78.違うのに
カチカチ、と時を刻む音が室内に響く。
張りつめた空気を肌で感じながらも、静かに食器を置いたアイヴィーは、小さく口を開いた。
「……私のせいじゃ」
ボソリ、と声を発した直後、鋭い視線がアイヴィーに突き刺さった。
サッ、と顔をそむけた彼女の斜め前の席には、険しい顔をしているスペンサー公爵の姿がある。
何度か脱走を試みたような痕跡を残しながらも、珍しく長期の謹慎を全うしたアイヴィー。そんな彼女は今、久方ぶりに参加した昨日の夜会で犯した、大きな失態の追及をされていた。
原因は、ダンスを終えてからのアイヴィーの行動である。
どうやら、他国の使節団用にと特別にあつらえていた強めの酒を、給仕が間違ってアイヴィーに渡してしまっていたらしい。そうとも知らず、ダンスで体を動かした直後だったアイヴィーは、喉が渇いていた事もあり、それを受け取り飲んでしまっていた。
運動直後の飲酒は、大変酔いが回りやすい。
案の定、酔っ払ったアイヴィーは、いつもより気が大きくなっていた。しかし、幸いにも彼女は、自らの欲望に忠実にグレイソンを求め、すぐさま会場を離れバルコニーへと出て行ったため、他の貴族たちにその醜態を見られることはなかったのだが……。
唯一の目撃者であり被害者のグレイソンには、多大な迷惑をかける事となった。
だが、言ってしまえば、それは会場で給仕をしていた男のミスである。故に、仕方がなかったと言えば、仕方がなかった事態だ。
「今回は、あちら側の不手際があっての事だと、殿下からの言付けもある事ですし……」
「…………」
珍しく、助け舟を出すテオドール。
しかし、スペンサー公爵を取り巻く空気は変わらず、冷たいままである。
昨日の夜会では、スペンサー公爵家の騎士達が警備の担当となっており、彼も同様に会場内外の見回りをしていた。異常がない事を確認し、会場へと戻ってきたスペンサー公爵。そんな彼の元に、レオナルドの部下が今回の事態を伝えに来たのだ。
『公爵様、申し訳ございません。実は……』
報告を聞きながら、自身の顔が引くつくの感じたスペンサー公爵。
レオナルドの部下が報告を終え去って行った後、スペンサー公爵はすぐさまフェシリアを呼び、早急にアイヴィーを会場外側から回収することを命じていたのだった。
スペンサー公爵が、手に持ったカップを静かに口へと運んだ。
彼の行動にピクリと反応したアイヴィーは、先ほどよりもさらに小さく項垂れた。
──うう……。もしかしてまた謹慎……!?
それだけは、嫌だ……!!
「……」
「…………」
ゆっくりと顔を上げたアイヴィ―は、わざとらしく瞳を潤ませ、今にも泣き出しそうな表情を浮かべる。対するスペンサー公爵は、こめかみを微かに引くつかせながらも、無言で不機嫌そうな顔を保っている。
二人の異様な空気を両側から浴びながら、眉尻を小さく下げたテオドールは、一人静かに自らの食事を進めることに集中した。
「はぁ」
しばらくして聞こえてきたスペンサー公爵のため息に、アイヴィーはビクリと肩を揺らした。
「……部屋に戻って、書類に目を通しておくように」
「……!」
「返事は」
「えっ、はい!」
「ならいい」
そう言って、席を立ったスペンサー公爵。
途端、ぱぁっと明るい表情を浮かべたアイヴィ―は、一呼吸おいて、ほっと胸をなでおろした。
──てっきり、ダンスでちょっと騒がせちゃった事も、チクりと言われるかと思ったけど……。
そっちも何も言われずによかった!
