67.ち、ちがうぞ!
あれから数年、いろんな場所を転々とした。
その日限りの仕事を手伝って、その報酬でご飯を食べる。
時々ふらっと姿を消したオーバンが戻ってくると、何故か手には金の入った袋をもっていて。
「んな顔すんなよ。ちゃんと仕事したんだよ、仕事」
じと、っと疑いの目を向けるグレイソンに、オーバンはそう言いながら笑った。
お金がある時は、宿に泊まったり。移動中は、森の中で狩りをしたり。
共に過ごす中で、グレイソンはオーバンから剣術やいろんな知識を教わった。
……いらない知識や、くだらない情報も、教わった。
何度か、夜のお店で働く女の人の家に厄介になっていた事もある。
でも、その女の人に、あの魔術は使っていない、とオーバンは言っていた。
あの時、屋敷で見せてくれた魔術は、めったに使わないらしい。
国を離れる時、最後に……昔住んでいた村にも行った。
何もなかった。
黒く焦げた塊がいくつか、昔、村のみんなの家が合った場所に、寂しく積まれているだけだった。
やがて、王都付近へと身を移したオーバンとグレイソン。
いつものように、夕飯の材料を買って帰る途中、近道のために通った路地裏でグレイソンは小汚い布を被った、一人の少年と出会った。
少年は、路地裏では有名なあくどい男に、相場よりかなり高い金額を吹っ掛けられている所だった。
──またやってるのか
あの男は以前も、ここを通った子供を狙って、ガラクタを売ってぼったくろうと詰め寄っていた。
「……それだけあれば六月は遊んで暮らせるな」
「え……」
突然聞こえた声にバッと振り返った少年と、グレイソンは目が合った。
しかし、それも一瞬。グレイソンは止まることなく足をすすめ、帰路へとついた。
「…………」
家についたグレイソンは、さっきの少年を思い出す。
振り返った瞬間に見えた瞳が、キラキラと輝いて見えた。
羽織っている服は汚いものだが、フードから少し見えた髪も綺麗だった。
少年は翌朝、再びグレイソンの目の前に現れた。
「案内……?」
「あぁ! この辺りについて色々教えてくれないか?」
少し緊張気味にそう言った少年に、グレイソンは大通りを指さして言った。
「あの馬車の男に言えば、銀貨三枚もあれば喜んで案内してくれるだろ」
銀貨三枚というのは、昨日、この少年がぼったくられそうになっていた金額である。
「い、嫌味な奴だな! 俺は君に頼んでいるんだ」
「……」
それが頼んでいるという態度なのだろうか。
まぁ、いいけど。どうでも。
カッ、と頬を赤らめた少年から視線を外したグレイソンは、無言で歩き始める。
「おい!? 無視はないだろう!」
「……」
後ろで何か言い続けているが、グレイソンは無言で歩き続ける。しかし、少年はめげることなく、グレイソンの後をどこまでもついていく。
そんなやりとりが何日か続いていくうちに、自然と言葉を交わす回数は増え、共に行動する時間も増えた。
「めずらしいな。お前が他人の話をするなんて」
夕飯のスープが入った器を渡しながら、オーバンが言った。本日も、どこかへ仕事へ行っていたらしいオーバン。彼は、帰ってくると大体「今日はなんかあったか?」とグレイソンに訊ねていた。それに毎回「別に」と返していたグレイソンであったが、今日はなんとなくあの少年の事を話していた。
「友達ができたのか? よかったな」
「とも、だち……?」
そうなんだろうか。
そんなわけない。会ったら、たった三言ていど話すくらいの相手だ。
少年の名は、レオと言った。
レオは俺以外にも、街に住む子ども達ともよく話している。初めは抵抗していたグレイソンであったが、レオに手を引かれ、その輪の中に引っ張られることも多くなっていった。
少年はいつも楽しそうに笑っていた。
自分より幼い子供たちと遊んでいる時。街のお菓子屋さんでもらったお菓子を食べている時。時折、剣での遊びで俺や女の子に負けて、じんわりと涙を浮かべている事もあったが……。毎日、楽しそうに笑っていた。
たまに、みんなの輪から少し離れ、遊んでいる子ども達を眺め、ほほ笑んでいる時もあった。子ども達が楽しそうに遊んでいる姿から、街で働く大人達へ視線を移し、少し悲しい顔をしている時もあった。
「不思議だな」
「……何が?」
「……いや。なんでもない」
レオがボソリと零した言葉に、グレイソンが問いかけた。しかし、レオは困ったような顔をして首を振っていた。
