挿話14.惚れた弱み
「57.守護龍」の皇宮での話。レオナルド視点。
皇宮の一室。
これまでも、何度もお茶会で利用していたこのサロンで、用意されていた紅茶を一口飲んだ彼女は、露骨な作り笑いを浮かべ、こちらを向き口を開いた。
「私も、殿下がヴァネッサさんと結ばれて、心から喜びを感じています」
「……俺と婚約しなくてよくなったからだろ」
「まぁ、それもありますけど」
ふふっ、と口元を隠しながら笑い声をもらすアイヴィーに、レオナルドはジトッとした視線を送る。
──思ってるじゃないか。
レオナルドは今日まで、幾人もの貴族と顔を合わせてきた。
そして、彼らが自分へと向けるその笑顔の裏で、いかに黒く汚いものを抱えているかも、数え切れぬほど見てきた。
いつしか、奴らがこちらへ向ける笑顔が綺麗であればあるほど、その裏側は酷く醜く歪んでいるものだ、という先入観すら持ってしまうほどに。
この世界にいる者たちは皆、綺麗な仮面でその本心を隠している。
その点は、スペンサー嬢もなんら変わりはない。
彼女が世間へ抱かせていた、儚げで美しいという印象。これは、彼女の表の姿だ。
だた、他の奴らとは違ったのは、その裏側────彼女が隠し抱いていた本心が、それほど悪いものではなかったという事だ。
彼女からは悪意を感じない。
こうして、何気ない会話をすることも増えた今となって、それは確信に近いものとなっている。
──ただ……。
あの日、俺へヴァネッサの真実を告げに来た時の、彼女のあの表情。
──あの黒い笑みだけは、忘れられそうにないが……。
これまで、公爵邸外では完璧令嬢を装っていたアイヴィー。そんな彼女が豹変し、本性を晒したあの一件は、レオナルドに小さなトラウマを植え付けていた。
しかし、あれ以降これと言って何かを要求されたわけでもない。
おそらく、以前、皇宮を襲撃した女性の処遇の話し合いをしていた時の、俺の態度の意趣返しだったんだろうが……。
──それにしても
レオナルドは、正面に座るアイヴィーへと視線を向ける。
用意されている茶菓子を端から一つずつ手に取り、もくもくと食べている。
──大分、表情が豊かになったものだ。
「スペンサー嬢は、バターケーキ系の菓子が好きなのか?」
「えっ、そうですね……。でも一番は、フィュタ-ジュ系が好きです」
「そうか、そういえばアップルパイとタルトが有名な──」
アイヴィーが手に取っていた菓子に、偏りがあることに気付いたレオナルド。それとなく、軽い口調で問いかければ、彼女は無意識だったのか、少し驚いた表情を見せた。そんなアイヴィーに、レオナルドは最近王都に進出してきた、おいしい菓子屋の情報を伝える。
彼女とは、これまで何度も、向かい合って話したことがある。
それこそ、こうして打ち解けて話すようになる前の彼女は、頭のてっぺんからつま先まで、全てにおいて洗練された、隙のない令嬢を演じていた。
そんな彼女の所作には、苛立ちを覚えながらも、感心するほどであったが……。
──おそらく、今のこの姿が、彼女本来の素の姿なのだろうな。
以前は用意されていた菓子には、ほとんど手を付けなかったが……。
レオナルドは、並べられたお菓子の半数以上に手を付けたアイヴィーを見て、頭の中に一人の少女を思い浮かべる。
──ヴァネッサだったら、端から全部皿を綺麗に片づけていたな。
そんなことを考えていたら、ガチャン、と扉が開いた。
現れたヴァネッサは、結構なスピードで二人の前まで来たかと思えば、アイヴィーの手を引き、扉へと向かって歩き出した。
てっきりこの部屋で話をするものだと思って、普段よりたくさんの菓子を用意させていたレオナルドは、ヴァネッサの行動に首を傾けながらも、二人の後をついて行く。
しかし、扉を出る直前、ピタリと立ち止まったヴァネッサが振り返った。
その顔は、どこか不思議なものを見るような顔で……。
──ん?
