雨音メモリアル
俺こと伊豆野卓也の大学の同級生である佐伯加奈は、かなりズボラだ。これは彼女と親しい連中にとっては周知の事実で、否定するのは本人だけだったりする。
例えば、洗濯物を溜めすぎて着る服がなくなって、高校の体操服で研究室に来たり、自宅にゴミを溜め込みすぎて毎回その片付けを手伝っている彼女の友人に食事を奢っている現場を何度も目撃している。
ところで、話が変わるのだけど昨日からうちの大学がある地域は梅雨入りを果たしたらしい。
昔はそうでもなかったと思うのだけど、最近の梅雨は、雲ひとつない快晴!みたいなところから前も見えないレベルの大雨!っていう降り方をする。朝どれだけ天気が良くても、折り畳み傘を手放せない季節がやってきたという訳だ。
さて、ならばズボラの極みな佐伯という女は、この時期になると、折り畳み傘を常備しているかと言われると当然そんなはずはなく。
「折り畳み傘って知ってる?」
「知ってる。一度使ったら、鞄の中で錆び付いて、結局使い捨てにする傘のことだろう?」
使ったら干そうよ。使い捨てにしない繰り返し使ってあげてよ。
「それで、要するに傘がないってことだよね」
「ああ……伊豆野は持っているのか?」
「小さい折り畳みだけど」
別の研究室に所属している俺と佐伯が、久しぶりに遭遇して暫く駄弁っていたら、突然天候が悪化した。今は、研究棟にいるけどお互いにこの後バイトがあるので雨が止むまで待つわけにもいかないというのが現状だ。
「なら、そこに入れてくれ」
「あー……」
そうなるよね。
実際大学生になってから、学内や付近の道でいわゆる相合傘をしている連中はよく見かける。それが異性同士であっても、まあ珍しいものじゃない。無いのだが、恥ずかしい話俺はそれをしたことがない。
それに、こっちが問題なんだけど、一人用の小さな傘なのでこの雨の量で二人で使うとなると、まあ大分と濡れることになるだろう。
なるべく佐伯が濡れないようにするしかないか……。
「……OK。駅まで?」
「ああ、頼んだ」
幸い、駅に行くまでに雨は緩やかな降り方になってくれたので、俺はそれほど濡れずにすんだ。
この時期は雨の激しさも結構気まぐれなのだ。
◆◆◆◆
「雨だな」
「げ……まじかぁ」
突然の雨。梅雨は明けても、日本には古来より夕立なるものが存在する。
そして、今日俺は傘を持っていなかった。天気良いから大丈夫だろ、何て思っていた30分前の俺を呪いたい。
「入るか?」
隣に立つ恋人は、彼女のバッグから折り畳み傘を取り出して、俺にそう聞いてきた。
「そうさせてもらいたいです……」
「感謝しろよ?」
「そうだね。壊れていない傘を持っているという奇跡に感謝の言葉を捧げるよ」
ありがとう、神様。
「卓也、追い出されたいのか?」
「冗談だよ、加奈」
何やかんや、本当に何やかんやあって、俺と佐伯加奈は恋人になっていた。人生、何が起こるか分からない。
「それにしても、あの佐伯に傘に入れてもらう日がくるなんて思わなかったなぁ」
「お前、まだ言うのか」
からかわれていると思ったのか、加奈は唇を尖らせながら、傘を傾けやがった。躊躇いが無さすぎるその行動に、反応が遅れて俺は少し傘から身体がはみ出てしまう。
慌てて、右手で傘の傾きを修正する。
「濡れかけたんですけど……」
「すまん、手が滑った」
ひでえ。
しばらくじゃれ合いつつ歩き続ける。
「そういえばさ」
「なんだ?」
「どうして、大きな折り畳みばっかり買うの?」
加奈の折り畳み傘は、男性向けの大きなもので、変なことをしなければ大人二人が一緒に傘に入っても問題がない程だ。
「あー、そうだな……」
おや?
なんか、言いにくそうだな。
加奈は、しばらくあーとかうーとか唸ってから、
「学部生の頃に、どっかのお節介な見た目がチャラい男がだな」
「はあ」
「毎度毎度、私と一緒に傘に入ると左肩をびしょびしょに濡らしていたことに気づいてだな」
へー、そんな人いたんだ。
「そいつは、昔さんざん折り畳み傘を持っていない私を馬鹿にしていたくせに、今は自分が傘を持たないたわけ者でな」
うん。うん?
もしかして、
「…………俺?」
「他に誰がいるんだ」
「別にチャラくなかったと思うんだけど」
残念なモノを見る目をされた。
なんとなく、傘の角度をいじりたくなったので、右手首を少し曲げようとして、
「こら!お前は私を濡らすつもりか」
「ちっ」
機先を制されてしまった。
加奈は、左手を俺が傘を持っている手に添えてきた。加奈の体温が、手から伝わる。
目と目が合う。なんだか、楽しくなってきて自然と笑いがこぼれた。
「帰ったら、どうしようか?」
「映画の録画が溜まっているな。観るか?」
「いいね、どんなのがあるの?」
「確か……ナイトサマーとかいうやつ」
「めっちゃホラーじゃん……」
「そうなのか?」
俺たちの話し声と雨音が、心地よいリズムを奏でている。アスファルト舗装された道にできている水溜まりは、街灯の明かりをキラキラと反射させていた。こんな日も悪くないと、そう思った。