70.大喧嘩
「おかえり」
「……た、ただいま……もどり、ました……」
ぽかぽかと温かかった外とは一変し、この場は絶対零度の空気が漂っていた。
*
執務室。
シンプルでありながらも、細部まで丁寧な作りの執務用机。そのすぐ前に立たされているアイヴィーは、居心地の悪さにそっと目を伏せていた。そんな彼女を横目に、まだ未処理であろう書類の束を端へよけたスペンサー公爵は、椅子に深く座りながら口を開いた。
「近年は比較的おとなしかったが、ここ最近の行動は……あまりにも目に余る」
「…………」
「学園祭での泥酔、無許可宿泊。従者を誰一人つれず外出、多数。骨折・医師を脅し退院を早め脱走。召喚された魔獣に対して一人で突っ走った末、魔力切れで二日寝込む……」
次第に怒気を交え声量が上がってきたスペンサー公爵の言葉を、真正面から浴びたアイヴィー。軽く拳を握りながら、ゆっくりと顔を上げた彼女は、絶えず動かされるスペンサー公爵の口元を見つめる。
──お父さん、本気で怒ると……。
「おまけに、今回は殿下の護衛騎士を庇ってお前が精神汚染をされるとは何事だ」
──めちゃくちゃ口数増えるんだよなぁ……。
「聞いているのか」
「はい……」
普段、そんなに口数が多くない分、こうなった時それが顕著に分かる。
姿勢を正しながらも、どこか心ここにあらずなアイヴィーの姿に、スペンサー公爵の眉間のしわはいっそう深く刻まれた。
「大体、何故お前が殿下の護衛騎士を助けるんだ。おかしいだろう」
「……別に、相手が誰でも、出てました」
「…………」
ボソッと放たれたアイヴィーの言葉に、室内の気温がスッと下がった。
「その結果が、神官を呼ぶ事になったと分かっていてその態度か。ハールメン辺境伯がいなければ、危なかったという自覚は無いのか?」
「…………いえ」
「お前は術にかかった騎士を見て、魔術がどんなものか知った上で、飛び込んでいったと報告を受けているが? 自分の実力を見誤っていたのか? 何度言えば、理解できるんだ。学習能力はないのか?」
「……ッ」
──そ
そんなに捲し立てるように怒らなくてもいいじゃない!
……今回は、確かにちょっと無謀に飛び出したのは、分かってるけど……。
相手が誰だろうが、助けられるなら助けてたよ! それに。
──自分だって、行くとこ行くとこで悪党をおっぱらっては、被害を受けた人達をほいほい拾ってるくせに!!!
キッと顔を上げたアイヴィー。その表情を見たスペンサー公爵は、「言いたいことがあるなら言え」と高圧的に告げる。しかし、口を閉ざし何も答えないアイヴィーに、スペンサー公爵はフゥ、と小さなため息をついた。
「大体、お前はベルに頼りすぎている」
「……ッ」
……それは、そうかもしれないけど。
「もしも、万が一の事態の時に、ベルが居なかったらどうなる」
「……ベルは、ずっと傍にいるし」
「…………」
フイッと顔を背けながらアイヴィーがそう言えば、スペンサー公爵は黙り込む。やがて、はぁ、と大袈裟なほど大きなため息をついた後、再び口を開いた。
「……ベルはお前も知っている通り、並外れた魔力に学もある。その気になれば、単独で爵位も取れるだろう。現に、これまで公爵邸を訪れた貴族達の中にも、彼を養子にと望んできた家も複数ある。養子と言わず、娘の相手にと考えるやつらも出てくるだろう。引く手数多だろうな。いつかは、おしとやかで女性らしい令嬢が現れれば、そちらへ行く可能性だってある。いつまでも子供みたいなことを言うな」
スペンサー公爵の言葉に、アイヴィーは握っていた拳にギュッと力を籠めた。
──は、はぁ~~~????
む……むっかつく! あと長いわ!
1文10字程度3行以内にまとめてしゃべって!
