73.そっちが目当てでしょ
「あ」
手に持った小瓶をしきりに眺め、口元が緩みそうになるのを堪えながら、ひとり上機嫌に街を歩いていたアイヴィーは、聞こえた声に顔を上げた。前方から歩いてきていたらしい、見知らぬ顔の男。ぱちり、と瞬きをしたアイヴィーを正面から見下ろす男は、酷く顔を歪めている。
「?」
──え、誰だろう……。
どこかで会った事があっただろうか。
これまで、アイヴィーと正面から顔を合わせて、こんなにも分かりやすく表情を歪めるような人間と言えば、過去にひと悶着あった悪いやつらの可能性が高い。
アイヴィーは表情には出さぬように、周囲を警戒する。
「はぁ……」
しかし、目の前の男はアイヴィーを見て、これ見よがしに一つ大きなため息をつくと、気だるそうに片手で顔を覆った。
なんだろう……この、態度……。どこかで。
アイヴィーはもう一度、しっかりと目の前の男を観察する。
目が合った時に見えた、男の顔。色素の薄い三白眼に、力強く真っ直ぐと伸びた黒髪は、後ろで一つに結ばれているようだ。
記憶の中の人物と照合するが……一致する人物はいない。誰だ。
「俺だよ俺」
まるで詐欺師のような言葉を口にした目の前の男は、顔に当てていた手をぱっと離した。瞬間、目の前に飛び込んできたその男の顔面に、アイヴィーはあっと声を漏らした。
「ベルの元使い魔!」
「元って言うな」
内心ホッと安堵したアイヴィーは、顔以外のパーツはそのままに、グレイソンの顔で話す元使い魔に、顔を顰めながらに告げる。
「……その顔やめてってば」
フン、と何故か偉そうな態度の元使い魔は、再び顔を手で覆いスッと先ほどの顔に戻すと、真横を通り過ぎ、アイヴィーが歩いてきた方向へと歩き出した。
日は大分、傾いてきている。
少し考えた後、アイヴィーはその後を追いかける事にした。
後をつけるアイヴィーの気配に気づいている元使い魔は、振り向くことも歩く速度は変えることもなく、迷惑そうに声を漏らす。
「ついて来んなよ」
「どこ行くのよ」
ていうか、この元使い魔……。
──あまりにも普通に、人間になじみすぎてない?
朝、お菓子を買いに来た時もそうだけど……。
今も、ベルの元使い魔だって事を知らなければ、普通に暮らしているただの人間にしか見えない。
「メシ食いに行くんだよ」
「夕飯……?」
元使い魔はそう言うと、大通りから少し外れた小道へと入った。少し進んで行った先には、四階建ての朱色の壁の建物が見える。その前で、ピタリと足を止めた元使い魔。上を見上げた彼に倣い、アイヴィーも顔を上げる。すると、三階部分の扉のランプが点灯し、やがて明かりが灯った。
「……お前、金持ってんの?」
いつの間にか視線を下ろし、こちらを向いていた元使い魔が問い掛ける。
「持ってるわよ」
「よし! じゃ、行くか!」
アイヴィーが銅貨と銀貨がたくさん入った布袋をジャラッと取り出せば、つい先ほどまで、酷く鬱陶しそうにしていた元使い魔の態度は一変した。急に親しげな様子でアイヴィーの肩をガシッ、と掴んだ元使い魔は歩き出す。
「この店は、酒も飯も旨いんだ」
「……へー」
ジトッとした視線を送るアイヴィーを横目に、元使い魔は慣れた様子で建物の中へと入っていく。それに続きながら、アイヴィーは周囲へと目を向ける。一階と二階部分は別のお店が入っている様子ではあるが、今は暗くなっており、人の気配がない。
カツカツと足音を立てながら、二人は階段を上っていく。
「ここ……」
重量感のある扉を元使い魔が片手で開ければ、カランコロン、と上品な鈴の音が響いた。
中にはまだ他に客はおらず、落ち着いた雰囲気が漂っている。
──この感じ……居酒屋っていうより、バーに近いのかな。
あまりこういったお店には来た事が無かったアイヴィーは、チラチラと店内を見渡す。すると、奥の方から出てきた従業員らしきお姉さんが一人、手を振りながら近づいてきた。
「んで、ここで働いてるねーちゃん達は、みんなかわいい」
「……そっちが目当てでしょ」
いつもの頼む、とこの店の常連であることをしれっと見せつける元使い魔に、ジッと半目で重い視線を送るアイヴィー。しかし、運ばれてきた料理を一口食べた瞬間、その顔はパッと明るく変わった。
「本当に美味しい……」
