56.超落ち着いてる
誰かが扉を開け出てきたのだろう。愉快な音楽と共に、楽しそうな人の声が漏れ聞こえてくる。扉の向こう側では、今も賑わっており二人を祝うパーティーが続いている。
その扉から少し離れた場所には、ピタリと固まったまま動かない二人の影があった。
「……」
蹲り、小さく震えているアイヴィーに向け、グレイソンは手を伸ばす。しかし、その手が触れる前に、は……っと息を吐きながらアイヴィーが立ち上がった。
「申し訳ありません」
頭を下げたままそう言ったアイヴィーは、踵を返し、元来た通路を戻って行く。角を曲がり、グレイソンからは見えない位置へ差し掛かる。直後、アイヴィーは足の速度を上げ、走った。
そして、先程まで閉じ込められていた、あの奇妙な部屋の扉を勢いよく開けた。
「ゔゔゔゔゔゔゔぁ……ッ」
「うわっ なんだ!?」
未だ部屋の中にいたライアンは、突然入ってきたアイヴィーの形相に驚き、一瞬悲鳴のような声をあげた。
「ぜんぜい! ぎいでよ……ッ!」
「ど、どうした」
貴族令嬢とは思えない、誰にも見せられない歪んだ顔面を晒し、嗚咽を上げながら話し始めたアイヴィー。しかし、そんな姿は見慣れていたライアンは、ただアイヴィーが泣いている事に驚いている。
アイヴィーは走ってきたせいで息が上がっていたのと、まだ収まらない感情の起伏を抑えながら、彼に説明する。
グレイソンとの会話中、前世の記憶を思い出したこと。そして、死ぬ間際に見た、劇場版の情報についてを。
──くやしい、くやしすぎる。せめて!
「せめて、あと半年生きていれば……ッ!」
「長いな」
初めは動揺した様子でアイヴィーの話を聞いていたライアン。しかし、その内容が語られていくうちに、いつものように、瞼を薄く閉じながらやれやれと言った様子で小さな棚に腰掛け、ふぅっと息を吐いていた。
「前世を思い出したって、死んだときの事で泣いてるのかと思ったら、そっちかよ」
「だっっって…………ッ」
──それもあるけどッッ
死因は正直、これまでに何度か見た悪夢で察しがついていた。
この世界では見たことがない知らない顔の男が、覆いかぶさってくる。恐怖を感じた私は、その男を手に持っていたナイフで何度も何度も刺していた。しかし、最後にはいつの間にか自分が刺されていて、血を吐いて倒れる。毎回、そこで目が覚める。
もしかしたら私は、前世、この夢の男に殺されたのではないだろうか。そう考えるようになっていた。察しがついていた分、覚悟はしていた。
だから、あの時……12年前に見た前世の続きを見ても、自分が殺された記憶を知っても、それだけなら、きっとここまで取り乱すことはなかっただろう。
──だけど!!!
「劇場版グレイソン、みだがっだよぉお~~~~~!!」
「は──」
アイヴィーの話を聞かされているライアンは、乾いた声を漏らしながら立ち上がる。そして、部屋の片隅まで歩いていき、壁に取り付けてある小さな取っ手を軽く引いた。ライアンの体に隠れて見えないが、そこからはちゃぽちゃぽちゃぽ、と水音が聞こえてきた。
「ほら、とりあえずこれ飲んで落ち着け」
「…………」
アイヴィーは差し出された、湯気が立っているマグカップを受け取る。どうやら先ほど聞こえた音は、この白湯らしい。
何で壁からお湯が出るの? どういう仕組み? 本当、なんなんだこの部屋。
いつもであれば、高速でそうツッコミを入れている所だが、今はそんな気分にもなれず、アイヴィーは受け取ったマグカップに大人しく口をつけた。
「甘じょっぱい……」
白湯だと思っていた液体は、口の中で程よい甘さと酸っぱさが広がった。まるで、レモネードのようだ。
温かい飲み物が喉を通り、少し落ち着いたアイヴィーは、ズズッと鼻をすすった後口を開いた。
「……そういえば先生は、いつ前世の記憶思い出したの?」
「ン~、俺は物心ついた頃に自然と?」
背を向けたまま、先ほどお湯を出した壁沿いの棚を触っているライアン。その背中から、湯気が立つマグカップへと視線を移したアイヴィーは、そっか。と小さく声を漏らした。
「先生も……死ぬ前にやりたかったこととか、後悔したこと、あった?」
「あ──、まぁ。そうね」
「…………?」
