46.誓いの丘
皇宮の敷地を出たすぐ傍にある、小さな丘。
街を一望できる自然あふれたこの場所は、小さい頃、当時は孤児院で生活していたヴァネッサ達が、皇宮を抜け出したレオナルドとの待ち合わせに使っていた場所だ。この丘のシンボルともいえる、一本の大木の根元に腰を下ろしたヴァネッサは、穏やかに流れる風にあたりながら、静かに街を眺めていた。
「もういいだろ、いい加減戻って来い」
突如、背後から聞こえてきたハッキリと通る、聞きなれた声。
「スペンサー家に、あまり迷惑をかけるな」
「……また勝手に宮を抜け出したんですか」
ヴァネッサが皇宮を出てから、三週間ほどの時が流れていた。もともと、長期休暇はひと月ほどの申請をしていたヴァネッサであったが、こうして用もなく、皇宮の傍まで訪れた理由は、自分自身よくわかっている。
しかし、素直に話を切り出すことができなかったヴァネッサは、「この時間は、書類仕事をしているはずでは」と続け、レオナルドを咎めるようなことを口にした。
キュイッ
腰は下ろしたまま、レオナルドを見上げたヴァネッサのすぐ隣で、可愛らしい鳴き声が聞こえた。声のする方を振り向けば、全身紺色の柔らかそうな毛並みをした、小さな魔獣が居た。
「ラタラビットか」
「みたい、ですね」
「確か、跳躍能力が高い魔獣だったか」
帝都を抜けた先の森に生息しているのは知っていたが、商人たちの荷にでも紛れ込んできたのか、とレオナルドが口元に指を置き、毛玉のような魔獣を見下ろす。すると、小さなラタラビットはキュイキュイッ、と鳴き声を上げながらレオナルドの足元まで飛んできた。
「お前みたいな小さな子が、こんな所まで来てはいけない。人に見つかったら殺されてしまうぞ」
「キュイッ」
特定の魔獣以外、人の言葉なんて分かるはずはないが、レオナルドは優しい口調で小さなラタラビットに話しかけている。小さなラタラビットも、レオナルドが自身を害しないと分かったのか、そっと足に頭を擦りつけてきた。
「かわいいな」
「…………」
よしよし、と魔獣の頭を撫でるレオナルドを横目に見ていたヴァネッサが、ゆっくりと立ち上がる。
「お送りします」
「あぁ、頼む」
立ち上がり皇宮へと向かう姿勢を見せたヴァネッサに、レオナルドは淡々と答えた。が、その声はどこか安心しているようにも感じる。
「その子、どうするんですか」
「あのままあそこに置いておけば、駆除されてしまうかもしれないだろう」
アンバーにでも頼んで、近くの森へ帰してきてもらおう。
小さなラタラビットを抱えながらそう言ったレオナルドに、ヴァネッサはふぅ、とため息をついた。
「そういえば最近、街中でも魔獣が現れると報告が上がっていたな」
丘を降り、両脇を木々に囲まれた小道に差し掛かる。ふと思い出したレオナルドが口を開いた、その時。
ギィィィイィィ
けたたましい獣の鳴き声があたりに響き渡った。ハッとしたヴァネッサが周囲を確認する。すると、ガサガサと揺れた木の枝の向こうに、黒い巨大な塊が見えた。その塊は大きな振動を立て、こちらへ近づいてくる。徐々に姿が見えてきた黒い塊は、酷く荒い呼吸をしており、その形相は醜く怒りに満ちているようだ。
「アレは、成獣の」
「もしや、この子の親か」
「……子を奪われたのだと思っているのかもしれません」
でも、どうして。
あの大きさの魔獣がこんな場所に現れて、警報の一つも鳴っていないなんて。
レオナルドの前に出てたヴァネッサは、片手を広げ彼を制する。
「危ないですから、下がって」
小さなラタラビットを腕に抱いているレオナルドに狙いを定めた成獣は、その巨体を大きく躍動させながら攻撃態勢に入った。
「大丈夫だ、防御の魔導具は持っている。ヴァネッサこそ、今は剣を持っていないだろう。下がっていろ」
そう言ったレオナルドが、胸元から取り出したペンダントに触れる。すると、多角形の澄んだ色のシールドが展開され、成獣の前に境界線を作った。
レオナルド目掛けて突進してくる成獣は、地響きのような鳴き声を上げながら、片手を大きく広げた。振りかぶって腕を叩きつけてきた成獣は、バンッ、と半透明のシールドに弾かれ、バランスを崩す。しかし、低く唸り声をあげた後、再び片手を横に広げながら迫ってくる。
