69.気のせいでしょ
「だっお前! もう本当……ッホント……」
「なによ」
アドルの言葉に詰まった声が、室内に小さく響く。
皇宮の庭園で禁術が使われてから二日が過ぎた。
ベルの進言の後、陛下の許可が降り神官の派遣依頼がされたのだが、どうやら教国の人手不足は深刻らしく、神官が帝国へ到着するまでには時間がかかると知らせがあったそうだ。その間、皇宮での滞在を命じられたアイヴィーは、昨日まではベルと共に与えられた一室で大人しくしていたのだが……。
「なんで! おれを呼ぶのにアイツをよこすんだよ! マージでビビって心臓飛び出るかと思ったわ!」
「何をそんなに怖がってるのよ」
「むしろ、なんでお前はアイツをあんな足であんな、あんな風に扱ってんだよ!」
「…………」
少し離れた所でティーカップを並べ、お茶の準備をしてくれているベルをコソッと指さしながら、あわあわと動揺するアドルに、フゥ、と半目を向けるアイヴィー。ふと顔を上げ、「ベル―! そっちじゃなくて、端に置いてあるお茶が良い!」と、言ったアイヴィーに、こちらを向いたベルはコクリと頷く。その光景を真横で見ていたアドルは、「ひぃい」と小さく情けない悲鳴を上げた。
「ベルはそんな怖い子じゃないわよ」
「お前は! あの劇場版での地獄のような惨劇を知らないから、そんなことが言えるんだよ!」
「……」
椅子の上で膝を抱え、小さくなっているアドルは「普通に怖ぇよ」とさらに震えた声を出した。
「あ──もうヤダ。はやくおうち帰りたい」
「……子どもか」
ボソボソと小声を漏らすアドルに、アイヴィーは眉尻を下げる。
なぜ今、主人公であるアドルがこの皇宮を訪れていたのか。
それは、陛下直属の部下がアドルの領地を訪れ、視察した後、半強制的に呼び出しをしてきたからだと言う。原作通りの勇者になることはせず、領地の繁栄に力を注いでいたアドル。彼は、この世界で起こる先の未来や前世の知識をも利用し、凄まじいスピードでその領地を発展させてた。発展させ過ぎてしまっていた。
商業以外にも、他の領地や他国から逃げ延びた人たちをも迎え入れた事により、思わぬ軍事力も得る事になったのだそうだ。
とにかく、ただの農村地帯だと思われていたハールメン領は、気づいた時には、領民も施設もなにもかも、その規模が何十倍にも膨れ上がっていたんだ。────と、そう語ったアドル。
なるほど。それにより、あらぬ謀反の疑いをかけられていた……と。
「ひぅッ」
アドルの話を聞いていたアイヴィーは、口元に手を当てふむ、と考え込む。すると、再び情けない声が聞こえた。横からスッとティーセットを置いてくれたベルを見上げ、アイヴィーは口を開く。
「ありがとう」
静かにアドルの目の前にもティーカップを置いたベルは、スゥ……と、気のせいかいつもよりも冷めた目で一瞥し、その場を離れていった。
「……?」
「ほらぁ……今睨んでたじゃん……」
「気のせいでしょ」
*
「それで、何が聞きたいんだよ、もう」
俺、あの後ここのメイド達に小言言われたんだけど、と不貞腐れた態度をとるアドルに、アイヴィーは首を傾ける。
小言……?
「あのアーティファクト、禁術について」
「あれは……」
アイヴィーの言葉に、顔をあげ眉を顰めたアドル。
「うん、あれは本来……」
──原作の、アイヴィーが使っていた。
それが、今回は術者から直接放たれる魔術ではなく、固定されたアーティファクトに術式を刻み、近づいた人間を飲み込んで精神を汚染する形で発動された。
そんな展開、私が知っている原作にはなかった。でも、劇場版まで観たというアドルは、私以上の情報を知っているだろう。だから……
「一体誰が、そんな事をしたのか」
あのアーティファクトを置いた人物については現在、皇宮でも捜索が続いている。
しかし、これまで誰一人として、それを見たという証言する者はいない。皆口を揃えて、気が付いたらアレが置かれていた、と答えるのだそうだ。
「んー、誰だろうねぇ」
「そんな適当な」
ベルと物理的な距離が離れたことに安心したのか、アドルは落ち着いた様子でのほほんと茶をすすった。その様子にやや不満げなアイヴィーであったが、同じくベルが用意してくれたお茶を一口飲んだアイヴィーは「あっ!」と声を上げる。
「もしかして、私たち以外にも転生者がいて、そいつがわざと事件を起こしてたりってことは?」
「それは俺も考えたんだが、仮にそうだったとしても、そいつに何のメリットがあるのかが分からん」
うーん、と再び悩み込む二人。
お茶と一緒に用意された、皿に置かれているお菓子を一つ、アドルが口に運ぶ。
やがて、二つ目のお菓子を手に取り齧ったところで、彼は口を開いた。
