男S
Sは夕暮れ時に近くの河口の浅瀬で物を漁るのが趣味だ。趣味というより癖に近いかもしれない。ほとんどは空き缶や角が取れて丸くなったガラスの破片、ビニール袋などのゴミしか無いが、彼にとってはそれが面白いらしく、その中から発見した他の国から漂着したペットボトルや、綺麗な石を拾っては家へ持ち帰っていた。
この秋の気配が漂う九月下旬の夕刻。この日もSは長靴と軍手をして河口付近をうろつく。端から見ればゴミ拾いにいそしむいい人だ。海に顔を埋め始めた太陽が川の終着点に向けて一筋の光を投げかけている。彼が居る辺りも水面がオレンジ色の光を反射したかと思えば、水底を映したり、絶え間なくその姿を変えている。Sはその不安定な振る舞いをする水の底の方に、常に煌めきをこちらに向ける小さな物体を発見した。高まる期待を胸にそれをつかみ取り、沈みかけの太陽に向かってかざしてみる。
「指輪だ」
思わず声に出す。金色をしている指輪の価値よりも、今までに見つけた事の無い獲物を発見したという事実が、彼の気持ちを高揚させた。今日は十分過ぎる収穫だ、写真を撮ったら帰ろう。家に着くまでの間も、Sは金色の拾得物を絶えず触ったり日にかざしたりしている。いくら試みても彼の太く骨張った指にはまらない。女物だ。
彼の住まいであるアパート二階の一室は、まあ言わずもがな散らかっている。暇があれば彼にとっては珍しい物をせっせと収集しているのだから無理もない。しかしよく見ると、汚い中にも秩序が感じられる。瓶はベランダの外に並べてあるし、白い棚も埃を被ってくすんだ色をしているが、その上に並べられた小石類は綺麗に整列しているし、毎日磨かれている形跡すらある。
そしてSのもう一つの癖に、拾って来た物をしばらく自身の側に置いておく、というのがある。例えば異国の瓶やペットボトルはずっとどちらかの手に持っているし、小さな珍しい石はポケットに入れる。きっと完全に自身の所有物にする為の儀式なのだろう。なのでさっきまでしきりに触って人肌に温まった指輪を、彼はズボンの尻ポケットにしまい込んだ。それからベッドに横になり、自分が今まで集めたコレクションを見渡す。Sはこの瞬間が大好きだ。しかし悦に浸っていたのも束の間、玄関のチャイムが鳴った。
(畜生、今良い所なのに)
苛つきながら、覗き窓から外を見るが誰もいない。
(タイミングの悪いイタズラだ、腹立たしい)
気を取り直してベッドに横になろうとしたらまたベルが鳴ったが、もう居留守を決め込む。こういう類いの嫌がらせは無視が一番良い。なぜならこっちが相手にするとそれを面白がってまた何かしてくるが、反応しないとすぐに諦める。浅はかなものだ。しかしSの思惑は見事に外れ、次は扉を乱暴に叩いて来た。三回は流石に看過出来ない。ドカドカと床を踏みならし玄関まで行き、ぶっきらぼうにドアを開け素早く辺りを見回すが、やはり誰もいない。
(見つけたら怒鳴り倒してやろうと思ったが、逃げ足の速い奴だ)
チッと舌打ちをしてドアを施錠した。
「あ、今日ゴミ出し忘れたな」
支配欲からくる一種の几帳面さが、彼が興味を持つ物からは窺えるが、それ以外は本当にだらしがない。キッチンのシンクには洗い物がたまっているし、ゴミ袋も本当に今気づいたのかと疑ってしまう程の量が玄関前に積まれていた。
また注意されたら謝れば良いと思い、時間外にも関わらずゴミ捨てへ向かう。さっきイタズラはされたが、捨てる所とアパートは目と鼻の先だし、いつも通り鍵を閉めなくても誰も入って来ないはずだ。
しかし部屋に戻って来たSは、何かがおかしいと感じた。具体的にどこが変なのか分からないので、一つずつ確認する。まずはコレクションだ。小石、瓶、ペットボトル、その他諸々。大丈夫、全部ある。貴重品も問題ない。ただユニットバスの扉は最初は閉まっていた気がするし、キッチン周りはいつもよりさらに荒れている感じもする。一抹の違和感を覚えながらも、彼が大切にしている物は無くなっていないし、気のせいだろうという結論に落ち着いた。そんな事より早くこのコレクションと一体になりたい思いが、彼をベッドへと向かわせる。
これを全部自分で集めた、自分だけがこの価値を知っている。そして今日は新入りも居る。携帯に保存してあるコレクションの写真達を一枚ずつ、撮影した日付も確認しながらじっくりと観ていく。彼にとってはこれが至福の時間なのだ。時間を忘れ耽溺する、深く深く潜って自分と自分のコレクションが一体になっていく。
気づくと辺りはすっかり暗くなっていた。そうだ思い出した、今日は知人が酒を飲みに来るんだった。ハッと現実に戻り電気をつける。何も準備していないが、今夜はアイツが色々買って来てくれる手はずだから助かった。午後八時過ぎ、友人AがSの部屋を訪れる。早速安っぽい晩餐を始めるが、彼らの会話は全く噛み合わないし、その上お互いそれを気にしない。Aが大学の話をした後に、大した返事もせずSは自分のコレクションの話をする。二人とも自分の話題を聞いて欲しいわけではなく、ただ酒を飲んで大きな声を出す事に重きを置いているらしい。そして酒が進み、気分が良くなってくると適当に話を合わせ始め「その通りだ!」とか「お前は正しい!」とか言ってお互いをおだてた。酒盛りも終盤に差し掛かった頃、Sは思い出したかのように尻ポケットから指輪を取り出す。
「おいA、これを見てみろ」
「指輪か?まさかプロポーズでもされたのか?」
「バカ違う!川で拾ったのさ!」
「相変わらずお前は変な事してんなぁ」
「これはまだ洗ってない。だから今から洗ってやる」
そう言うと酔っぱらったSは指輪を口の中にいれ、さらにビールを口に含みぐちゅぐちゅとゆすぎ始めた。
「うひゃひゃ!何やってんだお前!」
「消毒だよ消毒!」
「バカだバカ!」
二人は大爆笑している。その笑いが収まって一段落したら、Aは明日も学校があると帰っていった。Sは酒臭い指輪を尻ポケットに再びしまい、睡魔に負けて歯も磨かずに床についた。
真夜中、Sは突然目が覚めた。どこからか声が聞こえる。
「……して……返して……」
出所が分からないが女の声だ。
(外からか?違う、部屋の中だ)
ドン!
辺りを見回していたら、突如ベッドの下から音がした……まさか。恐る恐るベッドの脇から下を覗く。
そこには首から上だけをこちらに向ける、赤いワンピースを着た血の気の無い色白の女が、ギリギリと歯ぎしりをしながら焼け付くような視線でSを凝視していた。唇も真っ青で髪は濡れている。何より肌が病的に白いが故に黒目が目立ち、血走って見開かれた眼は瞬きをする気配がない。
「うっ!うわあああああ!」
驚きのあまりベッドから転げ落ちる。彼は女から逃げようと後ずさりするが、足首を憤怒の表情を浮かべる彼女の手が掴み、Sは瞬く間にベッドの下へ引きずり込まれた。