71.八つ当たり
「お嬢ちゃん、ひとりでどうしたの~?」
「…………」
「お~い、聞いてる?」
街におりてすぐ、アイヴィーは進行方向の路地裏で、一人の少女を取り囲む不審な輩共と遭遇した。
「ねぇ、それちょっと見せてって言ってるの、聞こえてるでしょ?」
「さっさと渡せよコラ」
「あっ……」
「早く渡せば痛い目には……痛ッダダダダダダ!!」
少女が抱えていた紙袋を奪おうと、男の一人が手を伸ばした。しかし、突如現れた細腕にその手を掴まれ、男は悲鳴を上げた。
「オ、オイ!」
「…………」
傍にいた別の男が、アイヴィーを睨む。
だが、そんな視線に怯むことはなく、酷く冷めた目でその男を見返したアイヴィーは、男たちに向け手をかざした。
「なんだおまっ……うわぁ!」
「!?」
アイヴィーに飛び掛かろうとした男が、頭から後方へと飛んだ。続いて右肩、左肩、右足……と、まるで見えない銃にでも打たれているかのように弾かれ、男の体が躍る。やがて、その男はドスンと尻餅をついて倒れた。
「お、おいまて」
「…………」
アイヴィーが体の向きを変え、残っていたもう一人の男へ向かって手をかざす。何が起こったか分からない様子で、唖然としていたその男は慌てて手を上げ、降参のポーズをとる。しかし、鋭く尖った視線を送るアイヴィーの手は下げられない。やがて、顔をひきつらせた男たちは、すごすごと後ずさりをしながら路地裏から姿を消していった。
「フン」
男たちが去って行った方を見ながら、アイヴィーはふてぶてしく息を吐く。
やや……いや、かなり八つ当たりに近かったけど……。こんな路地裏で寄ってたかって子どもからモノを奪おうとしていた連中が、いいヤツなわけがない。だから、まぁ、おあいこでしょう。
「あ……」
腕を下ろしたアイヴィーの後ろから、か細い声が聞こえた。
振り返ると、それまで壁際にピタリとくっついていた少女が、アイヴィーの顔を見上げ、恐る恐る口を開いた。
「アイヴィー、お姉ちゃん……?」
「……シータ」
*
街の中心から少し外れた、いくつもの家が軒を連ねるその中に、ポツンと存在する一軒の菓子屋。
その店内のさらに奥、ここで働き暮らしている者たちの居住スペースへ足を踏み入れたアイヴィー。部屋の中央には、年季を感じるテーブルとイス。特別高価なものという訳ではないが、大事に使われているのが分かる家具に囲まれながら、アイヴィーは渡された木製のカップに口を付けた。
「びっくりしたよ、変なヤツらに絡まれてる子がいると思ったら、シータだったんだもの」
アイヴィーの声に、お皿一杯にお菓子を積み上げてくれていたこの店の主──ジュリアおばちゃんが、ふっと微笑んだ。彼女は積みあがったお菓子をアイヴィーの目の前に置くと「好きなのを食べてね」と言ってシータの元へと向かって行った。そんなジュリアを横目に見ながら、アイヴィーは遠慮なく皿から一つのお菓子を手に取った。
先ほど裏路地で絡まれていた少女──シータは、この家で暮らしている子どもだ。
丁度お店が忙しくなってしまったため、お手伝いとして夕飯の買い出しに行った帰り、近道だったあの路地裏を通ってしまったらしい。そして、運悪く破落戸に絡まれてしまった。
「ダメだよ、路地裏一人で入っちゃ」
「……お姉ちゃんも、一人だった」
「私はいいのよ、そこそこ強いから」
お使いをしてくれたシータの頭を撫でながらも、しっかりと注意をするジュリアに、おずおずと告げ口をするシータ。アイヴィーはしれっと口を挟むと、手に持っていたお菓子を口の中へと放り込んだ。
「そういやぁ、あの服屋のとこの子、無事生まれたらしいよ」
最近ようやく言葉を話し始めた小さな末っ子を抱き上げながら、ジュリアはアイヴィーへ向かって話し始めた。
あの後、シータからお使いの品を受け取ったジュリアは、また忙しなく店へと戻って行った。結局、閉店時間まで店は大賑わいの大繁盛であったため、ジュリアが再び住居スペースに戻ってきたのは日が暮れてからである。
ジュリアが店から戻ってくるまで、子ども達の相手をしていた──途中からは体力の限界を感じ、大の字に寝転がりされるがままであった──アイヴィーは、ジュリアの声でむくりと体を起こした。
「店が大変な事になってたみたいだけど、さすがあの奥さんだねぇ。強いよ」
彼女の言う服屋とは、以前、アイヴィーがテオドールと共に訪れた店の事だろう。そういえば、召喚された魔獣が暴れ、店内をかなり酷く傷つけていた。