仕事のため、アイヴィー達より一足早く、食事を済ませていたスペンサー公爵。食堂を出て行く彼の後ろ姿を、笑顔で見送ったアイヴィーはそっと食器を取り、張りつめた空気のせいで満足に食べられなかった、残りの食事に手を付けるのであった。
*
美しくライトアップされた庭園が、月明りをも反射させ、より一層、輝きを放っている。
会場内から漏れ聞こえてくる、優雅な音楽。優しく耳に残る、その穏やかな曲調とは不釣り合いな二人の攻防が、今、ピタリと止まった。
「あっ」
予想外の力を持っていたアイヴィーの手から、ようやくグラスを奪い取ったグレイソン。彼女が手を伸ばしても届かない位置へと腕を上げ、無言で視線を落とす。
しかし、アイヴィーはまだ諦めていないのか、これでもかと踵を上げ、グラスへと手を伸ばしている。
「……」
そんな彼女の様子を、どこか気だるそうに見下ろしていたグレイソンは、ふと急にあたりが暗くなったことに気づいた。
振り返れば、窓際でカーテンを閉めているアンバーの姿が目に入った。
「…………」
「……」
いまだ目の前で、グラスに向かって手を伸ばし続けているアイヴィーを、手のひらで軽く押し返したグレイソンは、扉へと近づいていく。丁度カーテンを閉め終えたアンバーに、少しだけ開けた扉の隙間から、持っていたグラスを差し出す。すると、一度目をぱちりと開いたアンバーは「なるほど」と妙に納得した様子で、そのグラスを受け取った。
「このまま少し、彼女を見ていてもらえますか」
質問に聞こえる言い方だが、アンバーはグレイソンの返答を待つことはなく、サッとその場から離れて行ってしまった。
「あぁ~……」
グラスを持っていかれてしまったアイヴィーは、露骨に落胆の色を示し、その場にうなだれ始めた。柵に腕を預け、大げさに体ごともたれかかっている。
「せっかく、今日は……久しぶり、だったのに」
「…………」
こうして、グレイソンは酔っ払い独特の、妙な所に抑揚がつけられたアイヴィーの話を、しばらくの間、適当に聞きながす羽目となった。
温かい、穏やかな風が流れる。
さわさわと、木の葉が揺れる音を聞きながら、グレイソンはボソボソと何かしゃべっているアイヴィーの後姿を、遠巻きに見つめる。
「あっ! サーチェス卿は、どなたかと、踊りましたか?」
「……踊ってない」
「へ~~……ふふっ、」
さっきまでブツブツと不貞腐れていたのに、そうかと思えば、ぱっと振り返り、今度は上機嫌に問い掛けてくるアイヴィー。素っ気ないグレイソンの答えを聞いた彼女は、何がそんなに楽しいのか、ニコニコと満面の笑みを浮かべている。
「……あまり端に寄るな」
陽気に笑いながらも、手すり伝いにふらふらとよろめいているアイヴィー。そのすぐ後ろには、階段がある。グレイソンは、そんな怪しげな足取りの彼女の片手を掴み、動きを止めた。
すると、何故かアイヴィーは、掴まれていない方の手でサッとグレイソンの手を包み込んだ。
「……おい」
「…………」
無言で、両手で手を握られ続けるグレイソン。
数秒経っても一向に離される気配が感じられず、次第には、にぎにぎと微弱な強さで揉まれ始めてしまった。グレイソンは、そんな彼女が掴んでいる手にギュッと力を込めた。
「いたっいたたた! いたいいたい!」
手に加えた力よりも、ずいぶん大げさな反応を示す彼女をジッと見下ろしたグレイソンは、ゆっくりと力を弱めた。
そうこうしているうちに、小さく揺れたカーテンの隙間から、戻ってきたアンバーが顔を出した。
「東門に馬車を用意されるそうなので、そちらまで彼女をお願いします」
「……」
要件を伝えたアンバーは、再びグレイソンの返答を聞く間もなく、スッとカーテンの向こう側へと消えて行った。
完全に閉ざされてしまったカーテンから視線を戻したグレイソンは、小さく息を漏らした。
「あの、サーチェスきょう」
「……」
「どこへいくんですか」
先ほど強めに握ったアイヴィーの手を再び取り、そのまま階段を下りていくグレイソン。アイヴィーの問いかけには答えず、無言のまま足を進めていく。
「サー、チェス卿」
「…………」
庭の木々に囲まれてからも、黙々と歩くグレイソンであったが、その途中も続く、しつこい問い。それに思わず、
──手刀でもかまして、担いで運んでやろうか
と、物騒な考えが、頭によぎった。
少し前に、オーバンの店の裏でスペンサー公爵に担がれていた彼女の光景が脳裏に浮かぶ。
しかし、その後が面倒だと悟り、仄かな光が灯されている庭園を見て気をそらしながら、黙って手を引き続けた。
「サーチェス卿、今わらいました?」
「……は?」
瞳をパチパチとさせ、見上げてくるアイヴィーを絶対零度の視線が貫いた。
