6.夜会と攻守
「いつも通りね、姉さん」
「わかってるわよ」
カタカタと揺れる夜会へ向かう馬車の中で、向かいに座るテオドールがアイヴィーにくぎを刺す。
「どうせまた、挨拶を終えたら庭園でしょ」
「……うん」
それは、最近特に目立つアイヴィーの奇行に対する注意……ではなく、以前からパーティーの途中で会場を抜け出し、いつの間にか姿を消しているアイヴィーを見つけて連れ帰るのが大変だ、という従者の嘆きを聞いたテオドールが、「抜け出すのはいいけど、決めた時間には指定した場所へと戻るように」とアイヴィーへ告げた条件の確認だった。
しっかりとした義弟である。
「まさかテオに、こんな風に言われる日が来るなんて」
「それは、姉さんがしっかりしてないからでしょ」
あの頃はあんなにかわいかったのに、と手を胸ほどの高さに持っていき、「こんなに小さくて」と言えば、「あの頃は視野が狭かったからね」とドライに返された。
馬車が停まり、アイヴィーはテオドールのエスコートで会場へ入る。
見渡す限り煌びやかなこの空間で、アイヴィーもまたそこに見合う上品な仮面をかぶり、いつもの完璧な公爵家令嬢を演じ始める。
*
庭園の、人気のあるバラ園を通り過ぎた先にあるガーデンベンチ。ここは会場を出てすぐの場所からは死角になっており、アイヴィーはこの邸宅で行われるパーティーの時は大抵、このベンチへ逃げていた。
──夜会はちょっと質の悪い人もいるから面倒なのよね。
いつも通り適当に挨拶を済ませたアイヴィーは、そろそろいいかな、と庭園へ向かって足を進めた。その途中、酷く酔った人が使用人に迷惑をかけてる姿を目撃し、げんなりした心情を隠しながらここまで来たのだ。
サァ、と心地の良い風が流れる。サワサワと揺れる木々や葉の音と、会場から聞こえてくる音楽。
ふう、と一息ついたアイヴィーは、瞳を閉じてベンチの背にもたれかかった。
アイヴィーは現在、皇太子殿下の婚約者候補とされる、数人の令嬢のうちの一人である。これまでのパーティーでも何度か、それとなく会話の中で、レオナルドに婚約者になるようにと持ち掛けられていた。他の候補者の顔ぶれをみれば、アイヴィーを選ぶのは、自分でも妥当な選択であるとは思うが……。
アイヴィーには推しを拝みつつ、この世界を楽しんで生きるという目標があった。なにより皇太子殿下が、どちらかと言うと好きなキャラクターではなかったので、やわらかに拒否をしていた。直接はっきり断るのも面倒くさそうだなぁ、と考えたアイヴィーは、以降のパーティーではずっと、挨拶以外は極力話さないように避け続けていた。
しかし、その態度が逆にレオナルドに火をつけてしまったようで、あの手この手と婚約者になるようにと手をまわし始めたのだ。その小賢しさが、アイヴィーのレオナルドへの好感度をさらに下げていた。
皇太子は、私を愛して行動しているわけではない。
ただ打算的に、アイヴィーを選んだほうが都合がいい、それだけの事なのだ。まぁ、それと単に意地になってるところもあるのだろうけど……。
アイヴィーは原作でのレオナルドの本性を知っていた。皆の前では凛としっかりとした優男を演じているが、その内は──子供なのだ。
自分の力を見せつけ、自分の思い通りにならないことが耐えられない性格なのだ。
それを知っているため、今までは必要以上、余計なことはせず、当たり障りなく接してきたわけだが……まさか今回のように、グレイソンを使ってけしかけてくるとは……けし……けしからん!
──にしても
アイヴィーは先ほどの出来事を思い出す。
レオナルドにいつものように挨拶をした時、後ろに控えていたグレイソン。今までは無表情に立っているだけだった。
──それなのに、今日はっ!
いや、今日も最初は確かに無表情であった。挨拶をして、礼の後その場を去ろうとした瞬間までは……!
──あの表情……!
視線が合った瞬間、本当に少しだけ口元が、瞳が、こちらを見て、寂しく微笑んでいるように見えた。「んぐっ!」と、思わず呻きそうになったが、殿下と他の招待客たちの手前、醜態を晒すわけにはいかない! と、踏ん張ってその場を離れたのだ。
う、うまかった……! まるで『主と他の客には知られないように、無関心を装っているが、思わず出てしまった笑み』感が感じられる演技……!! 上手すぎる! 推しの演技が!!
