解かれた封印
時は昼休み。自室の机に着いてタブレット端末のチャット画面を開き、英也宛にメッセージを送信した海花は、短く返された「ありがとう」のメッセージに喜んでいた。
「んーっ!はぁ。ふふっ」
大きく伸びをしてから、再び画面の文字を見る。軽く頬を揉んでニヤけた顔をマッサージし、深呼吸を一つ。
部屋には一人だが、タブレット端末のスピーカーを介してクラスメイトたちの声が流れるため、無言の空間にはなっていない。
「ね、海花聞いてる?」
「あーダメダメ。海花ちゃんは今愛しのダーリンからのお返事にお熱なの」
「えっ?別に、そ、そんなことっ!……な、ない……と、思う、けどなぁ?」
「わっかりやすっ!海花ちゃんは愛いのぉ」
「あんた何者だよ」
賑やかなボイスチャットに包まれ、リモート授業も悪くないと感じる海花。将斗の座学で学んだ通りに肌身離さず胸ポケットに差しているフィギライトに手を当てて、再び微笑む。
「んでんで、白道くんとはどこまで進んでるのさ?」
クラスメイトからの質問に、特訓の日々を思い返しながら答える。
「どこまでっていうか……うーん、まぁ、その、い、一緒に」
「一緒に!?」
ここでフィギライトについては他言しないという将斗の言葉を思い出して口を噤む。
「あ、いやぁ、あはは……」
「む?おーい、一緒に?何よー」
「……え、えーと、な、何だろう、忘れちゃった。えへへ」
「あー、隠した」
「お熱いねぇ」
なんとか誤魔化すことには成功したらしい。海花は一息してからチャット画面に視線を戻す。すると、そこに新しいチャットメッセージが届いた。
—みーちゃん、英也から何か連絡来てない?
鉄仁からのメッセージを見た海花は、英也とのチャット画面を開いて更新してみる。しかし、新着メッセージはない。素直に返答する。
—何も来てないよ。
回答後、昼休憩の残り時間を確認する。あと数分で次の授業が始まる時刻になっていた。授業の準備として教科書類を机上に広げてから再びタブレットを見る。
—そっか。分かった。あいつのことだし、下手な真似はしてないと思うんだが……
英也に何かがあったらしいと思わせる鉄仁の返信に、無相の連れ去り直前のことを思い出す海花。今度は英也に危険が迫っているかもしれないと推測し、慌ててマイクに声を入れる。
「ご、ごめん二人とも!ちょっと次の授業出られないかも!」
「えっ?み、海花!?」
「えー、何々?今から好きピに会いに行っちゃう感じ?」
友人に一方的なボイスチャットを投げた海花は、友人のからかいに応じる間もなくタブレット端末を放り込んだバッグを手に家を飛び出した。
英也からの質問メッセージを受け取るよりも少し前。黒野は自宅を飛び出し、祭壇へと急いでいた。
無相が生徒会活動をやっているという異端な行動に疑念を抱いた英也たちとは異なり、黒野は無相がいなくなった『祭壇』に異常を確認していた。
「急がないと……!」
「クロ。落ち着け、とは言えないが、冷静にな……。今しがた、ヒーレルトからハードレム・スレイクに何かが接触した形跡があると連絡があった」
「えっ!?と、ということは」
「あぁ、心の準備はしておいた方がいい」
「……わ、分かった」
息を切らしながら到着した高校。ここから、一部の勤務中の教師や警備員の目を掻い潜って屋上へと向かわねばならない。黒野は深呼吸をして息を整える。特訓のおかげか、前よりも落ち着くまでの時間が短くなった様子。数秒で平常時の呼吸まで回復することが出来た。隠密行動の末、なんとか誰にも見つからずに祭壇へと辿り着く。
そこまでは、順調だった。
「あ、あなたは……」
黒野の目には、一人の長身な女性が映っていた。
「ふふ」
その次の瞬間。ハードレム・スレイクは、突き立てられた純白の剣——フィギライトによって、その機能を停止した。
