52.本音
青天の空へと舞い上がる、色鮮やかな紙吹雪。
あちこちで賑わう人々の声と共に聴こえてくる、豪勢な音楽隊の演奏。
つい先日行われたばかりである大きな祭りからそう日を開けず、再び開かれた盛大なパレード。
今、王都全都を賑わせ、大きな声援を浴びている、このパレードの中心に居る人物。集まった多くの人々が、その姿を一目見ようと列をなしている。その端で、串に刺さった鶏肉を咀嚼し飲み込んだアイヴィーは、湧き上がる歓声の先に立つ人物を見つめながら、そっと口を開いた。
「レオナルド、手が早いわよ」
「言い方」
「手際がいいわよ」
アイヴィーは遠目に通り過ぎていくレオナルドと、その隣に立つヴァネッサを見送り、串に刺さる最後の肉を平らげた。そして、反対側の手に持っていた紙袋からもう一本、串肉を取り出す。
「まだあったのか、一本くれよ」
「最後の一本だからヤダ」
横から片手を差し出し、串肉を要求するライアンに、アイヴィーは奪われまいと串を持つ手を大袈裟に反らした。
*
五日前の公爵邸。
夕食時、食堂にてスペンサー公爵が口を開いた。
「明後日、婚約披露会が決まった」
「え」
その発言に、思わず声を漏らし、食器を持つ手を止めたアイヴィー。
「だ、誰の……ですか」
「殿下と彼女のだ」
「……」
なん、だと。
お前がそう差し向けたのだろう?と、視線をよこすスペンサー公爵の前で、アイヴィーは小さく息を飲んでいた。
アイヴィーが皇宮を訪れ、レオナルドにヴァネッサの隠された真実を告げ、そしてついでに黒い本性を晒した日から、わずか1週間。
その間に、どうやらレオナルドはアイヴィーの助言通り、ヴァネッサを連れてクスタードの湖を訪れたようだった。ちゃっかり、陛下直属の部下も同行させて。
目の前で、ヴァネッサが守護龍に封印を解かれ、祝福を受ける姿を複数の有力者を含めた証人に見せたレオナルド。発つ前にあらかじめ準備してあったのであろう、皇宮へ戻った二人はすぐ皇帝陛下の謁見を行い、婚約が成立した。
──展開早すぎない?
正直、信用されてない事はないと思ってたけど……ちょっとくらいは疑いも残して、少人数でこっそりと行くかと思ってたのに。
守護龍の加護を受けるのは、直接祝福を受けたヴァネッサだけではない。伝承通りであれば、対象者と支え合って生きるパートナー。そして、その二人が住む国そのものが、守護龍の庇護下に置かれることになる。
近年多発していた街での事件を含めても、アルバ帝国は他国と比べ比較的裕福で穏やかな生活ができている国ではある。しかし、広大な帝国内の土地、全てがうまくいっている訳ではない。西の地では、隣接する国との境界線で小さな争いも起きているらしい。
そして、それはまた人災に限らず、天災も。東北の地は昨今の悪天候で作物がうまく育たず、枯渇し始めているという。
そういった面も踏まえて、守護龍の加護を受けたヴァネッサを皇族に迎えれば、よりよい未来へと向かうのではないかという希望の元、二人の婚約は認められたのだそうだ。
こっそり聞いた話によれば、クスタードの湖で封印を解かれ、祝福を受けたヴァネッサに剣を突きつけた精鋭騎士たちが数名、守護龍の一吹きで吹っ飛ばされたらしいけど。
その報告を受け、伝承を信じていなかった貴族からは、守護龍の脅威に恐れをなし、ヴァネッサを迎え入れる事を反対する者もいたが、最終的には皇帝陛下の一声で決定したらしい。
手に余る強大な力、無理に犠牲を払って敵にし倒すよりも、味方に引き入れた方がいいって考え方、皇帝陛下らしいけどね。
それにしても。
──早すぎるわ!