はは、と口元は笑っているものの、どこかいつもとは違う様子のライアンの返答に、首を傾けたアイヴィー。
「てか、お前は今、現実に目の前に推しが居るだろ」
棚の整理が終わったらしいライアンは、アイヴィーが居る方へと近づきながら、「そっちの方がレアじゃねェか」と続けて言った。
「でも、大画面の高解像度でぬるぬる動く推しが見たかった」
「至近距離でアイツをガン見してくりゃいいじゃねェか」
「……そういうのじゃないじゃん。3Dとか、4DX上映とか、応援上映とか参加したかったし」
「なンそれ?」
あ、そうだった。
この男とは10年のギャップがあるんだった。
「ううう……」
「?」
この歯がゆい気持ち、どうすればいいんだ。
伝わらないのこの感情に頭を抱え唸り始めたアイヴィーを見て、ふぅっと息を吐いたライアン。
「ていうか、コンビニ強盗とかまだいたんだな」
「……そんなに、いなかったよ。あのご時世、絶対捕まるだろうに」
アイヴィーは思い出した記憶の中で、男が小さな子供とぶつかった場面を思い浮かべる。地面に散っていく札束はそれほど多くはなかった。
数万。あっても十数万円のために、あんなことを。
「……──つく」
俯きながらボソリと零したアイヴィーの声。それに「ン?」とライアンは、アイヴィーを見た後、扉の方へと向かいながら言った。
「まぁ、とりあえず落ち着いたんなら、従者呼んできてやるから今日はもう帰って休め」
「…………うん」
他のやつらには適当に言っとく、と続けたライアンに、アイヴィーは大人しく従い、パーティー会場であるライアン邸を後にしたのであった。
*
ベッドの上で大の字で寝転がったまま、天井を眺めているアイヴィーに、そっと顔を出したベルが問いかける。
「落ち着いた?」
「超落ち着いてる」
「……」
間を置いて、そう、と答えたベルは、ベッドの周りに落とされているクッションを拾い集め始めた。そんなベルの様子を見たアイヴィーは、パッと体を起こした。
「そういえばあのパーティーで、ベルは何をしてたの?」
「なんか、キラキラした光をたくさん出して、部屋を照らしたり、してた」
パーティー内でサプライズとして用意されていたのであろう、カノンたちが行った特別ライブステージ。会場内で、いつの間にかベルにコンタクトを取っていたライアンは、演出の手伝いを頼んだようだった。
「あと、これ、貰った」
「?」
ベルが差し出して見せてくれた手の中には、小さな魔導具があった。そこについているボタンを一つ押す。すると、室内に小さなスクリーンの様なものが映し出された。その映像は、学園祭の日に公に晒された、バーチャルアイヴィーが歌って踊っているものだった。
「…………」
ベル……。ライアンに魔導具で買収されて、アイドルのライブの演出に駆り出されてたのか。というか、学園祭の時に見た魔導具より小さいし形が違う……。アレとはまた別物なの?
「ちょっと貸して」
「……嫌」
「なんで」
「返してくれなさそう、だから」
ぐぐぐ、と睨み上げるアイヴィー。魔導具へ向け伸ばされた彼女の手を、ベルが避ける。何度かの攻防の中で、魔導具に取り付けられている別のボタンを押されてしまった。
『今日も一日おつかれさま。ゆっくり休んでね、おやすみ』
「あ」
「!?」
魔導具が突然、声を発した。それも、アイヴィーにそっくりな声。
「なに、それ……」
『私ですか? 私は────』
アイヴィーの声に反応したらしい魔導具は、次々とこの魔導具の機能についての説明を始めた。
この魔導具、まさか会話を通して学習する機能……AIが搭載されている……?
だからあの男は、魔法が溢れるこの世界で、何でそんな小難しいもの作ってるんだ!? それと……
私を勝手に素材に使うんじゃない──!!
*
学園の片隅には、一匹の黒猫を膝に抱きながら座るアイヴィーの姿があった。
少し前、学園外で彼女を見かけた時にベルが威嚇したせいで、もしかしたら嫌われてしまったのではないか、と不安があったアイヴィー。しかし、学園内のいつもの校庭の隅で昼寝をした彼女は、アイヴィーの姿を見ると、意外にもトタトタとそばに寄ってきたのである。
アイヴィーが花壇の隅に腰を掛ければ、その膝にぴょんっと飛び乗ったレイ。その時の感動を、おわかりいただけるだろうか。
──か、かわいい……!
