66.満月の夜
「そうか、三日後ね……」
地下室の檻の中で、男は呟いた。
ここへ入ってすぐ、旦那様たちの会話をこの男に伝えたグレイソン。
胡坐をかき、顎に手を当てた男は何を考えているのか、しばらく黙り込んでいる。
「あした、おれがカギをもってくる」
「……分かったのか?」
場所、と続けた男に、グレイソンは頭を下げ小さく頷いた。
「…………」
自室へ戻る途中、ほの暗い階段でグレイソンはゆっくりと立ち止まる。
ポケットに手を入れ、中にある物を強く握りしめ、取り出す。
グレイソンの手のひらには、銀色に光る小さな鍵があった。
「…………」
本当は、前にオクサマの部屋の中を探索した時、すでに鍵を見つけていた。
──さっき……これを、渡さないといけなかったのに。
そうすれば、あの男は地下室から出て、この屋敷から逃げられたのに。
だけど、これを渡してしまったら……。
*
翌朝、目が覚めたグレイソン。
なんだか頭が重い。
いつもの早朝の仕事のために、ベッドから出て扉を開けた瞬間。
「……、っ……」
ぐわん、と目の前が回った。
気づいた時には、バタンと音をたて、床に倒れていた。
「あ、え……おい!」
薄れゆく意識の中で、いつもおれに仕事を押し付けてくる、嫌なやつの声が聞こえた。
「……、……はぁ」
次に目が覚めたグレイソンの瞳には、自室の天井が映されていた。誰かが運んでくれたのか、ベッドの上に少し雑に寝かされている。身を動かし、起き上がろうとするが、動かない。重い。まるで自分の体ではないようだ。
──……息、くるしい……寒い。
熱が上がってきているせいで、寒さで震えが出てきたグレイソンは、体を丸める。
──さむ、い……
昼過ぎには熱が上がりきったのか、今度は暑くて喉が渇いて仕方がなかった。汗が気持ち悪い。
その日は一日中、仕事はせず、横になってほとんど眠って過ごした。
この屋敷へ来て、初めてもらった休みだった。
「…………」
──あした、は、絶対、行かないと……。
夜になり、再び上がってきた熱で、体が震えて自由に動かせない。グレイソンは、ぎゅっとシーツを握り、窓から差し込む月明かりに照らされた、埃っぽい質素な室内を一瞥した後、ゆっくりと瞳を閉じた。
*
翌朝、グレイソンはベッドから起き上がり、支度を始める。
まだ少し、体に違和感を感じるが、昨日よりはずいぶん楽になっていた。
「……ふう」
日が暮れ、一日の仕事を終えたグレイソンは部屋に戻り、肩の荷を下ろす。
いつもと変わらない仕事量なのに、今日はすごく疲れた。
夜になって、部屋を抜け出すために起きているのが大変だった。気を抜いたらすぐにでも寝てしまいそうだ。
グレイソンは、ポケットの中に入れた小さな鍵をぎゅっと握りしめてから、部屋の扉をそっと開けた。
「お、今日は来たか」
昨日、来ると言ったのに姿を見せなかったグレイソンに対し、檻の男は気にしていないのか、ケロッとした様子で口を開いた。
「…………これ」
グレイソンはポケットから小さな銀の鍵を取り出し、柵の隙間から男に差し出した。
「…………」
鍵を受け取った男は立ち上がり、器用に柵には触れないように、鍵穴に鍵を差し込んだ。カチャカチャと小さな音がなる。しかし、鍵は回らない。
「……?」
顔を上げるグレイソンに、フゥ、と息を吐いた男は言う。
「これは、偽物だな」
「…………にせもの」
グレイソンの顔は、みるみるうちに青くなっていく。
──どうしよう
「ごめん」
「なんでお前があやまってんだよ」
──おれが、もっと早く鍵を渡していたら
「……………っ」
──偽物だって気づいて、また探しに行けたのに
「あしたまでに、もういっかいさが」
「明日は来るな」
「……え」
