54.普通にしていろ
「きゃっ」
「なんだ⁉︎」
騒めく室内。突然消えた照明に視界を奪われた人達は皆、戸惑いの声をあげている。しかし、それも数秒後には眩いほどの光の柱が辺りを照らし、やがてそれは一点に集まっていく。直後に流れ出した、この世界にはあまり馴染みのない曲調の音楽。
サプライズで始まった、ライアンプロデュースの特別ライブだ。カノンを始め、レオナルドにとって顔馴染みのメンバーがリズムに合わせ、歌い踊っている。その光景に、場内の人々は目を奪われていた。
次第に手拍子を打ったり、歓声を送る者も出てきた。
この光景を見るのは二度目になるレオナルドは、瞼をパチパチと動かし驚いた表情を浮かべたヴァネッサを見てふっと顔を緩めた。
「話には聞いていましたが、実際に見ると……驚きました」
「あぁ、俺も初めて見た時は呆気に取られた」
(カノンたちが妙にそわそわしていたのは、これだったか)
謎の教団が集まる場だと思われていた、街の地下にあったライブ会場で、初めて彼女たちのパフォーマンスを見た時を思い出したレオナルド。ヴァネッサの素直な驚きように、彼は思わず小さく笑い声を漏らした。
「…………」
「いや、すまない」
ヴァネッサの無言の視線に、レオナルドはサッと顔を上げ舞台に集中する。先ほどまでは歌と踊りを披露していた彼女たちは、いつのまにか衣装を変えていた。
「ん……?」
(これは……まるで演劇のようだが。この間のモノとは違うのか)
しばらくは2人、特設ステージで彼女たちのパフォーマンスを黙って見ていた。その途中、ヴァネッサがぼそりと口を開いた。大音量の音楽と声が飛び交うこの会場で、レオナルドはヴァネッサの声に耳を澄ませる。
「私、ずっと……あの方に憧れていたんです」
あの方、というのは、今まさにこうして2人結ばれることができた一番の功労者である、アイヴィーの事だろう。
「貴族の令嬢として、完璧な振る舞いをする彼女に」
その美しさは容姿……外側だけではない。素行調査の書類を見て知った、平民を気づかい、時には自ら助け舟を出す、そんな思いやりのある心。
そして、なによりレオナルドに婚約者として求められ続けていた事。
正直、嫉妬心がなかったはずがない。
生まれが、環境が違えばと思わなかった事はない。
だけどあの日────レオナルドの式典日、皇宮を襲撃した者を返り討ちにした彼女の剣術と魔術を見た。そこで、彼女はこれまで見てきたようなただの貴族令嬢ではない、と改めて気づいた。皆に見せるあの姿の他に、こんな姿まで隠されていたんだと知った時……
「もう本当に嫉妬とか、そんな感情馬鹿らしくなるほど……敵わないなって思ってたんです」
誰よりも気高くて、強くて、美しい。
「あんなふうになりたいなって、思っていたんです」
「……ヴァネッサは今のままでいい」
こぼれるように呟いた、少し震えたヴァネッサの言葉。レオナルドはヴァネッサの方を向いて、もう一度言葉を繋ぐ。
「俺は、今のヴァネッサがいい」
それはレオナルドの本心だった。
今まで、彼女の、ヴァネッサとしての姿に惹かれ、心を奪われたのだから、その通りだ。
それもあるのだが、レオナルドは先日、あのまるで悪魔のようなアイヴィーの笑みを見てしまっている。そのため、アレになりたいなんて言うヴァネッサには、心底、本当に心の底から、今のままのヴァネッサでいてほしいと思うレオナルドなのであった。
そこまでのレオナルドの心情は伝わらなかったと思うが、言葉通り、彼の気持ちを受け取ったヴァネッサは、再び少し驚いたような顔をした。そして、二人は数秒向かい合い見つめあった後、ヴァネッサは口元を緩め、朗らかに笑った。
「はい」
*
一方、その頃。
そのあの方は、ちょうど彼らの真下にある保管庫に閉じ込められたまま、膝を抱え座りこんでいた。
──あれからも一向に、全く、誰も来る気配がない。
「完全に忘れられてない……?」
スンッ、と鼻を啜りながら膝を寄せたアイヴィーは、部屋の中央でさらに小さくなった。
ライアン……。
──自分で頼んだくせに! 遅いだろって、せめてアンタくらい気付いてよ!
