管理者のいない廃校舎
詩音は英也のポケットを目で追い始め、胸ポケットのフィギライトを見つけた。
「そ、そうなんですかぁ?『希望』さんも持っているものかとてっきり……」
そう言ってはいるが、動揺が隠しきれていない。
ところが将斗は彼女を訝しむことなく口を開く。
「はぁ。詩音姉さん、少しでいいから難しい話も理解できるようになろう?」
詩音は組織の中でも情報に疎い方なのか、特に責められるような様子ではない。
「ごめんね将斗くん。お姉ちゃん頑張って覚えます」
両手を握った状態で腕を前に出してやる気を表現する詩音。
「うん。じゃあとりあえず、まずは覚えておいてほしいんだ」
将斗は英也を置き去りにして詩音に向けて話し始める。
「『希望』さんは、フィギライトを持っていても意味がないんだ」
英也は状況が悪くなっていることを感じつつ、どうやって応接室から脱出しようか再検討し始める。
「『希望』さん、つまり『管理者』は、『ハードレム・スレイク』と『リンク』と呼ばれる繋がりを持つ人のことなんだ」
「ふむふむ」
あざとく学んでいる雰囲気を出す詩音。
将斗も聞いてもらえているのが嬉しいのか、そのまま続ける。
「『リンク』は簡単に言うと『ハードレム・スレイク』との通信みたいなもので、操作したり管理したりすることが出来る力のことなんだよ」
「なるほど……流石は将斗くん、物知りですねっ」
将斗は軽く頬を掻いて照れる。
「それで、これが重要になる部分なんだけど、『ハードレム・スレイク』は他の『スレイク』と違ってその力を封印されていないんだ。これがどういうことか、分かる?」
「うーん……」
詩音は少しの間考えを巡らせ、そして答える。
「もしかして、『希望』さんが封印の力を?」
「そういうこと。『スレイク』の力を封印する『ハードレム・スレイク』を管理するために、『管理者』に封印のための力を持たせているんだ。『ハードレム・スレイク』だって『スレイク』の一種だからね」
英也にもなんとなく理解できるものがあった。
英也にとって『ハードレム・スレイク』は初めて耳にする単語だったが、話から察するに他の『スレイク』の力を封印するためのものらしい。
そして、無相、つまり『管理者』がその『ハードレム・スレイク』と繋がるにあたって、『ハードレム・スレイク』自体の封印を制御できるようになんらかの対処が取られている、ということのようだ。
「……で、あってるよね?『希望』さん」
「……」
英也は答えず、コーヒーカップをゆっくりとテーブルに戻す。
将斗の視線が英也をロックする。
「ま、否定しないってことは正しいってことだよね」
将斗は英也の表情を読むかのようにじっと見つめ、何かを納得しように頷いた。
「あ、いつのまにか空っぽになっちゃった。コーヒーもう一杯淹れにいこうっと」
そして将斗は空になったコーヒーカップを手にして立ち上がり、応接室の隣の部屋へと入って行った。
英也はすぐさま詩音の様子を確認する。
「しょ、将斗くん、私が淹れますよぉ」
何かの罠だろうか。
こちらの正体に関わらず、監視対象を一人拘束もせず放置するのはあまりにも不用心ではないだろうか。
しかし、今の英也に他の選択肢はなかった。
「え、詩音姉さんはそこで『希望』さんを……。あーあ、行っちゃった」
「あわわっ!ご、ごめんね!」
英也は応接室を後にした。
黒野はシェトマの攻撃をかわしつつ無力化を目指し戦闘態勢に入っていた。
「その身のこなし、やはり『覚醒』しているとこういう場数を踏まざるを得なかったということでしょうか」
シェトマが黒野の動きを評する。
「どう、でしょうね……。僕が知っているのは、フィギライトを使えない状態にすれば良い、これだけです」
「なるほど。優しさという言葉が似合いそうです」
黒野がフィギライトを操作する。
【1035001】『ドミナント』!
