シェトマの計画:2
夜明け。うっすらと日光が空を照らし始める。
早めに目が覚めた鉄仁は、家族を無闇に起こさぬよう足音に気を付けながらキッチンへと向かい、冷蔵庫を開けた。
無言のまま棚からコップを取り出し、牛乳を注ぐ。縁いっぱいまで注いだところで満足し、牛乳パックを冷蔵庫へと戻す。
牛乳がこぼれぬようある程度までは顔を近付けてすすり、心配がなくなったところでコップを手に持って一気に口へと流し込む。
「プハーッ!やっぱり朝はこれだな!」
これまでの家族への気遣いが完全に台無しになったところで我に返る。
英也、黒野と共に突撃した中で、唯一負傷し戦闘不能になってしまった。一般の高校生に戦闘経験なんてある方がおかしいと言うのは全くもってその通りかもしれないが、鉄仁にとって世間一般の平均的な話はどうでも良かった。
「よし!やるか!」
英也と黒野が無事で、自分だけが倒れた。
鉄仁にとってはそれが何よりも悔しく、そして、情けなかった。
「行ってきまーす!」
ジャージに着替えた鉄仁は朝の特訓と称して玄関を飛び出して行く。
まだ寝ているであろう彼の家族への配慮も、仲間への誓いの前では簡単に忘れられるようだ。
リモート授業初日。
英也は登校というイベントがない平日に違和感と特別感を感じながら、タブレットとメモ用のペンとノートを机に広げる。目の前にタブレットがあるのに、どうしてわざわざ別の記録手段を用意するのか。それは学業以外で用いるためだ。
「昨日はなんだかんだでまとめ切れなかったからね」
独り言を空に放ってからノートを開く。
フィギライトの覚醒、そして黒野との会話で中断していた状況整理を再開する。
フィギライトは、どこかに祀られている巨大な鉱物のような存在。その塊を特殊な光によって剪断することで得られる加工品も、『フィギライト』と呼ばれる。しかし、現在はその特殊な光を出すことが技術的に不可能らしく、新たなフィギライト加工品は造れない状況にある。
簡潔にまとめると、フィギライトは同名の存在から製造された加工品であり、現存する『銃』『剣』『ペン』の三種以外には存在しないということだ。
そして、そのフィギライトを所有する者たち。その中でも特に、『覚醒』を経てフィギライトの色を変化させた者のことを『フェルシアス』と呼ぶ。このフェルシアスにはそれぞれ役割があり、それは『学校組織』の委員会に近い概念だという。
「僕の役割か。何だろうなぁ」
黒野が言うには、もう既にその役割は決められているらしい。どういった基準で選定されているのかは不明だが、黒野が風紀委員に似た概念の役割だったことを考えると、人となりありきの選定ではないように感じる。
「委員会を書き出してみるか」
英也は委員会名を並べて行く。
保健委員、風紀委員、広報委員、環境委員、交通委員、文化委員……。
いにしえ高校の委員会はこの六つと、それらを取りまとめてそれぞれの委員会の橋渡しをする総合委員の計七つ。
「そういえば、みんなばらばらなんだよね」
黒野との通話でも話していたが、現在ペン型のフィギライトを所有する者が、見事に被ることなく異なる委員会に属している。
英也は総合委員会に選ばれていることもあって、いにしえ高校の委員会活動にはそこそこ詳しいのだ。
もう少し詳しく各委員会の活動内容についても書き出していこうかとペンを走らせようとしたが——
「おっはよーっ!英也くん!」
突然、タブレットのスピーカーから元気な挨拶が飛び出してきた。
「うぉっ!?び、ビックリした。な、なんだ?」
タブレット画面を見ると、右下に海花からの通知が表示されていた。
「もしもーし。あれ?これ、聞こえてる?」
どうやらボイスチャット機能で話し掛けて来ているらしい。
「おはよう。聞こえてるよ」
とりあえず応答する英也だったが。
「あれ、もしもーし!やっぱり聞こえてないのかな?……あ、まだ寝てたりして。ぷぷぷー」
聞き捨てならない声がダダ漏れになっている。
マイクが入っていないのだろうかと思い、英也はタブレットを操作して音声関連の設定を確認する。
マイクテストも問題なかった。
「……全く、しょうがないなぁ」
