59.かわす
パサッ
机の上に放るようにしておかれた、何枚もの書類の束。
公爵邸の執務室で、机を挟み向かい合ったスペンサー公爵を見上げながら、アイヴィーは口を開いた。
「なんですか?これ」
「求婚者のリストだ」
──…………うげ
そうだった。この世界は、中世ヨーロッパっぽい世界観だった。
元の世界であれば、17歳なんてまだまだ結婚なんて歳じゃないけど、この世界ではこの年で婚約者がいないというのは、あまり外聞が良くないのだろう……多分。周りを見るに。
「これまでは、殿下との婚約が匂わされていたため、他の令息の申し出はすべて断れていたが、これからはそうもいかん」
「…………」
机の上に広がったリストを睨むように見つめていたアイヴィーは、ふっと顔を上げた。
「お父様は私が家を出て、外へ嫁いで行ってしまっても……いいんですか?」
ぱちぱちと瞬きをしたアイヴィーは、わざとらしく瞳を潤ませ、媚びたような声を出す。それを一瞥したスペンサー公爵は、スッと束の中から一枚の紙を手に取り口を開いた。
「……私はこの隣国の──」
「普通に政略的に進めてくる!!!!!」
ここで取れる魔法石は良質で、と続けるスペンサー公爵の声をかき消すように、叫び声をあげたアイヴィー。そんな娘の様子に目を細め、冷えた視線を送るスペンサー公爵であったが、彼から顔を反らしているアイヴィーは、露骨に顔を歪めたまま、嫌だという態度を全面に出している。
「お嬢様」
「……?」
その時、室内に控えていた紫色の髪をなびかせた公爵騎士──フェシリアがスッと背後から近づき、アイヴィーの耳元で囁いた。
「公爵様はあんな態度ですけど、ひっそりとこのリスト全員分の素行調査をされているんですよ」
「…………」
フェシリアの言葉に、アイヴィーは机の上の資料へ再び目を落とす。
確かに。
アイヴィーが手に取った一枚の紙は、ただ求婚状を送ってきた者たちをリスト化しただけの書類ではない。束になっている紙を一枚めくると、その下にはそれぞれ一人一枚分以上、リストにある人間のこれまでの素行が記されている。
──どうやって調べたんだ……
リストの中には、他国の人間もいるというのに。
持っていた書類をそっと机に置き直したアイヴィーは、ふとある一点を見つめ、グッと顔をしかめた。
「ところでお父様、捕らえられている召喚術者たちはどうなったのでしょう」
声のトーンを落としたアイヴィーの雰囲気に、スペンサー公爵も広げていたリストから視線を上げた。
「まだ数名は息がある者もいる」
「……そうですか」
やはり、すでに亡くなった者もいる、と……。
視線を落とし俯いたアイヴィーは、静かに言葉を続ける。
「彼らが使っていた、魔法陣の術式については」
「以前の爆弾と同様、専門の者に調査を依頼しているが……」
先日、公爵家で行われた会議で、学園爆破未遂の際に使用された爆弾と、魔物召喚の時に使われた魔法陣は、どちらも古代の魔術文字と現代の魔術文字が組み合わさったものである事が判明した。
しかし、今現在、古代の魔術文字を研究している公的の機関は、存在しない。古代の魔術文字に関するものは、多くの人にとっては、「わずかに発見されている当時の物が、歴史館に展示物されている……という事は知っている」程度の知識と認識だ。お父様のこの表情から察するに、あまり成果を期待できないのだろう。
「あとは、レーラが独自で調べていると言っていたがな」
「そう、ですか……」
そう言いながら、綺麗な所作で立ちあがったアイヴィーは、ゆっくりと歩き出す。
「私も少し気になることがあるので、レーラの元へ向かいます」
「……? 気になること?」
「えぇ」
そう言ったアイヴィーは険しい顔をして、執務室の扉を開き、部屋を後にしていった。
「……見事にまかれましたね」
