72.新しい感情
翌朝。
今日も朝から大繁盛の店先には、お馴染みの商人の娘スタイルで笑顔を振りまく、アイヴィーの姿があった。
「お、見ない顔だね、新しく人を雇ったのかい?」
「いいえ、今回だけ。お手伝いですよ!」
この店の常連なのだろう、顔を見て声をかけてきた一人のお客さんに、アイヴィーは笑いながらお菓子が入った茶袋を渡す。上機嫌に去って行く女性に手を振ったアイヴィーは、パッと振り返り、今度は別の注文を受ける。
「お嬢様がどうしてこんな事出来るってんだい、全く」
「えへへ」
人の波が落ち着いてきた頃、背後から聞こえたきた声に、アイヴィーは笑い声をもらす。
店の奥の方で腰を下ろしながら、アイヴィーの様子を見守っていたジュリアは「ろくに教えてないってのに」と続け、どこか呆れたようなため息をついた。
昨夜。いつものように、店内で翌日の仕込みをしていたジュリア。以前は閑散としていたこの店も、ここ最近は特に忙しく、一日中働きづめだった彼女は、毎日の疲労が重なり腰を痛めてしまったようだ。
腰に手を当て辛そうなジュリアを前に、アイヴィーは躊躇うように視線を送る。
──ベルがいれば、ジュリアさんの腰も治してあげられたんだろうけど。
そんな考えが頭をよぎった瞬間、アイヴィーはハッと息をのんだ。
『お前はベルに頼りすぎている』
不意に思い出してしまった、この胸のモヤモヤの一因。
分かってる。分かってるんだよ、そんな事。
連鎖的に言い合いをしていた時の感情が蘇ったアイヴィーは、眉間にしわを寄せ奥歯を噛みしめる。そんなアイヴィーの様子に気付いたジュリアが、顔を覗き込んだ。ぱちりと目があったアイヴィーは、「どうしたんだい?」と心配そうなジュリア向かって、口を開いた。
「明日のお店、手伝おうか?」
「え……?」
「売り子なら任せて! 結構、得意だから」
街の店で、平民相手に接客商売をするなんて、ありえない。普通の貴族令嬢であれば、まず、できるはずがない。
アイヴィーの事を、そこらの普通の貴族令嬢とは思っていなかったジュリアであったが、さすがにそれは無理だろう、と開店から数人までは後ろから様子を見て、頃合いを見て変わろうと考えていた。
しかし、いざ開店してみれば、アイヴィーは一度言われた手順を完璧に覚え、ニコニコとはじけるような笑顔で接客を行っていた。その姿を見たジュリアは呆気にとられつつも、妙に納得した様子で彼女の後姿を見つめるのであった。
アイヴィーには前世、学生時代からバイトで培ってきた接客経験がある上、大好きな趣味であるイベントでの売り子経験も幾度もあった。
故に、短時間で正確に商品の金額を記憶し、暗算で会計をする事には長けていたのだ。もしも、この世界に貴族として生まれていなければ、きっとこの道で生きていただろうと考えるほど、一番得意な事と言っていいかもしれない。
「ま、手伝ってくれるのはありがたいけど、今日は泊めないからね」
「…………」
「公爵様も心配してるさ。暗くなる前に帰んなさいよ」
「……………………」
このお店を手伝った後は、再び子供たちと遊んで寛ぐつもりでいたアイヴィー。そして、その流れでもう一晩、どうにか泊まらせてもらえないかと頼もうと目論んでいた魂胆は見抜かれ、早々に釘を刺されてしまった。
アイヴィーを残し、部屋の奥へと入って行くジュリアの背を、口を一文字に結んだアイヴィーは渋い顔で見送る。
「おい」
「あっはい!お待たせ……」
その時、店の外から声をかけられ、アイヴィーはパッと笑顔を作り振り返った。しかし、目の前に飛び込んできた顔を見て、その言葉は途中で尻すぼみになっていく。
──お、……っ
目の前に現れたのは、制服でも軍服でもない、落ち着いた色のラフな格好をしたグレイソンの姿であった。
目を見開き、ピタリと固まったアイヴィー。じっと目の前を見据え、数秒。アイヴィーはゆっくりと口を開いた。
「…………なんでその顔なの」
「なんだ」
あ、ちょっと似てる。
クオリティ上がってきてるじゃん……!