檻の男は、遮るように震え声を出すグレイソンの頭をガシガシ、と撫でた。結構な力で撫でられ、体が揺れる。顔があげられない。
「何が聞こえても、部屋にこもって、布団をかぶって寝てな」
檻の男は、そう言って笑った。
胸の奥に変な空洞が空いたような、嫌な感じがした。
そうだ、オクサマに伝えよう。
そうしたら──……
翌日、朝の仕事を終えたグレイソンが、オクサマを探して屋敷内を走った。しかし、オクサマの姿はちっとも見当たらない。
グレイソンは、傍にいた使用人の男に声をかける。
「あの、オクサマは」
「オクサマなら今日は朝から出かけてて、まだ帰って来てねーよ」
「……───」
夜が来てしまった。
結局、あの後もオクサマに会うことはできなかった。
「…………」
ベッドに座り込み、呆然とするグレイソン。
すると、劈くような鋭い音が響き渡った。悲鳴のような、唸り声。
外が騒がしい。
ベッドから立ち上がったグレイソンは、慌てて窓から外を見る。
今、グレイソンがいる場所と反対側────旦那様とオクサマの寝室がある屋敷の方から、赤い光が見える。火だ。屋敷が燃えている。
ふと視線の中に小さく動くものを見つけた。何匹もの魔獣が、屋敷を取り囲むように集まってきている。
『明日は来るな』
はっ、と昨日の男の言葉を思い出したグレイソン。
──もしかして、あの男が何かしたのだろうか。
「!」
その時、庭に一人、男が飛び出してきた。動きは遅いが、魔獣に追われて逃げている様子だ。男は無様な姿で懸命に走り続けるが、やがて数匹の魔獣に囲まれてしまった。徐々ににじり寄っている魔獣たち。男は何かを叫んでいるようであったが、辺りには男の他に人間はおらず、むしろ、その声で他の魔獣たちもゾロゾロと集まってきてしまったようだった。やがて、一匹の魔獣が、前に飛び出し男に襲い掛かった。それを筆頭に、次々と魔獣たちは男に押し寄せる。
グレイソンは、その光景をただ黙ってじっと見ていた。
「…………」
何匹もの魔獣たちに押さえつけらながれも、懸命に逃げ出そうと手を伸ばしていた男────旦那様は、やがて魔獣たちに隠れ、完全に見えなくなった。
大嫌いだった。
ずっと、何でこんな奴がいるんだと思っていた。
こんな奴がいなければ、あの村にさえ来なければ、今、こんな風にはなっていなかった。
憎い男が魔獣に襲われもがいている様は、見ていてもっと気が晴れるものだと思っていた。なのに。
──どうしてだろう
胸の奥は、ぼんやりとして重たいままだった。
──……檻の男は、逃げられたのかな
魔獣たちが外に出て、旦那様を襲っていたと言うことは、三日前に話していた計画は失敗したのだろう。だったら……。
グレイソンは、そろりと窓から離れた。
──ちょっと、確認にいくだけ
薄暗い通路。外では、あんなことが起こっていたというのに、不思議とこの使用人の棟は人っ子一人見当たらない。グレイソンは、檻の男と何度も話した地下室へと向かって走った。しかし、その途中、地下室への扉まであと少しという曲がり角で、前方から走ってきた人とぶつかり、体を飛ばされた。
「あ、……あぁっ」
「……っ」
目の前には、血まみれのオクサマがいた。
「よかった、無事だったのね」
こちらへ向かって手を伸ばしてきたオクサマ。グレイソンはビクリと体を後ろへ引いた。
「グレイソン?」
「……ッ」
「……グ、……ッ!」
オクサマの体が、ビクリと揺れた。
そして、次の瞬間、ドサッ音を立て前に転がり倒れた。
顔を上げ、こちらに手を伸ばし、小さく口を開いているオクサマ。何かを言おうとしているが、よく聞こえない。
グレイソンは、酷く冷めた視線でソレを見下ろしていた。
「……ぇ……て」
…………?