心の中で恨み言を吐き出したアイヴィーは、フゥッ、と息を吐いて立ち上がる。そして、どこか抜け道はないかと再び壁を見て回り始めた。片側の壁沿いに並べられている棚の奥まで、上から順に確認する。
ガチャ
その時、背後で扉の開く音が聞こえた。
アイヴィーはパッと頭を上げ、振り返る。
「わっ」
ゴンッ、ガラガラッ、ガシャンッ
身をかがめ、棚の下段に頭を突っ込んでいたアイヴィーは、振り返った勢いで棚台に頭をぶつけた。その振動で、不規則に並べてあった置物が数個、床に落ちた。
「いたたた」
「……お前、何してるんだ」
──……!
推しの声!
扉を開け、部屋に入ってきたのはグレイソンであった。
コツ、コツと足音が響く。入口からアイヴィーがいる場所まで、グレイソンが近づいてくるのが分かる。
「あっあ! ま、って! ストップ動かないで!」
「……?」
ガチャン
「あぁああ……」
扉が閉まる音が聞こえ、アイヴィーは落胆した。
そんなアイヴィーの様子をなんなんだ、といった様子で見つめるグレイソン。アイヴィーは彼に、あの扉には術式が刻まれており、閉じ込められて外に出れなかったと説明をした。
「……多分無駄です。物理も魔法も試しました」
アイヴィーの説明を聞いた後、なんのためらいもなく扉の破壊に向かったグレイソン。しかし、その攻撃は案の定、ライアンの術式に全て弾かれていた。眉をひそめた彼に、アイヴィーは続けて壁一面にも魔術が埋め込まれているため、外から誰かが開けてくれるまで出れそうにないと伝える。
「…………」
「……」
数分の時が過ぎた。
扉の近くで腰を下ろしたアイヴィーは、壁を観察しながら部屋を回っているグレイソンを、チラッと確認する。
無駄だよ、さっきそこも全部見たもの。
「……なんだ」
──ハッ
思わず、そのままじっと推しの顔を眺めてしまっていたアイヴィーは、慌てて顔を逸らした。
「いえ。不躾に、申し訳ありません」
「……今更、互いの本性を知っている相手に、気を使う必要はないだろ」
アイヴィーが恥ずかし気な様子でそう言えば、レオナルドの式典の時、まるで破落戸のようなお前の行動を見ているから今更取り繕うな、と言ったグレイソン。
──破落戸……?
私は、推しに破落戸だと思われていたのか?
「お前もこんな時まで外用の仮面をかぶる必要はないだろ。普通にしていろ。」
普通にしていろ?普通にしていいのか?
──推しを目の前にしたオタクの“普通”が、どんなものか知っているのか?
しれっとした態度でそう言ったグレイソンを、アイヴィーは心の中で威勢よく威嚇した。
しかし、内に秘めた感情を押し殺し、「……いえ」と令嬢らしく答えたアイヴィーに、グレイソンは好きにしろ、と視線を外した。
くしゅん
くしゅん、くしゅんっ
あー……ダメだ、これ。なんか布とかないかな。
おつかいを頼まれたボトル以外にも、いくらかの食材が保管してあるこの場所は、外よりも低めの温度が保たれている。薄手のパーティードレス一枚のアイヴィーは、先ほどから少し肌寒さを感じていた。
そういえば、さっき壁一面を見て回った時、一番端の棚の中が妙に温かかった気がする。もしかしたら、温度調整の術式が刻まれているのかもしれない。
試しにもう一度見てみるか、と立ち上がったアイヴィー。しかし、ふと肩が何かに触れて思わず「うわぁ!!」と驚き慄いた。
「な、なんです、か」
触れたのはグレイソンだった。
いつのまにか、無表情のままアイヴィーに近づいていたグレイソンは、目の前で上着を脱ぎ始めた。
──!!!!!!
思わず目をカッと見開き、推しのシャツ姿をガン見してしまうアイヴィー。
そんなアイヴィーの目の前に無言で差し出された、上着。
──?
「羽織ってろ」
「?」
……なんで?と、思わず口から洩れ出てしまった言葉。その直後、グレイソンは不機嫌そうに眉を顰めえたため、反射的にサッと上着を受け取る。
推しの上着…………。羽織ってろ?あ、ちょっとあたたかい……。
──こっ
こんなん、こんなん!羽織ったら絶対推しに包まれているかの様な気分になってしまうじゃろがい!!!!
