始まりの下校
鉄仁に駆け寄り、心音と呼吸を確かめる緑川。
「……ん、息ヨシ、脈ヨシ。とりま安心丸」
「よかった……」
胸を撫でおろす黒野。
しかし気を失っている以上、警戒が必要なのは間違いない。
「英也くんはこっちにいないみたい!」
鉄仁担当の右側、西側校舎の室内を一通り確認し終えた海花が報告する。
「ということはあっちの方だね」
黒野が東側を指してそう言うと、海花は駆け出し始めた。
「あ、待って!えっと、あ、青井さんと緑川さん、だったよね。二人はここで、き、黄瀬くんを見てて、くれないかな」
鉄仁が動けない状態である以上、英也探しに全員投入は不可能。
二人に鉄仁を連れて学校へ戻ってもらうことも考えたが、まだ一階のどこかにシェトマがいるかもしれない。
幸い、今この二階西側の校舎にはゼツボウのメンバーがいない。
黒野はこれらを総合し、ここで待機してもらうのが現状の最善と判断した。
「でも」
「し、白道くんと、入れ違いになるかもしれないから……」
黒野は別途考えていた理由を口にしてその場から離脱した。
残された三人。鉄仁の目を覚まさすために、緑川は話しかけ続けていた。
「もしもーし、おいおいおーい」
鉄仁は電池の切れたおもちゃのようにピクリともしない。
「あーしじゃダメぽよ?うーん、やっぱ鉄ちゃんは海花っちじゃないと無理系かぁ?贅沢ボーイよのぅ」
緑川はちょっと残念そうにやれやれと両手を上げ、鉄仁起こしを海花と交代する。
「え?わ、私、気絶してる人の処置なんて分かんないよ?」
「あーしが見てっから!ちょいやってみー」
海花はおそるおそる鉄仁に近付き、小声で名を呼んだ。
「て、鉄くん、おーい」
……。
何も起こらない。
「ダメかぁー」
「い、今ので何を期待したの!?」
「うーん、愛のパワー?」
緑川は他に何か出来ないかと頭を捻る。
ふと鉄仁が握っているフィギライトが目に入った。
「これは……?」
海花に質問してみるが、当然分かるわけもない。
「何それ?ペンみたいな……何だろう」
「そういや黒野っちもおそろ持ってなかった?」
医師を目指しているという緑川の観察力は相応に培われているようだ。
一目で視界から得た情報を分析し、整理している。
「そうだっけ?」
「絶対持ってたに一億ゴールド!」
「うーん、黒い何かを持ってたのは覚えてるけど」
「それそれ!それよ」
「え、でも色が」
「色違いじゃね?」
フィギライトに興味を示しつつ、女子二人は鉄仁を起こし続ける。
応接室からの脱出に成功した英也は、ひとまず鉄仁と合流するため、登ってきた階段の方へと駆けていた。
東西にある建物を南の教室棟で接続するコの字型の構造になっているため、東西の校舎を行き来するためには南の建物を経由する必要がある。
その南にある教室棟への曲がり角の少し手前。
「……」
運悪く、英也は二階に上がって来たシェトマと鉢合わせた。
英也は足を止め、シェトマの状態を確認する。
黒野との戦闘で両腕が使えない状態になっているシェトマは、まだフィギライトを口に咥えたままだ。
「……」
何かを不審に思ったのか、英也を睨むシェトマ。
英也の胸ポケットにある未覚醒のフィギライトを一瞥すると、特に何をすることもなく足早に応接室の方へと立ち去って行った。
「黒野くんが、勝ったってことか……?」
これまでの対峙とは違い余裕を見せない彼の所作から状況を考察する英也。
それと同時にシェトマが応接室に着くことが何を意味するのかを察した。
「まずい、早く戻らないと!」
現状、無相がここにいないことを明白に知っているゼツボウメンバーは詩音しかいない。
