68.何故
「あそこは本来通る予定はなかった場所だ」
宮医の診療を終えたグレイソンの元を訪れていたレオナルド。彼はそう言いながら立ち上がり、部下から受け取った上着を羽織る。
「前回の召喚術者といい、これだけ短期間に襲われたとなっては……しかも今度は皇宮内だ」
それも白昼堂々と、と続けたレオナルドは部下の前にも関わらず、珍しく顔をしかめている。
「グレイソン、お前は本当にもういいのか?」
「はい」
「お前を庇ったスペンサー嬢も、今は落ち着いてるとの事だが……彼女の従者が、神官を呼んでほしいと陛下に申し出たそうだ」
「…………」
そう言ったレオナルドは、傍にいた別の部下に指示を出し、扉へと向かって歩いていく。
「今も一応、スペンサー嬢の部屋には俺の部下しか出入りをさせていないが、何かあれば頼む」
「……はい」
「私はアレの見送りに行ってくる」
そう言うとレオナルドは部下を連れ部屋を出て行った。
「──……」
扉が閉まり、一人になった室内。
グレイソンは、壁に立てかけてある剣に視線を移す。
──結局、あの時レオの手を取って帝国の騎士になってからも、見えてくるのは貴族の汚い所ばかりだった。
浅ましく、わが身可愛さに他者を犠牲にする、貴族。
民から奪い、民の大事なものを踏みにじる、貴族。
自分より立場が弱いものには高圧的な態度で、そのくせ、上の階級の者には媚び諂う。
奴らは皆、醜く、汚い。
「…………」
グレイソンはゆっくりと立ち上がり、身なりを整えると扉を開け部屋を出た。
──ヤツらは何も変わらない。
表では良い顔をしながらも、その腹では何を考えているか見れたものではない。
特に、綺麗な笑顔で偽善的な振る舞いをする奴ら程、いざ中身を知れば酷いものだった。
罪を犯す貴族を裁けば裁くほど、自分の心の奥も醜く歪んでいくのを感じた。
貴族が、醜い人間達が、嫌いだ。
それは、もうずっと、変わることはないと思っていた。
なのに……あの時。
『グレイソン!』
黒い靄に捕らわれ、突然襲い掛かってきた悪夢に動けなくなった時、声が聞こえた。
意識がはっきりした時には、それまで俺がいた位置にアイツがいた。
アドルによって黒い球体が砕かれた直後、膝をついて涙を流していたアイヴィーの姿を思い返したグレイソンは、ぐっと眉を顰める。
『アイヴィー様が、あの黒い靄に触ってはいけない、とおっしゃられて……精神干渉を受けるからと』
あの場を離れた後に聞いた、メイドの言葉を思い出す。
突然襲った、悪夢。あれが魔術で見せられたものだとすれば、なぜアイツはそれを知っていた。
知った上で周りの人間を遠ざけておいて、どうして……
「…………」
グレイソンは通路を進みながら、皇宮で刺客に襲われた時のアイヴィーの姿を思い出す。
初めは、他の貴族と変わらない、ただのお嬢様だと思っていた。
自分が守らなければ、簡単にやられてしまうだろう、と……。
『私もちょっとは強いんですよ』
ただの貴族令嬢だと思っていた人間が、俺や他の騎士と引けを取らないほどの剣術を使い、見たこともない魔術をも使って、悪党を捕らえていく。
アイツは、権力も、実力も、何もかも持っている。
だが、決してそれを悪事に利用はなく、力をひけらかすこともせず……むしろ、隠していた。
──どうして、アイツは
ピタリと立ち止まったグレイソン。
前方にメイドが二人、扉の前で何か小声で話しているのが見えた。
ふと気づけば、レオナルドが部屋を用意したアイヴィーが控えている所まで来ていたグレイソン。足をすすめ、ソワソワとしているメイドに問いかける。
「どうした、中に入らないのか?」
「そ、それが……」
「ハールメン辺境伯様が、先ほどこちらを訪れまして」
ハールメン辺境伯、若くして代を継いだという……あの男がそうだったのか。
「それで?」
「それが……、彼がこちらを訪れてから、もう一刻近くになるんです」
「…………」
珍しくソワソワとしている、レオナルドの部下であるメイド達の言おうとすることが分かったグレイソンは、スッと目を細める。
「な、中にはアイヴィー様の従者の方もいらっしゃるのですが」
──だったら問題ないのではないか……?
