60.禁術
『禁術』
それは、現代の倫理感から大きく外れた、非人道的な結果や過程が伴うため、使用することを禁じられた魔術。
しかし、その内容は詳しく語られてはいない。他の人間を代償にすれば、死した者を蘇らせられるらしい、体の一部を対価に金に換えられるらしい──等、それこそおとぎ話のような噂がたまにされる程度だ。
ただ、それは悪魔のような魔法……嘆きと憎悪をまき散らし、人々を苦しめるため禁止された、間違った魔術だという認識は共通している。
アイヴィーは、レーラの持っている紙切れに書かれた魔法陣に視線を落とす。
──古代魔法全部が、禁術……?
「それに気づいた一部の研究者たちは、おそらくこうして途中で研究をやめているのだと思います」
……辞めさせられたのかもしれませんが、と付け足したレーラ。その表情は非常に険しいものだった。
「でも、それが今……ここにある」
アイヴィーが机の上の魔法陣へと視線を落としながら口を開けば、レーラも再びそれを睨むようにして見つめる。
「“古代の魔術文字で描かれた術式の特質”を知ってもなお、研究をやめなかった人たち。あれらの事件は、その人物が関わっているのではないかと」
「……」
古代魔法に詳しくて、人を人とも思わない行動をとれる、残虐性を持つ人物。
その人物が、街の人や子どもさえ利用して、事件を起こした。
一体、なんのために……。
「原理がまだ分かりませんが、現代の魔術文字で書かれた術式よりも、古代と現代の魔術文字が融合された術式の方が、遥かに強力な魔法になっているように思います」
「……えぇ」
それはアイヴィーも感じていた。
皇宮付近でレオナルドを襲撃した犯人だって、子供なのにあれほど強力な魔獣をポンポン出せていた。本来であれば考えられないことだ。
「使い方を間違えると、いえ、すでに間違っているのだとは思いますが……この、術式の一部を現代の魔術文字に置き換える魔法陣。他の古代の魔法陣にも応用させられるのだとすれば」
「…………」
「今後、もっと別の……強力な魔術が、あのような形で復活するかもしれません」
レーラの言葉に、アイヴィーはぐっと拳を握り締める。
さっき、お父様の顔が曇っていたのは、古代魔法について知ることが出来ないからではなく、レーラからこの禁術の話をすでに聞いたからだったのかもしれない。
「と、考えると……古代の魔術文字に関する資料。これらは禁術に気付いた善良な研究者が、ワザと意味を変え、間違った情報に書き換えた物を後世に残した、という可能性が出てきますよね」
古代魔術が禁術だと分かった後、研究者たちがこの禁術を広めないようにとわざと偽の研究成果を残し、それを受け継いだ別の研究者たちも同じように、間違いを訂正しなかった……。こうして現代にいたるまで、古代魔術は研究で解明されることなく、衰退していったのだろうか。
「ただ、“正しく意味を理解し発動させた古代の魔術文字で描かれた魔法陣は、何も起こらなかった”と記載のあるこの資料だけ、具体的な材料の部分の記載がないんです」
レーラは、山の中から一際汚れボロボロになった資料を刺しながら言った。
「もしかして、これだけは本当の材料を用意して行われた実験なのかもしれません」
「……そ、れって……」
「ですが、どちらにせよ、今ここにある資料の多くは改ざんされていることは確かなので、一気にあてにならなくなりました」
レーラは説明をしながらアイヴィーの隣へ腰かけ、持っていた資料を近くの山の上に積み上げた。そして、アイヴィーのすぐ隣の簡易ソファーに、バフンッ、と音を立てて倒れた。その反動で、アイヴィーの体が小さく揺らぐ。いくつかの布と魔導具で作られた簡易ソファーは、背もたれも無ければ長さもさほどない。そのため、勢い良く体を倒したレーラは、はみ出した頭を積み上げられていた資料にぶつけた。
「いだっ」
「……何してんのよ、だいじょ……あ」
レーラがぶつかり、落ちてきた資料の束。その中の一つを見たアイヴィーは目を丸くした。
「この資料、お父様の資料室にあったものと同じ……」
「え?」
「貴方、さてはお父様の資料室に入ってるわね」
レーラへ向き直り、鋭い視線を送るアイヴィー。しかし、レーラはきょとんした様子で頷いた。
「? はい。許可を頂いておりますので」
「……!?」
なんで!? 私は禁止なのに!?