「だろ~?」
なぜ、アンタがそんなに得意げに言う。
カップを握りながら大きな態度をとる元使い魔に、アイヴィーは問い掛ける。
「それでアンタの名前は? いい加減教えてよ」
「……」
すると、へらへらと上機嫌になりつつあった元使い魔はスッと冷めた表情に変わり、カップに口をつけチビチビと酒を飲み始めた。
「どうせこれからも、ベルに会いに来るんでしょ」
「……どーだかなぁ」
言葉を濁す元使い魔に、アイヴィーはふぅと小さく息をつくと、目の前に置かれている卵料理の残りを口へ運ぶ。
オムレツ……っぽいんだけど、ちょっと違う。何が入ってるんだろう。
これまであまり食べた事の無い触感。癖になりそうだ。
アイヴィーが黙々と食事をとるすぐ隣で、「メシを食う」と言っておきながらここへ来てから酒しか飲んでいない元使い魔。空になったカップをコト、とカウンターに置いた彼は、小さな声で呟いた。
「……好きに呼べばいい」
「じゃあレイ」
「あぁ?」
「何でもいいって言ったのに、なんで睨むの」
これまでは不機嫌そうだったり、落ち込んでいたりで口数が少なかった元使い魔。だが、お酒が入ってきたからなのか、少しずつ口が軽くなってきた。
──魔物も……お酒を飲むと酔っぱらうんだ。
もりもりと口を動かしながら、横目にレイを観察するアイヴィー。
彼の前に並ぶ空のカップが、三つを超えた頃……。
「らのに、アイツはよぉ~~」
「…………」
レイの酔いはかなり回り、カウンターに覆いかぶさりながら、語尾は怪しく不安定な声量で話し始めた。カップを握りながら、器用にだらしのない格好で飲み続けるレイの横で、アイヴィーも注文したジュースを両手でつかみ、口をつける。
「本当、はよぉ……、アイツに会ったら、言いたいことがいっぱいあったんだ」
「うんうん」
「俺たちはいい相棒だ! って、言ってたのに……」
「うんうん」
「勝手に1人で決めて、好き勝手生きてたくせに、ほんとぉ、勝手なやつでよぉ」
カウンターに並んで座っているアイヴィー達二人組以外に、店内には数人、別の客の姿が見える。だが、どこの席も互いに話が賑わっているようで、特にこちらの様子を気にする者はいない。
次第に荒ぶってきたレイの声に、相槌を打ちながら聞いていたアイヴィーはチラッと店内を見まわした後、再びカップへと視線を落とす。
「200年待って、ようやくアイツみつけて」
「……」
「なのに……あいつは、俺を見て……顔を顰めたんだ」
200年……。
アイヴィーは、レイと一緒にいた時のベルの様子を思い出す。
──あれは、顔を顰めるっていうより……。
「……アイツは、俺になんて、会いたくなかったのかよ」
「…………」
「だから一人で、死んでったのかよ……」
聞こえてきた声が震え始めたのに気づき、顔を上げたアイヴィ―はギョッとした。カップを握り締めながら声を震わせていたレイの両目からは、ポロポロと涙が零れ落ちている。
「…………」
この男の、一体どこが魔物なのだろう。
ベルの前世を知っている、という点とこれまでの話から、この魔物はおそらくかなり長い時を生きているという事は理解できる。実際に姿を変えらえたりするのも、この目で何度も確認している。
間違いなく、今目の前に居るこの存在は、人間ではない。
この世界で目覚めてから、アイヴィーは幾多もの魔物を見てきた。その殆どが、獣型や意思の疎通が困難だと思われるものだった。中には言葉を交わせるものもいたが、好意的ではないもの達が多かった。
目の前に居るこのレイも、自室で顔を合わせてからのベルの警戒心の低さと、人間生活に溶け込みすぎている様子から、急に襲い掛かってくることはないだろうと思ってはいた。だが、やはり心のどこかで緊張していたアイヴィー。
だけど。
これまでの態度も、行動も、ベルを思って泣いているこの姿も。
彼は、私たち人間と一体何が違うと言うのだろう。何も変わりはない。
アイヴィーは、未だ泣き続けているレイの肩をポンポン、と優しく叩いた。それに反応しピクッと体を揺らしたレイは、ズズッと鼻をすすった後、弱々しい声で言葉を続ける。
「ほんとは……アイツが死ぬ前、魂を食っていいって言われてたんだ」
「え……」
「でも、俺は食わなかった」
──魂を……食べる?