カタン、と扉が閉まり、二人残された部屋の中でフェシリアがボソリと呟いた。その言葉にハッとしたスペンサー公爵は、小さく口を開く。
「年々、かわすのが上手くなっていきますね」
「…………」
はぁ、とため息を零し、アイヴィーが出て行った扉から視線を外したスペンサー公爵の眉間には、深くしわが刻まれていた。
*
「レーラ、いる?」
「あ、はい。いますよ~!」
積みあがっている幾多もの資料の山々。そして、その山の奥から聞こえてきたレーラの声。
スペンサー公爵の執務室から華麗に逃れたアイヴィーは、そそくさとその足でレーラがいる研究部屋を訪れていた。
ここへ来た当初は、アイヴィーの専属侍女として配属されたレーラであったが、今ではまるで、初めからこの公爵邸の専属魔術研究員だったかのような扱いを受けている。
──多分、レーラを傍にやることで、私の行動を抑制しようとしたお父さんの目論見が外れた頃からだろうけど……。
いつからか、徐々に侍女として働く事が少なくなっていったレーラ。気づけば、魔術の研究に没頭するあまり、部屋に一日中籠るようになっていた。
それも、元はスペンサー公爵の指示ではあったんだろうけど……。
レーラ本人も、大好きな魔術の研究に集中できる!と、喜んでいたのはよかったのだが……、次第に睡眠や食事すらおろそかにしていった。そんな彼女の様子を見て、このままでは流石にマズイと、それまであてがわれていた部屋とは別に、さらに研究用に新しく部屋を与えられた。研究は決められた範囲で行い、自室には持ち込まず戻ってきちんとした生活をするように、と。
そして、アイヴィーが今いるこの部屋が、その研究部屋になるわけだが……。
──汚っ!!
扉を開けた瞬間、腰の高さを超えるほどの紙のタワーに出迎えられたアイヴィー。おそるおそる、それには手を触れぬよう、彼女の声がする奥へと向かっていく。やがて、ひときわ高いタワーがそびえ立つ部屋の隅で、もぞもぞ動く彼女のアホ毛を発見した。
「ちょっと、レーラ! もしかして、またここで寝てるの?」
「あ」
レーラがいる傍には、どう見ても簡易で作られたソファーに枕とシーツが一組置かれていた。加えて、彼女の目にある隈。きっとここ数日、まともに寝ていないのだろう。
──一体なんのために、部屋を分けたと思ってるんだ!
「こんな生活続けていたら、いつか死ぬわよ」
「あはは」
「いやマジだから」
寝不足でちょっとハイになっているのか、普段よりも軽快に笑うレーラ。何わろてんねん、とアイヴィーが鋭い目を向ければ、彼女は「だって自室は資料庫として、もう埋まっちゃいましたもん」と自白した。
「……」
「まーまー。それより、何か用があったんじゃないですか?」
アイヴィーは何か言いたげな口をぐっと噤みながらも、レーラにすすめられた件の簡易ソファーに腰を下ろした。
*
「古代の魔術文字は、未だそのすべてが解明されているわけではありません」
先ほどスペンサー公爵と話していた、魔法陣の術式についてアイヴィーが問えば、レーラはごそごそと資料の山をかき分けながら答えた。
「私が今日まで調べて分かった事は……“古代の魔術文字が使われた術式”を研究対象としていた研究者たちの論文のほとんどが、ある段階に差し掛かるとパタリと無くなっている。という事です」
「無くなってる?」
「途切れている、と言っても構いません」
それは……。
口元に手を当て、顔をしかめたアイヴィーがそっと口を開く。
「もしかして、何か大きな悪の組織に、研究者が消されている……とか?」
「お嬢様は、フィクションやファンタジー小説の話をしにきたのですか?」
ズバッと返されたレーラの言葉に、アイヴィーは一瞬怯んだ。
どうしたのレーラ、なんか……キレキレじゃん……。
「すみません」
「い、いえ……」
少し普段とは様子の違うレーラに、アイヴィーは珍しくたじたじと返す。
