逃す
それは、予感も前触れも無しに唐突に起こった。その時私は確か道を歩いていたのだったと思う。極く有り触れた都市の、人気の無い昼の住宅街だっか、私は何時もの様に取り留めの無い物思いに耽り乍ら、様々の想念が頭の中を過ぎ去って行くのに任せた儘、自動人形の様に黙然と足を進めていた。その時の前後に私が何を考えていたのかは全く憶えていない。いや、頑張れば直前に頭の中を過っていた幾つかの断片位は思い出せそうな気もするのだが、それらは記憶すべき価値の無いものどもだったのであり、無情な時の流れに呑まれ、一瞥することすら適わぬ永遠へと押し流されて行ったしまったとしても、痛くも痒くも無い些末なことどもに過ぎない。その頃の私には確かに月並みな反省は有った。地上のことどもを思い患うだけの思考力は有った。だがそれだけ、私がしていたことと云えば、詰まらぬことで傷付き、苛立ち、そのことをまた嫌悪し、深みの欠如した厭世観をまた新たにすることだけ、真に記憶すべき何ものをも持たぬどうでも良い昨日を生きてしまったが為に、その続きとしてどうでも良い今日を生き、その惰性を駆ってどうでも良い明日を生きるであろうことの単調な繰り返し、私と云う一個の存在は有り触れた世界の風景の中に埋没し、沈潜し、そこらの石ころと何等変わらぬ、居たとしても居なかったとしても違いはしない只の醜悪な塊としてそこに在った。それは要するに存在界の掃き溜めに居たいと云うことであり、予期される未来にとって記憶されるべき何ものかではなく、昨日の無為な延長としての今日を生きていたと云うことであり、騒々しい、しかし何ひとつ意味の有ることを語りはしない雑音の中で暮らしていたと云うことだ。よって私がその時何を考えていたかは大して重要なことではなく、思い出せなかったとしても何等差し支えは無い。但、その時の物思いが、普段のそれよりもさして特別に放心状態にあったと云う訳ではなかった様に思う。その時の私の螺子が特に緩んでいて、固くなってしまった牛乳の皮膜の様にやんわりと私を日常の中に閉じ込める狭窄視と云う蓋が、何かの具合で開いてしまったと云う訳ではなかったのだ。その時それが起こった理由を探し求めるとしても、尤もらしいことは私は何も思い付かないし、精々、元々蓄積していた力がふとして弾みで臨界点を超えてしまった、と云う位のことしか言うことは出来ない。その出来事には明確な前後の脈絡が無かったが、それを予想させるものも、その気配も、その瞬間まで私には全く無縁のものだった。よってそこに理由や原因を求めようとしても無駄だろう。いや、そんなものを探し出したとしても、一体そのことにどれだけの意味が有るものだろうか。重要なのは、そのことが確かに、厳然たる事実として起こったと云うこと、その一事であり、それ以外のことは全て派生的な、二次的な問題に過ぎない。現在の私にとって意味を成している過去、現在の私に繋がっているものとしての現在の私を形作っている、私に先立つものとしての過去とは、少なくともあの近傍に於てはあの出来事以外には有り得ないのであり、確たる実体を成さない短命の浮動する想念共ではないのである。
それは不意に起こったが、最初は一寸したデジャヴかと思えた。周囲の風景が一変して、何処か奇妙な捉え所の無い既知感が辺りを包み込み、急に今見ているものどもが見慣れた、よく知っているものであると云う感覚が湧き上がって来たのだ。だがその感覚は、やがて未来によって過去として物語られることになる現在から、未来によってその現在へとひと繋がりになっているものとして同定されることになる過去を振り返ってみることで、直ぐに否定された。私がその光景を知っている筈は無かった。私が以前そこに来たことがあると云うのは有り得なかった。私はそこが初めて来る場所だと知っていたし、その点については確信が有った。