もしここが、前世のような映画やドラマという文化がある世界だったら、間違いなく主役をいくつもさらっていく名役者になっていただろう。
──はぁ……知らなかった。
推しこんなに演技うまかったの?? そりゃどんな対象者も簡単に落ちるはずだわ……あんな顔されたら、本当に好意があると感じてしまい、たとえ婚約者がいる相手だろうが揺さぶられてしまうだろう。
グレイソン……推しは罪な男だ。
「……ギルティ」
尻すぼみに呟いたその言葉は、シンとした庭園に飲み込まれたかと思われた。
「ギル……?」
しまった。思わずオタク用語の日本語英語を呟いてしまった。
しかし、最後までは聞こえていなかったらしく、人の愛称に聞こえたようだ。「その方をお待ちでしたか?」と声のする方を振り返るとそこには、ギルティな──推しが居た。
──おわ
ドッドッドッドと高鳴る、どころではなく激しく躍動する心臓の音を知られませんように、と静かに願いながら会話を続ける。
「どうして、ここに……」
「姿が見えなかったので」
そんなことは、今まで何度もあったはずだが。
もちろん、グレイソンがこうして探しに来た事は一度もない。
「殿下に探してこいと言われました?」
「……い、え」
歯切れ悪く、少し落ち込んだように視線を下げて答えたグレイソン。
──ンンッ
しばらく、そのまま何も言わず立っているグレイソンにアイヴィーは「よければお座りください」とベンチへと促す。静かに戸惑いながらも言われるまま座るグレイソン。
沈黙が流れる。
──き、気まず……ッ
アイヴィーはなぜ、グレイソンに隣に座ることを勧めたのか分からない。興奮と混乱の狭間で「アイヴィー・シャーロット・スペンサー」が行うであろう行動を無意識にしてしまったのかもしれない。
「……」
「……」
何か、何か話題を、と頭をぐるぐるさせていたアイヴィーの横で、グレイソンが口を開いた。
「殿下は、婚約者には貴方をと考えていますが……貴方はそうではないようですね」
「……」
「どうしてかお聞きしたら、答えてくれますか?」
少しだけ首を傾け、こちらを見据えるグレイソン。
それは殿下の事が好きではないからなんだけど……。不安のような、少し期待に満ちたような、まるで捨てられている犬のような瞳をしているグレイソンを前に、アイヴィーは目が離せなかった。
「貴方にはすでに、どなたか特別な方がいっしゃるのでしょうか」
「……そんな人はいません」
「本当ですか?」
視線をグレイソンから逸らし、冷静に答えようと努めるアイヴィー。しかし、グレイソンは食い下がる。
「本当に特別な方はいらっしゃらないのですか?」
「えぇ」
そんな方見たことないでしょう、と告げれば、今度はグレイソンが一度頭を下げる。
「そうですが……でも」
まるで口から零れ落ちるように呟かれた言葉の後に、「誰にも見られない……密会とか」と言ったグレイソンは、俯いた姿勢のまま首を傾け、アイヴィーを見る。
探るような視線。
はたから見れば、まるで、自分の知らないところに男の存在がないかを確認をしているように見えるだろう。だが、これは……
「……最近、コックス伯爵家の御子息が、よくスペンサー家へと足を運ばれていると耳にしましたが」
アイヴィーは息を飲む。
「彼とは何もないのですか?」
そう訴える瞳はまるで、想い人が他の男と懇意にしているのを疑い、静かに嫉妬しているかのように見える。だが……
──やっぱり……コックス伯爵家! アルロの事だ!
夜会が始まる前、アイヴィーはベルから頼んでおいた報告を受けていた。
アイヴィーの指示を受け、レオナルドの部屋へ忍び込んだベルは、いくつかの書類の束の中に、貴族の調査書を見つけた。そこには、コックス伯爵家を含む候補に残っていた貴族の書類も数枚あったため、怪しいと踏んだ書類を全て記憶したベルは、アイヴィーの元へ戻ってそれを報告をしていた。
確かにアルロは、最近よくスペンサー公爵家を訪れている。しかも、その際にあてがわれる部屋は、全て遮音魔法を施しているため、レオナルドの駒では、何をしているかの内容までは調べることができなかったはずだ。
──だけど、あれは
思考を巡らせているアイヴィーだったが、少しトーンが落とされたグレイソンの声で、ハッと意識を戻す。
「どうして、何も言ってくれないんですか?」
座っていたガーデンベンチから、少し腰を上げたグレイソン。ベンチの上に片膝を置き、体ごと向きを変え、ぐっとアイヴィーの顔の前まで迫る。
──ほ、ほぁわッ
「噂は本当、ということですか?」
「……っ」
じりじりと迫ってくるグレイソン。それに合わせ、体を後ろへ引いていくアイヴィー。やがて、ベンチの端にまで追い込まれたアイヴィーは、流石にこれ以上は! と、両手をぱっとグレイソンの正面に出し、静止を促す。
「あの、近い、です」
「……」
グレイソンは、一度止まって静かにアイヴィーを見つめていたが、目の前に突き出されたアイヴィーの左手首をぐっと掴み、自分の方へ引き寄せる。
「……気づいているのでしょう」
本当は、私の気持ちに。
まるでそう言いたげに情熱的に揺れる瞳をしたグレイソンは、逃がさないと言わんばかりにアイヴィーをじっと見つめる。
──う、ウヴォア……ッ
いけない、このままでは。
──キス、される……!!
この流れは……ッキスだ……! そうでしょ!? だって! 顔近い! ホントに! 推しが……ッ推しの口が、私の、に……???
アイヴィーの激しく暴れまわる脳内を知るはずもないグレイソンは、がっしりと掴んだアイヴィーの左手はそのままに、アイヴィーの顔へゆっくりと近づき、
──あ……推しが顔、傾けて……
グレイソンの目線は下がり、アイヴィーの口元を見ている。
二人の距離はみるみる縮まっていき……
「ッ」
もうダメだ──そう感じたアイヴィーは、咄嗟に掴まれていない方の手を自分とグレイソンの顔の間に差し入れ、押し返して叫んだ。
「アルロは! コックス伯爵家の……ッ例の教団とは関係ありません!」
口にして数秒。
左手はグレイソンに握られ、右手はグレイソンの口に押し当てたまま。
しかし、これ以上迫ってくる気配はなく、黙ったまま動かないグレイソン。
アイヴィーはそっと目を開くと、そこには先ほどまでの情熱的な瞳をしたグレイソンの表情はどこにもなく、まるで、前世何度も見ていた原作そのまんまの推しの顔──無表情に目を細め、どこか見下しているかのような冷めた表情があった。
──しまった
アイヴィーは自分が犯してしまった過ちに気付き、青ざめた。