昼下がりの日光すら入り込むことのない祭壇を照らす光は、もはや黒野と女性の持つフィギライトのみとなった。
「な、なんて、ことを……」
その女性は光を失ったハードレム・スレイクを指で撫でながら黒野へと近づく。黒野はフィギライトを取り出して戦闘の構えをとる。
「ふぅん、あなた、ただの『お友達』というわけじゃなさそうね」
黒野のフィギライトを見るや否や、何かを察した様子の女性。立ち止まってハードレム・スレイクからフィギライトを引き抜き、その剣先を黒野に向ける。彼女の剣には、すでに何かが『込められ』ていた。フィギライト剣の側面にある模様が煌々と光りながら揺らめいているのだ。
「くッ!」
今の黒野にとって、この場で戦って何とか出来そうな相手で無さそうなことはすぐに理解できた。できてしまった。
——相手と場所が悪すぎる。この校舎にいるかもしれない先生や警備員などを巻き込んでしまい、大惨事に繋がりなねない。一目見ただけでそれが想像できてしまうほどに、その女性とフィギライトに強さを認めた。あるいは、これを読み取れたことこそが、ある種で特訓の成果なのかもしれない。
黒野は、この場で目の前の敵を圧倒できない自身に情けなさを感じながらも、それら感情はぐっ堪えて一歩ずつ後ろへと足を進める。校舎屋上から祭壇内へと降りる階段に足が触れると同時に身体を半回転させ、駆け出した。祭壇の入り口を塞ぐ石板の重みを気にしている暇すらなく、ただその場を離れることに全力を注ぐ。
女性は不適な笑みを浮かべながら歩いて黒野の後を追うが、どんどん開いていく黒野との距離をなんとも思っていないようだった。女性が階段を歩いて昇りきって屋上に影を作る頃には、黒野の姿は屋上からなくなっていた。
「……わたくしよ。ええ、そう。仕事は終えたわ」
黒野を『逃した』状況で、悠々と誰かに通話をする女性。軽く数回の「えぇ」という相槌の後、「あぁそれと」と前置きし、こう付け加えた。
「『黒』に会ったわ」
緑川は今度こそ真面目に授業を——やはり受けていなかった。
他のメンバー同様に、緑川も外に飛び出し——てもいなかった。
先ほどまでは彼女自身に起きた特殊イベント、フィギライトの覚醒および試験結果通知を目の前にして喜んでいたのだが、それから数分が経ち、現在。
「キャレル……キャレル……うーん」
どうやら何かを考えているようで、腕を組んで目を瞑り首を捻っている。
「あー。あのー、衣奈?」
「んー、ヨシ!キャレルはキャレル!そーしよ!」
「わっ、びっくりした」
緑川は面食らったままのキャレルに向けて両手を伸ばす。しかし、その手は空を切った。
「ありゃ、触れない?」
「あー、実体は『こっち』側にあるからよ。ラペトリクと会った時も、同じだったはず」
キャレルに言われ、数日前の記憶を辿る。
「はっ!フィギライトからこう、スーッと!」
「そうそう、それよ。つまり、今そっちで見えている私は……そっちで言えば『立体映像』ってとこかしらね」
少しだけ得意そうに胸を張るキャレル。緑川はあからさまに残念そうな表情をしする。
「な、何?どうしたのよ?」
「うーん、モフりたかった……」
「え」
キャレルは自身がふわふわの毛並みを持つ猫であるという外見情報をしばらく忘れていた。
ただ、それも不思議な話ではない。神々の世界、ティーラスにおいては、外見などはとっくにノイズの一つと成り果てているためだ。各々の使命を果たすべく、専門の『学問』を探求するという本質的な活動やその軌跡によってのみ『個』の存在を確立する世界において、外見あるいは容姿は存在を他と区別するための単なる『しきい』、区切りでしかないのだ。
「いつかリアルにモフリング、ありよりのありで!」
「え。あー……」
少しだけリアルで緑川に会うのが怖くなったキャレルだった。