「当日はスペンサー公爵家が担当になった」
そう言ったスペンサー公爵は、心なしか不機嫌であった。
皇宮で開かれる公式の催しでは、帝国内三家の公爵家の内、どこか一家が護衛として当日は警備にあたる。
つい先日行われた公爵家の会議で、しばらく先まで割り当ては済んでおり、きっちりと計画が組まれていた。そこへ今回、かなり急遽、皇太子であるレオナルドの婚約式が入ったことで、貴族達はざわついているらしい。
しかし、この眉間のしわの深さ……。
アイヴィーは黙って食事を口に運びながらも、眉間にぐっと力を寄せているスペンサー公爵の顔を見て、考える。
昨日の公爵会議でまたモメたのかな。
「警備はお前も割り当てた」
「……はい」
「オレと一緒に回りましょうね」
食事の後、部屋へ戻る途中、スペンサー公爵が呟いた。
それに、ルイスがニコニコと眩しい笑顔で会話に入ってきた。この顔は久しぶりに見たな。確実にグレイソンからの何かを期待している目だ。
「……一緒でもいいけど」
今回はグレイソンはいないわよ。と小声で付け足して言ったアイヴィー。
前回はレオナルドの思惑で、一緒に警備することになったけど……。
スペンサー公爵が無言で先を歩くその後ろで、ルイスは相変わらず上機嫌に「えぇ~?」と笑っていた。
「皇宮襲撃がフェイクであったとはいえ、殿下が襲われた事実は変わらん」
足をすすめながら、振り向かずに口を開いたスペンサー公爵の声に、顔を上げたアイヴィーとルイス。
「気を抜くなよ」
「……はい」
「はぁい」
──なんて、言ってたけど。
アイヴィーは披露会の会場となっている二階から、貴族たちが集まる一階を見渡している。
現在、歓談の場が設けられているが、もう少しでお開きとなるだろう。
会場襲撃以外にも、皇宮周辺も拡大して警戒していたけど、無事終わりそうでよかった。
軽く息を漏らしたアイヴィーは、ふと貴族のご令嬢たちが数人集まっている場所に目を向けた。
──あ。あの子たち
会場の隅で、レオナルドと何度か踊ったことがある令嬢たちが、寄り添って慰め合いながら泣いていた。
結構、腹の中黒かったと思うけど、表では好青年だったからなぁ…‥レオナルド。
皇太子という身分を抜きにしても、案外本気で彼に恋をしていた子たちは居たらしい。
やれやれ、と小さくため息をついたアイヴィーは、レオナルドの隣にいるヴァネッサを見る。
髪色も、瞳の色も、これまでとは違う、光に反射し綺麗に輝いて見える金赤色だ。表情だって。……今の表情は、貴族の人向けに笑顔を作ってるんだろうけど、今の彼女からは、以前の硬さはなく、どこか軽くなったような柔らかな雰囲気を感じる。
レオナルドの隣に立ち、貴族との会話に相槌を打ちながらも、しきりにテーブルに並べられているお菓子に視線を何度も送っているヴァネッサに気づき、アイヴィーは微笑んでいた。
「何サボってんのよ、アンタ」
「ミア」
完全に気を抜いていたアイヴィーは、背後からかけられた声に、思わずぱっと振り返った。そこに居たのは、綺麗な水色の花のガラス細工がちりばめられているドレスを身にまとったミア。その隣にはトムワズの姿があった。
──いままで見たことないタイプの衣装じゃん。トムの趣味かな?