時折ピクピクと動くその可愛らしい耳元に鼻をつけ、癒しを吸い込む。
アイヴィーに抱かれたまま、体を動かさずどこか一点を見つめている黒猫のレイは、しばらくの間、大人しくされるがままであった。しかし、アイヴィーが肉球へと癒しを求めたあたりで「ナンッ」と鳴き声を上げ、膝から飛び下りた彼女は毛づくろいを始めた。
もう少し抱いていたかった気もするが、十分に癒しをもらったアイヴィーは立ち上がり、まだ太腿にかすかに残るぬくもりを感じながら、校舎へ向かって歩き出した。
すると、目の前にキラキラと輝く金髪が見えた。
「スペンサー嬢」
なぜこんなところに。
レイに会いに校庭の隅まで来ていたアイヴィーは、歩き始めてまだどれほども経っていない。校舎から随分離れたことの場所に、レオナルドが一人でいる事を疑問に思いつつも、どうやら彼は、先日の内輪のパーティーを途中で抜け出し、帰ってしまったことを心配してくれているようである。
「体調はもういいのか?」
「はい、途中でご挨拶もできず、申し訳ありませんでした」
「いや、それは構わないが……」
「……?」
あれ?
そういえば、学園ではほぼいつも、レオナルドの傍にはグレイソンが控えている。それなのに、今日はグレイソンの姿が見当たらない。
思わず視線を彼からズラしてしまったアイヴィーに、目ざとく気づいたレオナルドは口を開く。
「グレイソンは今、別件を頼んでいてな。一応あちらの柱に護衛はいるから、心配はいらん」
「…………」
アイヴィーはレオナルドの顔をそっと確認する。
これまでの彼あれば、ニヤリと嫌な笑みを浮かべて言っていただろう。しかし、今のレオナルドは特に表情を変えることはなく、嫌な気配も感じない。グレイソンの事は、何気ない会話の内容として口にしたようだった。
「あぁ、そうだ。来週の休日なのだが、いつもの時間に皇宮へ来てくれるだろうか」
「えっ? お茶会はもう……」
これまで月に数度、休日の午後にレオナルドとアイヴィーは、お茶会という名の情報交換を行っていた。しかし、それも表向きで、例の教団の正体が解明されて以降は、情報交換というよりも、“お茶会”と銘打っていることもあり、レオナルドにとってアイヴィーは他のどの婚約者候補達よりも、特別目をかけているというアピールになっている事には気づいていた。
だが今、すでにレオナルドはヴァネッサという唯一の婚約者を手に入れている。
それにもかかわらず、これまで通りのお茶会を開くつもりだったとは。
「ヴァネッサが君と話したいと言っていてな」
探るような視線を送るアイヴィーにそう言ったレオナルドの顔は、とても……緩んでいた。
──クッソ尻に敷かれてんなぁ。
レオナルドとはついこの間まで、互いに本心を隠しながら、言葉の剣と表情の盾でやりあっていた。だが、その頃の彼はもういない。今、目の前に居るのは、原作で主人公たちにいいように扱われ、ギャグ要員と言われていたレオナルドの姿だ。
「…………」
幸せオーラを隠す気がないレオナルドを前に、目を細めたアイヴィー。
あれ……でも、今更だけど。
アイヴィーはふと口元に手を当て、考える。
原作では、最終的に主人公とヒロインが結ばれるはずだった。だけど、この世界の主人公はヒロインと出会っていない。スペンサー公爵邸にも来なかったし、学園に潜入にも来ていない。
スペンサー公爵邸へ来なかったのは、理解できる。前世の記憶を取り戻したアイヴィーが、スペンサー公爵が陥れられるのを阻止したため、主人公が訪れる必要は無くなっていたからだ。しかし、レオナルド達との出会いはどうだったのだろう。
原作とは違う、この世界の主人公の変化は、前世の記憶を取り戻してからのアイヴィーの行動が、大きく関わっている可能性もある。だが、幼い日にヴァネッサと出会ったのが、主人公ではなくレオナルドに代わっていた事は、当時、記憶を取り戻して間もなかったアイヴィーのせいとは考え難い。
もしかして、幼い頃にヴァネッサを拾わなかった主人公は、レオナルドとも出会っていない……?
だったら……
──主人公は一体、今どうしてるんだろう……?
お読みいただきありがとうございます(次話、挿話を挟みます)