庭園の細道を抜ける。
門の傍に、公爵家の紋章が刻まれた馬車が見えた。
その手前には、紫色の髪を後ろに一つに束ねた女の騎士が立っている。
「あ!」
こちらに気付いたその騎士は、駆け寄ってきてアイヴィーの手を取った。扉を開け、馬車の中へと彼女を誘導する。そして、グレイソンを見てにこやかにお礼を言ったのち、その騎士は共に馬車に乗り込み、帰って行った。
やっと面倒な事から解放されたグレイソンは、馬車が去って行った方向を見つめ、ほんの少し目を細めた。
*
──……
「──てな具合で、お嬢様の手を引かれて、私の所までいらっしゃいましたよ」
「そっ、そんな……そんな……」
食堂から自室へ向かう途中、丁度、目の前を通りかかったフェシリア。彼女から、昨夜の出来事を聞いたアイヴィーは両手で顔を押さえ、小さく震えていた。
時を同じくして食堂を出たテオドールは、そんなアイヴィーの姿を横目に見て、また今回も、彼の前での自身の行動に羞恥を感じて、落ち込むのだろうか……と、思っていたのだが。
「ヤダッ!! 恥ずかしいよ~~!!」
「…………」
推しが手を繋いで介抱してくれていたなんて! と続け、キャーッとはしゃぐアイヴィーに、テオドールは冷たい視線を送る。
「……前は“サーチェス卿の前で失態を犯した!”とか言って、落ち込んでなかった?」
「なんかもう色々あって、そういう感情のレベルは越えたって言うか」
冷めた視線を送るテオドールの横で、アイヴィーは赤くなった頬に手を当てながら幸せそうに語る。
「それに、何だかんだ言って、推しは私が思ってたより面倒見がよくて優しいんだもん!」
「……へぇ」
あれだけの失態を重ねていれば、普通の令嬢であれば羞恥のあまり家に閉じこもり、顔を合わせることもできない程だろう。しかし、当の本人はこの反応。
テオドールは、今に小躍りでもし始めそうなアイヴィーを、ジッと見つめながら口を開いた。
「サーチェス卿も気づいちゃったんじゃないの? 姉さんの本性」
「グレイソンは私の事、破落戸だと思ってるわよ」
「……どういう事なの」
予想外の返答に、眉間にしわを寄せたテオドール。
そんな彼の前で、アイヴィーは以前、ライアン邸の地下室にグレイソンと二人で閉じ込められた時、彼本人から直接聞いた自身の印象をさらりと答えた。
恥ずかしげもなく、むしろ嬉しそうにはしゃぐアイヴィーを、白けた目で見つめるテオドール。すると、これまで二人の間でニコニコと笑っていたフェシリアが口を開いた。
「ちなみに、その報告を聞いている時の公爵様の顔が、個人的には一番おかしかったですね! あはは!」
「……」
にこやかにそう告げたフェシリアの言葉に、アイヴィーの弛みきっていた表情がサッと引き締まった。今の今まで、推しとの絡みを思い出して湧き上がっていた熱い感情が、一気に冷めてしまった。
──そういえばフェシリア……、アイヴィーが生まれるずっと昔からお父さんに仕えてるらしいけど、怖いものは無いのか……。
現在のスペンサー公爵が不機嫌な顔でもするものなら、大体の騎士たちは皆、怖がり遠巻きに見ることだろう。だが、このフェシリアだけはいつもニコニコと笑顔を浮かべており、遠巻きにするどころか、むしろ率先して絡みに行く勢いである。
「とりあえず今回はお咎めなくてよかったね」
「テオ……」
「じゃ、僕はこれから用事があるから」
さっきは庇ってくれてありがとう、の意味を込めた抱擁をしようと、アイヴィーがそっと腕を広げた瞬間、サッと右へよけたテオドール。彼はクールに別れを告げると、そのまま廊下を進んで行ってしまった。
「……」
以前のように、顔を顰めて拒絶されることはなくなったけど……。
今度は、結構な塩対応をされるようになってしまった。
成長したテオドールにほんのりと寂しさを感じながら、アイヴィーも自室の扉を開け、中へと入って行った。
「ふぅ…………あ」
扉が閉まり、そっと一息をついたアイヴィーが、はっとして顔を上げる。
『書類に目を通しておくように』
そう言えば、お父さんがさっき、そんなことを言っていたな……。
──書類ってなんだろ
部屋の中をぐるりと見渡したアイヴィーが、ピタリと止まった。
部屋の端の机の上には、一組の分厚い紙の束。
ゆっくりと傍により、それを手に取ったアイヴィー。
一番上の紙をパラリと捲る。
そこには見覚えのある文字の羅列────求婚者リストがあった。
「………………」
いつもお読みいただきありがとうございます!
本作のコミカライズ「悪女は仮面の騎士に騙されない」が、5/26からGANMA!にて連載スタートします!(隔週木曜更新)漫画でも楽しんでいただけたら嬉しいです!