「どうやら、二間続きの部屋の奥にお二人がいらっしゃるようで、その部屋の立ち入りを禁じられているようなんです」
「………………」
「あ、騎士様!」
躊躇いなく、ガチャッと扉を開けたグレイソン。
中いたベルと目が合った。
「…………」
「……………………」
続く沈黙。
すると、首を少しだけ傾けたベルが、ゆっくりと扉の前から離れ、グレイソンに道を譲る動作をした。
「…………?」
メイド達には部屋の立ち入りを禁じていたにも関わらず、自身には無言で道を開けたベルに、グレイソンはやや不審に思いながらも、扉の前に行き立ち止まった。
「……あ」
「?」
振り返ったグレイソンはベルに向かって一言告げ、ドアをノックした。
扉の向こうからは、アドルが叫ぶあわただしい声が聞こえた。
ベルの口元は小さく弧を描いていた。
*
「落ち着いたか」
「…………はい」
……恥ずかしい。
何で推しのつらい過去を聞いて泣いた上、その推しに慰められてるんだ。
また醜態を晒してしまうなんて。いや、でももう一回すれば二回も変わらないんじゃ。あーーでもやっぱり、二度あることは三度……。
アドルが部屋を後にして数分。
ようやく落ち着きを取り戻し始めたアイヴィーは、同時に湧き上がってきた羞恥心と格闘していた。
「当ててろ」
グレイソンから、先ほどアドルが差し入れてくれた濡れタオルを渡されたアイヴィー。受け取ったそれを、そっと瞼に当てる。
「……さっきは、助かった」
ぼそり、と聞こえてきた推しの声。
当てていたタオルをズラし、目の前の推しの顔を見る。
じっとこちらを見ているグレイソン。いつもと変わらない口調と、表情。
「………………~~~~ッッ」
先ほどようやく落ち着いた感情が、じわじわとせり上がってくる。
そして、それは再び涙となり、ぶわっ、とアイヴィーの両目から溢れた出した。
自分が声を出した直後、また泣き始めてしまったアイヴィーに、一瞬ぴくりと反応したグレイソンは固まった。
「…………」
──だめだ、一度泣いたら涙腺がバカになってる。
(礼を言っただけなのに、何故……)
向かい合って立つ二人の間に、ジメジメとした重い沈黙が流れる。
視線を逸らし、先ほどのあの黒い靄に取り込まれた時の感覚を思い返したグレイソン。同時に、アドルに助け出された直後、涙を流して蹲っていたアイヴィーの姿も思い出し……もしや、礼を言った事であの時見せられたであろう悪夢を再び思い出させてしまったのか、と考えたグレイソン。
再び正面を向き直ったグレイソンは、スッとアイヴィーへと手を伸ばした。
「……っ?」
枯れてしまうのではないかと思う程、ボロボロと溢れ続けている雫を手の甲で拭っているアイヴィー。その頬に、手を添わせたグレイソンは、軽く揉むように動かす。
「なに、を……してるんですか?」
「…………」
何も答えず、ただむにむにと右手を動かしていたグレイソンは、スンッと鼻を鳴らして顔を上げたアイヴィーの涙に濡れた目元を親指で拭う。
「……ッ」
ふっと一瞬、微笑んだように緩んだグレイソンの顔が、ゆっくりとアイヴィーへと近づく。
──え
え……、えぇ⁉
「ほっ、ホントになに……ッ」
「…………」
グレイソンの胸元をぐっと押し返し、身をのけぞらせたアイヴィー。
その様子をじっと見ていたグレイソンは、アイヴィーが泣き止んでいるのを確認し、ふぅと小さく息を漏らした。
「なぜ俺を庇った」
「なぜ……」
と言われても……。
そっと離された頬へ手を当て、視線を下げたアイヴィーはぼそりと続ける。
「体が勝手に動いていたので……」
「……」
目の前で推しが苦しんでいたんだ。
救える術があるのに、助けないわけがない。
確かに、今回はちょっと、勢いで出て行ってしまったのは認めるけど……。
……それに、予想外に強力な魔術だったし。
──でも、いつもなら……
いつもなら……こんな時はベルが助けてくれていた。
今回は、アドルに助けられたけど。
「多少の傷なら、すぐに治せますし……」
そう言って黙り込んだアイヴィーに、グレイソンはほんの少し眉を顰めた。
「……それでも、致命傷を受ければ分からないだろう」
──……。
レオナルドを庇ったヴァネッサさんの事もあったし、ちょっと過敏になってるのかな。
今日はやけに食い下がるなぁ、とグレイソンへと視線を戻したアイヴィーは、先日、レオナルドを庇い体を貫かれ、危険な状態になったヴァネッサの姿を思い出した。
「大丈夫ですよ」
まるで子供を安心させるかのように、穏やかに微笑んだアイヴィーは、そっと胸元に手をあてる。
「確かに、首を落とされたり心臓を一突きされたら死んじゃうと思いますけど」
何も発さず、じっと黙って見降ろしてくるグレイソンにアイヴィーは続ける。
「そんなヘマは、そうそうしません」
「…………」
「………………?」
ん?