将斗が気付いているかどうかについては定かではない状況だ。
英也は西側校舎へ急ぐ。
角を曲がると、少し先に黒野の姿を確認した。
「白道くん!」
黒野が駆け寄ってくる。
「黒野くん、鉄仁は……?」
「……い、今は大丈夫」
俯いてバツが悪そうに話す黒野。
「今は、って何かあったってこと?」
「……た、倒れてたんだ。向こうで」
「え……」
「い、今は、駆けつけてくれた二人に、その……様子を見てもらってる」
「駆けつけてって、こんなところに一体誰が」
「とにかく、ひとまずこっちへ!」
「う、うん。分かった」
来た道を引き返す黒野についていく英也。
そして鉄仁を見守る女子二人と合流した。
「み、海花!?それに緑川さんも!」
「あ、英也くん!」
「やほーひでっち」
女子二人は倒れている鉄仁を挟む形で周囲を警戒しているようだった。
見れば鉄仁は海花に膝枕されている状態だ。
「……な、何してるの?」
「あー……、いや、鉄ちゃん起きないから色々試してて」
「な、なるほど」
鉄仁の表情がどことなく幸せそうに見えるが、確かに気絶しているし気のせいだろう。
「みんな、すぐにここを離れよう!無相くんはもうここにはいない!」
英也は情報を展開する。
「そ、そうだね。白道くんも揃ったし、早く、出よう」
黒野も同意する。
「鉄ちゃんどーするん?」
「僕が背負っていくよ」
英也は鉄仁を海花の膝枕から引き剥がして両腕を肩に掛けるようにして背負い込む。
「黒野くん」
「あ、う、うん。持ち上げるよ」
英也の後ろからアシストして鉄仁を英也におんぶさせる。
「よし、行こう」
英也たちは階段を下り、そのすぐ近くにある玄関から廃校舎の外へと出ることに成功した。
「……やけに簡単に出られたね」
「ラッキーっしょ?んなこともあるって」
ことが上手く行きすぎて心配する黒野の背中をバンバン叩く楽観的な緑川。
「な、何も、ないといいけど」
「……今は、戻ることに集中しよう」
廃校舎屋上で煙を吐くグェンと付き添うカフ。
二人とも錆びたフェンスに背を預けて話していた。
「『希望』をこうまでして連れてくる必要はあったのか?ボスのこだわりか?」
「我々が『絶望』たる所以ですよ。『希望』を欲するからこそ、この名を付けた。ボスのお考えは純粋かつ真っ直ぐです」
「……曲がらねぇってのは生き苦しそうだな」
「ボスは……シェトマは昔からそういう人です」
カフは冷め切ったコーヒーを一口飲み、グェンの煙草の代わりにため息を吐く。
「全てはボスの作戦通り。想定では今頃……」
日の入りが間近に迫る時間帯。ふとフェンスの外に目を向けたカフの視線が、廃校舎から走り去る英也たちを捉えた。
「……」
「おい、どうした?」
急に黙り込むカフに声をかけるグェン。
「……ふ、ハハハ!本当に凄い、やはりシェトマについて正解だったよ」
人が変わったように笑うカフに少し引きながら、グェンもカフの視線の先を見る。
「お、おい!やつら……あ?」
逃走する英也たちの中に、『希望』の姿がなかった。
「……諦めたのか?」
何かを理解したようだったカフに質問しようとしたが、カフは英也らに興味がないといった風で校舎へ戻る階段へと歩き出していた。
「おい、お前何か知ってんのか?」
「グェン。君はもっとボスのことを知った方がいい」
不意にカフがグェンの方を向いて立ち止まる。
「な、何だよ今度は急に」
「シッ!……」
人差し指を立てて口に当てるカフ。そして顔をくいっと動かして階段の方を注視するようジェスチャーする。
「……」
グェンはそれに従い、黙って指された方へ視線を向ける。
「……詩音、ちゃん?」
貯水槽の陰に、一人で何かをしている詩音がいた。