公爵夫人が魔女に扮して夫にスープを飲ませ、「スープに入ってるのはあなたの大切な人の肉よ」と言ってみた
ある日の午後、公爵夫人ステラ・リンゲンは邸宅に一人きりだった。
夫アルバートは城に出向いており、息子カインは宿舎のある貴族学校に通っている。使用人の青年トーマスは、ペットである犬のジョンを散歩中だ。
これといった予定もなく、暇を持て余してしまう。
「あ、そうだわ。この間買ったホラー小説でも読もうかしら」
ステラは小説を読み始める。
主人公である青年が魔女と出会う。魔女は肉の入ったスープを差し出し、青年はそれを美味しく平らげる。食事を終え、青年は魔女に問いかける。
『ずいぶんおいしい肉でしたね。なんの肉なんです?』
『知らない方がよろしいですよ』
しかし、青年がしつこく食い下がるので、魔女はにっこりと教える。
『あなたの大切な人の肉ですよ』
青年は気づいてしまう。これは自分の恋人の肉だと――
「いやぁぁぁぁぁっ!!!」
小説のあまりの恐ろしさに、悲鳴を上げるステラ。
「どうしました、奥様!?」
悲鳴を聞いたトーマスが駆けつける。
「なんでもない……なんでもないのよ」
ホラー小説を読んだことを後悔するステラだった。
その夜、ステラは夫アルバートと共に寝室で眠りにつく。
しかし、用を足したくなってしまう。
トイレまで行くには、暗い通路を歩かねばならない。いつもならさっさと行ってしまうのだが、この日のステラは昼間に読んだホラー小説を思い出してしまった。
恐怖が彼女を縛り付ける。とても一人でトイレなど行けない。
そこでステラは隣のベッドに眠っているアルバートを揺り動かす。
「ん~? なんだよ……ステラ……」
炎のような赤髪を持ち、凛々しい顔立ちのアルバートだが、この時ばかりは寝ぼけており、どこか間の抜けた表情をしている。
そんな夫にステラは頼み込む。
「あのね……一緒にトイレ行ってくれない?」
「はぁ?」
「昼間に読んだ小説が怖くて……お願い!」
「バカバカしい……トイレぐらい一人で行ってくれ……。むにゃ……」
寝返りを打ち、アルバートは再び夢の世界に戻ってしまった。
「なんて人なの……!」
アルバートの協力を得られなかったステラは、恐怖に耐えながらどうにかトイレに向かうのだった。
そして、自分の夫に対してこう思った。
「恐怖に怯える妻を助けてくれないなんて……なんてひどい人なの。だったら、この人にも恐怖を味わわせてやるんだから!」
***
次の日、ステラは町に出かけると、馴染みの服屋を訪れる。
「いらっしゃいませ、奥様。相変わらずお綺麗で」
「うふふ、ありがと」
ステラはあでやかなブロンドヘアを持ち、それを丁寧にロープ編みし、社交界からも一目置かれる美貌を持っている。
「公爵夫人ステラ」に憧れる淑女は数多い。
服屋の主人も、今回もさぞ豪華なドレスを所望されるのだろう、と踏んでいたのだが――
「真っ黒なローブを作ってちょうだい」
「へ……?」
意外な注文に、呆気に取られる主人。
「私、わけあって魔女に変装したいの。だからお願い!」
理由を詮索するわけにもいかず、すぐさま主人は黒いローブを作り上げた。
これを着たステラは、普段の高貴な美しさとはまた違う、妖しげな美貌を携えていた。
「これは素晴らしい。夫人は何を着ても似合ってしまいますな。アルバート様もお喜びになるでしょう」
この言葉にステラは首を振る。
「いいえ、これから私はあの人を恐怖のどん底に突き落とすのよ」
早くも魔女になりきってニヤリと微笑むステラに、服屋の主人は絶句するしかなかった。
……
さらにステラは知り合いの大工職人を訪ねる。
「これはこれはステラ様、なんの御用で?」
「家を建ててちょうだい」
「家……ですかい?」