なんで、助けなんて求められるのだろう。
苦しくて、苦しくて、苦しくて息もできない。
考えたこと、なかったのだろうか。
魔獣に襲われて、苦しんだ村の人たちの気持ち。
苦しみながらも、嫌々笑って、家族のために一人で家を出た、おねえちゃんたちの気持ち。
「……に…………て」
「……!」
微かに届いた、オクサマの声。
しかし、その直後、伸ばされていた手は力なく床に落ちた。
オクサマは動かなくなった。
「…………っ」
視界がにじむ。
グレイソンの瞳からは、熱い雫が溢れていた。
パチパチ、と火の粉が飛び散る音が鮮明に聞こえる。
周ってきた火の光で、辺りが少し明るくなる。
動かなくなったオクサマの体の後ろに、黒い影が見えた。
ポタポタと赤い雫を滴らせる銀。
オクサマの後ろから現れた────檻の中にいた男は、剣を一振り空を切って血振りをすると、こちらを見下ろしながら言った。
「悪いやつだな。部屋から出るなと言っておいただろ」
「……どう、して」
男の手には、一つのカギが握られていた。
「ホントはな、お前が初めて来たあの日に鍵はもう手に入ってたんだ」
「な……」
「そこのお前」
そう言った男は、柱の陰に隠れていた使用人を一人、指をさして見つめた。
何度も覚えのない仕事をしていないと難癖をつけ、俺を打った男だ。
檻の男と正面から顔を合わせたその使用人は、両手と膝をつき倒れ、がくがくと震え始めた。
「これが俺の一番得意な魔術。目で見た相手の意識に介入して、一定時間、操ることができる」
……魔術。
確かにその能力があれば、見回りに来た騎士に、鍵を探させ、持ってこさせることができただろう。
目を見開き、男を見上げていたグレイソンに、檻の男は初めて見せる真剣な表情で言った。
「お前には使ってないよ」
「…………っ」
グレイソンは俯き、ぐっと拳を握り締める。
──でも
「…………なら、なんで……」
消えそうなほど小さな声を震わせたグレイソンは、スゥ、と大きく息を吸った後、バッと顔を上げ叫んだ。
「いつでも出られたなら、なんっで……!」
「……」
こんな大声、出したのはいつぶりだろう。声がかすれて、詰まってしまった。
男は眉尻を下げ、口元は笑みを浮かべている。
何も言わない。黙ったままだ。
「……おれは、殺さないの」
「なんで、お前を殺すんだよ」
か細い声を出すグレイソンに、男は穏やかな声色で言った。
「…………」
沈黙が流れる。
やがて、背を向けた男が歩き出した。
カツカツ、と通路に響く音が遠ざかっていく。
「……や、だ」
また、────になるのは。
ここにはもう、何もない。
おかあさんも、おとうさんも。
大好きなおねえちゃんも。
おれを気遣って、庇ってくれた、優しいエミリーも。
…………────も。だれも。
グレイソンは、ぐっと握った拳を床に押し付ける。
「もう……ひとりは、い、やだ……」
「…………」
膝をつき、零れ落ちた言葉に合わせて、瞳からも熱い雫が落ちる。
男の足音は聞こえなくなっていた。
「お兄さん」
「……?」
ボロボロと涙をこぼしながらも、男の声に顔を上げたグレイソン。
その様子を見た男は、フッと笑いながら言った。
「そう呼んだら、お前をここから攫ってやろう」
「…………ッ、」
グレイソンは大きく開いた口で、力いっぱい息を吸って叫んだ。
「…………っ、お゛じいざん!」
「余計老けてんじゃねぇか」
グレイソンの掠れた涙声を聞いた男は、苦笑しながらグレイソンを抱きあげた。
「お前、名前は?」
「……グレイ、ソン」
「グレイソンか、じゃあ、ん──……レイだな」
──『レイ』
頭の中に、懐かしい声が響いた。
昔、何度も聞いた、自分を呼ぶ母の声。
ポロリと一筋、涙がこぼれた。
「……ッ」
「しばらくは身を隠さないといけないだろうから、とりあえずお前はそれでいいな」
「……ん」
片手でグレイソンを抱きかかえたまま、男は屋敷を出てさらに歩いていく。
「俺の事はお兄さんと」
「おじいざんの……なまえ、は」
「オイ、今のはわざとだろ」
男の声に、グレイソンは無言で彼の肩口をギュッと握る。
「俺はオーバン」
「……オー、バン」
小さな声で復唱した声は、夜の闇に消えていく。
この日、二人は屋敷から姿を消した。
数人の使用人を残して、多くの人が犠牲となったお屋敷の火事は、事故として処理されたらしい。
夜はまだ開けそうにない。
満月が綺麗な夜だった。






