黒金の座が最大だから、クレイドル=黒金の座、みたいな勘違いが多いのも仕方ないかもしれないわね」

「ほうほう、なるほど。ちなみにツクモを攫ったのが黒金の座だとすると、作戦が変わったりとかするのか?」

「え、何の関係も無いわよ? 単に私が説明したかっただけだし」

「おい、こら」

「冗談よ。私の推測が正しければ、今回の件に絡んでいるのは黒金の座の中でもごく一部に限られるわ」

「?」


 リュシーカの言わんとするところが理解できず、シキは疑問符を浮かべてしまう。

 予想通りの反応だったらしく、リュシーカは勿体ぶることなく簡潔に答えを明かした。


「今回のクレイドルの動きには、どう考えても越権行為が多過ぎるのよ」


 イングレイヴ使いを租界の非合法組織に派遣している時点で、限りなくブラック寄りのグレーなのだが、その目的が幼い少女の誘拐となれば、これはもうアウトどころの騒ぎではない。

 その上、人口密集地でイングレイヴ戦をやらかし、衆目を気にせず暴れ回ったとなれば、本来の活動目的である治安維持に真っ向から喧嘩を売っているようなものだ。


「そしてもう一つ、ツクモちゃんを攫ったイングレイヴ使いが言っていたのよね。ケイロンに褒めてもらうって」

「ああ、間違いない」

「ケイロンというのは、カナドメ支部で相談役の地位にある男の名前よ。そいつが首謀者だとするならば、クレイドル全体が敵である可能性はぐっと低くなるわ」

「うん、さっぱり繋がりが飲み込めん」


 正直、新しく聞かされた単語だけで頭がいっぱいいっぱいで、リュシーカの説明は半分も入って来ていない。確かカナドメというのは、東亜租界と隣接している楼都の名前だったはずで、そんでもってケイロンって奴はそこの相談役で……?


「カナドメ支部の部隊長は、超が付くほどの熱血バカで有名なの。そんな人物がツクモちゃんを狙って陰謀を巡らせるだなんて、違和感バリバリだと思わない?」

「んあー、言われてみりゃそうだな」

「でも、ツクモちゃん絡みの諸々が全部ケイロンの差し金だったなら、その違和感にも説明が付くのよ。部隊長のアイゼンは、どこかの誰かさんがドルトン・ギャングを潰した余勢を駆って、大部隊を引き連れて遠征中。その隙を狙って動いたとすると、裏返せばこれまでは大っぴらに行動できなかったという意味になる。これは本当の意味でケイロンに与している隊員は少数であり、下手に動いて多数派に勘付かれるわけにはいかなかったからと考えられるわ」


 事実と論理を順番に積み上げ、相手の内情を一つずつ白日の下に晒していく。まさしく情報屋の面目躍如といったところだろう。


「なるほどな。つまりこう言いたいわけだ。俺達の弱点は、数の暴力で手が回り切らずに押し切られること。けど向こうの手勢も少ないなら、その危険性は低くなる。しかもあんたの予測が正しいとすると、ツクモを取り返した後は部隊長とやらが帰ってくるまで逃げ切っちまえば、俺達の勝ちってわけだ」

「あら、なかなか察しが良いじゃない。褒めてあげるわよ」


 上機嫌に頷いたところで、リュシーカはふと声のトーンを変えた。


「ところでシキ君、話は変わるのだけれど、■■■■って聞いたことある?」

「は? 今なんつった?」


 不可思議なことに、肝心の部分だけが削り取られたように抜け落ち、一音たりとも聞き取れなかった。自分でも理解できない不快感に、シキは反射的に顔をしかめてしまう。

 一方、リュシーカにとってはその反応で十分だったらしく、納得したように「なるほど、こうなるのね」と呟いた。


 普段からシキに対して雑な扱いが多いリュシーカではあるが、どうもそれとは雰囲気が違っている。いつもは隙あらば人を小馬鹿にしてくる感じであり、今回のように意味ありげに言葉を濁すのは、何というか『らしくない』反応なのだ。


「イングレイヴの構成要素には、大抵の場合は使い手の血液が用いられる。でも、それは絶対のルールじゃない。必要なのはイングレイヴ使いとの繋がりで、だからこそ自身の一部を媒介として消費する<代償>は、通常以上の出力をもたらす……」

「おい、いきなりぶつぶつ言い出すなよ」

「確かに理論上は可能。でも、身体の欠損とは似て非なる事象だわ。前例だって……いえ、アレを前例と考えれば辻褄は合う、合ってしまう。つまり――」

「いい加減にしやがれ」

「痛っ、何するのよ!!」


 しびれを切らせたシキのデコピンが、己の内へと没頭していたリュシーカの眉間に打ち込まれた。

 さすがにこれには我に返らされたようで、うっすらと赤くなった箇所をさすりながらリュシーカが抗議の声を上げる。

 しかしシキは、一歩も退くことなく腕を組むと堂々と主張した。


「俺を無視するからだろ。勝手に意味不明な事を言い出しやがって」

「むう、それには謝罪するわ。でも、私の緑黄色の脳細胞に傷がついたらどうしてくれるのよ」

「本当にそんな色だとしたら、お前の脳味噌は最初から腐ってたって意味だな」

「失礼ね。美容と健康に良さそうじゃない」


 いつの間にか日常となりつつある掛け合いに誤魔化され、リュシーカがシキへ向ける視線にこれまでとは異なる色が混ざり込んだことに、シキが気付くことはなかった。

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