「ええ、私の主人が必ず通る道があるんだけど、そこに一軒の家を建てて欲しいのよ」
「分かりました……」
さっそく大工はステラが指示した場所に向かい、家を建て始めた。
流石の仕事ぶりで、程なくして小屋が出来上がった。
「素晴らしいわ……! 魔女の家っぽい!」
「魔女の家……?」
「ええ、私は魔女になるのよ」
ステラの言葉に、大工は首を傾げるしかなかった。
***
小屋を建て、黒いローブで魔女に扮し、夫を待ち受けるステラ。
まもなく日が沈むという時刻、予想通り夫のアルバートが歩いてきた。彼は移動の全てを馬車に頼らず、ある程度の距離は歩くことを習慣としていた。
貴族としての正装をまとい、威厳と品格に包まれた貴族の鑑というべき風貌だった。
「来たわね……!」
ステラは魔女の格好で、アルバートの前に姿を現す。
「……?」
アルバートはきょとんとしている。
ここからステラの魔女演技が始まる。
「ヒ~ッヒッヒ、美味しいスープはいらんかえ?」
「スープ?」
「ええ……私が作ったのよ!」
「……」
アルバートはしばらく考えてから、うなずいた。
「お腹もすいているし、いただこうか」
アルバートを家の中に招き、ステラは用意していたスープを差し出す。中には肉が入っている。
「さあ、お食べ」
「いただきます」
アルバートは用意されたスプーンを使い、瞬く間にスープを平らげていく。
「おいしかったかぁい?」やや演技過剰のステラ。
「うん、おいしかったよ」
「ヒ~ッヒッヒ、それはよかった……。じゃあ、スープの肉がなんなのか気になるでしょう?」
ステラが聞くと、アルバートは冷めた口調で答える。
「いや、別に……」
ステラは顔をしかめる。ここで「気になる」と言ってくれなければ、話は始まらない。
「気になるでしょう?」
「いや……」
「気になるでしょう!?」
「気になるね」
ステラのごり押しが成功した。
待ってましたとばかりに、ステラはあらかじめ用意していた台詞をぶちかます。
「今あなたが食べた肉は……あなたの大切な人の肉よ」
アルバートは沈黙すると、すぐさま目を見開いた。
「な、なんだって!? 大切な人の……肉!?」
「そうよ。あなたは取り返しのつかないことをしちゃったのよぉ!」
ステラは高笑いする。今や完全に魔女になりきっており、ノリノリである。
「そ、そんな……私はなんということを!」
後悔するアルバートを見て、ステラはほくそ笑む。
「我が息子カインを……! 食べてしまったのか……!」
「え!?」
アルバートは息子カインの肉だと判断したようだ。予定と違う。
「ちょ、ちょっと待って。カインは今学校にいるでしょ。こんなところで肉になるわけないでしょ」
「え、ああ、カインの肉じゃないのか」
「そうよ、あなたの大切な人といえばもちろん……」
「私の……母か!」
またしても違う人物が出てきた。
「よくも母を殺したな!」
「違う違う! あなたの母親の肉じゃない! あんなお優しい人をスープになんかしないわ!」
「じゃあ……父か! なんてことを……!」
「父でもない!」
ああもう、なんですぐ私の名前が出てこないのよ、とステラは苛立つ。
「じゃあ、誰の肉なんだ……? 分からない……!」
アルバートが悩んでいるので、ステラはヒントを出す。
「ヒントは……あなたがよく一緒にいる人よ!」
「分かった……トーマスか! 彼にはいつもお世話になってる……!」
「違う!」
大声を出すステラ。
「じゃあ、ジョンか! 私は愛する犬の肉を食べてしまったのか……!」
「違ぁう!」
使用人とペットの名前は出たが、一向に自分の名前が出てこない。
「分かった……国王陛下か!」
「違うってば! 大事件すぎるでしょ!」
「私の親友の……マーカスか!」