フレイヤ公爵家の長女ミアと、グレース公爵家のトムワズは恋仲である。
幼い頃からの幼馴染であるこの二人は、時間をかけ互いを意識し、いい雰囲気になってきていた。しかし、アイヴィーがレオナルドとの婚約を回避し続けたせいで、仕方なく婚約者候補という形で挙げられた数人の令嬢の中に、ミアも候補として残ってしまっていた。これにより、つい最近まで色々モメたりしていたのだが、レオナルドの婚約者が決まった現在では、両家公認で婚約を結ぶ形になるそうだ。
「サボってないよ、休憩中~」
「アンタ、上手い事逃げ切ったのね」
「ふふ、まぁね」
「僕はなんだかんだ言って、最終的にはアイヴィーが殿下の婚約者になるものだと思ってたよ」
その気があれば、最初からあんな全力で回避なんてしないでしょ。
トムワズをジトっとした目で見上げたアイヴィーは、ふと視線を下げ、一階のレオナルドたちの場所を見た。
それに、レオナルドの相手は、ヒロイン。その上、二人は両片思いだったんだもの。私なんて出る幕じゃないわよ。
原作では結ばれなかった二人。実るはずのなかったレオナルドの恋が、今こういて実っているのは、ちょっとこう、結構ワクワクするじゃない!
「またなんか企んでるでしょ?」
「えぇ? なんで」
「そのニヤケ顔!」
レオナルドを見下ろしていたアイヴィーの顔は、あの日、レオナルド本人に見せた黒いものを感じる表情だった。
ふふ、これまで散々コケにされた分、奴に何を言ってやろうか。考えただけで楽しくなってきちゃう。
「また調子乗ってると、最後に痛い目見るわよ」
「……ベルみたいな事言わないでよ」
「あれ、アイヴィーちょっと」
「?」
呆れたように言ったミアに、つい先日のベルとの会話を思い出したアイヴィーは、ため息交じりに答えていた。そこへ、そっとトムワズが手を伸ばし、アイヴィーの頭から何かを手に取った。
「花びら? ついてた」
「あぁ、さっき庭先まで出て警備してたから。ありがと」
「……いたッ」
庭園の花が満開だったから、きっと風で飛んできていたのね。そう考えながら、アイヴィーがトムワズにお礼を言った直後、彼はビクリと体を揺らした。視線を下げると、ミアがトムワズの袖を肉ごと掴んでいた。
「…………ッ」
「ちょっと、え? まって、ミア」
ぷいっとそっぽを向いて柱の向こうまで行ってしまったミアに、アイヴィーは唖然とする。
「え、今ので妬いたの?」
本気?
元々ヤキモチ焼きなのは知っていたけど、もうすでに婚約が内定している今も? これはちょっと、これから先もトムは大変そうだなぁ。
目を細めたアイヴィーは、慌ててミアを追いかけて行こうとするトムワズの袖を掴んだ。
「トム」
「えっ」
掴んだ袖をぐっと引っ張る。反射で身をかがめてくれたトムワズに手と口を近づけ、耳打ちをする。数秒後、アイヴィーがそっと手を離して身を引けば、目の前にはみるみる赤くなっていくトムワズの顔。
「~~……ッ! アイヴィー……君、はっ、ホント……下品!」
「えへへ」
真っ赤な顔をしたまま去って行くトムワズを、手を振って見送るアイヴィー。
相変わらずトムは純情でかわいいなぁ。
「なんて言ったんだ?」
「えっとね……ッウゴァ」
久しぶりにトムワズをからかう事が出来たアイヴィーは、上機嫌に背後から聞こえてきた声に笑いながら振り返り、そして、噴き出した。
グレイソンがいた。
本日は、前回とは違いレオナルドの差し金がないため、グレイソンは本来あるべき姿のレオナルドの警護をしているはず。どうしてここに!?
「…………」
「……ッ」
言えない。
さっきのアレが、推しに聞こえてなかったのが何よりも幸いだ。
グレイソンは、黙り込んだアイヴィーをジッといつもの無表情で見つめている。
「……が、がんばれって」
軽く拳を握り、多少無理のある笑顔で極端に要約した言葉を言ったアイヴィーに、グレイソンは表情を変えず視線送り続ける。
し、視線が痛い。
無言で刺すような視線を送るグレイソンに、冷や汗を垂らすアイヴィー。しかし、話す気がないのならと気にしてない様子でグレイソンは口を開いた。
「……あの日、殿下が襲撃された日から、しばらく眠り続けていたと聞いた」
「え……」
「もういいのか?」
「あ、は……はい」
アイヴィーが答えると、そうか、と淡泊な返事をしたグレイソン。
なんか。
なんかこれって、
──すごい“仲間を気遣って”って感じじゃない!?
