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55.前世の記憶



「どうしたんです? アレ」

「ほっといてやって」


 淡い小さな光が点々と室内を照らし、落ち着いた大人の雰囲気に包まれている、この空間。並べられている様々な種類の酒を背に、拭いていた皿を棚に置き、開店準備を始める体格のいい男。


「ちょっと今ナーバスになってるみたいだから」


 男はカウンターを挟んだ向かいにいる女に、小声でそう付け足した。女は首を傾けながら、口元を歪める。


「なーんも気にしてないようでいて、意外と繊細なとこありますよね、彼」

「ン──……、まーなぁ」


 男は皿を整えながら、カウンターの一席に座るグレイソンをチラッと横目に見る。


「にしても、よく見てんな。ルーシィはアイツみたいなのが好みか~。妬けるなぁ」

「何言ってんですか、私が世界で一番愛しているのはコレだけです」


 そういった女──ルーシィは、人差し指と親指の先をくっつけた手をひらひらとさせていた。そんな彼女の姿に、はっ、と乾いた声を漏らした男は絞った布巾を持ち、グレイソンが座るカウンターへと向かっていった。


「そろそろ店開けるけど?」

「…………」


 ゆっくりと顔を上げたグレイソン。相変わらず感情が読めない無表情である。しかし、その顔を見た男は、はぁっと大きなため息を吐いて、二つ隣の椅子にドカッと腰を下ろした。男は肘をつきながらじっと視線を送る。やがて、グレイソンが小さく口を開いた。

 彼の話を聞き終えた男は、大袈裟に声を張り上げた。


「はぁ!? そんなことで悩んでたのかお前」

「……別に悩んでない」

「なぁんだよ。もっと重大な事かと思ったじゃねぇか」


 は──っと息を吐きながら立ち上がった男は、ちょうど傍に来た従業員の女をチラッと見ながら口を開いた。


「そんな時はなぁ」

「きゃっ」


 その女をぐっと引き寄せた男は、正面から腕を回し抱きしめながら続ける。


「こうやってな、トントンって背中軽く叩いてやると落ち着いてくんぞ大抵」

「……そういうのじゃない」


 豪快な引き寄せ方をしたにも関わらず、背中を叩く時は優しい手つきの男の前で、グレイソンは表情を変えずボソッと答えた。


「なんですかもー、いきなり」

「んー、ちょっとヒスっちゃった女の慰め方」

「うわ、サイテー」

「…………」


 腕に抱いていた女に、ごめんごめんと言いながらそのまま軽くキスをする男。頬を赤らめた女は、もうっと拗ねたような表情をして仕事へと戻っていく。そんな光景は慣れたものだと気にもとめず、グレイソンは前を向き直した。

 浮かない様子のグレイソンに、男は少し呆れたように言った。


「? お前が泣かせたっつー話じゃねーのか?」

「そんな事で泣くような人間じゃない」

「あのなぁ、お前……」


 淡々と話すグレイソンに向き直った男は、諭すように続ける。


「普段は気丈に見えていても、本心までそうとは限らないだろ。強気な女なんか特にそうだぜ。外では睨んできたり素っ気ない態度をとってても、二人きりになった時には────」

「…………もう行く、じゃあな」

「お、おぉ」


 男の言葉を遮るようにして席を立ったグレイソンは、意表を突かれた表情を浮かべる男に別れを告げ、部屋を後にする。扉を開け階段を下りながら、このなんともスッキリしない胸の突っかかりを思い浮かべる。

 憂鬱な気分にさせる、原因────



「うるさい」


 そう言った直後、アイヴィー(アイツ)の様子がおかしくなった。そして数秒後、蹲ったと思ったら……。


「? ……おい」


 しゃがみこんだアイヴィーの前に寄って行ったグレイソン。

 俯いたまま動かなくなっていたアイヴィーが、掛け声に反応して顔を上げる。

 その顔を見た瞬間、ぎょっとした。

 アイヴィーの瞳には大きな雫がたまっていた。目が合った瞬間、瞬きと共に溢れ出したそれは、ぽろりと頬を伝い地面へ落ちていく。

 


『普段は気丈に見えていても、本心までそうとは限らないだろ』



 そうだとしても、アイヴィー(アイツ)はそんなことで泣くような人間じゃない。

 だが……


 あの時の俺の何かが、引き金になったのは確実だろう。


「…………」


 小さく息を吐いたグレイソンは、そのままその足取りで皇宮へと戻って行った。









「もう大丈夫だから」

「ですが……」

「本当に、ちょっと……あの、埃っぽいところに居ただけなので」


 公爵邸のアイヴィーの自室。

 心配する侍女を前に、目元を赤くしているアイヴィーは穏やかに微笑んでいた。


「そうですか……? 何かあればすぐに呼んでくださいね」

「えぇ」


 ガチャン、と扉の閉まる音。

 それを確認したアイヴィーは、クッションを片手にソファーから立ち上がり歩き始めた。


「ウアァッ!」


──恥ずかしい!!!