黒野はフィギライトの先端をシェトマに向ける。
直後、フィギライトを軸とした魔法陣が展開され、その先端から不安定な和音が爆音で響いた。
耳を塞ぐ間もなく勢いよく鼓膜を揺らされるシェトマ。
止んでもなお耳に残る音に顔を顰める。
「な、なかなか秀逸なものをお持ちのようで」
皮肉に溢れたセリフを吐きつつ、フィギライトを……構えられなかった。
「何……?」
シェトマの両腕は自由に動かせない状態になっていた。
「今のあなたは、フィギライトを持っていても何も出来ないはずです」
「……やってくれますねぇ。いえ、これはこれで素晴らしいと評価すべきでしょうか」
両腕が使えなくなっても余裕を見せるシェトマ。
黒野から距離を取り、廊下の曲がり角まで下がる。
「やはり悠長に戦うのはエレガントに欠けますねぇ」
シェトマはフィギライトを持つ方の肩を大きく揺さ振り、フィギライトを地面に振り落とした。
そしてフィギライトを黒野の右方に蹴り飛ばす。
「えっ!?」
「おや?これくらいで驚いていては」
フィギライトは右側面を黒野に向けつつ飛ばされ、黒野のすぐ隣にあった壁の凸部に当たり落下する。壁に支えられるようにして自立した白いフィギライト銃。
次の瞬間、シェトマがフィギライト目掛けて急接近し、足でシリンダーを回転させた。
「これから先、命が足りないかもしれません」
黒野の右方向の空間に攻撃反応。
「くッ!」
着弾こそ逃れた黒野だが、大きく体勢を崩し、廊下に倒れ込んでしまった。
向かいの壁に当たったプラズマの弾は、大きな発砲音のような破裂音と共に消滅した。
「いやはや、今のを避けられるとは……。少々みくびりが過ぎたようです。無礼をお詫びします」
今もなお両腕が不自由だというのに余裕の表情のシェトマ。
「しかし、この腕が使えないというのは些か面倒ですね……。ここは一旦引くべきでしょう」
シェトマは堂々と撤退を表明し、自身のフィギライトを器用に蹴り上げて口でキャッチする。
「待て!この状況でそう簡単に引き下がれると」
黒野は引き止めようとフィギライトを操作し始める。
しかしシェトマは足を止めず黒野を視線に捉えたまま後方に歩みを進める。
「!」
シェトマが何かを見つけたらしくニヤリと笑う。
「な、何がおかしいんですか」
その時だった。
「黒野くんだよね!?大丈夫!?」
突然シェトマの後方の曲がり角から二人の女子高生が姿を現した。
「え」
黒野が驚きのあまり気を抜いたその一瞬をついて、シェトマは勢いよく前方、すなわち黒野の方へと駆け出す。
「あっ!ま、待っ……」
我に返りシェトマを捉えようと後ろを向く黒野。
シェトマはすでにすぐ追いつけそうにない距離まで離れてしまっていた。
「……ダメか」
黒野はフィギライトを胸ポケットへと戻す。
「く、黒野っち?」
「あ……ご、ごめん!私たち、余計なことしちゃった……?」
海花と緑川は申し訳なさそうにしていた。
「……いや、だ、大丈夫。む、むしろ助かった、かな」
二人を見てなんとなく状況を察した黒野。
「もしかして、無相くんと僕たちを探しにここまで?」
「そ、そう!そうなの!英也くんは!?」
黒野の質問に食い気味に答える海花。
「白道くんと黄瀬くんは、少し前から二階か三階で無相くんを探してくれてるはずだよ。僕はさっきの人とずっとここにいたから、二人が今どうなっているかまでは分かってないんだけど……」
情報を展開する黒野に緑川が切り込む。
「無相っちを?さっきクロスでバッタリよ?」
「く、クロスで……?」
「あ、交差点で会ったってこと。私も一緒に会ったよ」
緑川の通訳をする海花。
「何だって!?」
黒野は階段に向かって走り始める。
「あ、ちょ、どしたん慌てて」
海花と緑川も後に続く。
「二人とも危ない中で探してくれているんだ!いないなら早くそう伝えなきゃ!」
階段を駆け上がり、二階の廊下に出た三人。
まずは階段近くに曲がり角がある右方面へと向かった。
そして、角を曲がった矢先。
「き、黄瀬くん!?」
腹部を押さえた状態で倒れている鉄仁を発見した。