口を結び、わなわなと震えるアイヴィーの姿を一瞥したスペンサー公爵は、椅子の背に体重を預け、これ見よがしなため息をついた。
「フン」
「……っ、…………」
自分ばっかり言いたいこと言いきって、馬鹿にしたように鼻で笑いよって。
──むっかつく!
アイヴィーはスゥ、と息を吸いこんだ後、大きく口を開いた。
「あ、姉さん、まだやってます?」
「まだ始まったばかり」
言い合いが始まった扉の向こう側。執務室の扉の前で待機しているフェシリアへ、ルイスが問いかけた。訓練を終えたばかりなのか、彼は隊服を着崩しながら飄々とした様子で近づいてくる。
「擦り傷なんて怪我の内に入らない! 普通です」
「普通の令嬢は、まずそんなに頻繁に顔に擦り傷なんて作らん」
部屋の中では、過去の行動を掘り起こされたアイヴィーが咎められ始めており、それに対して、当時は大人しくしていたが、今は感極まっているせいか、かなり反抗的に言い返している。
「あ──……」
「こら、やめなさい」
コソッと扉の隙間から中を覗くルイスの襟をつかみ、フェシリアは彼を扉から引きはがす。
「これは、まだ長引きそうですね」
せっかく午後から非番だからお嬢様と遊ぼうと思ったのに、と零したルイス。フェシリアはやれやれと言った様子で彼を追い払った。
その直後、響いた扉の振動から、中の声量が上がったのが分かったフェシリアは、フゥッとため息をこぼした。
執務室での壮絶な言葉のぶつけ合いから一夜明けた、現在。
食事を終え、メイド達が皿を下げている途中にふと漏れたスペンサー公爵の言葉。それにより、再び火が付いたアイヴィーが言い返す。居心地の悪さにささっと食事を済ませたテオドールが、そそくさと食堂を出てから、どれくらい経っただろう。
白熱していく二人の言い合いを止める者は、この邸にはいない。だが、ここで働く者たちは皆、どこか慣れた様子で通常業務をこなしていた。
「それはお父様だって人のこと言えないじゃないですか!」
「は?」
あれから、顔を見合わせれば互いに鋭い視線を向けて、去り際にはボソッと一言、嫌味を言う。そんな行為が三度目を超えた今、アイヴィーは爆発していた。
そのアイヴィーが放った言葉に、スペンサー公爵からは酷く低い声が漏れる。
「だから、あの時だって! 悪い貴族を見つけてはすぐ粛清ばかりして、その行動の結果が……っ、レーラみたいな事になったんじゃないですか!」
「今、面倒見ているだろう」
「私が! 言ったんじゃないですか!!」
「あぁ、お前はここへ来るよう彼女に呼び掛けただけだろう」
「っく!!!!!」
熱が上がりきっているアイヴィーの声とは対照的に、酷く冷めた表情で淡々と答えたスペンサー公爵。その言葉に何も言い返せず、小さく震えたアイヴィーはバッと身をひるがえし、扉へと歩いていく。
「おい」
「お父様もこんなお淑やかさのカケラも無い、ただ見てくれだけはまぁまぁ良い娘なんて、見たくも無いでしょう」
「……」
自分で見てくれは良いとか言うな、という言葉を頭の中に浮かばせながらも、じっとアイヴィーへと視線を送るスペンサー公爵。
扉へ手をつき、立ち止まったアイヴィーは少し落ち着きを取り戻した様子で告げる。
「出て行きます」
「……今度はどこへ行くつもりだ。いつ帰ってくるのか、邸の者に伝えてから出ていけ」
「…………ッ!」
──家出するのにそんなこと伝えるやついるか!!