「私は公爵様から仰せつかった調べものがありましたので……。お嬢様は、特に用もなくうろちょろと入っては情報を盗んで、また勝手に余計な行動をされるから出禁にされたようですよ」
「…………」
アイヴィーがスペンサー公爵から、資料室への立ち入りを禁止されているのは邸内の誰もが知っていた。だが、こうもハッキリと口に出した使用人は誰もいない。
口をへの字に曲げ、こめかみをひくつかせているアイヴィーを前に、そんな事など気にならないレーラは、ははっと笑い声をあげる。
「にしてもすごいですね、本当。公爵邸は」
「なにがよ」
先ほどまでの、古代魔法について説明していた重々しい空気がパッと消えたレーラは、大きく弧を描いた口を開く。
「普通、私のような犯罪歴のある者や家族は、こんな待遇与えられません」
「……」
「それに、一番おかしいのがこの部屋」
口をぐっと噤んでいるアイヴィーの前で、レーラは資料や本が山積みとなっている部屋を見渡し、穏やかな表情で続ける。
「“一日中、寝る間を惜しんででも、仕事をしろ!”、“成果が出るまでお前に食わすものはない!”とか、言われるのならまだしも……研究成果よりも、きちんと食べてきちんと寝ろ! なんて」
彼女は以前、スペンサー公爵により父親の罪が暴かれてから、いくつかの家へ短期の使用人として仕事に行っていたらしい。おそらくその家では、そのような扱いを受けていたのだろう。
この世界の貴族社会では、何も珍しい事ではない。スペンサー公爵家が少し変わって──変えられてしまっているのだ。誰かの影響で。
「本当に変な人達ばっかりですね、ここは」
「……変な人達には、レーラも入ってるから」
アイヴィーの言葉に、あははっと軽快に笑ったレーラ。数秒後、じとっとした視線を送るアイヴィーの前で、彼女は「あっ! そういえば」と声を上げ、体を起こした。
「以前から、公爵邸の資料室は量も質も他とは比べ物にはならないと思っていましたが、ここよりも多くの資料が集められる場所って、お嬢様はご存知ですか?」
「……公爵邸以外だと、帝国内だと皇室所有の図書館くらいじゃないかしら」
「やっぱりそうですよねぇ。あー……行ってみたいなぁ、皇室図書館」
はぁ~っと盛大なため息をこぼしたレーラは、再び体を倒し、ゴロンと寝返りを打ったあと「前に侵入した時、覗いておけばよかった」とボソリと漏らした。アイヴィーは目を細めやや呆れながらも、「……ちょっとは悪びれなさい」と苦言を呈している。
「ところで、最後に部屋を掃除したのいつ?」
「あーーえっと……ん~……」
わずかにある、足の踏み場。
部屋を後にするため、その小さな隙間を再び通ろうとしたアイヴィーは、ふと振り返りながらそう言った。しかし、レーラは首を傾け適当に誤魔化そうとしている。
よし、今後は、この部屋も定期的に掃除してもえるように頼んでおこう。
アイヴィーはそう心に決め、部屋を去った。
*
「て、またいるし」
「あ~~~~?」
自室に戻ったアイヴィーは、我が物顔でベッドに腰を掛けリラックスした様子でくつろいでいる、声の主を見つめる。また勝手に棚から引っ張り出したであろう本を、ぺらぺらとその可愛らしい前足でめくっている、一匹の黒猫。ベルの元使い魔である。
「大体アンタ、なんでこうも簡単に侵入できてるの?」
この公爵邸のセキュリティは下手したら今や、一度入れられたら最後、二度と外は拝めない脱獄不可能な、まるで人間界の魔王城……“大陸一の悪夢”と言われている、北の刑務施設のようだと言われ始めているのに。使用人たちの間で。
「どうしてもこうしても、こんなもん簡単にスイーッとすり抜けれるだろ」
そう言った元使い魔は、いとも簡単にアイヴィーの部屋の窓から体を外へ出しては、またすぐ入ってくる。
──すり抜ける…………?
「なにそれ、どう言う術式?」
「術式ぃ〜? ……あぁ、そうか。今の奴らはイチイチそんなもん使わなきゃいけねーんだったな」
はぁ、とこれ見よがしにため息をついた元使い魔は、めんどくさそうにそう言って再びベッドへ体を預けた。非常に、とても、かなり温厚であるアイヴィーも、彼のこの態度にはいささか苛立ちを隠せない様子で、口角を上げながらも黒い笑みを浮かべている。
「この世界にはもう、魔法使いはいないんだった」
「? 何を言ってるの? この世界にも魔法を使える人はいるわよ」
「……あー、そーだな」
アイヴィーの言葉にを聞いているのかいないのか、曖昧な返事をしながらも、元使い魔は窓の外の空を眺めている。
どこか哀愁が漂うシルエットだ。
「まだベルと話せてないの?」
「うるせぇ……」
元使い魔はアイヴィーの問いにフイッと顔をそむけると、そのままパタリとベッドに横たわり、こちらに背を見せ続けている。
この元使い魔がこうしてに私の部屋に入ってくるのは、この前みたいにベルと話す機会を狙ってるのだろう。しかし、この元使い魔はあれからも何度かこの部屋を訪れるものの、あの日以降、ベルは一度も姿を見せていない。彼の気配には気づいているだろうから……わざと出くわさないようにしているのだろう。どうにも、この黒猫には会いたくないらしい。
ベルは普段から、あまり自分の感情と言うか、意見を表に出さない。
いつも大体、こちらからの問いかけに、YESかNOで答えるばかりだ。
それなのに……
──ベルはどうしてこの元使い魔にだけ、こんなにも目に見えてわかりやすい拒絶の色を示すのか。
以前、公爵邸への帰りに、黒猫の姿で会った時に放った、冷たい空気。そして、露骨に彼を避け続ける今の様な態度。あの日は比較的、喋ってたと思うんだけど……。
「アンタ、ベルに一体何をしたのよ」
「……そんなん、俺が知りてぇよ……」
ベッドの上にちょこんと横たわる愛らしい背中からは、小さく弱々しい声が漏れ聞こえた。






