45.どうかな?
街で有名な洋服店。
貴族専用にと用意された、玄関から続く正面階段を上ったすぐの部屋には、上機嫌な様子のアイヴィーと、少し眉間にしわを寄せながら言葉を探してるテオドールの姿があった。
「どうかな!」
「…………どうって言われても」
数時間前。
公爵邸の自室でまったりと読書をしていたアイヴィーは、ふと聞こえてきた馬車の音に立ち上がった。窓際に寄り下を見下ろすと、丁度テオドールが護衛騎士を連れ、馬車に乗り込むところが目に入った。
「テオ! どこか行くの?」
「……ちょっと買い物に行くつもりだけど」
そんな身を乗り出して叫ばないでよ、危ないから。と呆れたように続けたテオドール。
テオが買い物? 街に?
「私も一緒に行っていい?」
一瞬、黙り込んだテオドールであったが、期待のこもったアイヴィーの視線に屈し、「5分で降りて来てね」とぶっきらぼうに答えた。
テオと一緒に買い物!やったー!と大袈裟に喜んだアイヴィーは、数日前の魔導人形の暴走以降、術式改良に引きこもって煮詰まっていたレーラを誘い、共に屋敷を出た。
そして現在。
試着室から出てきたアイヴィーは、その場でくるりと一回転し、テオドールにこの店最新のドレスを披露していたのであった。
「薄くない……?」
「そう?」
アイヴィーが身に着けているドレスは、今この国で主流となっている、ギュッと絞めた腰からふわっと広がるタイプのものではなく、東の方から形を変えながら流行り伝わってきたらしい、マーメイドタイプのドレスである。胸元から太腿までピッタリと体に密着したデザインの上部に、膝から下はふわりと綺麗なレースが広がっている。
──公爵家の、貴族令嬢としてトレンドは把握して、早めに取り入れておくべきよね。
アイヴィーが、貴族の間でもまだ深く知れ渡っていないこのドレスを選んだのは、そういった意図がある。
──それに、これの方が楽だし
そして、店内にいくつかあったドレスの中から、このタイプのドレスを選んだのは、そう。なによりも、あの堅苦しいコルセットをつけなくてもいい、という利点が一番の理由である。
「それにしても、アクセサリーを見に行きたいって誰かへのプレゼント? それとも、自分で使うもの?」
私のオススメはね~~、と並んでいる宝飾品を順番に物色していくアイヴィーの後方で、テオドールは目を細めている。
「いつもは商人を家に呼んでいるのに、わざわざ足を運ぶなんて珍しいじゃない」
「別に暇だったし……わざわざ持ってきてもらうより、自分で見る方が早いから」
なんて言いつつ。
アイヴィーは、この店の奥さんが臨月に入っており、もうすぐ子供が生まれるという話を聞いていた。そして、ここの店主は、奥さんの事が何よりも大好きで仕方のない旦那である事も有名だ。本当は店も閉めて、子どもが生まれるまでずっと傍で付き添う!と言って騒いでいたという店主を、奥さんが思いっきりビンタしてカツを入れた、という噂の方が大きく回っているけれど。
きっとテオドールは、いつ子どもが生まれてもおかしくない奥さんを残して、この店を離れる事は店主もしたくはないだろう、と思って自ら足を運んだんだろう。
「優しい。テオは本当にいい子に育ったわ」
「う、うざい……」
幸せそうに目を瞑り、一応、周りに人が居ないのを見計らって頭を撫でにきたアイヴィーに、テオドールは震えながら言葉を零した。
「きゃあぁっ!」
その時、部屋の外から甲高い悲鳴が聞こえた。
慌てて部屋を飛び出し、吹き抜けになっている正面階段から、下へ向けて顔を出すアイヴィー。すると下の階には、中型の狼のような形態をした魔獣が入り込んでいた。
──ダイアウルフ⁉ なんであの魔獣がこんな所に!