 ボフンッと音を立て、頭上にクッションを握ったまま枕に顔面を押し付け、ベッドへとダイブしたアイヴィー。数時間前のことを思い出しながら、彼女は一人悶え始めた。


──グレイソン(推し)の前で、醜態を晒した(泣くなんて)……!!


 押し付けていた枕から、口元だけ顔を浮かせたアイヴィーは、再び奇声を発しながらベッドの上をのたうち回っていた。



 あの後────




「うるさい」


 グレイソンのその一言を聞いた途端、アイヴィーの体は固まり動かなくなっていた。頭の中に流れ始めた無数の映像──前世の記憶の内容で思考が奪われつつあったからだ。


「…………」


 厭味ったらしく嘲る男の声に、ギリッと奥歯を噛みしめた後、睨みながら声を荒げるグレイソン。


『うるさい……ッ!』


 その表情は、いつもの無表情ではなく、酷く怒りに満ちている。


──これは


 五歳の時、初めて前世の記憶を取り戻した時と同じだ。

 アイヴィーの脳内を流れている、靄がかかったような映像が、徐々に鮮明になり、記憶を映し出していく。


──あぁ、アイドルのライブ会場で感じた違和感は、これだったんだ。


 ぼんやりとそんなことを考えながら、アイヴィーは取り戻し始めた記憶に意識を集中させた。


──前世の記憶。


 五歳の時、思い出した前世の記憶の、その後。

 記憶の中で、私が手に持っていたスマホ。

 その画面に表示されている文字。


『原作者描き下ろし……完全新作……続編、劇場アニメ化……?』


 思わず口に出して読んでいた。

 その文字のすぐ下にある、再生ボタンをタップする。


──……


──……お



──オアァアァァ……ッッ!!!



 スマホを持つ自身の手が、小さく震えているのが分かる。

 だらしなく開かれそうになるのを堪えた口が、歪に歪んでいるのも感じる。

 それもそのはず。


 手元にある小さな画面に映し出されていた映像は、アイヴィーが今生きているこの世界の原作──『Heads or tails』の劇場版の情報が、1分弱にまとめられた予告PVの第一弾であった。


「ぅ……ぁ、ぉ……」


 スマホを持つ手と反対の手を口元に当て、気持ち悪く漏れ出す声を必死で抑える。

 目の前に飛び込んでくる映像の中には、グレイソン(推し)とレオナルドがおそらく敵の攻撃を受け、負傷している姿が映し出されていた。姿は映されていないが、嘲るように笑う敵の声。顔を歪ませ睨み、声を上げるグレイソン。

 これまでのストーリーの中で、彼がこれほどまでに感情を表に出したことがあっただろうか?いや、ない。なかった。それ故に余計に惹かれ、たまらなくなった。


 

 この日初めて解禁となった情報、『劇場版 Heads or tails』は、なんとレオナルドたち王族側に視点を当てたストーリーであったのだ。



 その中で、グレイソンとレオナルドが知り合った過去が明らかになる、という匂わせもされていた。



 その情報は、アイヴィーに酷く興奮を与えていた。

 ただでさえ、劇場版で推しが見られる可能性があった。その可能性だけで胸が躍る勢いだったのだ。それなのに。それなのに……!!


──まさか王族サイド(推し)がメインの映画だなんて……!!!


 予告映像を最後まで見終えた後、震える手でもう一度再生ボタンを押したことを覚えている。我慢がならなかったのだ。もう一度確かめなくてはならない!と、私の中の本能わたしが囁いたのだ。

 一分弱の動画を、何度も繰り返し再生し続けていた。


「…………」


 人は興奮すると、通常では考えられない行動に出ることがある。


 前世、私がその動画を繰り返し再生していたのは、コンビニを出てすぐの場所。時刻は深夜を回った頃。人通りは少なく、目の前にはこんな時間には似つかわしくない、小さな子供を連れた若い母親の親子一組。その親子がコンビニに入ろうとした、まさにその瞬間。