──じゃなくて!
「なにしてんのよ」
「あ~~? 菓子買いに来たんだよ。見て分かんだろ」
顔をしかめ、嫌悪感を丸出しで問い掛けるアイヴィーに、目の前のグレイソン────に扮したベルの元使い魔は、気だるそうにそう言った。
「迎えに来たなら無駄よ」
「んで俺が、お前を迎えにこなきゃなんねーんだよ」
「……」
「ほら金。さっさとよこせ」
銅貨を差し出し、手のひらを大げさに振る元使い魔。アイヴィーはしぶしぶ受け取った銅貨を袋に入れ、お菓子の入った茶袋を渡す。
「もう……その顔になるのやめてよ」
「お前」
「お前じゃない、アイヴィー」
「…………」
元使い魔は、わずかに眉間にしわを寄せたグレイソンの顔で、無言でアイヴィーを見下ろす。その顔を見ないように顔を背けながら、アイヴィーは言葉を続ける。
「アンタは……? いつまでもアンタとか元使い魔とかばっかりだと」
「元って言うな」
……こだわるなぁ。
むっと口を尖らせた元使い魔に、アイヴィーはチラッと視線を合わせる。
……ちょっと拗ねてる推しの顔……。
「どうでもいいだろ。名前なんて……所詮記号だ」
元使い魔の言葉に、アイヴィーはゆっくりと顔を上げる。しかし、元使い魔はそう言い残すとサッと人の波に消えて行ってしまった。
人が名前を教えた直後に、そんな……。
その後、昨日のように掛け合ってみるも、断固として宿泊を拒否されたアイヴィーは、スン……と気を落とし、この店を去ることを決めた。
荷物をまとめていると、一緒に遊んだ子ども達が膝に抱きついてきた。アイヴィーを見上げ、「また来てね!」と笑顔。かわいい。
あまりにもかわいかったので、そっと子ども達の頭を撫でるアイヴィー。
「私がまた元気な姿でいられたらね」
「不穏なこと言うんじゃないよ。逃げないで、ちゃんと公爵様と話すんだよ」
「……」
「また顔みせに来ておくれよ」
長年の付き合いからか、アイヴィーの表情を見て、こりゃすぐには帰らなさそうだ、と気付いたジュリアは、穏やかな声色で告げた。
「暗くなる前にちゃんと帰るんだよ。この辺り、最近人攫いが出るみたいだからね」
「……はーい」
ジュリアと子ども達に手を振り、後ろ髪をひかれながらも店を後にしたアイヴィー。前を向いて歩き始めてから、わずか数分。
「ねぇねぇ、君──」
「…………」
比較的、人通りが少ない道へと差し掛かった直後、アイヴィーはさっそく、破落戸らしき男ら数人に声をかけられた。
*
「涼しい…」
温かい日差しを遮るように、木陰になっている大きな木の下へ腰を下ろしたアイヴィー。穏やかな風を浴びながら、そっと目を閉じる。
日暮れまでには、まだもう少し時間がある。
こんな風に地べたに座っているところを見つかってしまえば、きっとまた小言を言われてしまうだろう。
「はぁ……」
アイヴィーがため息を零し項垂れたその時、ふと目の前が陰った。
──またか?