「俺が、小さい頃からちまちまとフラグを回避するために、原作で起こった事件を先回りして回避したり解決したりしていたって、話しただろ」
「うん」
「過去に解決した放っておいたらヤバそうだった事件。その場で解決さえすれば、もう心配はないと思っていた」
もぐもぐ、と口に含んでいた茶菓子をゴクリと飲み込んだアドル。
じっと視線を向けるアイヴィーと目を合わせ、続ける。
「だが、その中でも特定のいくつかの事件は、俺がいったん解決を手伝った後も、再び微妙に形を変えて起こっちまってる」
アイヴィーはゴクリ、と息を飲んだ。
それは、アイヴィー自身、とても身に覚えがあったからだ。
記憶を取り戻してまず初めに、スペンサー公爵を誑かそうとした貴族を一人追い返した。しかし、その人物一人を追い返しても、何人も何人も、しばらくの間ずっと、スペンサー公爵家を陥れようとする誰かが現れ続けていた。
まるで、スペンサー公爵家は悪であるべきなのだ、と知らしめているかのように。
「俺はその事件を、特異点や集結点のようなものだと考えている」
……なるほど。
「パラレルワールドやループモノによくあるアレね」
「さすがオタク。ビックリするほど説明が楽」
指を立て真剣な表情でそう言ったアイヴィーに、同じく指を立て「それな」と答えたアドル。
アドルの話を聞いた直後、アイヴィーの脳内には前世の様々な作品がよぎっていた。
登場人物が、今生きている世界と同じようでいて違う、今と限りなく近い似た世界を行き来したり、ある運命を変えようと過去に戻ってやり直しの人生を送るストーリーの中で、何度その事象を変えようと努力を重ねても、結局、最後には同じ結末になってしまう現象……その「結末」を“特異点”や“集結点”と呼ぶことが多い。
初めてそれを説明された場合、理解するのに多少時間はかかるだろうが、アイヴィーはすでに何作も履修済であったため、今回、アドルからの説明は省かれた。
──つまり、原作のアイヴィーが放ったあの魔術は、この世界の“特異点”や“集結点”になってる可能性があるってこと……?
「……」
原作のアイヴィーは、主人公に強い恨みを抱いていた。
それ故に、あの禁術に手を出したのだろう。
「今、この世界にも……原作のアイヴィーのように誰かに強い恨みを抱いている者が、近くにいる……」
「だろうなぁ。ただその相手は俺じゃなくて、おそらく……」
──レオナルド
今回も、殿下を庇ってグレイソンが術にかかってしまっていたと聞いた。
彼は以前にも、魔獣召喚で狙われていたし、その時の防御魔導具に細工もされていた。
本人は、犯人に心当たりがあるって言ってたし、政争になるから構うな、みたいなこと言われたけど……。
あの魔法は……禁術。
大丈夫なんだろうか。
──私の魔術も、全然、効かなかったし……
黒い靄に閉じ込められた時に見せられた幻覚。
あまりにもリアルに感じたその感覚と、手も足も出せず堕ちそうになっていた記憶を思い出したアイヴィーは、ぶるっと身を震わせた。
「もしかしたら、劇場版で起こった事件の一つが、起きかけてるのかもしれないな」
「劇場版の事件?」
「あぁ、作中では同時多発的に様々な事件が起こるんだ。それまでに作中で起こった事件に似たようなものもいくつか……。最後にそれを仕組んだ黒幕があの二人だって分かるんだけど」
「テオと……」
アイヴィーは、窓の外にいるベルへ視線を移す。花壇の傍で、瞳を閉じて座り込んでいる。
「あそこでぽかぽかしてるベルね」
「本当、人が違うみたいでこわい」
同じく窓の外へと視線を向け、顔を引くつきながらそう言ったアドルに、「何しても怖いんじゃない」とツッコむアイヴィー。
「そういえば、アドルも誰か、他の転生者に会ったことがあるの?」
「俺はいな……いや、そういえば一人怪しい変な奴はいたな」
んんんん、と顔をしかめ始めたアドルに、アイヴィーは首を傾ける。
ま、ライアンと会った時に、もしかしたら他にもって考えてはいたし。
「てか、俺もって、ここには他にも前世持ちがいるのか?」
「うん。ライアンっていう学園の先生」
「先生!?」
なんで異世界にきてわざわざ教師なんてやってんだ!?と、声を張り上げたアドル。
いや、あの人は確かに教師ではあるんだけど……どっちかっていうと日夜魔導具作りとアイドルP活動に励んでいるし……どうなんだろう。
「なんだかんだ、ある意味一番この世界を楽しんで生きてると思うよ」
アイヴィーがライアンを思い浮かべ、遠い目をしたその時。そばに置いてあった綺麗なオブジェから、穏やかなメロディが流れ始めた。
「ん……? なんだ、コレ」
「時間……」
「イひっ」
オブジェに手を伸ばしたアドルを遮るように、サッと現れたベル。胸元から取り出した懐中時計を二人の間に広げて見せたベルに、アドルの体はビクリと跳ねた。
