51.悪役
「珍しいな、君から話がしたいとは」
皇宮の一室。
これまでも、何度かお茶会の場として利用していたいつもの部屋に、上着を整えながら入ってきたレオナルド。
アイヴィーは持っていたカップを置き、綺麗な笑顔で振り返った。
「えぇ、殿下にお話したい事がありまして。ヴァネッサさんについてです」
ヴァネッサの名前を聞いた途端、レオナルドは先ほどまでの余裕のある表情を消した。探るような、警戒を含んだ視線をアイヴィーへと向けながら、レオナルドは正面のソファーに腰を下ろした。
「ヴァネッサは現在休職中だが、体に問題はない」
「そうですか。よかったです」
「……あの時は助かった」
険しい表情のまま礼を言ったレオナルドを前に、アイヴィーはパチリと大きく瞬きをした。
これは……。
「いえ、当然のことです。気になさらないでください」
「情けない姿を見せてしまっていたな」
先日、レオナルドを庇い魔獣に襲われたヴァネッサ。
おそらく、ベルの回復魔法がなければ、今現在、このように落ち着いていられる状態ではなかったのだろう。
「たかが部下一人の負傷で取り乱した」
──たかが、ね。
そう思ってないからこその、あの反応のくせに。
魔物の攻撃が目の前まで迫っても、傷ついたヴァネッサを置いて逃げることも、戦う事もしなかったレオナルド。
その時のことを言っているのだろう。
アイヴィーは、チラッとレオナルドの表情を確認し、穏やかな口調で言葉を繋ぐ。
「あの時は確かに少し、殿下がとるべき行動ではなかったように思います」
「……」
「しかし、誰しも目の前で人が傷つけば、ましてやそれが、親しい人間であれば尚更、力が抜けて動けなくなってしまうものでしょう」
不甲斐なさ、やりきれなさ。
そんなものは、わざわざ他人から言われなくても、自分が一番よくわかっているだろう。
レオナルドだって馬鹿ではない。……いやバカ!って思う時は、これまでも多々あったけど。
きっと彼は同じ過ちはしないだろう。今回の事を猛省し、次、もしも同じ状況が起こった時には、今度は余裕な顔で処理できるよう手は打つタイプの人間だ。
「あの程度の攻撃なら本来、防御シールドで防げたのだがな」
「あの、急に壊れたという魔導具、ですか……?」
「あぁ」
宮へ帰ってから調べてみれば、魔法石の裏側に細工がしてあったそうだ。魔導具を使えばすぐに壊れしまうように。
「それは……」
「宮内の誰かが仕掛けたんだろう」
レオナルドは特に表情を変えることなく、そう告げた。
そうだった。レオナルドは皇太子であり、このままいけば次期皇帝とされている。そのため、政敵……宮内に潜む人間からも、命を狙われることがある。
「こんなことは、よくある事だ。今は無視してくれて構わない」
「では、犯人は見つけないと?」
「……探したところで、どうせ奴らに替え玉を出され、罪もない人を無駄に殺すだけだろう」
皇太子であるレオナルドが、命の危機にさらされたのだ。本来であれば犯人を特定し、処刑することだろう。しかし、このレオナルドの言いようは……。
「やるなら大元を捩じ切らんとな」
「……」
「まぁ、大方検討はついているしな。政争の事情は俺の仕事だ。君が気にすることではない」
なんか、政争が原因でレオナルドの性格が歪んじゃった理由が、ちょっと分かる気がする。
アイヴィーは、これまでのレオナルドの態度を思い返した。表では好青年を演じながら、その裏では人を下に見て、小馬鹿にしていた様子。ある日を境に、アイヴィーに対しては露骨に向けられるようになったその視線に、ついつい心の奥で怒りに震えることが多かったが、彼は彼で色々と大変だったんだろう。
「公爵家ではないですよ」
「分かっている」
「他の公爵家も違いますよ」
