シェトマの計画:3
「えー、みなさん、おはようございます」
「「おはようございます」」
タブレットを使ったリモート授業の最初のコマが始まった。科目は数学だ。
「宿題はーと言いたいところだが、今日はやってなくてもまぁ仕方ないとししましょう。ただし、今日から出すものについてはしっかり取り組むこと。よろしく」
教師も色々と大変だったのだろう。画面に映る顔は若干やつれて見える。
「さて、じゃあ前回の続きからだ。えー、深山の次だからー、無相か。よし無相、教科書の問いの解き方について、分かるか?」
運悪くリモート授業初手で当てられてしまう無相。普段の授業と違い、タブレット上に発言者の顔が表示されるシステムは彼にとってあまり良い機能ではない。
「……」
数秒が経過するも、無相の画面に切り替わる様子がない。マイクやスピーカーがオフにでもなっているのだろうか。
「無相、聞こえるかー?」
教師が呼びかけるも、一向に返答はない。
ここでようやく参加している生徒一覧を確認する教師。
「えーと、無相、無相……あれ、いないな」
教師の「いない」発言にどよめくクラスメイトたち。
しかし、すぐにそれはおさまった。
「あぁ、こいつだな?この『abcde』とかいう名前の。おい無相、ちゃんと自分の名前でログインしないとダメだと書いてあっただろう」
無相の性格や普段の様子から、面倒になって適当にログインしたのだろうと推測した教師。クラスメイトの大半も同じように納得したようだ。
その直後、そのアカウント『abcde』は名前を『無相』に改めた。
「よし。それじゃあ無相、答えられるか?」
教師自身がまだリモート授業に慣れていないこともあり、普段よりも優しめに無相へ問いかける。
しかし、やはりというか返答はない。
「無相、聞こえるかー?」
次第にクラス内の空気が悪くなっていく。この教師は怒鳴り散らすような方ではないと分かってはいる。しかし、どんなに良い教師の授業であっても生徒側の無視による進行の滞留は、なかなかの一触即発な空間を生み出してしまう。
「……はぁ。こりゃあ寝たな」
どこまでも優しい教師で最悪の展開を回避したようだ。
「まぁあんなことがあれば仕方ないか」
教師間では既に情報共有が為されているらしく、数学教師も無相の身に起きた事件を把握しているようだ。
「そうだな。そしたら……、代わりにこれが分かる人、いるかー?」
既に解答が出来ていた英也がタブレットの挙手ボタンを押して答え、その場は難なく終わった。
——ということがあったと昼休みに黒野と情報共有する英也。
朝に海花が利用して来た個別チャット機能でやり取りをしている。
「あー……、無相くんらしいというか、なんというか」
若干呆れを見せつつ、同時に彼への理解を示す回答をする黒野。
「先生がある程度事件について理解してくれてるみたいだったから助かったけどね」
「そうだね」
事件への理解と言っても、フィギライトやゼツボウなどについて理解してもらえている訳ではない。あくまでも『無相が連れ去り事件に巻き込まれた被害者である』という事実のみに特化した理解だ。
「でも、僕らがこれから守っていこうとするものへの本当の理解は得られてない。……まぁ、これは理解してもらえないだろうけど」
「そう、だね」
海花の時とは打って変わって重苦しい空気になるチャット。
「えっと……あ、そ、そうだ。そのー、名前、変えられるんだっけ」
その空気を払拭しようとして、今聞いたばかりの無相の話から少し明るめの話題を振ろうとアカウント名変更について触れる黒野。
「あ、うん。そうみたいだよ。無相くんがパッと変更するのを見たから」
英也はアカウント設定画面を開く。
「あれ?」
「どうしたの?」
「名前、変更出来ないね」
英也が開いた設定画面では名前の部分が灰色になっており、変更出来ないようにロックされていた。イタズラ防止ということだろうか。
ここで黒野が思い出した。
「……ち、ちょっと待って。その前にさ、僕……。自分で名前を設定した覚えが無いんだけど」
「……そう言われてみれば、確かに」
英也もそうだった。
ログインのときに名前とパスワードを入力する欄はあったが、設定画面での登録などは覚えがない。
「あ、でも、初回ログインで自動で登録されたりとか、かも……。考えすぎだよね、多分」
黒野は自分自身の問題提起に半ば無理矢理な着地点を作って解決したことにしようとしていた。
しかし、英也は黒野の指摘を後押しする。
「いや……。先生が注意した後、あの無相くんのアカウントはすぐに名前が変わったんだ」
「え……」
ログアウトすると一度枠ごと消えるため、ログイン状態のまま名前だけ変更したことになる。
「それに」
英也は腑に落ちない点を口にした。
「あの無相くんがあんなに素早く設定変更なんて出来ないようにも思うんだ」
これには無相のことをよく知る黒野も同意せざるを得なかった。
「ということは、本物の無相くんは……」
「うん。確認した方が良さそうだね」
二人はチャット接続を切って各々祭壇へと向かうことにした。
エスカの部屋を出たシェトマは、すぐに左右を確認する。
幸い、誰にも目撃されていないようだったが、この先のことを踏まえて、警戒を強めにしていつでも戦闘出来るよう準備は整えてある。
エスカの姿が見えないが、シェトマは迷うことなく通路を歩き始めた。
案内人もいないのにどんどん前進するシェトマ。実は、先ほど確認した書類に行き先が記載されていたのだ。
「……あれか」
扉のないゲートのような聖堂の入り口が視界に入った。まだ距離はある。
聖堂には多くのミチビキ構成員が出入りしているようで、正面突破は難しい。シェトマは通路の壁に寄りかかって死角に入り、チャンスを窺う。
「あっ!」
人通りのほとんどないこの通路で、構成員の一人に見つかってしまった。
しかし、シェトマはその構成員を一目見た後、行動を起こさないばかりか、フィギライトにすら手を伸ばさなかった。
さらに、その構成員に向けてこう言い放った。
「『あの方』は今、どちらに?」
「……」
無言の一瞬。もし次の瞬間にこの構成員が叫んだり応援を呼ぶ行動に出れば、少なからずシェトマは窮地に立たされる。
「……え」
しかし、この状況は構成員から見てもある意味で恐怖の瞬間だろう。
ミチビキの中でもエリートであるテーマのエスカが計画遂行の末に拉致した敵のボスが、目の前にいるのだ。
それに、シェトマとこの構成員がいる場所は聖堂入り口からの死角。さらにはこの通路を通る他の構成員の姿がない。
「……お」
そんな中で、その構成員は口を開いた。
「お久しゅうございます!ベーリル様!」
これを聞いて、シェトマは口角を上げた。
無相はカフの運転する車で移動していた。
「これ、どこに?」
カフからまだ行き先を聞かされていない無相は、少しだけ苛立った表情で問いかけた。
「あぁ、私としたことが申し訳ありません。ボスからも怒られてしまいますね」
どうやら隠していた訳ではないらしい。
「これからあなたには、我々の『拠点』を転々として頂くことになっています」
「……は?」
無相は意味が理解できずに率直な声を返す。
カフはそれにも顔色ひとつ変えずに説明する。
「我々の希望たるあなたは、本来であれば例のペン型のフェルシアスらと共に在り、そして彼らに護られるべき存在です。しかしながら、先日お会いした彼らはまだその領域ではなかった」
「……」
「つまり……。どうやらこれ以上に説明は不要なようですね」
カフは助手席に座る無相の表情を横目に見てそう判断した。
「……あいつらは、それ知らないぞ」
無相の言う『あいつら』は黒野や英也のことだろう。
「ご安心を。そのための、彼らです」




