74.デジャヴ
「おかわり!」
「ん──……、ほい」
カウンターの向こう側から、男店主が差し出したカップを両手で受け取ったアイヴィーは、早速それに口を付けゴクゴクと喉を鳴らした。
目の前には、すでに空のカップが四つ並んでいる。
「いい飲みっぷり」
「ん~~……甘い! もう一杯!」
「おい」
男店主の声にニンマリと笑顔を浮かべたアイヴィーは、再びカップをかかげ追加の注文をする。しかし、すぐ隣でそれを見ていたレイは、気だるげな様子で口を挟んできた。
「オヤジ、コイツにはもう出さなくていい」
「なんでよ!」
「うるせーな、声でけーよもう」
不安定な声量のアイヴィーの声に、耳を塞ぎながら顔を顰めるレイ。そんな二人の前で、オヤジじゃなくてお兄さんです、と言った男店主は器用な手つきで新しいカップにドリンクを注ぐ。そして、目が座っているアイヴィーには聞こえないよう、さり気なく首を伸ばし、小声でレイに告げた。
「大丈夫だよ、二杯目からシュワシュワするジュースしか出してねーから」
「…………それで何でこうなってんだよ」
男店主の言葉を聞き、呆れたような視線を送るレイ。アイヴィーは、自身のすぐ目の前でジュースが注がれる様子をぼんやりと眺めながら、頬杖をついていた。
「ほい、お待たせ」
「……ありが」
差し出されたカップを受け取ろうとして、アイヴィーが頭を上げる。
──ん……? あれ……?
「お兄さん……どこかでお会いしたことあります……?」
「え? なに? ナンパ?」
「違いますけど」
ありゃ、ハッキリ言われた!と、軽い口調で笑い声を漏らす男店主をじっと見上げる。受け取ったカップに口付けながら、アイヴィーは熱い視線を送り続ける。
「んなにジッと見られると、お兄さん照れるなぁ」
「…………」
「お兄さんはもうキツイってよ」
アイヴィ―とは目を合わせず、テキパキと手元を動かしながらそう言った男店主に、レイの鋭い言葉が突き刺さる。
目の前で繰り広げられる二人の言葉の殴り合いを聞きながら、次第に意識が薄ぼんやりとしてきたのを感じるアイヴィー。カップをテーブルに置き、頬杖をついていた腕ごと、だらしなく上体をカウンターに預けた。
──?
ふと、腹部に違和感を感じる。
ハッとしたアイヴィーは慌てて上体を起こし、ポケットの中に手を入れる。
──よかった……割れてない。
グレイソンから貰った香水。ポケットに入れてたんだった。
取り出した小瓶をくるくると回して眺めながら、壊れていないことを確認したアイヴィーは、ほっと息を漏らした。
再びカウンターに上体を倒し、小瓶を眺めながらニヤけるアイヴィー。そんな彼女へ、顔を向けた男店主が口を開いた。
「ん? それ……」
ぱちり、と瞬きをした男店主は、いまだに何かわめき続けているレイの元からスッと離れ、アイヴィーの傍へと近づいていく。そして、アイヴィーが嬉しそうに眺める小瓶に視線を落として問い掛ける。
「それ……、どうしたの?」
アイヴィーが顔を上げれば、笑顔を浮かべている男店主。
でも、どうしてだろう。
なにか違和感を感じる。
「……頂いたんです。今日」
「ふーん」
ほんの少し躊躇いながらも、素直に答えたアイヴィーに対し、男店主は変わらぬ笑顔のまま含みのある声を出した。
「へぇ……そうなんだ」
──……?
まるで、全身をじっくりと観察されているかのような感覚。
突然の男店主の態度の変化にやや緊張感を抱きながらも、アイヴィーは机の上に置かれたコップにそっと手を伸ばす。
「おい! こっちもおかわり」
空になったカップを振り回しながら、レイが叫んでいる。
「……はいはい」
その声に、ふぅ、と小さくため息をついた男店主はアイヴィーからサッと視線を外すと、再び慣れた手つきでカップを取り出し、酒を注ぎ始める。
「…………」
なんだろう。
どうして、この人に会ったことがあるような気がするんだろう。
初めて見る顔なのに……。
「んんん……」
先ほど近距離で顔を合わせてから感じている、妙な既視感に悩まされたアイヴィーは瞳をゆっくりと閉じ、小さく唸る。
「…………ねむ……」
「おーおー、寝ろ寝ろ。うるせーから」
唸りながらも、チミチミと飲み続けていたアイヴィーのカップはすでに空になっている。次第に眠気に襲われ始めたアイヴィー。ふわふわとぼんやりとする思考と懸命に戦う。
「────……」
「…………」
──はっ。
カクンッと大きく船を漕いだアイヴィー。パッと目を開けば、すぐ隣にいたはずのレイの姿が見当たらない。
「?」
「グガ──ッ……グガ──ッ……」
はっきりと聞こえてくる、何者かの寝息。
ゆっくりと視線を下げれば、床に転げ落ちるようにして眠っているレイの姿があった。
「あーあ、また寝落ちてら」
「…………」
「なーんかここんとこ最近、ずっとこんな調子なんだよなぁ」
カウンターの向こう側から、男店主がレイを覗き込んでそう言った。この口ぶりから、レイはここ最近、頻繁にこの店を訪れていることは確かなんだろう。そして、毎回こんな風に寝落ちている……。
アイヴィーは今にも落ちてしまいそうな重い瞼を懸命に上げながら、床で寝息を立て転がっているレイを見下ろす。