「……仲が良いのは君たちの世代だけだろう。親世代はよく衝突している」
いけない、話がそれてしまった。
「それで、本題なのですが」
アイヴィー言葉に、レオナルドを取り巻く空気がピリッとしたのが分かった。彼から感じられるこの緊張感を前に、アイヴィーはすぅっと息を吸い込んだ後、一気に本題を切り込んだ。
「ヴァネッサさん……彼女は、守護龍の加護を受けています」
「は?」
息が抜けるような、乾いた声を漏らしたレオナルド。彼をまとっていた緊張が一気に解けたのがわかる。
「“ロッソと森の龍”を知っていますか?」
「……有名な子ども向けの童話にもなった、守護龍に愛され国を繁栄へと導いた女騎士の話か。このあたりの国に伝わる伝承だろう」
「えぇ」
いきなり何を言っているんだ、とアイヴィーを見るレオナルドに、サラッとした口調で伝える。
「彼女はその女騎士、ロッソの生まれ変わりです」
「は?」
さっきから一体何の話だ、という表情で、またしても気の抜けた声を漏らしたレオナルドに、アイヴィーは構わず話し続ける。
「殿下は幼い頃に、クスタードの森の川で初めて彼女と出会った、とヴァネッサさんにお聞きしたのですが、その時の彼女の瞳……今とは違いませんでしたか?」
「…………」
確かにあの時は、今の彼女の瞳の色と少し違うように感じたが……それがどうした、と答えたレオナルドに、まっすぐと目を合わせたアイヴィーは突きつける。
「もしかして、殿下はそこで見たのではないですか」
「何を」
「彼女の胸元の痣を」
どうやら心当たりがあるらしい。口元に手を持っていったレオナルドは、ふと視線を逸らしながら何かを思い返している様子だ。
「もう一度、彼女とクスタードの森へ行ってください。そして、彼女と出会った川の下流……滝が流れ落ちる湖へ」
その滝の奥に、守護龍が眠っている。
不審がるレオナルドにかまわず話を続けるアイヴィー。訳が分からないまま突然出された彼女の指示に、レオナルドは眉を顰める。
「そこに行けば、きっと彼女は祝福を受けます」
小さな国の王族として生を受けたヴァネッサは、生まれたすぐのその容姿から、守護龍の加護を受けたロッソの生まれ変わりだと分かった。
一目見れば誰もが息をのむほどの、輝く金赤色の瞳と髪色をしていた。彼女のその風貌に、両親は大変胸を痛めた。このまま、この子の姿が公に曝されてしまえば、彼女を利用しようとする悪人たちが大勢現れる事だろう。彼女をめぐって争いも起こるかもしれない。そう不安にかられた彼女の両親は、彼女に封印の術式をかけ、容姿を変えていた。
「ではなぜ、彼女は終戦のための人質として外に出されたんだ?」
「それは政争で、前王と王后である彼女の両親が亡くなっているからです」
ヴァネッサが離宮に閉じ込められてから間もなく、当時の王の弟であった男が、反旗を翻して実の兄とその妻を殺し、戦争を始めた。しかし、それも上手くいかず、結局、“王族の色が引き継がれなかった子”という嘘の理由で、離れで閉じ込められているヴァネッサの存在を知っていた弟王が、侵略を失敗した国へと彼女を差し出したのだ。
原作では、主人公と共に旅を始めたヒロインであるヴァネッサは、その旅の途中で守護龍と出会い、両親から受けた封印が解かれる。そして、守護龍からの祝福を受けた彼女は、それまでのただ守ってもらうだけだった存在から、大切な人を守るための力を授かる。
──だけど、今の世界でヴァネッサが歩んでいる人生は、原作とは全く違う。
ここは多少強引にでも彼を誘導して、彼女をあの場所に連れて行ってもらわねば。
「なるほど……」
アイヴィーの説明を聞いたレオナルドは、真剣な表情で膝の上で組んでいた指に力を入れた。