日が暮れ始めた。
そろそろ帰ろうと分かれ、家に向かって歩き出した時、グレイソンはレオに呼び止められた。
「俺の騎士になってくれないか?」
振り返ったグレイソン。
レオの表情は逆光で読み取れない。
「……まだ遊び足りないのなら」
「ごっこ遊びではない」
じっとこちらを見据えてそう言ったレオの声色は、いつもより落ち着いていてどこか緊張感があった。
「今まで黙って……偽っていたことを詫びる」
そう言うとレオは、これまで一度も外したことはなかったフードを外し、再びまっすぐとグレイソンを見つめた。
キラキラと光る金髪が、風に揺れなびく。
「私の名は、レオナルド・プライス・リンドバーグ・アルバ。この帝国の皇太子だ」
「……」
おどろいた。
「黙っていて……すまない」
「いや……綺麗な身なりをしているし、どうせどこかの貴族の息子だろうとは思っていた」
「なんだと!?」
だが。
──まさか皇太子だったとは。
レオナルドは自身の決死の告白に、いつも通りの無表情でローテンションな回答をするグレイソンを見て、声を張り上げた。
「ボロ布一枚被った程度で、隠しているつもりだったのか」
「うるさいな!」
レオナルドは、自身の変装の甘さを指摘され、やや赤くなっている。
「初めて会った時、俺を助けてくれただろう。君のその正義感……ぶっきらぼうだけど、他人を思いやる優しい所もある」
「…………」
じっと見つめているグレイソンを前に、レオナルドの頭はゆっくりと下がっていった。
「……過去は変えられないし、取り戻せない」
今にも泣きだしそうな、震えた声が聞こえた。
「でも、これから先の未来、私は君のような人とこの帝国を守りたい」
グレイソンの前に、まっすぐ差し出された手。
小さな、綺麗な手。
けれど、ほんの少し、剣を握った時にできた小さな痣がある。
「帝国騎士団に入り、この世界の悪いやつらから……私と一緒に、この帝国を守ってほしい」
「……悪い、やつら」
昔を思い出しては、何度も、考えてしまうことがあった。
──あの時もっと、力があったら。
もしも生まれが、村に来た貴族より上の存在であったなら。
家族と離れることなく、今もみんな、一緒に過ごせていたのだろうか。
──俺がもっと、強かったらなら。
あの屋敷で、エミリーに頼るばっかりじゃなく、共に支え合うこともできたのだろうか。
今この目の前にいる少年も、いつも街の子供たちと遊んでいる時は、楽しそうに笑っている。なのに、こうして時折、泣きそうな顔をして街を眺めていることがあった。
──レオも、力があったら変えられたと後悔している過去があるのだろうか。
目の前に差し出された手が、小さく震えている。
「……」
夕映えで、キラキラと輝く金色の髪が、風に揺れる。
グレイソンは、ゆっくりと立ち上がり、伸ばされたレオナルドの手をそっと握った。
*
ズズッ、と鼻をすする湿っぽい音が、室内に響く。
「まぁ、そんな感じで、形だけレオナルドの傘下?の貴族の養子になって、帝国騎士なったわけよ。んで、いろ~んな嫌な貴族をたくさん相手してくうちに、また微妙にスレながら今の姿に」
「……、ゔ……っず……ゔっ」
アドルから劇場版で明かされたグレイソンの過去を聞いたアイヴィーは…………号泣していた。
まさか、推しの過去が、そんな酷いものだったなんて。
グレイソンはそんな小さな頃から、悪い貴族に騙され利用されて……苦しめられて、傷つけられていたんだ。
「どんだぅゔっ……どぅらどぐるゔぉ……っ」
「なんて?」
しゃっくりをあげながら、何を言っているか分からない濁音だらけの嗚咽を漏らすアイヴィーを前に、アドルは眉尻を下げる。
そりゃ、あんな表情にもなるよ。
貴族なんてみんな、大嫌いになるよ。
復讐のために、無差別に罪の無い人を利用して、悪事を働いていた原作のアイヴィーなんて、何のためらいもなく後ろからサックリ刺せちゃうよ。
「……うっ、……」
「………………」
ボロボロと落ちる涙をぬぐいながら、言葉にならない声を漏らすアイヴィーの前で、アドルは静かにズルズルとその身をソファーに沈み込ませる。
つらすぎる。本当に…………。
騙されてひとりぼっちになっちゃって、そこで支えてくれた人も奪われて。今度こそもう本当にダメになりそうだった時に、出会って……推しを救ってくれた、檻のお兄さん……ヴッ!