思わず目を見開いたアイヴィー。
しかし、その様子を見てないレイは構わず話し続ける。
「だって、俺が食ったら……アイツはもう、本当に、この世界からいなくなっちまう」
突然レイが話し始めた驚きの内容に、抱いた疑問を飲み込みながら相槌を打つ。
「だけど、もしかしたら何年か、何十年か……もっともっと先でも、この世界で待っていれば、また会えるかもしれないって、……思って」
「……」
酔ってるし、話もつぎはぎでよく分からないけど……
──レイは、相棒だった前世のベルの事が大好きで……もっとずっと一緒に居たかった、って事なのかな……。
俯き、黙り込んだレイ。アイヴィーの眉尻が下がる。
しかし、握った拳を突如、ダンッとカウンターへ叩きつけたレイは、声は少し掠れた声で吐き出した。
「でもこうやって、やっと会えたと思ったのに、あいつはよぉー!! やっぱ変わんねーなあぁ言うとこ!」
「……どういうとこ?」
「あ〜〜?……まるで、この世界には自分独りしかいないって顔してるとこだよ」
「…………」
尻すぼみにそう言うと、レイは再びパタリと机に頭を伏せ、動かなくなった。と思った、またその数秒後、バッと体を起こして叫んだ。
「オヤジィ酒ェ!」
「あ、じゃあ私も」
赤くなった眼を手首で擦った男は、空になったカップをかかげ、カウンターから突き出した。アイヴィーもそれにあわせ、同じものを注文する。
……それから、数分後。
「だからさぁ! 本当いっつもいっつも!」
「…………いや、なんでお前の方がそんなに酔ってんだよ」
つい先ほどまで、レイの肩を叩きながら慰める側だったはずのアイヴィーは現在、カウンターに上半身を突っ伏しながら声を荒げ、ベロベロに酔っぱらっていた。
「まだ一杯しか飲んでねーよな……?」
*
日も完全に落ちた頃。
店内にいた別の客たちの姿は、気づいたら見当たらない。
シン、と静まり返った店内で一人、声を荒げ続ける女がいた。
「大体こっちだってさぁ、分かってるんだよそんな事はぁ」
「へーへー」
「そんなド正論、いちいち繰り返して言わなくてもいーのよ」
「ホーホー」
たらたらと話すアイヴィーの声に雑な相槌を打ちながら、レイは通りがかった従業員のお姉さんに追加の酒を注文をする。
「あと、昔の話を掘り起こしてくるのもムカつく……その話はその話で、今回の事とは関係ないのにさぁ……」
「フンフン」
「相槌テキトーすぎィ!」
くわっと叫ぶアイヴィーを華麗にいなしながら、レイは新しく受け取ったカップを呷る。
スペンサー公爵は、以前からアイヴィーが無鉄砲な行動をするたび厳しく咎め、叱ってきた。
私だってバカじゃない。スペンサー公爵の言い分は、十分に理解できている。でも、だからって。
「私だって、ベルぐらいめちゃくちゃ強い魔法が使えたら、あんなこと言われなかったのに」
「…………」
アイヴィーの言葉に、レイは飲んでいた手をピタリと止めた。
「ホントは分かってるよ……ベルを抜いたって魔法を使えるみんなと比べたら、私なんて精々、下の上くらいの魔力しかないんだから」
アイヴィーは今回の喧嘩────スペンサー公爵にとっては取るに足らない些細な一言であり、アイヴィーにとっては家出するという暴挙にまででた、最大の原因である言葉を思い出し、弱音を漏らした。
『大それた力も無いくせに、何でも出来る気になるな』
アイヴィーの握っているカップに、力がこもる。
前世の記憶を取り戻してから、スペンサー公爵家に降りかかるたくさんの悪意から公爵家を守るため、まだ剣も魔法も満足に扱えなかったアイヴィーは、必死で走り回って、その体一つで見事黒幕を追い返した。その後を継いできた者たちも、身を粉にしてなんとか撃退した。
初めて魔法を使えた時は、その嬉しさに何発も攻撃魔法を発動し、あっという間に魔力を消費してしまい、2日寝込んだ。診てもらった後、持っている魔力量がそれほど多くないと知って、かなりショックを受けた。
魔力量は、成長する過程で多少の増減はあるものの、生まれた時に持っている魔力量が最大値の基準となる。それでも、何とか上限を増やせないかと毎日ギリギリまで魔力を消費し切ってみても、魔力の総量自体が大きくなる事はなかった。
だから、アイヴィーは自身の持つちっぽけな魔力でも、今後、自分より大きな力を持つ敵が現れた際、それに打ち勝てるような魔力の使い方や、魔術の組み合わせ方を考え、特訓していたのだ。
──私には、ベルみたいな強大な魔力はない。
何でも出来るわけじゃない事を知っている。
「それでも……どうにかして……今まで、守れるようにって、思ってたのに……」
それなのに。
「あんな言い方……」
──まるで、この世界で生きてきた、これまでの事を全部……否定されたみたいで
悔しくて。
……悲しかった。