「べ……」
……ルは今いないんだった。
思わず名前を呼びかけた口を閉じ、アイヴィーはあたりを見渡す。
「姉さん!」
「ごめん、テオ。この服買い上げるって店主に言っておいて」
駆け寄ってきたテオドールにそう言ったアイヴィーは、彼の護衛騎士から剣を一本借りた。そして、シュッ、と今着ているドレスにスリットを深く刻んだ。
「ちょっと姉さん!」
「大丈夫、下着ははいてるから」
「や、そりゃそうでしょ」
何言ってるの、こんな時に!とテオドールがアイヴィーをしかめ顔で見る。しかし、アイヴィーは魔獣を睨みながら剣を構えた。
気に入ってたけど、仕方ない。このドレスではちょっと動きにくい。
「うわっ」
「……ッ」
ブルッと体を揺らした魔獣の背中から、何本もの針のようなものが勢いよく飛び出し、室内に降り注ぐ。テオドールに襲い掛かった魔獣の攻撃は、彼の護衛騎士が剣で防いでいる。一階にいた客たちは、店主が案内した部屋に逃げ込んでおり無事のようだ。しかし、魔獣の放った無数の針が壁や商品に突き刺さり、店内はめちゃくちゃになっていた。
周囲を確認しながらも剣を振るい、魔獣の攻撃を弾いたアイヴィー。無数の攻撃が止むと、アイヴィーはその隙に魔獣へ向けて手をかざした。
途端、辺りの空気がビリビリと震え、魔獣の動きが鈍くなった。まるで、魔獣の周りにかかる空気だけが重くなっているかのようだ。
ギャアアア。
苦しげな声を上げた魔獣が、その場にへたり込んだ。
すると、柱の陰から一人、キャスケットを深くかぶった男が不審な動きをしながらその場を去るのが見えた。
「レーラ、あの魔獣なんとかできる?」
「はい!」
「そう、ならお願い。私はあの男を追うわ」
アイヴィーはそう言うと、階段の手すりを飛び越え、男が出ていった入口へ駆けて行った。
「……え、と……」
レーラが目を瞑り、眉間にしわを寄せながら詠唱し、魔獣へ向けて手をかざす。すると、うっすらと現れた黒い靄が、何体もの蛇のような動きをして魔獣を包み込んだ。
「た、倒さないの……?」
「この子、なんだか様子がおかしいですし」
テオドールがそろりと顔を出し、捕縛された魔獣を見下ろしながら言った。魔獣から目を離さず、じっと観察するように様子を見ていたレーラは、テオドールに向き直り、ほんの少し笑いながら答える。
「お嬢様に、倒せとは言われてませんので」
辺りを警戒しながら、階段を下りていく。魔獣のすぐ目の前まで来た時、ふと落ちていた一枚の紙屑が目についたレーラ。それをそっと拾い上げる。
「これ……魔法陣?」
レーラが手にした紙切れには、数か月前、学園を爆破しようと目論んでいた者がアイヴィーに使ったような、魔物召喚の魔法陣が記されていた。
一方、不審な男を追って店内から飛び出したアイヴィーは、薄暗い路地裏まで来ていた。角を曲がった建物の隙間で、男が息荒く話す声が聞こえる。
「すまない、こちらは失敗した。中にいた女に魔物を倒されてしまった」
どうやら魔導具を使って、誰かとコンタクトを取っているようだ。
あれはやっぱり、人為的に召喚された魔獣だったんだ。でも、どうしてあの店に……
「標的に差し向けた魔物は、アレよりも強いなら大丈夫だよな」
男の言葉にハッとしたアイヴィーが、目を見開く。
──標的……?
標的が別にいる?
今の魔獣は、それから意識をそらすための囮だった……?