「違うっつーの!」
「となると……ポッポルさんか!」
「誰よそれ!?」
何度やり直しても、全然名前が出てこない。
ステラはアルバートに「私は妻の肉を食べてしまったのかぁ!」と言わせたいのに――
こんな問答が10分ほど続き、アルバートは答えにたどり着く。
「分かった……ステラか!」
やっと自分の名前が出たので、ステラは歓喜する。
「ピンポーン! 大正解! あなたは愛する妻の肉を食べてしまったのよぉぉぉぉぉ!!!」
「ところでステラ、美味しい鶏肉のスープだったよ。また腕を上げたね」
「あらホント? 嬉しいわ……ハッ!」
ステラは見事に引っかかってしまった。
「ち、違う……私は魔女よ! ステラなんかじゃない!」
「いやー……こうまで綺麗に引っかかると気持ちいいな」
アルバートは喜び半分呆れ半分という表情である。
もちろん、スープの具材が鶏肉というのも当たっている。それも上質なものである。
ステラは観念したように、アルバートに尋ねる。
「いつから……? いつから私がステラだって気づいてたの……?」
「大変申し訳ないんだけど……最初から」
「さ、最初から……!」
ショックを受けるステラ。
「私たちはいつも一緒にいるんだよ? ちょっと変装して、化粧したぐらいなら気づくって……。声も同じだし」
「あうぐ……!」
ダメ出しをされまくり、ステラは黙り込んでしまう。
そして、アルバートは魔女姿のステラをそっと抱きしめる。
「それに、君は私の大切な人だ。どんな姿になろうと、気づいてみせるさ」
「あなた……」
アルバートの腕と胸板の感触を存分に堪能するステラ。
夫に恐怖を味わわせることはできなかったが、夫からの愛情をたっぷりと味わうのだった。
***
一ヶ月後、学校が長期休暇に入った息子カインが、リンゲル家の邸宅に戻ってきた。
「ただいまー」
カインは父譲りの赤髪と整った顔立ちを持ち、学校ではサッカークラブでエースとして活躍している。当然モテるが、まだまだ女子にチヤホヤされるより、男子との付き合いが楽しい年頃だ。
そんな息子を、ステラが温かく迎える。
「お帰りなさい、カイン! 学校は楽しかった?」
「うん、ぼちぼち」
久しぶりに会う母にもそっけない返事をする。この年頃の男子ならばむしろ健全といえる。
「今夜は鶏肉のスープだから、楽しみにしててね!」
「う、うん」
妙にテンションの高い母に、戸惑ってしまうカインだった。
夜になり、ステラ、アルバート、カイン、そして使用人トーマスで食卓を囲む。
予告通り、鶏肉のスープが出される。
スープを一口飲むなり、アルバートは――
「美味しいよ! さすが、私の大切な人が作ってくれたスープだ!」
「ありがとう! 私の大切な人のお口に合って、嬉しいわ!」
ステラはカインにも意見を求める。
「どう? おいしい?」
「う、うん……おいしいよ」
戸惑いつつも、率直な意見を述べる。
「ありがとう! あなたももちろん、私の大切な人よ! トーマスもね!」
「さすがはステラ! この世に君ほど素敵な人はいない! 愛しているよ!」
「私もよ!」
夫婦の目はキラキラと輝いている。
まるで出会ったばかりの頃に戻ったかのように。
さすがに不審に思ったカインが、トーマスに尋ねる。
「ねえ、母上も父上もどうしちゃったの? テンションがおかしいんだけど……」
「私もよく分かりませんが、一ヶ月前ぐらいから急にお互いを熱く愛し合うようになって……。きっとお二人にしか分からない“何か”があったんでしょうね」
「ふうん……。まあ別にいいけど」
両親の仲がいいことは悪いことではない。
カインは母の作ってくれたスープを飲み、少し嬉しそうに微笑んだ。
完
お読み下さいましてありがとうございました。