アイヴィーの心臓は、大きく脈打った。
グレイソンって基本、誰に対しても同じ態度でクールで無慈悲な感じだったけど、一度仲間の輪に居れた人には、こうした気遣いもできる!最後までずっとレオナルドに従ってた所もあるし、やっぱり仲間内には情が厚いんじゃ……!?
アイヴィーは、前世散々した推しの考察に加え、こうしてじかに話す事で新たに知る推しの特性について、外面は必死に興奮を隠し平然を保ちながらも、考察を深めていた。
「スペンサー公爵があの日以降、かなり威圧的だったからな」
──おっと
これは、仲間意識というよりは、おそらくそれが理由で威圧的な態度をとっていた、スペンサー公爵に対する愚痴かな?
アイヴィーは作られた完璧令嬢の仮面の奥で、再びタラリと冷や汗をかいた。そして同時に、数日前、騎士たちを集めた会議の場で言われた、スペンサー公爵の言葉を思い出した。
『夜中にこっそり部屋を抜け出し、厨房に忍び込んでいたようだから無駄な心配だった』
「…………」
もしかしたら、結構本気で心配……させてしまってたのかな。
みんなの前で言うもんだから、てっきり嫌味で言ったのかと思ってしまってスルーしちゃったよ。
……いや、嫌味も入ってはいたけどね。ちょっと大人げない所あるんだよね、今のスペンサー公爵は。
「どうした」
俯き、先日の出来事を思い出して考え込んでいたアイヴィーに、グレイソンが首を傾けて顔を覗き込んできた。
「……ッ」
──その角度、超かわいいな!!!!
もしも前世、その角度のフィギュアがあったら、くるくる回して360度全方位から推しを見ていただろう!!!
手摺に肘をかけ、こちらを見るグレイソンを目の前に、アイヴィーは湧き上がる衝動を必死で抑えていた。以前より随分打ち解けた……のか、素の状態のグレイソンとの近距離会話。顔は極力真顔を保ちながら、できるだけ不審な動きをせず、穏やかに返答したアイヴィーは、この現状を堪能した。
「お嬢様、そろそろ時間で──……」
「あっ、うん! 今行くわ」
内から湧き上がる激しい欲望を、必死で薄い理性の皮で抑え込んでいたアイヴィーの元に、ルイスが休憩の終わりを告げに現れた。
──た、助かった……。
本来、推しに引き合わせたくないルイスであったが、理想過ぎる推しとの近距離会話に心臓が悲鳴を上げ、限界を感じていたアイヴィー。これ幸いと、グレイソンがいるアイヴィーの傍まで来ようとしていたルイスを遮るように、パッと身をひるがえし警備へと戻った。
頭を傾けたグレイソンの前髪がサラリと揺れ、その奥に光る燃えるような瞳……綺麗だった。
「……ッハァ!」
「うわっ、びっくりした」
ルイスと並んで歩いていたアイヴィーは、つい先ほどの推しのビジュアルを思い出し、突然、勢いよく息を吐いた。それに驚いたルイスが、声を上げる。
「も~……旦那様に報告しますよ」
「何をよ」
「警備サボって、自分だけ殿下の護衛騎士と遊んでたって」
「遊んでない」
時間になっても来ないから、迎えに行ってあげたのに~と頬を膨らませたルイスが、あざとく唇を尖らせた。そんなルイスの態度に、目を細めたアイヴィー。
やがて、スッと瞳を閉じたルイスは先ほどまでの表情を消し、カッと瞳を開くと同時に真剣な表情でアイヴィーを見据えた。
「なに」
「オレだってドS騎士と遊びたかったのに!!!!」
「そっちが本音かい」






