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61.小さな庭園



「殿下はご公務を終えられ次第、こちらへ来られるとの事です」


 コポコポ、とお茶を注いでくれているメイドの隣で、アイヴィーは一人の帝国騎士から報告を受けている。彼女はこれまでも何度か、レオナルドとのお茶会の時に部屋まで案内をしてくれていた騎士だ。


「もうしばらくお時間がかかるかと思いますので、部屋を移動される際は私にお申し付けください」

「分かりました。ありがとう」


 アイヴィーの言葉にふっと柔らかく微笑んだ騎士は、綺麗に一礼をし、部屋を出て行った。

 現在、アイヴィーは皇宮を訪れている。

 レオナルドには事前に連絡をしていたはずなのだが、どうやら急に来客があったらしく、そちらの対応が長引いてしまっているようだ。

 案内されたこの部屋では、明るく大きな窓の傍にティーセットが用意されている。窓から見える庭園の花を眺めるのに、丁度よい配置だ。


「……?」


 メイドが用意してくれたお茶を一口飲んだアイヴィーは、ふと窓の外に動く人影に気づいた。


「あの方は」

「え? あぁ……庭師ですね。丁度、庭の手入れをしてくれています」


 腰ほどの高さの木々や花々が並ぶ小さな庭園。その一角で、首にタオルを巻いた青年が一人、小さく動いているのが見えた。


「この庭園……」


──どうしてだろう。


 青年が手入れをしている小さな庭園を眺めていたアイヴィーは、不思議と生まれてきた感覚を口にしていた。


「すごく綺麗なのに、なんだか少し寂しいですね」


 アイヴィーの言葉にえっ、と反応したメイド。ハッとしたアイヴィーが取り繕おうとするが、窓の外へと視線を向けたメイドは、「……あぁ」と声を漏らした。


「以前はちょうど、今あの庭師が立っているあたりに一本、大きな木が植えてあったそうです」

「そうなんですか?」

「えぇ。その木を取り囲むようにして、今あるたくさんの木々や花々が彩っていた景色を考えれば、今のこの庭園は少し寂しいのかもしれません」


 その光景を思い出し、懐かしんでいるかのような表情を浮かべるメイド。

 ふと視線を感じたアイヴィーが、顔を外へ向ける。すると、先程まで大きな鋏を手に、庭の木を整えていた青年がこちらを見ていた。

 青年は帽子を深く被り直し、その場でお辞儀をしている。


「……少し庭を散歩してもよろしいですか?」

「はい」

「私の従者がおりますので、護衛は大丈夫です」

「かしこまりました」


 それでは、騎士の方にお伝えしてきます。と続けたメイドはアイヴィーの傍から離れ、扉へと向かって行った。




*




「ねぇ、ベル」


 扉で待機していた騎士に伝え、部屋を出たアイヴィーとベル。

 外に出るなら、と受け取った薄手のストールをはおったアイヴィーは、ベルと共に庭先に出た。少し進み、小さな花壇を通り過ぎたあたりでアイヴィーは口を開いた。


「なんで話してあげないの? 元使い魔なんでしょ」

「……」


 アイヴィーの問いに、ベルは何も答えない。

 首を傾け、鋭い眼力でベルを見上げれば、両耳の上を掴まれスッと頭の傾きを直される。


「…………」


──嫌悪感、とか嫌な感じじゃない気はするけど……


 嫌な時は、割とスパッと言うし。

 ベルの表情をじっと観察していたアイヴィーは、口元に手を当て考える。

 そんなアイヴィーの前で、ベルは視線を下の花壇へ向けて露骨に話す気はないと訴えている。


「きゃあっ!」


 その時、少し離れた所から、悲鳴が聞こえた。


「ベル、これ持ってて」

「……え、あ」


 アイヴィーは羽織っていたストールをベルに預け、声のした方へ向かって走った。ベルが何かを言いたげに声を上げていたが、アイヴィーはすでに花壇を二つ飛び越え、先の道へと進んでしまっている。ベルは受け取ったストールを素早く丸め、アイヴィーの後を追った。

 建物の角を曲がり、声がした方へ顔を出したアイヴィー。飛び込んできた目の前の光景に、思わずビク、と体の動きを止めた。


「えっ……」


 うっすらと開いた口から、吐息の様な声が漏れる。


──嘘、どうして、アレが


「誰か……! 騎士様が!!」

「それよりも早く殿下を安全な所へ!」


 数人のメイドと騎士たちがざわついている。

 その奥では、ほの暗い靄が独特な形を形成しながら、渦を巻くようにして空気中に漂っている。


「なんで、アレが……」


──だってアレは、原作でアイヴィー(わたし)が主人公たちに仕向けた魔法だ。


 それも、物語の後半も後半。最終章で自身の裏切りがバレる手前で、アイヴィーが使った術式。


「一体、何が」

「で、殿下が移動中、あちらの庭園を抜けようとした時、急にあの飾りが赤く光り始めて、嫌な空気に、なって……殿下を庇う形で前に出た騎士様が、あの状態のまま、動かなく……」


 ひどく怯えた様子のメイドがそう言って指を刺した。その先を追ったアイヴィーの視界には────


「グレイソン……!」


 思わず名前を呼んでしまった。近くに居た使用人たちの視線が集まる。

 けれど、そんなことを気にしている余裕はない。

 だってあれは。


──精神干渉魔法……!