「何故、殿下もついて来られるのですか? どうぞお気を使われず、ご公務に励んでください」
そう言うとヴァネッサは、アイヴィーを連れ部屋から出て行ってしまった。
「…………」
あの日、彼女にろくな説明もせず、もう婚約するしかない状況までもっていってしまったのは、確かに俺だが……。あぁいう態度はいかがなものだろう。
ヴァネッサの言動に乾いた笑みを浮かべながらも、サロンに一人残されたレオナルドは、公務へと向かっていった。
言いたいことはあるのだが、レオナルドはそれを口にすることはあまりない。
惚れた弱みであった。
この時間はお茶会のため開けてあったレオナルドは、とりあえず机に積まれ溜まっていた書類に目を通す。
ふと顔を上げれば、窓の外はきれいな空が広がっていた。
「まだ帰っていないのか、一体どこまで……」
二人と別れたから、すでに一刻以上は経っているが、メイドたちからは彼女たちが帰ってきたという知らせは受けていない。
守護龍様と一緒だと聞いているが……。
その日、妙に気が気でないレオナルドは、公務の傍ら、しきりに窓から外を眺めていた。
日も沈み、あたりが闇に包まれる頃になって、ようやくヴァネッサは帰ってきた。スペンサー嬢の見送りを終えたと言う彼女の表情は、どこか明るい。
最近、ヴァネッサには、この国や皇族の歴史について学ぶ時間が設けられていた、と聞いている。丁度そのあたりからだろうか、彼女からピリピリとした気配を感じることが増えた。
なんやかんや、皇太子である自分と婚約したことで、今、ヴァネッサの業務はとてつもなく増えている。それでも、「騎士をやめたくない」と言ったヴァネッサ。レオナルドは、そんな彼女の願いの後押しをしていた。
──体を動かすのは好きなようだし、ストレス発散にもなっているのか。
以前より少し伸びた、綺麗に整えられた桜色の柔らかな髪を後ろで一つに束ねたヴァネッサを見つめていたレオナルドは、ふと口を開いた。
「髪はもう伸ばさないのか?」
「……」
昔はもっと長かっただろ。というレオナルドに、ヴァネッサは眉間にしわを寄せ黙り込む。
「……と」
「ん?」
もぞもぞと聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声で、口を開いたヴァネッサ。続きの言葉を待っていたレオナルドに、ヴァネッサは視線を逸らしながら続けた。
「昔、長い髪はうっとおしい、と殿下がおっしゃっていたので」
「…………」
その言葉に、思わず目を見開いたレオナルド。
懸命に、記憶を掘り起こす。あった。確かに言った。
言ったかもしれない。だがそれは……。
「あれは、社交界で必要以上によって来る令嬢に向けて言った言葉だ」
過去に出席した社交界で、レオナルドは髪の長い女性とダンスを踊った。曲も終盤へと差し掛かった時、不運にもその女性の髪がレオナルドのボタンに絡まってしまった。その令嬢は申し訳なさそうに、自らの髪を切ると言っていたのだが、レオナルドは微笑んで絡まった髪を優しく解いた。
それ自体はよかった。
だが、それを見ていた他の令嬢たちが問題であった。
その手があったか!と、レオナルドとのダンスの際に大げさなまでに長い髪を振り乱し、必要以上に接近することが増えたのだ。そんな時期が幾らか続いた。
外面だけは優しい王子様のイメージを守り続けていたレオナルドは、その都度、優しく対応していたのだが、心のうちにふつふつといら立ちが募っていた。
そして、我慢の限界が来たレオナルドが、ヴァネッサとグレイソンだけがいた場で言ったのだ。
『だらだらと伸ばしてうっとおしい!
切るというのなら、初めから切ってからこい!』
と。
そう、愚痴をこぼしたことがあった。
ヴァネッサはその時のレオナルドの言葉を、想っていた以上に重く受け止めていたらしい。
いつもは不愛想に、最近に至っては憎まれ口をたたくことの方が増えていた彼女が、実はそんな事を気にしていたといういじらしさに気付いてしまったレオナルドは、口元に手を当て、胸の奥のむずむずする感覚を噛みしめる。
そんな彼の姿を、ヴァネッサは訝し気な表情で見ているのだが、さてなんと口にしようか、と言葉を考えるレオナルドは、緩み切った幸せそうな顔をしていた。
惚れた弱みであった。