──いや、もう……本当
檻のお兄さん……ッ!!
推しを大切に育ててくれて、ありがとう……………………ッ!!
アイヴィーの内に生まれた様々な感情は今、完全に暴発していた。
顔も知らぬ、その檻の中にいたという男に、深い感謝と尊みを感じ、心の中と現実で何度も拝んだ。
その現場を真正面から見せられることになっているアドルは、あまりこういった行動をとる人間に出会ったことはないのであろう……顔をヒクつかせ、軽く引いていた。
しかし、行き場をなくした、高まりきった感情は今もなお、アイヴィーの瞳から涙となりこぼれ落ち続けている。
「…………もういい加減……泣き止んでくれ。話が進まないだろ」
ザックリと説明を終えたアドルは、いつまでもグズグズと泣きじゃくるアイヴィーを前に、少し困った顔をしながらそう言った。
「だっ……ゔぁ……」
「あー、さっきのショタイソンもっかい見せてやるから」
「いヴぁみだらおげいだぐでじょおが……ッ」
「なんだって?」
アドルが再びアイヴィーへ向け手をかざし、記憶映像を見せるため魔法を発動させようとした、その時。ノックの音が室内に響いた。
「え、あっ」
アドルが声を出すのと同時に、扉が開く。
扉の向こうには、まさに今一番の話題の人物────グレイソンが立っていた。
「え……?」
「ち、ちがうぞ!」
突然の推しの訪問に戸惑いの声を漏らしたアイヴィー。固まったまま扉を見ていたアドルは、ハッとした後さっと立ち上がり、急にあたふたと焦り始めた。
アイヴィーが瞬きをした瞬間、ポロリ、と大粒の涙が流れ落ちる。それを見たグレイソンは、一瞬、目を開いて瞬きをした後、スッといつもの表情に戻ってアドルに視線を移した。
「…………」
「お、おれが泣かしたわけじゃねーよ!?」
グレイソンの眼圧に耐え切れなかったアドルは「じゃ、じゃ! 俺は濡らした布でももらってくるから!」と、慌ただしく部屋を出ていった。数秒後、扉の向こうから、さらに短いアドルの悲鳴が聞こえた。
アドルが消えていった扉をじっと見ていたグレイソンが、スッとアイヴィーへと向き直る。
「……ッズ……」
「……何があった」
その顔は、いつものような無表情。だが、ほんの少しだけ下がっているその眉から、今のアイヴィーに対する戸惑いが感じられる。
彼はきっと、何か用があってここに来たんだろう。聞かなくちゃいけない。わかってる、わかってるけど……。
「う、ゔぅ……っ」
つい先ほど、推しの悲惨な過去を聞かされたばかりだ。
その直後に、こうやって生のグレイソンを前にしているのだ。アイヴィーの感情は余計に乱れ、ボロボロと涙が零れ落ちる。
「……っ」
「……泣くな」
グレイソンはゆっくりとアイヴィーの傍へ近づき、そっと後頭部に手を回す。
そして、そのままアイヴィーの頭を自分の胸元に押し付け、ポンポンと背中を軽く叩いた。
──!? !!?
今まででは考えられないグレイソンの行動に、アイヴィーはグッと拳を握った。
「うぅ……っ」
「……」
──このポンポンも、一緒に生活している中であの檻の男にしてもらったりした、の、か!?!?
微妙に違うが、あながち間違っていない部分もあるアイヴィーの考察は広がっていく。
「……ッ」
こんなに優しいのに。……今は。
こんなに……今は優しい推しが、過去にあんな酷い目に。
そう考えれば考えるほど、抑えようとした感情は溢れ出す。
「ゔぅ゛ゔ……ぉ゛ぁ゛ぁ゛……」
「………………」
グレイソンはこれまで生きてきた中で、女性が泣いている姿を見たことは、普通に何度かあった。だが、過去に類を見ない泣き声を出している目の前の女に、無表情でありながらも、未だかつて無いほど、本気で困っていた。
その時、コンコン、と背後の扉から控えめなノックの音が響いた。
「あ、あの~~……濡れ布もらってきたんで、よかったら」
少しだけ扉が開いて、アドルの手が差し込まれた。その手に握られていた濡れ布を、グレイソンは無言で受け取る。その際、ビクリと反応したアドルは、「じゃ、じゃあ俺はあっちで他のみんなに説明してますんで」と言い残し、去っていった。
扉が閉まる。
数秒後、扉の向こうからは、再びアドルの短い悲鳴が聞こえた。