 原作で、アイヴィーが主人公たちに向け放った、黒い魔法。

 ここに居る者たちの多くが困惑しているが、靄の近くに居る人たちが特に酷くおびえているように見える。


「……ッあの黒い靄に触れないで。精神干渉を受けます」

「えっ……」


 アイヴィーはそう告げると、止めに入る使用人たちを振り切り、黒い靄の中へ入った。途端、耳の奥で響き始めた、悲鳴のよう誰かの泣き声。怒鳴り声。頭がぼんやりとする。


「アイヴィー様!」


 ベルと共に現れた、先ほど部屋を案内してくれた帝国騎士が声を上げている。しかし、その声は何故かとても遠くに感じた。


──っく。


 不安定な空間の中でなんとか手を伸ばし、膝をついているグレイソンの腕を掴む。


「サーチェス卿!」


 力を入れ、この黒い靄から体を引きずりだそうとするが、彼の体はまるで地面に張り付いているかのように、ピクリとも動かない。


「…………寒い」


 ぼそりと届いた、小さな声。

 それが、グレイソンから発せられたものだと気づいたアイヴィーは、もう片方の手で彼の手のひらを掴み、息を飲んだ。


──体がすごく冷えてる。幻覚を見せられただけでこんなに……!?


 ただの精神干渉魔法じゃないの!?

 アイヴィーが原作で使っていたこの精神干渉魔法は、指定範囲に足を踏み入れた人間を取り込み、幻覚と幻聴で過去のトラウマや憎悪を反芻させ、綺麗な記憶すらも醜くゆがませる。そうして恐怖心や猜疑心、負の感情を増長させ、対象の人間の心を破壊するものだったと記憶している。

 ここに長時間留まれば、どれだけ強い精神力を持った人間だったとしても……。


 アイヴィーは素早く彼の正面へと周り、彼の胸元に向け手をかざした。

 出来るだけ、広範囲で、優しく……押し飛ばすイメージで。


「……ッごめん!」


──突風ゲイル!!


 アイヴィーの声と共に、二人の間には魔法陣が浮かび上がり、そこから突然、強い風が駆け抜けた。その突風を正面から浴びたグレイソンは、体を前に傾けながら真後ろへ飛ばされ、黒い靄の範囲から抜けた。


「ベル!!」

「!」


 アイヴィーがベルに視線を送った直後、背後に置かれていたアーティファクトから赤い魔法陣が浮かび上がった。

 黒い靄が一気に濃くなる。


「アイヴィー!」


 飛ばされたグレイソンを抱きかかえるようにして膝をついたベルが、声を上げる。


「大丈夫! アレ、壊してくるから、お願い」

「…………」


 アイヴィーの声に微かに顔を歪めたものの、ベルはグレイソンの額へと手をかざし魔法を発動させる。

 やがて黒い靄だったそれは、次第に完全な黒の球体へと変わり、アイヴィーはその中に閉じ込められた。




*




 真っ暗になった視界。音も聞こえない。


 これはまるで、完全捕縛のような魔法だ。

 あれは、空間を遮断する魔術を応用している。これも、この外側へと逃げらえれないよう獲物を完全に中に閉じ込めて、精神が破壊されるまで憎悪と悪夢を塗り付けるために、術式に組み込まれているのだろう。


 うっすらと見え始めた、色鮮やかな景色。

 この世界にはない、建物に機械。見知った景色だ。

 前世で。


──大丈夫……全部、幻覚。幻聴。


 意識を強く持っていれば、これが幻覚だと理解さえしていれば、耐えられる。

 アイヴィーは瞳を瞑り、ゆっくりと体の向きを180度変え、歩き出す。

 このまま真っすぐ歩いて行ったところに、あの赤く光ったアーティファクトがある。おそらく、それに術式が刻まれているはずだ。それさえ破壊すれば、この魔法は解ける。


「ぐ……」


 瞳を閉じたまま歩いていたアイヴィーは、突然何かに足を引っ掛け、膝をついた。

 足元には小さな子ども。

 その子どもが大声で泣き叫ぶ。響くがなり声。


 突如、見えはじめた幻覚に、アイヴィーはぎゅっと握りしめた拳に力を込め、立ち上がる。

 目を瞑っていても、見えてしまうなら……。

 意識をしっかりと持ち、ゆっくりと瞼を開ける。目の前には、赤く光る魔法陣とアーティファクトがある。


「……!」


 この魔術、原作で知ってはいたけど、自分が使う気はさらさらなかった。


──だから調べもしなかったけど……思いっきり禁術じゃない!