「もう付き添って離れないっていう旦那のケツひっぱたいて、さっさと店再開できるようにお前も働けって、叱りつけてたみたいだよ」
ふふっと笑いながらそう言ったジュリアに、アイヴィーもつられて口角が上がる。
「そうなんだ、よかった」
「なんでも、後から駆け付けた公爵様が支援してくれてるみたいで、二人ともえらく感謝してたよ。アイヴィーちゃんからも伝えといてあげてよ」
「…………」
ジュリアから出た、スペンサー公爵の名に思わず険しい表情をしてしまったアイヴィー。その顔を見たジュリアは、おや、と目を丸くした。
「あらら、また喧嘩したのかい? ここ最近はこっちに来ることもなかったから、大人になったとばかり思ってたんだがね」
「……」
「そういうことなら家に帰りなさい」
「えぇ……」
えらくゆっくりしてると思ったら、と付け足したジュリアに、アイヴィーは眉尻を下げ気の抜けた声を漏らす。
「うちはもう定員オーバーだから、人を寝かせるスペースはないよ」
「そこをなんとか」
「泊めない」
店先でいいから、と食い下がるアイヴィーに、そんな所で寝かせられるかい! と返すジュリア。しかし、いつまでも項垂れ続けるアイヴィーを前に、ジュリアはしぶしぶといった様子で口を開いた。
「……全く、一日だけだよ」
「うん!」
ぱっと顔を上げ、笑顔で頷いたアイヴィーに、ジュリアはふぅっと小さくため息を零した。
*
「おりゃ、バブルアタック!」
アイヴィーはそう言うと同時に、子ども達へ向かって手をかざした。瞬間、アイヴィーの手のひらから次々と泡が生まれ、子ども達に一斉に襲い掛かった。
「ぎゃははっ! うわーーっ」
「きゃーっ」
子ども達は大笑いをしながら、心底楽しそうにはしゃいでいる。やられたフリをしている子の他に、懸命に泡を叩き割る子。初めて見る子は、泡を目で追いかけている。
少し前、ジュリアから「明日の仕込みがあるから、ちょっと子ども達を見ててくれるかい?」と頼まれたアイヴィー。すると、その声を聴いた子ども達が、アイヴィーの足元まで寄ってきて言った。
「ねぇ、アレやって~」
「またアレやりたい!」
アイヴィーの膝に引っ付きながら、上を見上げおねだりをしてくる子ども達。アイヴィーはニンッと笑った後、得意げに言った。
「いいわよ」
そうして、ジュリアさんの許可もあり、子供たちを引き連れて部屋を出たアイヴィー。
この家のお風呂場に来るのは、もう何度目だろう。
「もうちょっと目を瞑ってられる?」
「うん!」
両手で目をギュッと押さえている子の頭を洗いながら、優しく問い掛けるアイヴィー。その背後から、こっそり忍び寄る二つの影。どうやら、悪戯をする気でいるらしい二人の子に向け、アイヴィーは再び手をかざした。
「おりゃ」
「ぐわぁ──っ」
「ぎゃはははっ」
正面から大量の泡を浴びた二人の子どもは、楽しそうに笑い声を上げた。
ここへ初めて来たのは、もう何年も前になる。ベルが自分の魔力を完全に制御できるようになってから、しばらくの事。
ベルと共に街を探検していたアイヴィーは、丁度このお店の前を通りがかった時、劈くような悲鳴を聞いた。
その頃は、まだこのお店が出来て間もなく、お客の入りもそれほど多くはなかった。加えて、今ほど街の治安も良いとは言い難かったため、てっきり強盗の類だと思ったアイヴィーは息を切らして走った。
しかし、悲鳴が聞こえた現場にたどり着いた二人が見たものは……壁から水がとめどなく溢れ出し、水浸しになっている厨房で立ち尽くす、ジュリアの姿であった。
当時、帝都周辺では上下水道の設備が整えられていたのだが、店の開店のに合わせ、もともと普通の一軒家であったこの場所を急いで改築した際、誤って排水管の一部を破損させてしまっていたらしい。
慌てふためくジュリアを見たアイヴィーは、とりあえず水を止められるかとベルに尋ねた。アイヴィーの話を聞き、コクリと頷いたベルはいとも簡単に溢れ出ていた水を止め、あっという間に破損してしまっていた排水管の修復も終えた。
突然の事態に驚きつつも、ジュリアはアイヴィーとベルに礼を言った後、お菓子を渡した。
「ありがとね、こんなのしかないけど」
「ううん! おいしい!」
「おいしい……」