「だが、何故君はそれを知っているんだ」
「…………」
詳しく知りすぎているため、所々端折って説明をしたアイヴィーであったが、やはりそれでも、レオナルドにとってみれば、これほどの情報を持っていて、さらに頼まれてもいないそれをこうして提供するこの行動は、不審に映ったらしい。
瞳の奥を覗き込むように、じっと視線を合わせて問いかけたレオナルドの言葉に、アイヴィーはスッと瞳を閉じて黙り込む。そして、ゆっくりと瞼を開いてレオナルドを見据える。
「必死で、調べました」
それは、まるで女神の微笑みのように美しく、神々しくすら感じる表情であった。
「ヴァネッサさんから、彼女の生い立ちと殿下への想いを聞いてから」
「スペンサー嬢……」
優しく微笑みながらそう言ったアイヴィーを正面から見ていたレオナルドは、瞳を揺らしながらゆっくりと視線を下げた。小さく息を吐く音が聞こえる。
この突拍子もない話、通常であれば彼は信じることはなかっただろう。しかし、アイヴィーとレオナルドはこれまでのお茶会で何度も情報の共有をしてきた。そして、アイヴィーが彼に渡した情報はどれも正しく、間違っていたことがなかった。故に彼は、この信じられないだろう話をくだらんと、ひと蹴りはしないだろう。
アイヴィーの口元は大きく弧を描いた。
「彼女の本来の姿とその力を知れば、きっと誰も、ヴァネッサさんと殿下との婚姻を邪魔する事は出来ないでしょう」
そのアイヴィーの発言に、ピクリ、と反応したレオナルド。
そろり、と顔を上げた彼の前には、先ほどまでの神々しい笑みはどこにもない。そこには、レオナルドが今まで一度も見たことがない、頭を少し右に傾け、正に“悪役”と呼ぶのが相応しい黒い笑みを浮かべているアイヴィーの姿があった。
「殿下」
「……なんだ」
たった今聞かされたヴァネッサの話に加え、この初めて見るアイヴィーの表情に、レオナルドは息を飲んだ。今まで、自分のこのヴァネッサへの想いは隠し通せていたと思っていたレオナルドは、困惑と焦りの表情を隠せない。そんなレオナルドに、アイヴィーはゆっくりと体を前に倒して近づいていき、妖艶に微笑む。
「これで、貸し一つ、ですね」
*
「いや~~~~! 気持ちいい~~!! チョー気持ちいい~~~!! 長年のもやもやを一気に解消できた気分~~~~~!」
「アイヴィー……」
あの後、清々しい気分で部屋を後にしたアイヴィーは、珍しく扉を開けたすぐ傍にいたグレイソンに動揺することもなく、ニコッと自然な笑みを浮かべてその場を去っていた。部屋に残されたレオナルドの様子を見たグレイソンは不審がっていたが……。
まぁ、何はともあれ、彼らはきっとクスタードの湖へ行くことになるだろう。
「ふっふふ、あの顔……あはは!」
「……」
馬車の中でとんでもない笑い声を上げるアイヴィーに、ベルが小さく口を開いた。
「あんまり意地悪すると、罰が当たるよ」
「何言ってるのベル! 先にやってきたのはレオナルドなの!」
ベルは、今まで何度もアイヴィーの悪行を見てきた。
そして、そのたび最後にはちょっと痛い目をみているアイヴィーも見ていた。スペンサー公爵がよく言っていた『アイツは成長しないのか』という言葉が頭に浮かんできたベルは、眉を下げて何を言おうか考える。
「……馬に蹴られるよ」
「ふふ、面白いこと言うのねベル」
アイヴィーはベルを見て笑っていたが、直後、ガタンと馬車が大きく揺れた。どうやら馬が砂利を踏んだようで暴れてしまったらしい。その振動で、ニヤついて身を乗り出していたアイヴィーだけ、ガツンッと頭をぶつけていた。
痛みで涙目になりながら頭を抱え、座席に座りなおしたアイヴィーに、ベルが優しい口調で告げる。
「……ほら」
「た、たまたまよ……」