私は数瞬戸惑い、躊躇った後、私が既に見知っていると感じたものが、目に見えている光景ではないのではないかと疑い、そして心の視線を動かしてみることで、それが正しいことを悟った。その見知っていると云う感じは過去に由来するものではなかった。もっと根源的な、もっと奥深くの仄暗い領域から、その感じは来ていたのだった。私は、私と云う存在と、私が見ると云う行為と、私によって見られている世界と私を成り立たせている世界とが、全てがひとつのものであることを知った。私はそれまでに無い程に存在し、且つ全く存在していなかった。私と云う存在者が存在していると云うこと自体がひとつの行為であり、能作にして受作であるひとつの循環融合的な事態であり、そして世界全体もまた私と全く同じ事情であることを知った。その瞬間、私と云うものは徹底的に解体され、その解体されて組み立て直された世界で再び私自身と成り、世界と成った。万物のスイッチが切り換わって異なる電源によって異なる色彩が発せられ、あらゆるものが瞬時にして一変した。私は世界と向き合い、世界が私と向き合い、両者は浸透し合って且つ対峙し続けた。全てのものを覆い隠していた平板な感触が第一義的な意味を失って何処か彼方へ墜落し、私達は透明に成った。それを美と同定しようと逸る気持ちも起きないでもなかったが、それは通常の意味での美をすら没落させる強大な力の顕現であり、あらゆる名指された権威の失墜であった。そう、確かに私はこの事態を知っていた。具体的に何時、何処で、ではなく、私の魂の深奥の秘められた領域に於て。
それは啓示の先触れかも知れなかった。何等かの恩寵が目前に差し迫っているのかも知れなかった。実際のところ、私がその様に期待したからと云って見当外れだと非難される謂れは無かっただろう。世界は明らかに一瞬前とは違う次元に移行しようとしていたのだし、変化の先に救済を求めるのは、人間の自然な傾向と言えるだろう。その時点での私の中には、何か素晴らしいことがこれから起こるのではないかと云う期待が確かにあった。だが、予期と云う形で未来をその内に孕んでいるものとしての過去が一方で教えてくれたことは、それとは違っていた。既に幾度となく経験した忌わしい邂逅の記憶、無惨な失敗と敗北として刻み付けられることになった悍ましい一連の体験が頼みもしないのに作り上げた知恵が、そこに現れるであろうものが神でも聖霊でもないであろうことをはっきりと警告していた。それは無貌の虚無、ぽっかりと眼窩の落ち窪んだ、空ろな勝利の薄ら笑いを浮かべる恐怖、圧倒的な力と権威で全ての力有る声を打ち拉ぐ、深淵よりの絶望であろうと。
寒気が私の前進を這い上がって来るのが判った。出会いの瞬間は未だ訪れてはいなかったが、決定的ではないにしても少なからぬ打撃にはなるであろう出会いが間近であることは察しが付いた。それまで私が漬かっていた口をだらしなく開けた儘の生温い絶望が、私の怠惰に因るものであることが認識された。何故なら直ぐそこにそれより遙かに恐ろしい絶望が、嘆きの声すら上げることをも許さない絶対的な絶望が迫っていることを知ったからだ。だが、それを第一義的なものと見做したりはしまいと云う心懸けは生きていて、昔老子から教わった『仮令世界がどんな姿を取ったとしても、それを世界の本当の姿と思い込んではいけない』と云う教訓を忘れずにいた程度には、私の分別はまだ正常に機能していた。だが私は、自分が或る種の恐怖の予兆を感取したことによって、世界が再び、そうした恐怖が存在し得るものとして怪しい輝きを放ち始めたことを認めない訳にはいかなかった。その恐怖がそれ程までの脅威であるのは、第一次、第二次の否認を通じ、止揚された図式の中のその恐怖を組み込み、対立するもの全てを織り込んだ風景の中の一部品として骨抜きにし無力化しようと云う試みが未だ不完全であるからであって、正しく適切な方途に則って精神の目を導いてやれば直ぐにでも、一事の白昼夢の様に霧散してしまうものなのだと思い込もうとしたが、それは私が私であることに拘り続けていることから来る迷妄なのだと幾ら自分に言い聞かせてみても、その恐怖には、世界の一要素へと還元されることの無い、寧ろ自らを世界の原理としてそれを認識したもの全てを取り込んで決して逃がすまいとする絶対的な意志の様な核の気配が漂っていた。