「きゃあっ」

「……ッ」


 店中から勢いよく男が飛び出してきた。小さな子供と衝突した男は、持っていたバッグを落とした。鈍い音を立てて地面を転がったそのバッグからは、札束が飛び出していた。


「っこの!」


 男が小さな子供に向かって、握った拳を振り上げていた。


 いつもであれば、通常であれば、怖くて足がすくんでいたと思う。

 しかし、その時の私は、酷く興奮していたのだ。

 きっと、ドーパミンだか、アドレナリンだかが大量に出ていたのだ。

 体が軽く感じ、そわそわとしていて、今なら何でもできる気でいたのだ。


 私は思い切り地面を蹴り、そのままの勢いで男を突き飛ばした。


「逃げて!!」

「! ────!!」


 目の前の母親が、こちらを見て目を見開いて、小刻みに声にならない声を漏らしていた。


「……ッぐ」


 直後、自動ドアが開く音が聞こえ、ドンッと背中に衝撃が走った。


 熱、い……。

 熱い。熱い。


 ごふ、と噎せた口から赤い血が溢れる。


 苦しい。

 息が……。


 おそらく強盗を働いたのであろう男は、一人だけではなかった。

 店内に居たもう一人の男が、持っていたナイフで背後から私を刺したのだ。

 薄れゆく意識の中で、最後に思ったのは何だったっけ。


 後悔とか、悔しさとか。多分きっといろんな事を考えてた気がする。

 見えている世界と、思考の速度があっていなかった気がする。


──何、やってんだろ。私。


 結局、そうして私は、



──劇場版それを見ることはなく殺された(死んだ)のだ。



 その事実を()()()()アイヴィーは、文字通り、膝から崩れ落ちた。


「おい」


 目の前が陰り、聞こえてきた声にはっとして顔を上げる。

 ぼやけている視界から、自分の瞳に涙がたまっているのだと分かった。

 瞬きをして、幾分か見やすくなった視界には、珍しく驚いた表情のグレイソンの姿があった。


「あ、……っ」


 その表情かおを見た瞬間、先ほど思い出したばかりの、劇場版の予告PV映像が再び頭を駆け抜けた。額から血を流し、いつものクールな表情はどこへやら、瞳は燃えるように輝きを放ちながら、剣をふるうグレイソン(推し)

 音声とテロップで語られる、劇場版の内容。


『──明かされるレオナルドとグレイソンの過去。』


 そのテロップが消えたのち、小さな火花を放ちながら、荒れ果てた地が映された。その場所で足を引きずるようにして立ち上がり、あちこちに傷を作りボロボロの服を着ている、幼い子供の姿。涙をこらえているその子供は、今の彼とは似ても似つかないほど感情を表に出し……光へ向かって、手を伸ばす。そして、切り替わった最後の映像。


『劇場版 Heads or tails ~追憶と展望~ ××××年、×月 公開予定』




「……ッ」


 アイヴィーは再び頭を下げ、床についた両手を思い切り握りしめた。


──観ッだがっだ……!!!!!!!


 なんで、よりによって!! よりにもよって!!!


──推しが主演の映画を見る前に死んだのだ⁉



「おい……どうした」


 膝をついたグレイソンが、アイヴィーに向かって声をかける。しかし、アイヴィーはそれに答えることはなかった。



 何の奇跡か、私はその推しが居る世界に生まれていて、その推しが今、目の前にいる。

 だが、それはそれだ!


──前世、一人のオタクとして、一人の推しのファンとして、劇場で推しを見たかった!!!


 推しを!あのデカいスクリーンで!劇場作品として観て、推しにいっぱい課金したかった!!!!!

 あと、純粋に内容がめちゃくちゃ気になる!!!!!



 ぎゅっと両目を閉じ、叫びだしたくなる想いを必死で抑えたアイヴィー。その時、ポタリ、と再び一粒の涙が床におち、地面に痕を残した。


 これは、アイヴィーが公爵邸の外で、初めて人前で見せた涙である。


「……」


 地面に跪き、小さく小刻みに震えるアイヴィーの姿は、とても哀れだった。









──ああぁっはずかしい!


 そして、悔しい……ッ!!


「あ〜〜〜〜〜〜っ!」

「アイヴィー、うるさいって、公爵様が」

「ん〜〜〜〜〜〜〜〜ゥッッ」


 扉から顔を覗かせたベルが、眉を下げながら声をかけた。


「……遮音魔法かけとくね」


 ベルの声に、返事にならない鳴き声で返したアイヴィー。枕に顔を押し付け、こもった叫び声を上げながら足をパタパタとさせている彼女の姿を見たベルは、静かにそっと遮音魔法を展開していた。


(……遮振もかけとこう)



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― 新着の感想 ―
[一言] うん、アイヴィーはブレないよね。 推しには冷たくされても泣かないと思うww ただ、推しが死ぬか死なないかの直前くらいから泣き始めるだろうけど、、、 アイヴィーだもん、ブレないよ、、、 …
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