77.それは飾りです
ざわめく雑踏を抜け、バルコニーへと出たグレイソン。手摺に腕を乗せ、夜風に当たりながら、綺麗にライトアップされている庭園を眺める。
宮殿の端に位置するこの場所は、メインとして開放されている大規模な中央スペースとは違い、二階のバルコニーから庭園へと繋がる、外階段がついている。
十数年前、城内で中規模なアクシデントが起こった際、出入口が一階の一ヵ所のみであったため、二階にいた何人もの要人が逃げ遅れるという事態があった。それを踏まえ、改築、増築を行い、作られたのがこの場所である。
初めの方こそ、社交界が開かれるたびに、この場を利用する者は何人かいた。しかし、中央からの眺めと比べれば、やはり劣るのだろう。今では、滅多に人が立ち入ることはなくなっていた。
「…………」
本来であれば、グレイソンはレオナルドの護衛騎士として、今この瞬間も彼の傍に仕えているはずであった。だが、今回の夜会ではそのレオナルドから、貴族としての出席を言い渡されている。
過去にも何度か、このような形で社交界へ出席した事はあったが……やはり、落ち着かない。
ここ数ヶ月の間に立て続けに起こった、皇太子殿下が狙われた事件。その影響で、今回の夜会は常時よりも多くの騎士が、あちこちに配置されている。グレイソンが眺めているこの庭園も、今まさに彼らが巡回をしているところであった。
「──! ──……」
「……?」
グレイソンがいるバルコニーの真下、今さっき騎士達が通っていった辺りから、声が聞こえた。盗み聞くつもりはなかったのだが、自然と耳に入ってきたその声の主は、上階に人がいるとは思っていないのだろう。酷く砕けた口調で、親し気に相手との会話を続けている。
──……。
その時、ふわりと一瞬、温かい風がどこからが吹き抜けた。
雲の隙間から現れた月が照らす僅かな明かりと、付近をライトアップさせている魔法石の輝きが、庭園一面を美しく映しだす。突風で舞い上がった花びらと幾枚もの葉は、まるでワルツでも踊っているかのように、空を翔けている。
その光景に、思わず意識を奪われていたグレイソン。彼の視線の端には、風に靡きさらりと揺れる、見覚えのあるプラチナブロンドの髪が映っていた。
「あっ」
コツコツ、と小さく響いていた足音が、ピタリと止まる。
肩に羽織ったショールを手で押さえながら、階段下から姿を現したアイヴィーと目が合ったグレイソンは、特に表情を変えることなく視線を戻した。
まさかここに、俺がいるとは思っていなかったのだろう。一度、驚いたように目を開いた彼女は、その直後、ぱっと取り繕うような笑顔を作った。
「サーチェス卿も休憩ですか?」
「あぁ」
これまでは、レオとのダンスを避けるためか、必ずパーティーの途中で姿をくらませていたが……。おそらく、レオとヴァネッサとの婚約が決まった今、その必要は無くなったんだろう。会場内から漏れ聞こえてくる穏やかな楽曲の音に、ダンスが始まったのが分かる今、彼女はこうして会場へ戻ってきている。
「……あの、先日はお騒がせいたしました」
「…………」
おずおずと発せられた言葉。その声に、グレイソンは再びアイヴィーへと視線を移した。
城内から漏れる明かりで逆光となっているため、彼女の表情をしっかりと読み取ることはできないが、恥じらいながら眼をふせているように見える。
「その、あの時、お店にお金も払わず……」
おそるおそる顔を上げたアイヴィーに、グレイソンはその日の光景を思い出し、軽く目を細めた。
「玄関先に、銀貨が入った袋が置かれていたそうだ」
おそらく、スペンサー公爵家の騎士が置いていったのだろう。
店を気にしていたのなら、その必要はない。
そんな意味を込めて放ったグレイソンの言葉に、アイヴィーは何とも言えない複雑な顔を浮かべている。
……どういう表情だ。
その時、会場内の明かりがパッと強まった。暗くてはっきりと見えなかった互いの顔が、鮮明に映る。
「…………」
「……?」
ジッ、と黙ったまま視線を送るグレイソンに、アイヴィーは少しだけ首を傾ける。
おそらく、先程の突風で舞い上がったものがついたのだろう。
アイヴィーの頭には、小さな葉が二枚生えていた。
「……頭、ついてる」
彼女の頭上を見つめたままそう言ったグレイソン。ぱちぱち、と二度瞬きをしたアイヴィーは、困惑しながらも自身の頭部へと手を伸ばす。
やがて、何度か手を往復させていた彼女の指先が、小さな葉に触れた。掴んだそれを、サッと自身の顔の前へと運ぶ。
小さな葉をじっと見つめたアイヴィーは、妙に納得した様子で口元を緩めている。
「…………」
しかし、そんなアイヴィーの頭にはまだ一枚、葉が残っている。