「……うわッ」
「標的は何?」
連絡を終えた男が、その場を去ろうと歩き始めた瞬間。飛び出したアイヴィーが、剣を男の顔のすぐに付け、冷たい表情で問いかける。
「何だッ……お前は!」
「標的は誰?」
標的への意識を反らすためなら、ここに出現した魔獣以外にも、別の場所にもあぁいった魔物が召喚されるかもしれない。それも聞き出さないと。
「……!」
「……フッ」
目の前が一瞬、まぶしく光った。
その直後、背後から聞こえてきた耳を塞ぎたくなるような獣の叫び声。目を薄く開けば、先ほどまで目の前に居た男がニヤリ、と嫌な笑みを浮かべながら後ずさっているのが見えた。
アイヴィーが意識を反らした一瞬の間に、男は再び二体の魔物を召喚したのだ。
「……」
今、この薄暗い路地裏でアイヴィーの後方には二体の魔獣、前方には今にも逃げだしそうな男がいる。
学園爆破事件と同じ……逃がすか。
ギィァアアッ。
背後から再び魔獣の大きながなり声が聞こえた。しかし、アイヴィーは前方にいる男に片手を向け、術式を展開する。
「捕縛」
男が地面を蹴った瞬間、アイヴィーが呟いた。すると、男の両足はふわっと宙に浮き、その直後、半透明な球体の中に閉じ込められた。その中で、驚いた表情を浮かべた男は何かを叫んでいるようだが、こちら側に声は聞こえてこない。
ブワッと、真後ろから風が吹き抜けた。
魔獣が叫び声をあげながら口を開き、噴出された炎が熱風と共にアイヴィーに襲いかかる。それを、ギリギリのところで距離を詰める形で避けたアイヴィーは、そのまま目の前の魔獣二体に向かって手をかざした。
「完全捕縛」
今度は半透明ではなく、真っ黒な靄が魔獣の周りに現れた。そして、それは綺麗な球体の形に姿を変え、やがて魔獣たちをすべて飲み込んでいった。
──ふぅ
小さく息を吐いたアイヴィーは振り返り、最初に閉じ込めた男の方へと近づいていく。
教えてもらってよかった。
アイヴィーが今使った二つの魔術は、学園でハオシェンに教えてもらった、原作を見ただけでは扱えなかった術式のうちの二つであった。
「解除」
「……っぐぁ」
宙に浮いていた浮遊感から急に解放された男は、重力のまま地面に膝をついて倒れ込んだ。
「おま、え……何者だ」
「……そんなことより、早く私の質問に答えて」
見下ろしながらそう言えば、男はぺっ、とアイヴィー目掛けて唾を吐いた。
「…………」
男を見下ろしていたアイヴィーの表情は、スゥ……と冷めたものに変わった。
ゆっくりと腕を上げ、男の顔の前で手をひらく。
「捕縛」
男は再び、あの半透明の球体に閉じ込められた。しかし、先ほどのように取り乱す様子はなく、視線を逸らしふてぶてしい態度をとっている。
アイヴィーはそっと球体へ手を伸ばす。そして、そこそこの強さで……叩いた。
すると、宙に浮いていた球体は、緩やかに回転しながら壁際の地面へ飛んでいった。トンッとバウンドした球体は、そこからさらに半回転しながら壁へ当たり、アイヴィーの方まで戻ってきた。目の前に飛んできた球体を、今度は思いっきり叩くアイヴィー。地面に当たって弾む。壁に当たり戻ってくる。叩く。弾む。戻ってくる。
この一連の動作を、無言で何度も繰り返された男は、やがてとんでもないポーズで、自分が吐き出した液体を全身に被った見るも無残な状態になってから、ようやく解放された。
「標的は?」
「………ッ」
涙と汚いものにまみれた男が、それでも威嚇するようにアイヴィーを睨み上げた。
ゴッ。
睨み上げた男の顔のすぐ隣に、剣が突き刺さった。
「外しました」
「……ッ」
「次は当てます」
*
「うっへぇ~、あれが件の」
「…………」
アイヴィーが男に向かって剣を突きつけている、そのすぐ頭上。全身黒の衣服を身にまとったグレイソンと体格のいい男が、上階の窓から様子を伺っていた。
「アレじゃあ確かに、破落戸の五人や六人、捻り伏せるのは訳ねぇなぁ」
お前が止めた時はちょっと驚いたが、とグレイソンの方を向いて口元だけ笑いながら言った、体格のいい男。
先ほど、キャスケットを被った男が魔物を二体召喚した時、加勢するために降りようとしたこの男の行動を、グレイソンは止めていた。
「お前があぁ言うほどの人間だ。ただ者じゃあないだろうとは思っていたが、アレは結構な……じゃじゃ馬娘だな」
頬杖をつきながら、フゥッと息を吐いた体格のいい男の言葉に、グレイソンは下を見つめたまま、ぼそりと答えた。
「…………変な女だ」