アイヴィーは苛立ちを隠しながらも、ゆっくりと顔を上げる。
「……」
「…………?」
そこにあったのは、グレイソンの顔であった。
先ほど、立て続けに妙な連中に絡まれたアイヴィー。てっきりまたその類だと思い、無意識に握りしめてしまっていた拳をスッと解く。
だが……
──いや、おかしいでしょ。
アイヴィーは、瞼を半分閉じ、じっとりとした視線で目の前の男を見つめる。
「なんだ」
「…………」
不愛想なグレイソンの問いには答えず、引き続きジッと睨むような視線を送るアイヴィー。
流れる沈黙。
やがて、目を合わせたまま、何も発さないグレイソンを前に、アイヴィーの心が揺らぎ始めた。
──……あれ、もしかして、本物?
そういえば、服が違うような……。
どうせ、またあの元使い魔がからかいに来たに違いない、と思い込んでいたアイヴィーは、慌てて顔を反らして言葉を零す。
「すみません、なんでもないです」
「……」
自分へ向ける態度が、いつもと違うアイヴィーに違和感を感じつつ、グレイソンはそのまま隣に腰を下ろした。
──えっ?
何故、座った……。
本当に、グレイソンなのか?
…………やっぱり、また騙されてる?
アイヴィーは先ほどよりもグッと眉間にしわを寄せ、不信感丸出しな表情を向ける。その様子を、グレイソンもいつもの無表情でじっと見返す。
「…………」
「………………」
──……本物、か……。
「こんな所で、何をしているんだ」
従者もつれずに、と続けたグレイソン。相変わらずの無表情の彼を前に、アイヴィーは口籠る。
「……家出です」
穏やかに流れる風に乗せ、ボソリと告げたアイヴィー。横からは、何も聞こえない。だが、まるで何を言ってるんだ? とでも言いたげな空気が伝わってきた。
続く沈黙。
さらさらと、風に揺れる木の葉の音だけが鮮明に聞こえてくる。
「ほら」
すると突然、グレイソンが軽く握った拳をこちらへ差し出してきた。
──?
手を出せ、と言うことだろうか。
アイヴィーが素直に手を広げれば、グレイソンはその中心に、ポンと小さな小瓶を落とした。中には透明な液体が入っている。
「? これは……」
「前に欲しいと言ってただろ」
「え…… 」
アイヴィーは手元の瓶へ、もう一度視線を落とす。
この形状は……香水、だよね?
前、………前……。
「…………あっ!」
ハッとしたアイヴィーは、思わず声を漏らした。
──もしかして!
「こ、これ……」
これは……!
前に……学園で……爆発から庇ってくれた時の……
──お、推しがつけてた香水?!!?
「……頂いて、よろしい、のですか?」
内にめぐる激しい衝動を必死に抑え込みながら、問い掛けるアイヴィー。妙に小刻みに震えながらも、冷静を装った丁寧な口調で話すアイヴィーをじっと見つめたグレイソンは、表情を変えることなく頷く。
「あぁ」
「ありがとうございます!」
「…………」
グレイソンの返答を聞き、パッと顔をあげたアイヴィー。抑えきれず、にじみ出てしまっている嬉しさは、その顔を完全に緩ませていた。
あれから結構……街に出るたび、いろんな店に入って探していた。
でも、どれだけ探し回っても、全然見つけられなかったのに!
一体どこの香水なんだろう。
…………うううう……っ。
──めちゃくちゃ嬉しい〜〜!!!!!!
ハァッッッ!
どこに飾ろうか、ちょっとだけ部屋に行ったらつけてみようかな!
──…………はっ。
今、家出してきてるんだった。
「…………」
目をキラキラと輝かせ、嬉しさを隠しきれぬ緩んだ顔を晒したかと思えば、その直後、スッと温度のない真顔になるアイヴィー。そんなコロコロと変わるアイヴィーの表情を、グレイソンは相変わらずの無表情でじっと見つめる。
「父親に渡すのか?」
「…………」
「どういう顔だ」
グレイソンの言葉に、真顔だったアイヴィーの額には、グッと小さなしわが入った。妙な表情のまま固まってしまったアイヴィーに、思わずツッコむグレイソン。
そういえば、あの時は家族に渡したいとか嘘ついちゃってたな……。
「いえ……自分で使います」
「…………」
アイヴィーの返答を聞いたグレイソンは、フゥと小さく息を吐き視線を外した。
──でも、どうして急に……。
アイヴィーは、手元の小瓶に視線を落としながら思考する。
と言うか今、かなり普通に推しと話せている!