グレイソンはスッとアイヴィーに近づくと、風に揺れる彼女の髪に触れた。丁寧な作りの花の装飾の傍に、寄り添うようについてるそれを掴み取る。
「!?」
「…………」
驚いた様子で目を見開いているアイヴィーの前で、グレイソンはその葉をバルコニーから下へ向け、パッと捨てた。
「あっ、ありがとうございます」
ハッ、とした様子で礼を言ったアイヴィーを、横目に確認するグレイソン。
「……………………」
またその顔。
嫌に瞳を煌めかせながら、こちらを見上げ続けているその視線には、不思議と嫌悪感はない。しかし、なぜか胸の奥に小さな苛立ちを覚えたグレイソンは、再びアイヴィーへ向けて手を伸ばした。
「……まだついてるな」
「こ、これは飾りです!」
今日のドレスに合わせ、アイヴィーが自ら選んだ花がモチーフのヘアアクセ。さり気なく、推しのイメージカラーである赤の装飾も、しっかりと中央に施されている。
それを掴もうとしているグレイソンの手を避けるように、アイヴィーは首を曲げ、体も反らした。
「今日は、殿下の護衛はされないのですねっ」
大袈裟なほど体を反らし、必死な様子で掴まれそうになる手から逃げているアイヴィーを、無言で見下ろすグレイソン。
しかし、彼は一度避けられれば、特にそれ以上迫るつもりはなかったらしい。アイヴィーの露骨な話題逸らしに、グレイソンはいつもの無表情のまま「……あぁ」と答えた。
「ちゃんとお休みがあるんですね」
奇妙になってしまった体勢から、ゆっくりと状態を戻したアイヴィーがホッとしたように、穏やかな声で言った。その言葉に、グレイソンは目を細める。
別に休みという訳ではないが……。
「……」
グレイソンが、顔を上げたアイヴィーと再び目が合った、その時。背後から扉の開く音が聞こえたのと共に、先ほどから城内から漏れ聴こえていた音楽が、一気に大きくなった。
「おや、こんな所におられたのですか」
会場から現れた男は、アイヴィーを見つめながら落ち着いた口調でそう言うと、彼女のすぐ目の前まで歩いてきた。
「先ほどのお約束、覚えていらっしゃいますか?」
「……えぇ」
「それでは今から私と一曲、踊っていただけませんか」
この男の話しぶり。どうやら、彼女が城内に居た時に、ダンスの口約束でもしていたのだろう。
それにしても、この男。過去にレオナルドの護衛騎士として出席していた時も、何度か見かけたことはあったが……これほど強気な態度をとっている姿は見るのは初めてだ。
今や、帝国三大公爵家の中で最も力がある、スペンサー公爵家。そして、その娘であるアイヴィー。
かつては、皇太子であるレオナルドの婚約者候補であったため、迂闊に近づく者はそうそういなかった。しかし、それがなくなった今、こぞってその権力を我が物に、と群がってる者たちは少なくはないだろう。
おそらく、この男も、その中の一人。
目の前で跪き、アイヴィーへダンスを申し込んでいる男を、無表情のまま見下ろしていたグレイソン。男が跪く直前、チラッとこちらを一瞥した視線が、酷く攻撃的であった。
傍にいる人間を警戒しているのか。
いや……。
なかなか差し出した手を取らないアイヴィーに、男はハッと嘲笑するような声を漏らした。
「まさか、こちらの方とも、踊る約束をしていたわけではないでしょう」
「…………」
今度はハッキリと顔を歪ませながら、攻撃的な態度でそう言った男に、グレイソンは変わらずの無表情で応戦する。
……あぁ、そうだ。思い出した。
この男はたしか、ガルシア侯爵家の三男。ガルシア家と言えば、上流階級の貴族意識が非常に高い事で有名だ。日頃から、自分より身分の低い貴族や平民を毛嫌いし、足蹴にしている。
レオナルドの推薦があったところで、もともと貴族ではない人間がここに居るのが気にくわないのだろう。
「行きましょう」
ピリピリとした空気が漂い始めたその時、グレイソンとその男の間にアイヴィーが割って入った。
「私と踊ってくださるのでしょう?」
右手を出し、そう言ったアイヴィー。
その顔は、先ほどまでの面白いほどにコロコロと変わる、最近知った彼女の表情ではなく……初めて彼女を見た時に感じた、優雅で華やかさのある立派な貴族令嬢のそれだった。
「あ、……あぁ!」
「…………」
小馬鹿にしたような態度を全面に出し、こちらを睨んでいた男は、ハッとした様子で立ち上がる。そして、アイヴィーの手を取り、勝ち誇ったような顔をグレイソンへ向けると、彼女の腰に手を回し会場内へと入っていった。
扉の閉まる音を背中で確認したグレイソンは、あの男が入ってきたことで途切れてしまった会話を思い返した。
『ちゃんと寝ていますか』