すっかりと日も落ち、窓からはキラキラと星が輝き始めているのが分かる。
──帰らなきゃ……。
そう思いながらも、これからの事を考えると気が重い。
帰ったらお父さんと顔を合わせるだろう。その時、なんて言おうか。
「はぁ──、帰りたくない」
もう明日でもいいかなぁ。
……いやダメだ。これまでも、邸を出て許されていたのは二日までだった。
帰らなきゃ。でも……。
──もうちょっとだけ、たってから……。
アイヴィーは、ぼんやりと窓を眺めていた瞳をそっと閉じた。
それから、どれほど経っただろうか。
シン、と静まり返った店内に、カランカランと上品な鈴の音が響いた。
「あ、悪いけど今日はもう閉め……ってお前さんかい」
カウンターの下にしゃがみ込み、棚の整理をしていた男店主が、立ちあがりながら閉店を告げようとする。しかし、男店主が扉へと顔を向けた瞬間、その声色は穏やかなものへと変わった。
「……」
そんな男店主とは対照的に、扉の前に立つ男は店内をじっと見渡した後、眉間にしわを寄せ、酷く不快そうな顔をした。それぞれカウンターの上と下で、見事に寝落ちている二人の人間が嫌でも目に入ったからだろう。
「……どういう状況だ」
扉の前には、茶色の紙袋を抱え立ち尽くすグレイソンの姿があった。
*
「あ──、グレイソン。その子あっちの部屋に運んどいてやって」
「……」
「今ジャスミンは実家帰ってるし、一番奥の部屋空いてるから」
ジトっとした目を向けるグレイソンに、オーバンは「あ、あっちの男はあのままでいいから」と床に崩れ落ちて寝ている長髪の黒髪の男を指して言った。
「なんだよ、こんな光景別に珍しくはねーだろ」
確かにここへ来る客の中には、こうして酷く酔っ払い、つぶれている姿を見せる者がこれまでにも何人もいた。
だが、そこの女は……。
妙にデジャブを感じるこの状況に顔を顰めつつ、しぶしぶ荷物を置いたグレイソン。カウンターでうつ伏せになり、だらしなく寝こけているアイヴィーへと近づいていく。
「おい」
「……ばか」
「は?」
腕を掴み、起き上がらせようとすれば、突然の罵倒。つい反射的に口が出ていた。
「自分だって……誰彼かまわず……助ける、くせ……に……」
「…………」
ぼそぼそと、途切れ途切れに発せられた寝言。それを聞いたグレイソンは、アイヴィーへと向けていた視線を少し和らげる。
「あ~なんか、お父さんとケンカしたんだって」
「ケンカ……?」
「そ、んで家飛び出して、ここに来たみたいよ。あの男と一緒に」
床で寝息を立てて転がっている、黒髪の男へと視線を向けたグレイソン。「それ以上詳しくは知らないけどな~」と続けたオーバンは、グレイソンが持ってきた茶袋の中身を取り出し、奥の部屋へと入って行った。
『……家出です』
グレイソンは日中、道で会った際にそう言っていたアイヴィーを思い出した。
──家出って、本気だったのか。
「…………」
自身の首に腕を回させる形で、半ば引きずるようにしてアイヴィーを運ぶグレイソン。器用に足で扉を開け、小さな窓際に沿って置いてあるベッドの上へ腰を下ろす。
腕を支えていた力をほどき、アイヴィーをベッドに寝かせ、立ち上がる。
「……う」
小さく、呻き声を上げたアイヴィー。
少し前にも、似たようなことがあった。あの時はひどい頭痛に魘されていたようだったが、今はもう穏やかな顔で寝息を立てている。おそらくオーバンが出した酒は、それほど強いものではなかったのだろう。
「…………」
椅子に畳みかけてあった掛け布を手に取り、アイヴィーにパッと被せたグレイソンは部屋を後にした。
「出かけるのか?」
「お、あぁ」
グレイソンが再び店内へ戻れば、いくつかの袋を脇に抱え、扉の近くで軽く身なりを整えているオーバンの姿があった。
「ちょっと出かけてくるから頼むわ」
「……明日の昼には出る」
「そんな時間かかんねーよ」
ニカッと笑顔を向けたオーバンに、グレイソンは何か言いた気な表情を浮かべている。しかし、そんな彼の様子を確認しつつも、オーバンは手をひらひらとさせ「んじゃ、頼むわ」と言い残し出て行ってしまった。
「うぅ、……うう……」
「…………」
扉が閉まり、数秒。
奥の部屋から聞こえてきた唸り声。
はぁ、と小さくため息をこぼしたグレイソンは、体を反転させ歩き出した。
「う……、……」
眉間にしわを寄せ、小さな声を漏らすアイヴィーを、じっと見下ろす。
顔色は悪くない。
具合でも悪くなったのかと思ったが、どうやらただ夢見が悪かっただけのようだ。
「………?」
その時、ガタガタッ、と急に外が騒がしくなった。
──馬の足音……馬車か。
だが、一台やそこらではない。
グレイソンはそっと身を乗り出し、小さな窓から外を確認する。
「ん、ん……?」
外を覗くために膝を乗せたベッドが、ギギッ、と軋んだ。そのせいだろうか、唸りながらも眠っていたアイヴィーが身じろぎながら、ゆっくりと瞼を開けた。
「……なに、してんの」
「…………」
じとっ、とした視線が下から突き刺さる。
視線を交わし合って数秒、グレイソンはスッと窓際から身を離した。