その恐怖には、私を卑小で無力な殻を被った儘の私であらせ続けようとする力が、私が恐怖を感じるべき背骨を世界の中へと溶け出させて行った後でさえ、追い駆けて来て丸ごと包み込み有無を言わせず圧し潰してしまおうとする強大な力が込められていた。その時点で私が認識していたのは未だ予兆に過ぎなかった。だが、これが自らによって自らを証するだけの虚仮威しの仮面などではなく。その彼方に恐るべき現実の体験が待ち受けているであろうことを、私は過去の経験に拠って知っていた。―――嗚呼、そんな呪わしい記憶など、いっそ無い方がまだしも気が楽だったものを! 私が何度も思考を転回させ、世界の像を引っ繰り返して、その脅威の威力を殺ごうとしても無駄だった。私の中で、自分には―――少なくとも、今の自分には、この中に対抗するだけの力は勿論、この力を解消するだけの力は備わっていないのだと云う不吉にしてぞっとさせられる確信が徐々に育ちつつあるのを、私はじたばたと徒らな足掻きの繰り返しと共に手を拱いて凝っと見守っていることしか出来なかった。
急速に無力感が増大しつつあることに対して、緊急の警告が発せられた。この儘では私は打ち倒され、踏みにじられ、魂を蹂躙されて無惨な敗北を迎えることになるだろうと云う未来図が、声無き声として私の頭の中に閃いたのだ。私は反射的に、よくやる様に鼻から腹へ大きく息を吸い込み、呼吸を整えようとした。が、しかし、そこまで意志したところで、私の体はピクリとも動かなくなってしまった。まるで見えない大きな手によって喉元を鷲掴みにでもされたかの様に、意識的に息を吐いたり吸ったりすることは勿論、声ひとつ上げることが出来ず、口から漏れるのは唯途切れとぎれの押し殺した様な喘ぎばかりと云う具合になってしまったのだ。力を入れたり抜いたりして何とは弾みを付けようと踠いてみたものの全く効果は無く、体は金縛りに遭った儘、私の意思とは無関係に硬直を続けた。自律神経系にアクセスし統御されてしまったのだ、と云う認識が勃発し、パニックを誘発した。そしてパニックに陥るまでのほんの一瞬の間、私の喉の奥から猛烈な思考が溢れ出して来た―――私は呼吸しなければならない、呼吸して声を出さなければならない、その声は叫びと成り、今私の全てに覆い被さっている厚いヴェールを切り裂く剣と成らなければならない、そしてその剣は歌と成り、音楽と成り、世界と一緒のリズムを刻み、世界と共に互いの間の調和を悦び、世界と同じ脈拍と息遣いで万物を統べる理を述べ、讃えなければならない、私はこの恐怖を超えて世界の実相へと肉迫し、その声を聞き、また私の声を聞かせなければならない、私は私がこの世界に於いて存在していると云うことを自らの声によって証し、世界が私と共に在り、私が世界と共に在り、且つひとつであると云うことを知らねばならない、私は大陽と共に生き、月と共に死に、大地と共に歩き、星々と共に遠大な旅に出、海と共に沈黙し、木々や岩々と共に眠り、暗闇と共に明日と昨日とを夢見ねばならない、私はひとつのものとして成長し、衰弱せねばならない―――凄まじい勢いで湧き上がった想念達は、この様に自ら未来によって語られるべき形式を指定し、そこから、その未来にとっての過去であるべきものとして現在を規定し、掬い上げた。そしてそれと共に、私を圧殺しようとする力と解放を求める力との間に挟まれ緊縛された状態の私の中に、その緊張状態に対する反作用とも言うべき一種の高揚感が芽を出して来たことに、私は気付かない訳にはいかなかった。