 アイヴィーが目を凝らした先で見えた、アーティファクトに浮かんでいる魔法陣。それは、先日レーラと話していたばかりの、古代の魔術文字の魔法陣の一部が、現代の魔術文字に置き換えられているタイプのものだった。


──どうりでキツ過ぎるはずだ……!


 耳鳴りがやまない。

 頭の中で誰かの泣き叫ぶ声が、ずっと聞こえる。

 時折混じる怒鳴り声も……うるさい。

 うるさい。


「……ッ」


 原作では、アイヴィーの裏切りを知った主人公が、聖剣を振り魔法陣を壊し、捕らわれていた仲間たちを救っていた。

 だけど、今……主人公はいない。

 私が、やるしか……!

 あのアーティファクトさえ破壊すれば、この幻覚は止まる。


 ガキンッ パァンッ 


「なん、で……」


 アイヴィーはその場から両手をかざし、爆炎や水風の攻撃魔法を放った。しかし、それらはすべてアーティファクトの前で弾かれてしまっている。

 このままじゃ……


「!」


 再びあたりが鮮やかな景色に包まれる。

 響く車のエンジン音。人々のざわめく声。大型モニターから聞こえる音楽。歌。

 酷く懐かしい、前世での外の世界。


──大丈夫。


 幻想だって、幻覚だって、分かっている。

 アイヴィーは全身に力を入れ、前へ進む。

 大丈夫。


「……グッ」


 もう一度、爆炎、水魔法に風魔法。アイヴィーはこれまで身に着けた攻撃魔法を次々と打つ。だが、どれも弾かれ、一向にあのアーティファクトへ届かない。


──直接手でもって、床に叩きつければ……


 そう考えたアイヴィーが手を伸ばし、アーティファクトに直接触れた、その瞬間。


「……………──ッ!」


 これまでの比ではない程、強い激しい幻覚がアイヴィーを襲った。


『いやぁ! やめて!!』

『逃げて!!』

『うわぁああん』

『っこの!』

『! ────!!』


 前世の、アイヴィーが死ぬ直前の映像が頭を駆け巡る。

 その映像は、音声は、何度も、何度も繰り返される。

 酷い耳鳴りがする。


──うるさい。うるさい。うるさい。


 繰り返し見せられ続けるその映像に、鼓動が早くなる。


『弱いくせに────』


──うるさい…………ッ




 そうならないように、この世界ではいっぱい努力したじゃない。

 こんなのは全部、幻覚。

 だから……



──消えて……ッ



『────……』



 騒がしかったものが、一斉に止んだ。

 聞こえるのは、自分の脈打つ心臓の音と、荒い呼吸音だけ。

 とても静かだ。

 アイヴィーはゆっくりと瞳を開く。


 ドクン


「……ッ」


 胸の真ん中が熱い。


──……?


 視線を下げたアイヴィーの目には、ギラリと輝く銀色が見えた。

 自分の胸元を貫き生えている、一本の剣。

 ゆっくりと首をまわし、後ろを見る。

 そこに居たのは、グレイソン。

 いつもの無表情でありながらも、瞳だけは燃える炎ように赤い。

 彼が、小さく揺らいだ。


「……っ」


 彼の動きと共に、アイヴィーはその場に崩れ落ちた。

 アイヴィーの心臓に深く突き刺さっていた剣が抜かれ、ドクドクと嫌な音が全身を駆け巡り、耳の奥で聞こえる。

 呼吸が苦しい。

 胸が、熱い。


「はぁ……っ、はぁ……」


 跪き荒く息を吸いながら、アイヴィーは視線だけゆっくりと上げる。

 目の前に映る彼の瞳は鋭く、何を考えているのか、分からない。

 冷たい表情。


 息を吸いこむため開いた喉が、ヒュッ、と音を鳴らした。




 違う。


 違う、これは、あっちの世界(げんさく)の、グレイソン。


 だから



──違う……!



 これは、本物じゃない。

 そう言い聞かせながら、息を吸いこむたび傷む胸元を押さえる。



 でも、だったらどうして


──こんなにここが痛いの。



 いやだ……!


──まだ、──たくない…………



 呼吸がままならない苦しみと痛みから、涙が溢れ落ちる。辛うじて自身を支えている膝と手が震える。アイヴィーがその場に頭から倒れ込みそうになった────その時。

 背後から、バリンッと響く音と共に、温かい風が駆け抜けた。

 顔を上げれば、そこには小さな少年が一人。


「うお、やべ、間に合った?」


 振り下ろした剣先を、カツンと音を立て地面に弾ませた少年は、アイヴィーの姿を見てゆっくりと口を開けた。



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