受け取った右手にギュッと力を入れ、アイヴィーは葛藤する。
しかし、使わないなら返せ、とでも言っているかのような視線を送るグレイソンを前に、慌ててたじたじと上着を羽織る。
──う、ウォオオオオオ……
推しの匂いと暖かさに包まれたアイヴィーは、震えていた。
その様子を、そんなに寒いか?と言いたげな目でグレイソンは見つめている。
気を紛らわそうと、目の前に置いたボトルにじっと視線を合わせたアイヴィーは、あっと気づく。
あ、これ……学園祭の時に飲んだ、あの甘いぶどう酒だ。
直後、まるで釘を刺すように鋭い声が、横から聞こえた。
「飲むなよ」
「の、飲みません……」
それは、あの日の酔っ払い事件を思い出しての忠告であろう。忘れようと思っていた痴態を思い出し、アイヴィーの顔はじわじわと熱くなる。
「あの、忘れてください」
「……?」
「あの日の、事」
グレイソンは黙ったまま、アイヴィーへと視線を向ける。
「なにを」
「あの日の! 涎の事です!!」
よだれ……?とグレイソンは首を軽く傾けた。
なんで自分の恥ずかしい過去を、わざわざ口に出して言わないといけないんだ!
アイヴィーは羞恥心に耐えながらも、さらに小さく震えていた。
「……お前はどうして、そんなに」
グレイソンが口を開き話し始めたその時、ガチャ、と扉が開く音がした。
「あ、やっぱり閉じ込められてたか。わりーわりー」
ライアンが軽い口調でそう言いながら、部屋に入ってきた。
……わざとらしいな。
「入る時は普通の扉だけど、出る時引き戸なってたら面白くね? と思ってやってみて、そのまま戻すの忘れてたわ、すまんすまん」
ライアンが笑いながら、さっき二人が散々苦労しても開けられなかった扉を、横にスライドさせ、簡単に開閉を繰り返している。
「……」
「おっ、と」
ハハッと笑うライアンの横を、無言でサッと通り過ぎ、一人先に部屋を出て行ってしまったグレイソン。ライアンはそんな彼の態度など気にしていないようで、口角を上げ、ニッとアイヴィーを見降ろしている。
なんだ、その顔は。
「ンー、もうちょい遅い方がよかったか?」
「……理性との戦いだった」
「ハハッ、密室に閉じ込められた男女の、女側が言うセリフじゃねェな」
軽口をたたいた後、ライアンの視線に気づいたアイヴィーはハッとする。
──あっ、上着!
先ほどグレイソンが貸してくれた上着を、アイヴィーはまだ肩に羽織ったままであった。
アイヴィーはボトルをライアンに手渡し、グレイソンを追いかける。
通路の先に推しの姿が見えた。
「サーチェス卿!」
アイヴィーの呼び声に、グレイソンは足を止めて振り向いた。
よかった、会場へ戻る前に間に合った。
アイヴィーはお礼を言って上着を差し出す。グレイソンは相変わらず不愛想に、あぁ、と上着を受け取ったのだが。
──……?
こちらを見ているグレイソンが、何か言いたそうな顔をしている……ような気がする。
そういえばさっき、何か言いかけた時にライアンが入ってきたよね。
「あの、なにか?」
「……いや。なんでもない」
「でも、さっき」
食い下がったアイヴィーに、スッと視線を逸らしたグレイソンが言葉を吐いた。
「うるさい」
なんてことはない、いつものグレイソンらしい冷たい言葉。
それなのに。
「──……」
アイヴィーの体は固まり、動かなくなった。
ドクン
突然、靄がかかったようにぼんやりと、今と同じセリフを放ったグレイソンの映像が脳裏に浮かんだからだ。
しかし、その表情は今のこの目の前にいる、無表情の推しの顔ではない。
『うるさい……ッ!』
ドクン
酷く歪み、血と煤で汚れた顔で、誰かを睨みつけているグレイソンの姿。
──そうだ
これは、記憶だ。
脳裏にいくつもの映像が断片的に流れる、この感覚。
妙に懐かしく感じるこの感覚は、アイヴィーが五歳の時、初めて前世の記憶を取り戻した時と酷似していた。
胸元に手を置き、ぎゅっと服を握り締める。
「……? おい」
今もなお流れ続けている映像を、脳が順番に処理していく。
そして、理解したアイヴィーは、俯きながらその場に膝をついた。
「……ッ」
異変を感じたグレイソンが、アイヴィーの目の前まで距離を詰める。その直後、ポロリ、と零れ落ちた水滴が、床で弾けた。
「あ」
顔を上げたアイヴィーの少しぼやけた視界の中には、珍しく驚いた表情のグレイソンが映っていた。