私はそれが激しい喜悦の反応に似ているのではないかと云う連想に一瞬振り回され、ゾクリとした。私は陥穽に落ち込む一寸前の所まで追い詰められているばかりではなく、その状況を悦んでさえいる―――破滅的な陶酔への半ば本能的な反撥とそれに拮抗するだけの衝動が鬩ぎ合い、そのどちらの道をも自分が望んでいると云う事実に、私は戦慄した。―――その戦慄が単に嫌悪や怯えに由来するものだったらどんなに良かったことか! このほんの刹那の強烈な一瞬に己が全てを賭けてみたい、自分など到底敵わない圧倒的な力の前に平伏し、連れ去られ、揉み苦茶にされ、蹂躙され支配されたいと云う欲求が有ることを改めて思い知らされて、私は幻滅し、その幻滅の中でその瞬間が分裂し、最早純粋な一意性を保つことが不可能になったのだと云う現実を認めたことで更に幻滅した。自分は神とも悪魔とも遭うことは出来ず、両者どっちつかずの予約を入れた儘、ずっと門の前で待ち惚けを食わされる運命なのだろうか、と云う想いが、私の呼吸を更に苦しくしたが、それが却って何かの切っ掛けを生んだのだろう、数瞬の後、喉の奥で一、二度得体の知れない塊が膨れ上がって小さく爆発し、その後激しいが浅い吸気が口の中に流れ込んで暫く固まった後、再び喉の奥から奇妙な掠れた叫び声の様なものが洩れ出て、その後再び数瞬の凝固の後、切れぎれ乍らもまともな呼吸が戻って来た。
肉体的なダメージと精神的なショックとに打ち拉がれてその時混乱の中で私が経験したことで、今でも憶えていることは少ないが、この話の流れに沿う事柄に限定すれば大して問題は無いだろうと思う。私は確かに、その瞬間が偽物であることを知っていた。仮令どれだけ圧倒的な力が有ろうと、それは丁度世界と云うキャンバスが有ったら、それを赤なら赤い色で塗り潰してしまうことが出来ると云うだけのことであって、全ての色彩をそこに込められると云う意味に於て力が有る訳ではなかった。仮令それがどれだけ根源的なものであろうと、それは全てを無化し没落させ失脚させることが出来ると云う意味に於てであって、そこからまた再び万物を蘇らせることが出来ると云う意味に於てではなかった。あの瞬間私は寧ろ誇りさせ感じてその開示の中へと身を投げ入れることへの誘惑を全身で感じ取っていたのだが、その一方で、その誘惑が恒久的なものではなく、やがては現実の本質たる裏切りがその先に待ち構えているであろうことを自覚していた。その力は、私の肉体の死が私にとって絶対の障壁として在ると云う位の意味でしか効力を発揮出来ないのであり、世界のあらゆる場面に対応し、その全てを殺すこと無く、包み込む力ではなかったのだ。体験する前に全てを体験し、生きる前にすっかり生き終えてしまうと云う性質の悪い私の性癖が無謀に対して予防線を張ってくれていたのであり、爾来何度も繰り返されて来た苦々しい失敗の思い出が予防接種として、私の心に鎧を着けてくれていたのだ。
そう、確かに私は助かった。呆然とし、ふらつく頭で筋道が立て難い頭でも、そのことは理解出来た。だが、それで良かったのだろうか? 仮令仮染めのものだったとしても、それがその時私の置かれていたどんよりした灰色の日常の彼方に在ったことだけは明らかだ。それは少なくとも根源そのものではなかったにしろ、今、ここに居る私よりは根源に近い所に在った筈で、私はそれが最終的な解答ではないからと云って拒絶してしまったのだ。竜巻が私を巻き込んで魔法の国へ連れて行ってくれようとしたのに、私の体が重かった所為で、或いは、巻き込まれそうになる時に踵を鳴らしてしまったが為に、私は、一刻の迷妄に酩酊することなど許されない身と成ってしまった。反省し、対自化し、生きた文脈をピン刺しにして観察者を気取る―――そこに留まって満足してしまって再びその世界を生きることを止めてしまうのが、今の私の私たる所以だった。………何と云う愚かしさだろうか! 