その日、アイヴィー達が渡されたパイとクッキーは、昨日の売れ残りだとジュリアは言っていた。けれど、触感も味もなんだか懐かしく感じられたジュリアのお菓子を、アイヴィーはとても気に入ったのだった。
それから、何日か開けては、アイヴィーとベルは頻繁にこの店を訪れるようになった。
この店へ来る時は常に、町娘を装っているアイヴィーであったが、その綺麗な身なりから、ジュリアは薄々、もしかしたら貴族の子供かもしれないと気付き始めていた。アイヴィーが隠していたつもりであった身分は、後に割とすぐバレる事になったのだが、しかし、彼女はそれを理由に、特別に態度を変えることはなかった。
何はともあれ、そんな中、費用の関係で改築できなかったとジュリアが言っていた部分を、二人がここを訪れるたび、こっそりと魔法で修復したり、時には頼まれて作り替えてたりしていたのだ。
その一つが、この風呂場である。
特に劣化が激しかった水回りは、ベルの巧みな魔法で、綺麗な最新型の蛇口と排水管へと姿を変えていた。もう古くて危ないため閉ざされ、使われていなかった物置小屋も打ち壊し、なんということでしょう……使用する子ども達の事を考え、安全面を考慮した、少し広めのお風呂場に。まだ使えそうだった木材は再利用し、着替えや布をしまっておける、小さな収納棚へと変貌を遂げていた。なんとも嬉しい、収納スペースだ。
アイヴィーはその棚から一枚タオルを取ると、一番小さな子の頭の上にかぶせた。
「おーい、ちゃんと頭もワシャワシャするのよ」
「うん!」
「わははっ」
先ほどから、泡に夢中の子ども達は、湯舟にも魔法をかけ泡風呂となった事で、さらにテンションが上がり遊びまわっている。
「シータ、あと任せてもいい?」
「……うん」
一人黙々と体を洗い、先に出ていた最年長のシータに、体を拭き終わった小さな子を預けたアイヴィーは、湯舟でいつまでも遊び続けている子ども二人の元へと向かう。
「よし、次はヨーク!」
「うわーーっ!」
体力が無限にあるのではないかという程、元気すぎる子ども達と格闘し、何とか全員浴室から出し終えたアイヴィー。
まるで貴族令嬢とは思えないほど、ぐったりとした様子で椅子に座って休んでいると、シータが冷たいミルクを渡してくれた。
「あ、シータ、ちょっと来て」
「うん……。わっ」
「髪ちゃんと乾かさないと、風邪ひくからね」
アイヴィーは、膝に座らせたシータの首からタオルを引き抜くと、そのまま後ろからわしゃわしゃと髪を乾かし始めた。
「い、いいよ……短いし、すぐ乾くから」
「いいから、あとちょっと」
「…………」
働き者で、しっかり者のシータは、この家でも弟妹達の世話を任されることが多い。世話をしても、されることには慣れていないらしい。
アイヴィーの行動に、嫌がっているようには見えないが、どこか落ち着かない様子だ。
「さっきは、ありがとね」
「……うん」
アイヴィーが風呂場で奮闘している時、浴室を出たチビ達の面倒を見ていてくれたシータ。アイヴィーの言葉にコクリと頷いたシータは、少し照れ臭そうに笑った。
かわいい。
「ここでの生活は楽しい?」
「……うん」
「そっか」
「……みんな、やさしいから大好き」
緊張が少し溶けたのか、シータは足をプラプラと動かしながら、アイヴィーの問いかけに答える。
「それに、毎日おやつがおいしいから、うれしい」
「あ、そういえば」
シータの言葉を聞き、ピタリと手の動きを止めたアイヴィー。首を傾け、シータの表情を見ながら、言葉を続ける。
「入院してる時、病院にお菓子届けてくれたよね、ありがとう」
「! わかったの?」
「えぇ」
学園爆破未遂事件の際、うっかり転んだアイヴィーが骨折をして入院した時の事だ。
あの時、留守にしていた間に病室に置かれていた茶包み。その中に入っていた、一口サイズのお菓子を包んでいた紙は、確かにこのお店で使われているものだった。でも、その紙に書かれていたのはこのお店のロゴではなくて……。
「可愛い似顔絵が描かれてたからね」
「ふふっ」
振り返ったシータはアイヴィーを見上げ、はにかむように笑った。
かわいい。
「でもよく部屋の場所が分かったわね」
「……? 部屋はしらない。公爵様に渡したよ」
「…………」
ほわほわと、穏やかな空気に包まれかけていた室内。しかし、突然のスペンサー公爵の名に、アイヴィーの笑顔は不自然に固まり、シータは不思議そうに首を傾けていた。