やや顔をしかめたまま、ずっとこちらを見ているグレイソンに、アイヴィーは頭を傾ける。
やがて、少し間を置いてからグレイソンが口を開いた。
「あの魔術……アーティファクトを、容易く破壊したあの男が気になったのは分かるが、こんな風に長時間二人で居るべきではないだろ」
──はっ
「ここは一応、……殿下の信用のおける使用人しかいないが、不用意な行動はするな」
「…………」
素っ気なく放たれたグレイソンの言葉に、アイヴィーは徐々に青くなっていく。
そうだ……つい……ッ! つい劇場版の情報に気を取られて! グレイソンのショタ期を見せてもらった瞬間から、意識をすべてそっちへ持っていかれてしまっていた!
──そのせいで、あの魔術とアーティファクトについては、全然話せてない!!
グレイソンの指摘とは違うところで、タラリと冷や汗をかいたアイヴィー。
「そ、それよりも、サーチェス卿はもう大丈夫ですか?」
「…………」
ハハ、と薄い笑みを浮かべたアイヴィーは、話を逸らし、誤魔化そうとする。
その顔をじっ、と見ていたグレイソンが口を開く。
「……あぁ」
見た所、普通に話せてるし……本当に大丈夫そうだ。
目の前に立つ、いつもの様子のグレイソンを見て安心したアイヴィーは、ふわりと笑った。
「よかった」
「……お前のおかげで」
「…………」
「……」
グレイソンを見上げ、綺麗な笑顔を向けていたアイヴィーの顔は、ゆっくりと歪んでいく。
「……~~~~、ヴッ」
──ヴァ─────────────────ッ!!!!!!
いつもであれば、このさりげなく付け足されたグレイソンの一言に、「デ、デレ……ちょっと素直な推し、かわい~~~~ッ!!」と、心の中で悶えていただろう。
これまでだったら、ただクールで冷酷な推しのデレに、ただ喜ぶことができただろう。
しかし、今のアイヴィーの脳内には、先ほどアドルから聞いたばかりの推しの過去と、少しだけ見せてもらえた、キラキラと輝いている屈託のない笑顔の幼少期のグレイソン情報がある!
彼はもはや、アイヴィーの中で、これまでの情報で得た「ただクールで冷酷な推し」ではなくなってしまったのだ。目的のためなら何でも誰でも利用すると思われていた推しが、本当は家族が大好きで、お姉ちゃんが好きで、ひとりぼっちは耐えられなかった幼少期……つまり、心の奥底。彼の芯の部分の人柄を、ほんのりと覗く形で知ってしまっているのだ。
あのキラキラの幼少期のグレイソンを思い浮かべたアイヴィーは、その姿がこれほどまで変わっている現実を、再び思い知らされていた。
だが、そんな推しが今こうして少しだけ素直な言葉を聞かせてくれたのだ。
「ゔぅぁ……っ、ゔぐ……」
室内には再び、感情を無理矢理押し殺したせいで低く呻くような、アイヴィーの啜り泣く声が響いた。
「……………………」
(何故、また……)
まさか今、目の前の女が、知るはずのない自身の幼少期の顔を思い浮かべ、思いをはせているとは思わないグレイソンは、奇妙な声を漏らすアイヴィーを見て、ほんの少し言い知れぬ不安を覚えるのであった。