万象を認識する主体の卑小さを思い知り、その原理上の窮極的無力さを悟ってそれを公式化してからと云うもの、私はずっと疲れたカルヴァン主義者だった。始めから幻滅した他力本願主義者だった。啓示と云うものが若し有り得るとしたら、それは世界の方から私に一方的に贈られて来る恩寵としてであって、私が求め続けて成果としてではなく、精々私に出来ることと云えば、万が一その時が訪れた時に備えて目一杯枝葉を伸ばし、想像力の限りを尽くして予想され得るあらゆる可能性を枚挙して整理し、事に臨んで愚鈍で論理的な思考の出来ぬ者の様に不様に混乱したりしない様な心構えをしておくことだけ、今まで知らなかった世界の真実相が明らかになる時、私は受動者であって能動者ではないのだと云う自覚を心に留めておかねばならないのだ、と云う頑固な前提が、私の行動を律し、且つ縛っていたのだ。若しかしてそれは単に、適切な方法論を探し求める努力を私が怠ったからではないか、自分の認知的限界を全ての随意的な認識の限界と思い込んで、自らの変容の可能性を閉ざしてしまっているのではないかと思うことも無い訳ではなかった。だが、その疑念に確たる足場を与える為の手掛かりを私は持たず、又他処から得ることも無かった。私は幾つもの目で出来た愚かな存在で、有り得る事態はたったふたつ、見るか、見られるか、そして後者が私によって仮想されたものである以上、私は「私」と呼べる代物でさえなく、結局のところ、単なるひとつの―――否、「ひとつの」とさえ形容することの出来ない、何かの独りぼっちの事態なのだった。
既に何度も繰り返されて来た為にもう慣れっこになってしまっている、何かが始まるに先立って始まってしまっている擦り切れた後悔がやんわりと私を包み込み、それを先を争う様にして、だからと云って自分に何が出来るものかと云う、これもまたお馴染みの諦念がぐったりと倒れ込んで来た。そして両者の間隙を縫う様に、先程の失われてしまった戦慄を再び取り戻さんとする無駄な足掻きが、じたばたと私を行動に駆り立てようと空しい努力を繰り返した。真の奈落には落ち込む覚悟も無い癖に笑わせてくれると、何時もの冷笑が笑い、そしてその笑いは地獄を恐れる心からなのか、それとも余り積極的に認めたくはないが、善なるものを希求する秘め匿された傾向に因るものなのかと云う自問が続き、いや、要するにお前は力の感覚が、強度の実感が、目眩めく存在の確認が欲しいだけで、その内実や目的地が何処かなんて、結局大して問題ではないのではないかと云う突き放した分析が、踏ん反り返った訳知り顔で強引に決着を付けてやろうとしゃしゃり出て来た。弁証法的と呼ぶに余りにも順序も段取りもごっちゃになってしまって、混濁した記憶の中で飛躍ばかりが目に付くこうしたお定まりの自省の運動も、もっと若い時分には頭を割りそうな程の深刻さで以て私に執着し狂気の縁へまで私を追い込んで悩ませてくれたものだが、今ではそれも唯数瞬の高揚と成って大して跡も引かずに過ぎ去って行くばかりで、それ自体以外の意味を暗示したり予感させたり―――と云うより、そうしたことを思い込ませようとするだけの力さえ持ってはいないのだった。従ってそこから来る疲労が私を打ちのめすことも早や無く、私は中途半端なぐだぐだの宙ぶらりんの状態の儘、暫しうんざりした―――それでも少しは戦慄に因るショックの残滓を窺わせなくもない顔付きをして、情け無く立ち呆けた。
何処か遠くから車のタイヤが地べたを這い摺り回る音が聞こえて来た。頭上には忌々しい位透き通った青空が広がっていた。よく見ると東の方に僅かばかりの高積雲の塊が漂っていた。世界は少し西に傾き始めていた陽の光によって痴呆染みた陽気で満たされていたが、地上のあらゆるものを灼き尽くす力を持った光と熱とによって、目に見えるもの全てが色褪せ、書割りの背景へと沈み込んでいた。私は鼻から少し深く息を吸い込み、俳優を気取ってみようとしたが、何うしても絵にはならなかった。