すぐ隣に推しがいるという現状は、ドキドキしている。でも……。
──これまで、推しを前にして、今ほど平然としていられた事があっただろうか。
いや無い!
度重なる推しの前での醜態晒しのせいで、慣れちゃったのかな。
つい先日、皇宮で推しを思い号泣し、その推しに慰められたという記憶を思い出したアイヴィーは、じんわりと頬が熱くなるのを感じた。
いや、でもなんだろう……この感じ……。
推しを前にしている今、どうも以前の様な感覚とは違う“何か”気づいたアイヴィー。
その理由を考える。
今までだったら、この推しの行動に、一体どんな裏があるかと疑ってしまっていただろう。
──だが! 彼はこれまで誰に対しても冷酷であったわけではない、と彼の過去を聞き知ってしまった。
今までだったら、ただただカッコイイ! そっけない仕草もかわいい! と悶えていた事だろう。
──だが! その素っ気ない態度も表情も、彼が背負ってきた悲しい過去が今の姿にさせているのだと、気づいてしまった。
アイヴィーの中には、これまでにはなかった新たな感情が一つ、確かに芽生えていた。
この、今までのような、ただ推しを前に胸躍らせるドキドキした感情とは違う……胸の奥がぐっと締め付けられるような、むずがゆいような……この感情。
これは……。
──これは、そう『母性』……!
先日、アドルから聞いた推しの痛ましい過去を思い出しながら、自分の中に生まれた新たな感情を理解したアイヴィーは、心の中でツゥ……と涙を流した。
どれほど感傷に浸っていたのか、気づけば、横からチクリと刺さる鋭い視線。ハッとしたアイヴィーは、慌てて手元にある瓶を見て口を開いた。
「あ、赤い! これは何ですか?」
「血だ」
「血!?」
受け取った瓶の底には、小さな花びらのような赤い沈殿があった。それを指差し問いかければ、予想外の返答。ビクッと勢いよく目を見開いたアイヴィーは、グレイソンを見上げる。
そういえば、この世界には……美をつかさどる妖精の血は、いい香りがする、とかなんとか。そんな言い伝えがあったような……。
まさか、これは……そんな……。
わなわなと震えるアイヴィーに、グレイソンはいつもの無表情のまま、しれっと口を開く。
「冗談だ」
「……冗談」
グレイソンの言葉を反芻し、ホッとしたように肩を下ろしたアイヴィー。しばらくの沈黙の後、ふとグレイソンがアイヴィーの顔を覗けば、彼女の瞳はキラキラと輝いていた。
「…………?」
「サーチェス卿も冗談を言うんですね」
「…………」
*
「──と、昨日、今日と合わせて三組の破落戸をお一人で撃退され、今度は東へと向かわれました」
「…………」
スペンサー公爵邸の執務室。
机に積まれている書類の束の中から一枚、手に取った資料に目を通していたスペンサー公爵へ、フェシリアは淡々と報告にあった内容を告げる。
「また、三組目の破落戸を撃退後、開けた草道の片隅でお嬢様となにやら親密そうに話す人物もいた、というモグラからの報告もありますね。あ、男性だそうです」
「……」
「そろそろ迎えに行かれます?」
極めて真面目に報告を行っているが、どこか楽しそうな雰囲気がにじみ出ているフェシリアへ、スペンサー公爵は鋭い視線を送る。
「……いや、それより穴はどうなった」
「はい。滞りなく完了したとの報告を受けています」
「そうか」
ご苦労、下がってくれ。と続けたスペンサー公爵は再び手元の資料へと視線を戻し、小さくため息を零した。