成獣の鋭い爪がシールドに触れ、弾かれると思った瞬間。
バリンッ
レオナルドが展開していた防御シールドが、目の前で粉々に砕け散った。驚きで目を見開くレオナルド。成獣の攻撃は止まらない。鋭くとがった爪が風を切りながら、レオナルドを引き裂こうと振り下ろされる。レオナルドは顔を歪め、別の防御魔導具を取り出すため胸元に手を入れる。
「……ッ」
「レオ……!」
ザシュッ
声を上げたヴァネッサは、咄嗟に地面を蹴っていた。
レオナルドを庇うように成獣の前へと出た彼女は、風を切る音と共に魔物の攻撃を背面に受け、その衝撃のまま真横へと身を飛ばされた。
「ヴァネッサ!!」
*
「あの、すみません。もう少し急げませんか」
「そうは言ってもねぇ、もうすぐ祭りがあるだろう。見ての通り、今その準備で人が多いんだよ」
現在、街の馬車に乗ったアイヴィーは、皇宮近くの丘へと向かっている。先を急ぐアイヴィーであったが、近々行われる大規模な祭りに向け、街はいつも以上の賑わいを見せていた。そのため、この時間帯の道路はどこも込み合って進みが遅い。
──────……
「皇宮だ」
冷めた表情で見下ろすアイヴィーに、悔しそうに眉をゆがめた男が吐き捨てる。
「皇宮?」
そんな簡単に入れると思って?とバカにしたような表情のアイヴィーに、男はニヤリと嫌な笑みを浮かべる。
「誓いの丘さ。あそこからなら脚力のある大型魔獣を放てば、皇宮へ入るのは容易い」
皇宮のすぐそばにある、誓いの丘。
確かにあの丘はこの辺りで唯一、標高がずいぶん高めに作られており、誰でも自由に行き来することができる。尤も、いわく付きと言われており街に住む人々は好んで近づいたりはしないが。だからこそ、なのか。
この男の言う通り、人間には無理だが、通常なら大型の魔物であれば塀を飛び越え、敷地内への侵入することは可能かもしれない。それにしても。
「急に口が軽くなったわね」
「ッハ、今はもう皇宮で魔獣が放たれている頃だからな」
街はこの通り人混みだ。今から駆け付けたところで間に合わないだろう。笑いながらそう言った男は、呼吸が荒く、興奮しているようだった。
──────……
この調子なら、路地裏通って走った方が早いかも。
「……じゃあ、ここでいいです。降ります」
胸元のブローチを見ながら思案していたアイヴィーは、御者にそう告げ馬車を飛び降りた。
「はいよ。じゃあ、ちょっとまけとくよ」
「いえ、急いでいるのでおつりは結構です」
は?とポカンと口を開けた御者は、アイヴィーが差し出したスペンサー公爵家の紋章入りの小袋を見ると、ひぇっと声を上げてすっ転んでしまっていた。
──外塀はこの前強化したって言ってたし、よっぽど大丈夫だとは思うんだけど……
召喚された魔獣が皇宮内へ入れなければ、どのみちさっきの魔獣みたいに暴れて、いずれは街へ降りてくるだろう。
男の尋問を終えたアイヴィーは、即座にスペンサー公爵へと連絡を入れていた。しかし、スペンサー公爵は仕事で帝都から離れてしまっていたため、すぐに向かうことはできないと返された。そのため、こうして今アイヴィーが直接皇宮へと向かっている。
──街にまた囮として召喚されるかもしれない魔獣の事も、分かんないし!
再び捕縛魔法をかけ拘束した男を残し、路地裏を抜け出したアイヴィーはテオドールたちが居る店内へと戻った。
キャスケットの男は、この計画の標的である皇宮を襲撃することは知っていたものの、その他の囮についての情報は何も知らなかった。
つまりこれは、彼らが数人で計画し及んだ犯行ではない。命令するリーダー格の人間が居て、それぞれの実行犯には、本人が行う行為以外は伝えていない。決められた情報統制。あの男は計画の一部に組み込まれた、下っ端でしかない。
そのため、レーラにはあのまま街に留まり、万が一、再度魔物が召喚された場合の対応を任せてきた。
──移動前にベルには連絡とったから、そろそろ来てくれると思うけど。
「あぁ、もう!!」
怒気を含んだ声を吐きながら路地裏を抜けたアイヴィーは、そのまま誓いの丘へ向けドレスをはためかせながら走った。