スゥッと息を吸いこんだアイヴィーは、くわっと振り返って叫んだ。
「ッッ実家に帰らせていただきます!!」
「……お前の実家はどこにあるんだ」
アイヴィーが勢い良く部屋を飛び出していき、バタンッと音を立て閉まった扉。そこへと視線を向けたまま、薄く口を開いたスペンサー公爵は小さな声でそう呟いた。
*
「へー、それでまた言い合いしちゃったんですね」
「……うん」
「それで、今度はいつ帰ってくるんですか?」
「……」
何者も寄せ付けない剣幕で、ドスドスと勢いよく自室へと向かう通路を歩いていたアイヴィー。しかし、その途中、通路をふらふらとしていたルイスを見かけ、ぱちりと目が合ってしまった。いつものように、ヘラヘラとしながらアイヴィーの後をついてきたルイスは、現在、少し大きめな鞄に荷物を詰めているアイヴィーのすぐ隣でしゃがみこみ、顎に両手を当てながらその様子を楽しそうに見ていた。
「気が静まったら!!!」
バッと顔を上げ、声も荒げたアイヴィーにルイスは、あははっと笑いながら口を開いた。
「そういう所、ちょっと大人で面白いんですよね」
「……うるさいな」
黙々と荷造りをするアイヴィーをじっと見ていたルイスは、ふっと笑った後、自身の上着のポケットに手を入れた。
「お嬢様、これを」
ルイスの声に作業の手を止め、顔を上げたアイヴィー。目の前には、橙色に輝く小さな石が中央に埋め込まれたペンダントがあった。
「これは?」
「それは、特別な魔法がかけられたお守りです」
「お守り……?」
「えぇ」
ルイスは瞳を閉じ、スッと胸元へ手をおいた。
「もしもお嬢様の身に危険があってはいけません」
「……ルイス」
アイヴィーはルイスを見て、ほんの少し胸の奥がじんわりとするのを感じた。
いつも、あまりのドMさに、適当に雑に扱うこともあったけど、ルイスはこういう時……。
「そのお守りを持っていれば、もしお嬢様が危害をくわえられた時、与えられたダメージをそのお守りが一旦肩代わりして……」
ルイスはそう話しながら、スッと左手を上げた。彼の手首には、アイヴィーに渡したペンダントと同じ色に光る石が埋め込まれたリングがある。
「代わりに、私が今身につけているこのリングから電撃が走ります」
「……ふんっ」
「いっだぁぁあぁっ!!」
アイヴィーは受け取ったペンダントを握り締めた手を、勢いよく机に叩きつけた。直後、叫び声を上げ、バタンッと床に倒れたルイス。
うわ……。ホンモノじゃん……。
「なにこの気持ち悪い魔導具。どこで手に入れたの」
「はっ……はぁ、気持ち悪いなんて、ひどい……」
頬を高揚させ、震えながらもルイスは手を伸ばしてくる。
その手をサッとよけたアイヴィーは、冷めた目でルイスを一瞥し荷造り作業へと戻る。
「そうね、魔導具は悪くないわ。あなたのような使い方をする人が気持ち悪いって話」
「ありがとうございます」
「…………」
ちょっと気を許して、感動なんてしてしまいそうだった自分を叩きたい。
アイヴィーは鞄を握り締め、幸せそうに床に這いつくばっているルイスを無視し、扉へと向かう。
「…………な」
部屋を出てすぐ、アイヴィーは立ち止まった。
いざ出ていこうとすれば、邸内のあちこちに騎士。
そして、おそらくトラップを仕掛けてあるのだろう、見慣れない魔法陣がいくつも見えた。
「く……っ」
お父さん、出ていけなんて言っといて。
──出て行かせる気なんて、全然無いじゃない……!!
そっちがその気なら……。
くるりと身をひるがえし部屋へ戻ったアイヴィーは、クローゼットの扉を開いた。そして、その奥へと足を進める。
アイヴィーはこれまでにも、何度も街へ出かけるために、この公爵邸を抜け出していた。しかし、そのたびに一つ、また一つと抜け道を潰されていた。
──ここは、本当にもしものために残しておいた場所だけど。
そう。このクローゼットの奥にある一つだけは、確実に他の者にバレずに門の外に出られるルートでありながらも、子供の頃から使うことは滅多にせず、絶対にバレないように気を付けてきた抜け道であった。
その秘蔵の抜け道から見事公爵邸を抜け出したアイヴィーは、街へ向かって走り出した。