「きっと私も今、過去の研究者たちと同じところで立ち止まっているので、イライラしていました」
「同じところ……?」
首を傾けたアイヴィーの隣で、フゥ、と短く息を漏らしたレーラ。彼女は、頭をかきながら机の上に並べられた、古代の魔術文字だけで構成されている魔法陣へ視線を向ける。
「現代の魔術文字で描かれた魔法陣は、その文字列の個々の意味を理解していない者でも、お手本通りに真似て魔法陣を描いて、魔力さえ送れば、その魔法を発動させることができます」
「そうね。だから学園でも、わざわざ魔術文字だけを専攻してる人は少ない」
「はい。しかし、古代文字で描かれた術式は、それができません」
レーラの付近に積まれている書物の中には、アイヴィーが見た事もない形式の本もいくつかった。おそらく公的に手に入れることが出来る資料の他に、街など外で手に入れた物も数多くあるようだ。
「だから、過去の研究者たちは、手さぐりで古代の魔術文字の意味を一つずつ解読していたんですが」
レーラは、積みあがっている過去の研究資料を見ながら、言葉を続ける。
「過去の何人もの研究者たちが、やっとの思いで、なんとか解読した古代の魔術文字を使った魔法陣。それに魔力を送っても、何も起こらなかったんです」
「え……?」
「個々の文字の意味を理解し、魔力を送っても……魔法陣は一切、何の反応も示さない」
困惑するアイヴィーを前に、小さな声で続けるレーラの顔は暗い。
「実験は何度も、何通りも繰り返されました。しかし、どれほどやり方を変えて……試行錯誤を繰り返しても、変わらなかった」
言い終わるとともに、開いていた資料を閉じたレーラは、どこか悲しそうに言葉を続けた。
「だからいつしか、こんな過去の遺物をいくら解読しても、現代では使い物にならない無駄な研究……として、次第にその数も減っていったのではないか、と……私は推測していました」
「……そう」
「ただ、この魔法陣」
レーラは散らばっている机の上から一枚、魔法陣が描かれた紙を取り出し、目の前に置いた。魔物召喚時、術者たちが使っていた魔法陣の紙切れのようだ。彼女はその魔法陣に書かれている術式を指先でなぞる。
「これのおかげで、過去の研究者たちが何度繰り返しても、発動させられなかった古代の魔術文字の術式の謎が、分かったかもしれません」
「……!」
──それって!
「この魔法陣は、古代の魔術文字で描かれた術式の一部を、現代の魔術文字に置き換えることで発動できるよう改良されています」
紙切れから視線を上げたレーラは、そっとアイヴィーの目を見て言葉を続ける。
「魔法陣の中で、古代の魔術文字から現代の魔術文字へと置き換えられた部分……なんだったと思いますか?」
「え……」
「“回路”、“脳”……それと、“魂”」
ひやり、と室内の気温が下がったような気がした。
「これらは大方、魔法を発動させるための『材料』の部分に記されています」
──材料……魔法の発動と同時に消える代償……
「捕らえた召喚術者から押収した他の魔法陣の中には、視覚や聴覚などの感覚らしき単語が記されているものもありました」
レーラは再び、山のように積まれた資料へと視線を向け続ける。
「でも、そんな単語、この資料の山の中には一つも存在しません。……過去の研究者らが代々受け継ぎ、調べ、解き明かそうとしてきたにもかかわらず」
重々しく続けるレーラの言葉を理解したアイヴィー。
五感や脳……ましてや、魂が代償として必要な魔術だなんて。
そんなもの、現代の魔術では絶対に必要とされる材料じゃない……。
──だって、そんな魔法、どう考えたって
「……禁術なんです」
「……っ」
「どう、考えても、どうしようもないほど」
ピクリと反応したアイヴィーの傍で、レーラは過去の研究成果である資料を見渡しながら言った。
「これら、古代魔法で記された術式はみんな──」