個別チャット画面を開いてメッセージを送る。
—聞こえてるよ。おはよう
そのメッセージにはすぐに既読マークが付いた。
数分後。まだ返答がないので、もう一通送ってみる。
—おーい
するとタブレットのスピーカーがガサゴソと音を出し始め、静かになった。
「……あ、気付いた?」
海花の反応がないので心配しつつ聞いてみる。
「うわぁん!朝からやらかしたぁーーー!もうダメだぁ!」
どうやら普段の海花のようなので安心する英也。
初めての試みが失敗し、悔しそうに唸る海花。
「まあまあ落ち着いて」
「うぅ……落ち着く……」
やっと会話ができるようになった。
「おはよう。朝早いね、まだ授業までは一時間あるよ」
時計は午前八時を指している。
「だってせっかくタブレットでリモート授業なんだよ?もっと色々試したいじゃん」
「試すって、何を?」
「こそこそと手紙を回してもらったりしなくても、こうやって簡単にやり取り出来るじゃん!」
「あぁー……」
海花は友人らと堂々とやり取りができる環境を手に入れてテンションが上がっている様子。気持ちは分からなくもない英也だったが、彼にとってこの機能は雑談のためのものではなかった。今後の情報を得るためのツールとしてのものという認識だったので、悪い方向に向かうのは避けたいと考え、軽く注意することにした。
「あんまりやり過ぎると制限とかかかっちゃうかもしれないよ」
「えっ」
制限をかけられることは想定外だったのか、海花は急に大人しくなった。
「あれ、もしもーし」
「……」
注意が余程効いたらしい。このままでは調子が狂うので、英也はとりあえず謝ることにした。
「あー、なんか、ごめん。もしかしたらそうなっちゃうかも、っていう話で……」
「……ぷ」
「え」
「あははっ!いやぁ真面目ですねぇ英也くん。そんなことで海花ちゃんに勝った気でいるとは!甘い、甘いぞ少年」
「……」
一杯食わされたのはどうやら英也の方だったようだ。これはちょっと恥ずかしい。
「ち、違……、いや、まぁ……はぁ」
言い訳を述べようとしたところでそれも無駄になることを察し、行き場を失った言葉たちは苦笑とため息に変換された。
「ふふーん、楽しみだねぇリモート授業」
海花がご機嫌なので、この場はそれで良いかと思う英也だった。
祭壇に日光が差し込むのは何年ぶりだろうか。グェンが半ば無理やりに扉をこじ開けたため、祭壇内のフェルシアスたちが朝になったことを知るのに時間はかからなかった。
「もうこんな時間ですか」
カフは腕時計を確認する。
「あ、やべぇ、俺普通に学校だわ!」
無相の友人、雄一はいにしえ高校の生徒ではない。彼の学校は今日もいつも通りの登校から始まる。
「ここは大丈夫だ。……色々、助かった」
無相は雄一に向けて感謝の意を述べる。雄一は嬉しそうな表情でサムズアップしながら答えた。
「おう、またなんかあればいつでも呼びな!」
そして「間に合うか?」など独り言を呟きながら祭壇を出て行った。
「……あ?」
雄一がいなくなった祭壇で、グェンは気付いた。
「野郎、持ってやがったな」
「どうしました?グェン」
「あの野郎が……。いや、何でもねぇ」
グェンはカフに情報共有をしようとしたところで急ブレーキをかけた。
「……。そうですか」
カフもそれ以上は追わなかった。
洗い替えのスーツに着替えたシェトマは、姿見でもう一度身なりを確認する。
「よし」
綺麗にクリーニングされたスーツに身を包み、自然と笑みが溢れる。
ただ同時に、敵地であることを思い出して気を引き締める。
シェトマは机上の書類に目を通す。数字とそれを区切るカンマの羅列。どこかの地図も合わせて記載されており、知らない者が見れば何かの座標だと思われるように、地図から数字に向かって線が引かれている。
「暗号か」
何の迷いもなく紙を手に取り、もう片方の手でスマホを取り出す。そのスマホの画面にとある本の文章を表示する。
「……何?」
暗号を読み解いたシェトマが放った第一声はそれだった。
シェトマは暗号をくしゃりと握りつぶしてポケットへと忍ばせ、証拠を隠滅する。
「任せろ」
そう言ってエスカの部屋を後にした。