そう言えば以前、街で会った時も、自身の目の下にできた隈を見て、そんな事を言った。あの時も、今も、特段彼女にとっていい態度を取っていたとは思えないが……。
グレイソンは過去を思い返しながら、ポゥ、と小さく揺らめく庭園の明かりに目を向けた。
──数十分後。
「あ、よかった。まだいらしたんですね」
カチャ、という音にグレイソンが振り向けば、そこには、先ほどガルシア侯爵家の三男と共に城内へ入って行った、アイヴィーの姿。
何食わぬ顔で、再びこのバルコニーに戻ってきたアイヴィーは、どこか先ほどよりも軽やかな足取りで、グレイソンの元へと近づいていく。
「……さっきの男と踊っていたのではないのか?」
「えぇ、踊ってきましたよ」
少し間隔を開け、グレイソンの横に並ぶ形で、手摺に腕を預けたアイヴィー。
そんな彼女を目で追いながらも、サッと会場内を一瞥したグレイソン。端の方に、ちょっとした人だかりがある。
「でも、何故かとても疲れちゃったみたいで、休憩されるそうです」
「……」
どうせお前がなんかしたんだろ、と半目で冷たい視線を送るグレイソンに、アイヴィーは、にこにこと笑顔を向けている。
「まだ踊ってくればいいだろ」
「今はダンスより、あなたと話していた方が楽しいですから」
「……」
任務でもない今、別に好青年を演じているわけではない。そんな自分と話したところで、何も楽しいことなどないと思うが。
相変わらずの仏頂面のグレイソンに、アイヴィーは柔らかい笑みを浮かべる。
「綺麗、ですね」
アイヴィーの言葉に、グレイソンはバルコニーから下へと視線を向ける。
この夜会のため、特別にライトアップされたこの庭園。確か、有名な術師と庭師に頼んだ、とレオが言っていた。
「あぁ」
「……、っふふ」
「?」
アイヴィーが漏らした笑い声に、グレイソンは顔をあげ、彼女を見る。
「私が綺麗と言ったのは、貴方の瞳です」
「…………?」
二人が視線を交えて、数秒。
スッと視線を下げたグレイソンは、アイヴィーの手にグラスがあることに気づいた。夜の暗さではっきりとは分からないが、頬も少しほてっている気がする。
──……飲んだな。
目を細めたグレイソンの前で、先ほどから妙に上機嫌だったアイヴィーは、へらへらと笑いながら、持っていたグラスを口元へ近づける。
咄嗟に手を出し、その腕を握ったグレイソンは、グラスを奪おうと試みるが……。
「……」
「…………」
固い。
グラスを握るアイヴィーの手の力が、想定していたよりもはるかに強い。
「……おい」
「へへっ」
「離せ」
無表情ながらも、ドスの利いた低い声を出したグレイソン。それにも関わらず、アイヴィーは再び、握られた手を口元へと近づけようと力を籠める。
「…………」
すかさず、もう片方の手でアイヴィーからグラスを奪う。
あっ、と声を漏らしたアイヴィーが、グラス取り戻そうと一歩踏み込む。
城内から漏れ聞こえてくる音楽に合わせ、まるで下手くそなダンスを踊っているかのような、二人の攻防はしばらく続いた。
*
「なにをやっているんだ!」
「も、申し訳ありません……っ」
パーティーも終わりへと差し掛かった頃、レオナルドの耳に、部屋の隅で揉めている給仕たちの声が届いた。奥の部屋で、大柄の男が何かミスをしたのであろう小柄な男へ、叱咤しているのが見える。
「? 騒がしいな。どうした」
「……どうやら、共和国の使節団専用に用意していたグラスを、間違ってどこかの御令嬢に出してしまったようです」
「なんだと」
共和国と言えば、古くから数多くの名酒を生み出しており、またその度数も高い事で有名だ。
以前、こちらを訪れ、酒を飲んだ際に、「このような酒、薄くてとても飲めたものじゃない!」と、ケチをつけてきた奴らではないか。そのため、以降のパーティーでは彼ら専用の度数の高い酒を用意していたのだが……。
「悪いが会場内を見て、具合の悪そうなご令嬢がいないか、確認してきてくれ」
「かしこまりました」
腰を下ろし、アンバーから受け取ったグラスに口をつけたレオナルドは、ふと顔を上げた。パッと場内を見渡したその時、視界の端に映った窓を見てぎょっとした。
「あぁ……いや、ちょっと待て」
「はい?」
今しがた、命令を出したばかりのアンバーを呼び止めたレオナルド。
ゴホッ、と噎せる口元を押さえながら、視線で端の窓を示す。
「あそこのカーテンだけ、閉めてきてくれないか」
「え、……はい。畏まりました」
レオナルドの視線を追って窓を見たアンバーが、一瞬、驚いたように目を開いた。そして、その数秒後、サッと落ち着いた表情に戻したアンバーは、窓へと向かって歩き出した。