「これ以上話すと、また、怒られる」
「あ、はい、帰ります」
そう言ったアドルはパッと立ち上がり、そそくさと部屋を出て行く。その姿を、アイヴィーはじっと見届けてから、ふとベルの方へと視線を移した。
「ベル、怒られてたの?」
「……うん」
「そうだったんだ……ごめんね」
「……別に」
*
パタン、と扉を閉めたアイヴィーは、部屋のすぐ外で控えてくれていたベルのもとへ行く。
たった今、神官から神聖術を受けたアイヴィー。その姿をじっと食い入るように見たベルは、ふっと小さく息を吐いた。問題はないらしい。
「何がだめだったの?」
ベルにも治せない、って言われてからずっと気になってた。
神官様は「終わりました」と一言いったら、すぐ陛下の方へ行っちゃったし……。
皇宮の通路を並んで歩きながら発したアイヴィーの問いに、ベルは一拍置いてから口を開いた。
「……死人の、魂」
「え」
ピタリ、と足を止め、ベルを見るアイヴィー。
「死人の、魂……の一部」
じっと視線を合わせ、もう一度復唱するベル。
ヒュッ、と肩から背中にかけて、一気に寒くなった気がする。
「アイヴィーの中、に入り込んでて……そういうのは、俺は取れない」
「え……あ、なんで、」
「あったかいのは、いいんだけど……冷たいのは、あんまりよくないから」
「? ??? ??」
ベルが何を言っているのかわからない。
いや、でもなんとなく感覚でわかる。
私の中に入り込んでいたソレは、冷たくてあんまりよくないやつだったってことでしょう。
怯え始めたアイヴィーに、ベルは片眉を下げながら言った。
「アイヴィー……怖がるかと思って」
言わなかったのに、と続けたベルに、アイヴィーは不恰好な笑みを浮かべる。
アイヴィーは幼少期から、かなり多くの無茶をして過ごした。
悪質な貴族を、魔法で撃退。それに雇われた破落戸を、魔法で撃退。時には剣や武器を使った接近戦も。それ故に、この世界に生きる、普通の貴族令嬢であれば怯えてしまうような局面でも、難なく立ち向かえるポテンシャルを手に入れていた。
そう、ただ一つ……ホラージャンルを除いては。
「い、今は居ないんだよね」
「うん」
そ、そういえば神官様の術を受けてから、気持ち、心なしか、体が軽くなったような気もする。この話を聞いたから? そう思っただけ……? でも……それでも……
アイヴィーはこの世界で唯一、ホラーだけは、どうしようもないほど……大の苦手であった。
──…………ッ
「あ、明るいうちに、早く帰ろう」
「……うん」
震えた声を出し、歩く速度を早めたアイヴィー。その後ろを、コクリと頷いたベルはついていく。
そんなこんなで、用意された馬車に乗ったアイヴィーは、大きく両手を上げ伸びをした後、小さく深呼吸をした。
「っはぁ……久々に外の空気吸った~~!」
なんだかんだ、神官様から治療を受けるまで、ずっと室内に閉じ込められてたし。色々あって大変だったけど……あの後、一応レオナルドとも話す時間は取れたし!
ひとまず今は家に帰って、自分の部屋でゆっくりしたい。
「どうしたの?」
「……別に」
久々の開放感に、神官を呼ぶ原因となった恐怖の感情は薄れ、テンションが上がってきたアイヴィーとは対照的に、目の前に座って窓の外を眺めているベルは、どこか暗い。
……?
「そういえばベル、なんかアドルにあたりキツくなかった?」
「……」
チラッとこちらを向いたベル。
パチパチと瞬きをしたアイヴィーに向け、小さく口を開いた。
「なんか、目があったら、悲鳴……あげられて」
「あぁ……」
「ちょっと、悲しかった……けど、」
スッと軽く視線を逸らしたベル。
その横顔をアイヴィーはじっと見つめ、続きの言葉を待つ。
「……面白くて、つい」
「えぇ……急にSに目覚めないでよ」
そう言った後、ふっと笑い声を漏らしたアイヴィー。ベルも心なしか楽しそうである。
やがて馬車が止まり、公爵邸へと着いた。
ベルの手を掴み、馬車から下りるアイヴィー。
アドルには気の毒な話だが、少し愉快な、穏やかな空気で公爵邸へ続く階段を上る二人。
アイヴィーの前に立ったベルが、玄関の扉を開く。
「おかえり」
地を這うような、低い声が心臓に響いた。
反射的に体をこわばらせたアイヴィーは、ゆっくりと顔を上げる。
「あ……」
アイヴィーが顔を上げた、視線の先。
そこには、酷く冷めた目で正面からしっかりとこちらを捉える、スペンサー公爵の姿があった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。挿話を挟んでから続く、スペンサー親子大喧嘩編も楽しんでいただければ幸いです。






